沈む光、残る想い 2
放課後。教室から人がはけて、斜陽が床を薄く撫でる。
「こうき」
名前を呼ぶと、彼は振り向いた。
「りん」――その二文字が、遠い。
「少し、話ある?」
彼は頷き、窓の外へ視線を逃がしてから、「俺も」と付け足した。
良い話の前置きじゃない。
校舎裏は日が落ちるのが早い。影が重なって少し冷える。
体育館の壁に貼られた当番表の端がはためく音がやけに大きい。
「昨日、渚と歩いてるの、見たよ」
自分の声が自分の声じゃない。
こうきは驚いた顔のあと、苦いものを飲み込むみたいに眉を寄せる。
「……そうか」
「たまたま、じゃないんだよね」
問いではなく確認。
「たまたま、じゃない。最近、一緒に帰ることが多くて……話してるうちに、わかった。俺、渚のこと、好きだ」
言葉は真っ直ぐだった。
曲がった方が楽なのに、真っ直ぐでいることを選んだ彼のずるさが、よくわかる。
「いつから?」
「文化祭のあとだと思う。準備が大変で、帰り道、いろいろ話して……」
「わたし、知らなかった」
「言えなかった」
「言わなかった、でしょ」
思っていたより冷たい声が出た。
こうきは拳を握り、爪が掌に食い込む。
「りんのこと、嫌いになったわけじゃない。本当に」
「そういう言い方、いちばん残酷だよ」
「……わかってる」
胸ポケットの内側を指で探り、小さな金属の輪に触れる。
誕生日にもらったペアリング。
昨日の夜だけは外して眠った。
理由は言葉にできてしまうから、言いたくなかった。
「渚は、このこと知ってるの?」
「俺からは、まだ」
「そう。――じゃあ、わたしから聞くよ。渚に」
こうきの瞳が揺れる。
「りん、待って。怒るだろ、渚のこと」
「わからない。怒り方、忘れちゃった。
たぶん、怒るより先に、わたしが壊れる」
自分で言って、少し驚いた。
演技じゃない方の本音だった。
「明日から、どうする?」
自分で投げておいて残酷だと思う。
「わからない。でも、嘘はつかない。りんにも、渚にも」
「壊れたあとに残るのは、欠片だよ。
欠片は、たぶん綺麗。光がよく当たるから。
でも、もとには戻らない」
彼は目を閉じ、長い瞬きをした。
そのとき、角の向こうから部活の声。
「こうき先輩! 顧問が――」
現実はドラマチックを容赦なく壊す。
「ごめん、今、行く」
「うん」
言いかけた言葉は、言わなくていい。
◇
屋上に渚を呼び出した。
自販機で缶ココアを二つ。日陰に並んで座る。
渚は前髪を耳に払って、息を整えた。
「昨日、帰りにこうきと会って、駅まで一緒だった。
たまたま、って言えばたまたま。
でも、わたし、多分、たまたまにしたかっただけ」
「渚は、いつから彼のことが好きだった?」
「文化祭の前。りんが泣きそうな顔してたとき、
こうきが何も言わないでスポドリ差し出したでしょ。
あの優しさ、ずるい」
「わかる。優しさって、ときどき、ほんとずるい」
沈黙が落ちる。
風が髪に指を通すみたいに通り抜ける。
「りん。ごめん」
「うん」
「奪うつもりなんて、なかった。……気づいたら、呼吸が楽で、寄りかかってた。
寄りかかった先に、りんがいるって知ってたのに」
「ありがとう、正直に言ってくれて」
「怒らないの?」
「怒り方を忘れた。
……本番で使おうと思ってた感情、全部、昨日の夕方どこかに置いてきたみたい」
冗談めかすと、渚は泣き笑いした。
「お願いがひとつだけ。
今日ここで話したこと、こうきに言わないで。
わたしの“かっこつけ”にしといて」
「りん、そういうとこ、ずるい」
「うん、今日はそれでいい」
◇
昇降口で靴を履き替えていたら、背後の足音が止まる。
「星空」
遼だった。透明なビニール袋に湿らせたタオル。
「美術室の片付けで濡れた。……これ、要る?」
受け取ると、温度が皮膚から肺へ届く。
「遼はさ。目の前で壊れていくものがあったら、どうする?」
彼は少し考えて、窓の外へ視線をやった。
「止めない。壊れるのは自然だから。
でも、欠けたところで指を切らないように、布を巻く」
「布?」
「比喩」
淡々と笑う顔が、やさしかった。
「それ、いま欲しがってる顔、してる?」
「泣くより、少し困ってる顔」
観察が正確すぎて、息が詰まる。
「布、もらっとく」
「それ、タオル」
「うん」
◇ ◇ ◇




