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6号球に願いを込めて 2

 翌日の放課後。


 チームは5対5のゲーム形式の練習だった。


 りんはビブスを着て、控えの列に並ぶ。


 監督が合図を出す。交代。


 りんはコートに入って、最初の一歩で靴の底が少し滑った。


 “あ、やだ”


 焦りが一気に体温を奪う。


 「ボール、来るよ!」


 渚の声。振り返ると、まっすぐにパスが飛んでくる。


 りんは反射的に両手で受け止め、腰を落とし、顔を上げる。

 目の前のディフェンスの子は、腕を広げて切り替えに備えている。


 ――抜けない。


 体が固まる。


 りんは一歩下がって、横にずらし、もう一度視線を上に。

 右の45度、渚が一瞬、フリー。


 “今”


 りんは胸の前で小さく押し出すようにパスを出した。


 渚のシュートは、リングの手前で一回ふわりと踊って、落ちた。


 「ナイス、ナイス、今の視野良かったよ」


 監督の声。


 でもりんの胸は、少しだけ痛かった。


 “わたしのパス、軽かったかな”

 “もっと強くても良かった?”


 自分にだけ、厳しい声が飛ぶ。



 練習が終わる頃には、りんの喉はからからだった。


 給水の列で、渚が肩をぽんと叩く。


 「さっきのパス、良かった。りんの“見る”は、やっぱ好き」


 「……でも、ディフェンス、遅れた」


 「うん。でも、遅れたって分かってるの、すでに半分“直ってる”」


 渚はペットボトルをりんの唇へ押しつける仕草をして、おどけて笑った。


 力が抜けて、りんも笑ってしまう。



 雨の日。


 体育館が使えない時間帯は、校舎の廊下の端を借りて、りんは身ひとつでできる練習をした。


 壁を使って“ワンハンドシュート”のフォームだけを反復する。

 肘を落とさない。手首を返す。


 壁に触れるのは指先だけ。

 同時に、つま先立ちでふくらはぎを上げ下げ。


 床の冷たさが足の裏に伝わる。


 10回、20回、30回。


 “ちゃんと伸びろ、ちゃんと戻れ”


 自分の体に、言い聞かせる。


 りんのノートは、その日のページの半分が汗でよれて、鉛筆の文字が少し滲んだ。



 夜、家の廊下でドリブルをしていたら、お母さんが顔を出した。


 「りん、床がね、マンションだからね、下のお家に響いちゃうからね」


 「……ごめんなさい」


 注意されたことが悲しいわけじゃない。

 やめなきゃいけないことが増えるのが、怖いだけだ。


 りんは一度ボールを抱えて、ほんの少し考えた。


 “叩く”から“転がす”へ。


 布団の上にボールを置いて、指先だけで押す。


 ふかふかの布団の反発は弱く、ボールは言うことを聞いてくれない。

 でも、だからこそ“指”で扱う練習になる。


 できないときは、やり方を変えればいい。


 渚が前に言っていた言葉を思い出す。


 りんはうなずいて、指先に集中した。


 やわらかい弾力の中で、ボールの芯を探す。


◇ ◇ ◇


 土曜日の朝。


 りんは早起きして、家の前の小さな公園へ行った。


 朝露の匂いと、鳥の声。


 鉄棒のそばの平らなスペースで、ラダー代わりにチョークで四角いマス目を描く。


 前へ、後ろへ、斜めへ。


 足の裏で地面を“押す”。


 最初は頭がこんがらがる。


 でも、10分、15分、20分と繰り返すうちに、足がリズムを覚え始める。


 汗が額から頬へ落ちて、首筋を伝う。


 最後に深呼吸をして、りんは空を見た。


 雲の間から陽が差して、地面の白い四角が光を吸っている。


 胸の奥の小さな灯りが、少しだけ大きくなる。



 月曜の放課後。


 監督がホワイトボードに近づいた瞬間、空気が少しだけ冷たくなった。


 《次の公式戦メンバー》


 黒いマグネットで四隅を留められた白い紙。


 りんは少し離れた場所で、靴紐を結ぶふりをしていた。


 近づいたら、期待してしまう。

 期待したら、外れたときに、苦しくなる。


 渚が気づいて、視線で合図を送る。


 **「いこう」**という目。


 りんは、一回だけ深く息を吸って、立ち上がった。


 白い紙に、びっしりと並ぶ名前。


 まず、いつもの数人の名前に目が行く。

 渚。キャプテン。センターのあの子。


 ――そして。


 目が自然に、紙の下のほうへ滑っていく。


 星空りん


 その二つの言葉が並んでいた。


 手のひらが、すぐ汗ばむ。

 文字が揺れる。


 りんは紙に指が触れてしまいそうになるのを引っ込めて、ボールをぎゅっと抱いた。


 呼吸がどこへ行ったのか、しばらく分からなかった。


 渚の笑い声が、遠くで風鈴みたいに鳴っている。


 「りん」


 名前を呼ばれて、やっと息が戻る。


 「……ほんとに、ある」


 声は震えて、笑っているのか泣いているのか、自分でも分からない。


 渚が、りんの肩をぐいっと抱き寄せた。


 「おめでとう。ね、言ったでしょ。りんの“見る”は、チームの力になるって」


 りんはうなずいて、胸の奥で、ずっと言えなかった言葉をそっと並べる。


 “できない”から逃げなかった。

 “焦る”から目をそらさなかった。

 “ゆっくり”を信じた。


 「……がんばって、よかった」


 言葉にした瞬間、世界がすっと明るくなった気がした。



 体育館の窓の外で、雲の切れ間から光が差した。

 白いボードの前に立つ、ちいさな影は、いつもより少しだけ、背が伸びて見えた。

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