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6号球に願いを込めて 4

 再開。


 渚は無理をやめ、ドリブルを一度多くついた。

 ボールが床に触れる音が落ち着きを取り戻して、チームのパスが少し滑らかになる。


 だが、相手のセンターが強い。

 ゴール下での一歩目が重く、ブロックアウトも堅い。

 こちらのシュートはリングをかすめては落ち、落ちたボールは大きな手に吸い込まれていった。


 “簡単じゃない”


 ベンチから見ているだけでも分かる。

 コートに入ってから、自分は何を優先すべきか――りんは頭の中で、たった三つを並べなおす。


 見る。急がない。呼吸。


 “あとは、渚の“止まる瞬間”に合わせる”


 スコアは、14対18。四点ビハインドのまま、時計は淡々と進む。


 交代のプレートがあがり、りんは立ち上がった。

 コートへ踏み出す瞬間、靴底が木の床に吸い付く音が、小さく、しかしはっきりと聞こえた。


 “始まる”



 最初の一本。


 りんはトップより少し下がった位置に立ち、ボールが巡るのを見守る。

 渚が右で一度止まる。腰が沈む。視線がゴールからわずかに外れる。


 “今”


 りんは胸の前で小さく押し出した。

 パスは渚の胸元にぴたりと届き、渚は一瞬のためらいもなくゴールに向き直って打つ――が、わずかに長い。


 “ざわ……”


 客席の空気が、音にならない音を発した。

 渚の肩が、ほんの少しだけ下がる。


 りんはすぐさま戻りながら、渚の横顔を見た。

 視線が泳いでいる。

 “渚、今日はリングが遠い”


 相手の攻撃をなんとか一本止めて、再びこちらのボール。

 りんは渚の前に立って、手を上げて、目で合図した。


 “一回、私に預けて”


 渚は小さく頷く。

 ボールがりんに入る。

 りんはドリブルをつかないで、ピボットの軸足を床に貼り付ける。

 右を見る。左を見る。

 視界の片隅で、ウィングの子の肩がふるふると一瞬だけ揺れる。

 あ、空く。


 りんは目をほんのわずかに上げ、そこへ鋭く、しかし過不足なくパスを通す。

 シュート――

 外れ。


 “まだ、待つ”


 自分にも、チームにも言い聞かせる。

 焦って“入れる”ことよりも、“崩さない”ことを選ぶ。

 負けているときほど、構造を壊す誘惑が強い。

 でも、いま壊したら、もたない。



 時間が削れていく。


 前半終了、20対24。


 ベンチに戻ると、足首の内側が少し重い。

 テーピングの端を指で押しなおすと、張り付いた粘着の感触が指に移った。


 監督はホワイトボードに四角と線を描き、三手だけ指示を出した。


 「相手センターの最初の一歩が重い。そこ、奪う。ウィークサイド、リバウンド“入る前に”押さえる。りん、逆サイの声“切らすな”。渚、ドライブは“二歩目”で切り替えろ、一直線で行くな」


 渚はまっすぐ「はい」と答えたが、その声に小さな砂粒が混ざっている。

 りんは渚のペットボトルを受け取り、ふたを開けて手渡した。


 「戻ってこ。渚」


 「……戻る」


 短く交わした言葉の温度が、ふたりの間でようやく同じになった気がした。


◇ ◇ ◇


 後半開始。


 相手が序盤から当たりを強くしてくる。

 スクリーンで身体がぶつかるたび、肩の骨に鈍い音が鳴る。

 床のワックスが薄いところでは少し滑り、濃いところでは吸い込まれる。

 足裏の読み替えを、りんは二回、三回と素早く行う。


 ディフェンスで、りんは相手のトップに対して距離を半歩詰め、パスレーンに指先を差し入れていく。

 “通していいパスと、だめなパス”

 その境目のわずかな隙間に、体を置く。


 一本、弾いた。

 こぼれ球。

 渚が拾う――が、ドリブルが少し高く浮いて、相手の手が差し込まれる。

 奪われ、レイアップ。


 22対28。


 観客席の息が、一瞬止まった。


 渚の目が、ほんのわずかに下を向く。

 りんは渚の肩に、視線だけで手を置いた。


 “大丈夫。戻れる”


 返事の代わりに、渚の胸が一度だけ大きく上下する。

 呼吸が、戻る。



 そこからの数分は、誰にも見せたくない時間だった。

 シュートはわずかに逸れ、パスは一歩届かず、ファウルの笛が軽く鳴る。

 負けるときの空気は、力で押し返さない限り、勝手に強くなる。

 それでも、りんは「構造」を手放さなかった。


 右へ出したら、左を使う。

 トップが止まったら、ハイポストを見せる。

 誰かが止まっている時間を、誰かが走る時間に変える。


 “いま、崩さないことが、最後の三秒に繋がる”


 根拠なんてない。

 けれど、ノートの端に何度も書いた“ゆっくり、強く”という言葉が、いまは一番の根拠に思えた。


◇ ◇ ◇

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