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6号球に願いを込めて 1

 放課後の体育館は、いつもより音が少なかった。

 ゴムの床に反射する窓の光は薄く、埃がふわりと舞っている。

 りんは端っこのコートで、マーカーコーンを三つ並べていた。


 右足、左足。小さく踏み替えるステップを十回。

 次はドリブルをつけながら、細かく体の向きを変える。


 “トン、トン、トン”


 ボールの音がときどき空振りのように軽くなって、りんは眉を寄せる。


 「親指、力入りすぎ」


 いつの間にか背中に声。振り向くと、渚がペットボトルを持って立っていた。


 「こう。指は“つかむ”じゃなくて“添える”。手のひらで叩かない。音、聴いて」


 渚がお手本を見せる。


 “タン、タン、タン”


 同じ“3”なのに、音がまるで違う。

 りんは無意識に背筋を伸ばした。


 「……渚は、どうしてそんなに上手なの?」


 「回数。あと、焦らないこと。りんは“早く上手くなりたい”が強いから、力で追い抜こうとしてる」


 渚は笑って、りんの額に指を当てた。


 「急がない。呼吸。はい、3回吸って、3回吐いて」


 りんは渚と同じリズムで呼吸して、もう一度ボールに触れた。


 掌じゃない。指で、支える。


 “トン、トン、トン”


 ほんの少しだけ、音が丸くなった。


 「……今の、ちょっと良かった?」


 「うん。ちょっと、ね」


 ちょっと。

 それでも、胸の奥で小さな灯りが点いた。



 帰り道、ランドセルの重さが今日は少しだけ軽い気がした。

 夕焼けが長い影を作る歩道で、りんはボールを抱えて歩く。


 渚は前をスキップするみたいに進んで、時々ふり返る。


 「次の練習試合、メンバー発表、週末なんだって」


 「……うん」


 言葉が小さくなる。


 りんはまだ一度も、公式メンバーに入ったことがない。

 名簿はいつも白い紙の中央から右側に寄って、渚の名前がある部分だけ濃く見えた。

 “頑張ってるのにね”

 たぶん大人が言ったら優しさのつもりの言葉が、りんには刃みたいに感じられることがある。


 頑張ってる、のに。

 “のに”は、どうしてこんなに苦いんだろう。


 「りん」


 渚が立ち止まって、真っ直ぐに言う。


 「りんの“良いとこ”、私知ってる。視野、広いよ。誰が空いてるか見るの、上手」


 「……でも、上手いだけじゃ、ダメなんでしょ」


 「ううん。“上手い”にいろいろある。りんの“上手い”はチームを助ける“上手い”。それ、すごい」


 渚の言葉は、いつも遠回りをしない。

 胸の中の硬くなった場所に、ぽん、と指で触れてくる。


 りんはうまく笑えず、ただうなずいた。



 家に帰ると、味噌汁の匂いがした。


 「おかえり、りん。手洗ってー」


 台所からお母さんの声。


 りんはランドセルを置いて、ボールを部屋に運ぶ。


 勉強机の端に置いてあるノートの表紙には、

 **『りんのれんしゅうノート』**と書かれている。


 今日の日付。


 ドリブル:指を意識、音がまるくなった(渚ちゃんアドバイス)

 フットワーク:コーン3こ、10往復、タイム 1分34秒 → 1分30秒(4秒短くなった!)


 最後に小さな星印を描き足して、りんはふぅ、と息を吐いた。


 夕飯を食べて、お風呂に入って、宿題を済ませる。


 寝る前、部屋の明かりを消すと、窓の外で風がレースカーテンを揺らした。


 りんは布団にもぐり込み、目を閉じる。

 頭の中で、コートの線を歩く。


 右、左。正面を向く。“見る”。


 渚の声が、なぜか心の中でゆっくり響いた。


 「急がない。呼吸」


 寝る前の最後の呼吸は、いつもより深かった。


◇ ◇ ◇

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