沈む光、残る想い 1
夕暮れは、今日に限ってゆっくり沈む。
交差点の白線がほどけ、帰宅ラッシュの足音が重なって、街路樹の葉が風に擦れる。
紙袋の持ち手が手のひらに食い込んで、わたし――星空りんは、信号の赤を見上げたまま立ち尽くしていた。
視線の先。向こう側の歩道に、見慣れた背中が二つ。
――茅ヶ崎渚。そして、かずまさこうき。
渚は髪を耳にかけ、こうきは身を屈めて何か囁く。
言葉は聞こえない。けれど、袖がふっと触れる距離。
渚が驚いたように目を細めて、次の瞬間、二人の笑い声が風に転がった。
「……え?」
声は喉の奥でほどけ、外には出なかった。
信号が青に変わり、周りの人たちが一斉に渡り始めても、わたしの足は床に打った釘みたいに動かない。
こうきの手が渚の髪のクリップを直す。
クリップは、去年の誕生日にわたしが渚へ贈った白い小花。
渚は「ありがとう」と言ったみたいに唇を動かし、少しだけ、こうきの袖を引いた。
世界の色が、そこだけ濃く見えた。
わたしとこうきが並んで歩くとき、あんなふうに袖を引いたこと、あったっけ。
指先で確かめるみたいに触れたのは、どちらだったっけ。
胸の真ん中に針の先ほどの痛みが刺さって、抜けない。
信号がまた赤になった。
やっと足を動かす。横断歩道を渡りながら、二人の後ろ姿が角を曲がって消えるのを見送った。
追いかければ、理由をひとつくらい見つけられるかもしれない。
けれど、追いかけた先で――もし、見たくないものを見つけてしまったら。
歩幅は崩れなかった。崩せなかった。
◇
家に帰ると、玄関の匂いは朝と同じなのに、部屋の空気は別物みたいに重かった。
制服のままベッドに倒れ込み、天井の染みを見上げる。
インカメラに映った自分は、笑ってもいないし、泣いてもいない。
スマホの画面に固定ピン。「こうき」のアイコン。
最後のトークは「また明日」。
――また明日、は、いつだって嘘になりうる。
打ちかけた文字はすぐに消した。
問い詰める言葉は、正義の顔で近づいて、簡単に刃に変わる。
わたしの手に負える重さじゃない。
画面を伏せると、天井の染みがじわりと広がった気がした。
◇
翌朝の教室は、蛍光灯の白さがやけに冷たくて、
黒板の粉の匂いだけが生活の温度を保っていた。
「おはよう」
静かな声。久遠遼が、わたしの机の端に絆創膏を一枚置いた。
「昨日、手。袋の跡、赤かった」
「見てたの?」
「たまたま。コンビニの前」
観察、ほんとやめてほしい。
けれど「ありがとう」と素直に言えた。
彼は小さく頷き、席へ戻る背中のラインが、いつもより丁寧だった。
扉が開いて、こうきが入ってくる。
自然と視線が吸い寄せられる。
彼は周囲と軽口を交わし、笑って、ふいにこちらを見る。
目が合う。いつもなら手を振るのに、ほんの少しだけ眉が寄っていた。
わたしも笑って見せる。
大丈夫だよ、の顔。
嘘は、きっと、こうやって覚える。
◇ ◇ ◇




