59話 無類の味わい
案内された食堂は一言で言えば豪華の二文字につきた。
長たらしく解説するなら真っ白なテーブルクロスが広げられた長テーブルに煌びやかな光沢を放つ銀の燭台が品よく並んでいる。
食堂の天井を飾るのは温かな火を灯すシャンデリア。控えめな炎にあてられたクリスタルガラスが小さく震え、繊細で美しい音楽を奏でているようである。
椅子から食器一つに至るまでいかなる小物であれ妥協のない洗練された品々。
品が一流ならこの場の人間もまた一流揃い。
初老の執事に配下のメイド2名が手際よく食事の準備を整えている。食器を運ぶ音すら立てることがない。当然メイドの胸部も一流サイズだったのは言うまでもないことだった。
国の威信をかけて賓客をもてなす、そういった精神が感じられる部屋だった。
この豪華さをわかりやすく例えるならばヨーロッパのお城の内装といったところ。もうちょい身近だったもので表現するなら昔社会見学で行った国会議事堂の議員食堂か、旅行雑誌で見た高級ホテルのレストランかな。
ざっと数えて20人がけのテーブルにはたったの3人。俺と霞澄が向かい合い、お誕生日席の位置には王子が座っているといった塩梅だ。
「それでは今宵のディナーを始めさせていただきます。ラメイソンはとりわけ森の味覚に恵まれております。遠方からいらしたお客様にご賞味いただきたいのは茸の最高峰と名高いトリュフマンとポルチーニマンでございます」
初老の執事――ダンテスというらしい――が、そのような口上を述べ、前菜のサラダをテーブルに並べた。
赤、黄、緑、白と葉物と根菜が彩りよく盛りつけられており、色彩の豊かさだけでも食欲をそそる。混ぜられている粒状のものは香辛料か?いや、これは胡桃だな。
仕事で長期間人里から離れることがあると新鮮な野菜に飢えてくるものでサラダは基本どんなものでも大好物だ。さらに高級茸であるトリュフマンやポルチーニマンが入っているなら鬼に金棒といったところだろう。
しかし説明に反してそれらしいものが切れっ端も見当たらないな。これらを専門に狩る冒険者(※新人どころか一般人でも余裕で狩れるほど弱いが、地中に隠れ人前には姿を見せないというトリュフマンと樹木の根に擬態して人目を欺くポルチーニマン。それらの匂いを識別し探り当てることのできる豚の魔物を使役して一攫千金を狙う魔物使いが存在する)がいてギルドに納品されるブツを間近で何度か見たことがある。どちらも入っていればそれと分かる黒褐色をしていて見分けがつくのだ。
……ん、いや、それらしい芳しい香りがしっかりと嗅覚に訴えてきている。
「こちらのサラダにはトリュフマンのソースを絡めてございます。とりわけ香り高い部位を使用しておりますので一口でその存在が感じられることでしょう」
補足された説明で納得する。なるほど、ドレッシングに混ぜてあるのか。
それなら論より証拠だ。
「いただきます」と唱え、瑞々しい葉っぱにフォークを突き刺して口に運んでみる。
「…………!?」
ほあああっ…………!なんなんだこれは!?うまい!うますぎる!サラダだぞ!?サラダがこんなにもうますぎていいのか!?大好物だけど食卓の名脇役として好きってだけだ。こいつは前菜でありながら主役の座を奪わんとする野心の味がする!
叫び出しそうになる衝動をフォークを握りしめることで必死に堪えた。
鮮烈な感動の正体を確かめるべくもう一口食べてみる。
まず野菜そのものの味が濃い。大地から得た滋養を濃厚に閉じ込めた深い味わいがある。
少し色の薄い葉ものをかじればほのかな甘みが優しく舌を包み、続いてさっぱりとした苦みが爽やかに甘みを打ち消す。
野菜ごとの味が示す濃淡は計算されつくしたものなのだろう。王子が色彩を操る達人なら、料理人は味覚のグラデーションを操る達人だ。決して退屈させるのことない味覚を交互に、あるいは複合的に味わうことができる。散りばめられた胡桃がアクセントとなって食感も心地よい。
サラダなんて適当に切ってちぎって皿に盛ってドレッシングぶっかければそれでいい簡単な料理だなんて思っていたけどその認識は大いなる誤りだ。盛り合わせ一つとっても実に奥深い。サラダとは工夫の余地が無限に存在する千変万化の料理なのだ。
元々調味料なしでもいくらでもお代わりできそうなのに、極上のトリュフマンソースによって更なる高みへと引き立てられている。噛むたびにトリュフマンの優雅な風味が舌の上で踊り、至福の余韻を残す。
大衆料理しか知らない舌に対して最高級の料理は鮮烈な感動をもたらした。
俺は前菜の時点で完全にノックアウトされていた。
夢中になってフォークを動かしていると、男性陣より先に平らげてしまう。
次の料理まで時間を持て余すことになるとは、淑女の振舞いとしてはいかがなものだろうかと遅ればせながら恥ずかしくなった。
そしてその様は2人にバッチリと観察されていたらしい。こんなにも美味しいサラダが手元にあるのに手は止まっていて皿に半分ほど残っていた。
顔に穴が開くほど注視されている。恥ずかしい……。めっちゃにやけた顔してたよな俺。それに食いしん坊な、はしたない女だと思われただろうか。
「はは……、美味しかったのでつい」
「「…………」」
無表情で黙ってないで何か言えよ。
俺は場を紛らわすべく、会話の弾みそうな話題でも提起しようと慌てて視線を巡らす。
霞澄の方を見て反射的に口をついて出てくる言葉があった。
「お、タマネギ食べられるようになったんだな。偉いぞ」
言ってから後悔した。会話を弾ますにはあまりに冴えないセリフだ。
この場に相応しいウィットに富んだことを言えないのかよ俺。丁寧な口調も抜けてるし。
「クス、くっくっくっ」
案の定というか霞澄が小さな含み笑いを漏らす。
「よしたまえよ。貴公の健康を案じておられるのだ。笑うものではあるまい」
窘める王子の唇も笑みの形をつくっていた。
社交の場でする作り笑いではなくて面白かったから笑う。そんな気取らない自然さだ。
王子なんて見栄を張って外交するのが商売の人種でも虚飾のない表情を表に出す時はあるらしい。
「アスカがあまりにも愛らしかったもので。これが彼女の魅力ですよ」
「あれが彼女の素の姿か。純真なのだな。争い事に身を置いていながらそのような気性でいられるのは得難い才能だ」
馬鹿にされてる気がするぞ畜生。
失態を犯したのは事実だから返す言葉もないけどさ。
霞澄だけならともかく王子の前では膨れ面をして非難するわけにもいかず、きゅっと拳を握り俯いて恥じ入るばかりだ。
「ダンテス。彼女にスープを出してくれ」
「かしこまりました」
老執事が恭しい所作でサラダの皿を下げ、入れ替わりにスープの皿が置かれる。
「ポルチーニマンのポタージュでございます。お体が温まりますよ」
「夏に冷製でいただくのも美味しゅうございます」とそんな能書きを聞いてからスプーンを手に取る。
これもきっと匙の止まらないうまさなのだろうけど、すぐに口にするのは躊躇われた。
「あの」
なぜならば、また2人から注目が集まっているのだ。
見られていると食べていいものか困るし、付け焼刃のテーブルマナーを見破られやしないかと戦々恐々とする。
「温かい内にいただくといい。我々のことは気にしないでくれ。この国には他国からいらした客人に作法を押し付ける狭量さはない」
王子が慣れた調子でそう言った。
「はい」
「ラメイソンは学術都市としての顔だけでなく首都への中継地としての性質ももつ。それ故この屋敷に国賓が滞在する頻度は多い。ここでの滞在がギルガルドの第一印象を決定するといっても過言ではないから快適な時間を過ごせるように配慮しているんだ。眉をひそめるような習慣を目にしたとしても決して咎めず、客人の文化を尊重するのがこの国のやり方なのだよ」
「はあ……立派な考えですね」
食事マナーに不安を感じる外国人はいて当然だもんな。ギルガルドの方針は寛容らしい。
でも人が食べてるところを見るのは勘弁してくれねえかなあ……。
あんだけ精巧な絵が描けるまで人のこと見といて何が不足だというのだろう。
しかし、ここは大切な接待の場だ。
王子と良好な関係を築いて今日を終えなければならない。
霞澄を含め男どものことは、ちょうどポタージュの具材であるところのカボチャやジャガイモだと思うことにしよう。
教わったマナーを思い出しながら忠実に。
心に決めて一口。
「……美味しいです!」
「そう言ってもらえるならもてなした甲斐がある」
はい、無理でした!俺雑魚すぎ!
マナー何それおいしいの?
興奮のあまり今度は本当に叫んでしまった。
ポタージュも最高にうまい!
サラダといい、調理した料理人は素材本来の味を引き出すことに長けているようだ。
香りが強すぎてかえって全体の風味を損ねかねない高級食材を絶妙なバランスで抑え、主役であるところのカボチャとジャガイモの旨味がふわっと上品に広がるよう工夫されている。
なんと丁寧で繊細な仕事だろうか。
畑は違えどこれを調理した彼?彼女?を見習い、昨今の雑な戦い方を改めて襟を正そうと思える。
「本当に美味しそうに食べるのだね。弟と妹の幼い頃を思い出すよ」
妹を見るような目をしてそんなことを言われた。
こいつも誰かの兄なんだな。
兄弟とは離れて暮らしているようだし家族の代用として俺を見ていたのだろうか。
王子の気持ちを推し量るのはさておき、返事に窮する発言なので話を逸らそう。
「殿下は召し上がらないのですか?」
「そうだな。足並みを乱しては料理長を困らせてしまう。僕もいただくとしよう」
ようやく自分のサラダに手をつけ始める王子。霞澄はというとちゃっかりサラダを食べ終えてスープを給仕してもらっているところだった。
育ちの違いってやつか、俺が音を立てないように苦労してポタージュを食べる中、2人は品を損なうことなく意外な迅速さで片付けてしまう。
さて、フルコースでスープの次は魚料理。というのは地球ではどの国の文化だったか。
次の料理を待っていると食堂に控えめなノックの音が響いて、典型的なコックの出で立ちをした人族の男性が巨大なワゴンと共に入室した。
「今宵の晩餐を統括させていただいております。料理長のフレミングと申します」
腰を折って深々と頭を下げる料理長。
彼の年齢は見た目30そこそこと若い。凡庸な顔立ちで俺の想像する天才料理人の風貌とは一致しない。
――が、その認識は彼のもつ魔法の指先によってすぐに覆されることになる。
ワゴンにはカセットコンロに似た器具と油が注がれた鍋、それと銀色のドーム型をした蓋が乗っている。
カセットコンロはファイヤーアントの素材を用いた加熱用のアーティファクトだな。使用者の魔力を供給するか魔石をセットすることでいつでもどこでも料理ができる野営のお供だ。購入を検討したことはあるものの、荷物として嵩張るのが嫌で結局買わなかった。ってそんなことはどうでもいいな。
フレミング氏はアーティファクトに火を入れ、鍋の油を沸騰させていく。
油の適温を見計らうとクロッシュを持ち上げる。
中から現れたのは尻尾を残して殻をむかれた海老だった。身は溶き卵にでも浸したのか、白くはなく黄色い。少し厚みを感じられるのは小麦粉を加えたことで嵩が増しているためか。
これってまさか……!?
海老が鍋に投下され、軽快な音を立てて油の中で弾ける。
鍋の中で徐々に黄金色に輝いてゆくそれを菜箸を構えて鋭い眼光で睨むフレミング氏。
さして特徴のない平凡な男の顔は今や歴戦の兵に通ずる風格があった。
料理の最も美味なる瞬間を逃すまいと神経を尖らせている。
そして彼の眼光が一層光を増した瞬間、魚を獲る海鳥のような俊敏さで菜箸が動き、海老をさらっていく。
からっと揚げられたその一尾はこの場の序列に従い王子の前に配膳される――が、王子はそれを押しとどめた。
「客人のもてなしを先に頼む」
「はっ、かしこまりました」
王子が軽く目配せすると海老は俺の前まで移動した。
「創作料理の盛んなグリーンウッドで新しく開発されましたこちらの品はテンプラと呼ばれるものであります。茶葉を粉末状にしたものと塩を混ぜたこちらの調味料を少量つけてからお召し上がりください。グリーンウッド発祥のオハシなる食器でいただくのがより美味にいただけますが、ご用意いたしますか?」
まさか天ぷらときたもんだ。グリーンウッドってか、日本の文化が王家にまで侵食してきているとは。
エドのやつどうしようもない変態だが営業手腕は本物だな。
数十年ぶりの天ぷら。もちろん俺はお箸で食べたい。
「お箸をお願いします」
「私にもお箸をいただけますか?」
俺が箸を希望したのに続いて霞澄も手を挙げてそう言った。
すると王子が感心したように目を瞠る。
「お二人はグリーンウッドに行かれたことがおありか?」
「ええ、まあ」
俺と霞澄が慣れた手つきで箸を握るとフレミング氏と王子が軽く驚いたような仕草を見せる。
こちらにとっては当たり前のことでもギルガルドの人間からすれば突如自国から湧いた異文化だからな。無理もないことだ。
「持ち方も正しいな。流石世界中で見聞を広めてきただけのことはある」
なるほどと頷く王子。
「テンプラという料理は揚げたてが最も美味だという。そうだな?フレミング」
「左様でございます。それゆえ殿下の御前にて調理させていただくご無礼を仕りました」
「そういうことだ。賓客である君にはこの国の最高の美食を味わってもらいたい」
冷めないうちに食べろと促す王子。言われなくても今すぐかぶりつきたい気持ちでいっぱいだった。
遠慮なく頬張る。
「はむ……、あ、ふああ……!ああああ……!!」
サクッとした揚げたて特有の食感。口の中でほどける衣の甘味は郷愁を感じさせるには十分なものだった。
海老天そのものは小ぶりなのだが、歯ごたえに確かな弾力がある。噛みしめればたち凝縮されていた海老のうまみがたちどころに拡散して口内を隈なく満たしていった。
海の中にいる幻覚すら見えてきそうだ。海老だけじゃない。群れをなして泳ぐ魚が、海底で静かに佇む貝のヴィジョンまで見える!
……うますぎる!ボーノ!トレボン!マシッソヨ!
食事で幸せの絶頂を感じたのはいつぶりだろう。
幸せホルモンなるオキシトシンが人生で2番目に多く分泌された瞬間ではなかろうか。(一番目は彼氏の腕の中にいる時である)
これはもはや魔法を超越した味としか言いようがなかった。
「年に300尾程度しか水揚げされない珊瑚海老を使用しております。海老の中でも至高とされている珊瑚海老を最高の形で供するのであればテンプラ以外にあり得ないと判断いたしましたが、いかがでしたでしょうか?」
知ってる。別名海の宝石。
新人時代冒険者だけじゃ食っていけなかったから漁船でバイトしたことがある。
珊瑚海老を網の中から発見した船長のおっちゃんの喜びようときたら飛び上がらんばかりだったな。
漁獲量が少ないだけで味が平凡なら売れ残る要因になるが、とんでもなくうまいから買い手は引く手あまたで濡れ手に粟。
この場で値段について言及するのは野暮な話なので伏せておくが、バイト代かなり弾んでくれたっけ。
「最高です。今とても幸せな気持ちです。あなたがナンバーワンです」
感動のあまり俺は涙を流してフレミング氏を賞賛した。
俺はこの世界で35年生きて、あらゆる国を踏破して何でも知ったつもりでいたが、全くの無知だったと知る。
「ありがとうございます。この味を理解していただけるお方に賛辞をいただけることは料理人としての冥利につきます」
フレミング氏は料理をしていた時の険しい表情とは対照的に少年のような朗らかな笑みを浮かべた。
「殿下、スミカ様、珊瑚海老のテンプラ揚がりましてございます。お嬢様、こちらのテンプラもどうぞお召し上がりください。マツタケマンのテンプラでございます」
続けて揚げられた天ぷらが2人の前に配膳される。
各々嬉々として箸を伸ばし、瞬く間に平らげる。
「これは素晴らしいな。また腕を上げたなフレミング。来年開かれる首都での式典には君を料理長に推すよう父上に進言しておこう」
「大変に美味です。アスカがうっとりとしてしまうのも無理はありませんね」
口々に無上の感想を述べられ、感涙にむせびそうになるのを瀬戸際で堪えるフレミング氏。
俺も「次があるならまたあなたの料理を食べたいです」とお世辞ではなく本気で褒めたたえた。
マツタケマンの天ぷら、マジでうまかった。高級茸3種に珊瑚海老なんて贅沢、初めてには違いないが、それ以上に料理人の腕が非凡だった。
次の料理は何かなと年甲斐もなくワクワクする。
モデルの見返りでこの待遇ならいくらでもやってやんよ。
「では主菜の準備に取り掛かりますので今しばらくお待ちください」
フレミング氏は感動の面持ちをひとまず心の底にしまって仕事人の顔で食堂を退室した。
またも迷走しておりました。
何度繰り返したか忘れましたが、本当に何かを書くというのは難しい。
ダクソ3の対人に帰ってきまして誓約霊の召喚待機中の傍ら執筆していたのですが、驚くほど捗りませんでした。
殺し合いがあまりに楽しすぎて書く方に全然集中できない有様でしたので中途半端はやめるべきと反省しました。書く時は書くことだけに専念します。
ですが本日13日から高壁での攻略イベントが始まります。翌日以降もツアーイベントが続きますのでバンバン侵入して参る所存であります。
もし読んでいただいている方の中に参加予定のホスト様、白霊様、同僚闇霊様がいましたらご指南のほどお願い申し上げます。
追記、同僚にロックマンコスいました。その発想はなかった……




