58話 人妻モデルアスカ
薔薇の咲き乱れる広大な庭園。
その中央に配置された東屋の一角で、俺は茶会がお開きになってからかれこれ一時間ほど椅子に腰かけてぼんやりしている。
一流の庭師が手入れしたであろう薔薇はいくら眺めていても飽きることのない見事な出来栄えだが、少し前に自爆するクソッタレな薔薇の魔物と戦っただけに複雑な気分だ。
危険はないとわかっていても無用な警戒心を抱いてしまう。
偉い人に絵のモデルにされているっつー状況も落ち着かない。
対面で熱心に筆を動かしている王子の目がぎらぎらと真剣に光っているのだ。そりゃもう毛穴どころかその下の毛細血管まで深く観察されているような顕微鏡のごとき眼光だ。
モチーフとして見られるのは初めてってわけじゃないから覚悟してきた分まだマシだけどな。
あれは中学二年の頃だったか。美術の授業で絵のモデルにされたことがあった。
女の美術教師(23)に「千鳥クンっていい体してるわね。モデルになってくれない?」と請われて。
労せずして成績評価を貰えるという誘惑に屈した俺は喜んで引き受けた。
ただし、上半身裸でサイド・トライセップスのポーズを授業のたびにとらされる羞恥プレイが待っていたのである。
当然クラス全員の前でだ。
反応は以下のようなものだった。
「キャーー♪」
「ヤバくなーい?腹筋とか超割れてるんですけどー♪」
「バキバキすぎてキモッ!」
「確かにいい体してるよな」
「部活やってねえのにあれはすげえよ」
「柔道部に入ってもらえばいつでもあの体と……ゴクリ」
「千鳥くん……///」
「レイヤーさんこっちに目線ください」
「いいよいいよ~♪顔とカラダのギャップがいいね~♪もう一枚脱いでみよっか♪」
美味しい話には裏があると知った青春の一ページである。
しかもクラス全員分+先生による俺の絵が一週間廊下に張り出されるというおまけつき。
掲示期間中は不登校になりたくなったよなあ。
後日先生がお詫びをしたいって「今度の日曜私の住んでるマンションに来ない?手料理をご馳走するわ」って言ってくれたんだよ。
美人の先生だったから二つ返事で承諾して出かけて行ったんだが、道中で偶々遭遇した霞澄に拉致されて買物に付き合えと言われ、泣く泣くドタキャンの電話をする羽目になった。
「チッ、先生まで。まったく油断ならない世の中ね」
そん時の霞澄は舌打ちをかまし、腹立たし気に悪態をついていた。
「それはこっちのセリフだ。休日を返せ」と抗議すると「大人に誘われてホイホイついていくなんてお兄ちゃんバカじゃないの?ミンザイモラレテムカレテキョウハクサレテドレイになりたいわけ?」
早口に罵倒されてよく覚えていないが、親が子供にする躾の定番である、知らない大人についていくなというニュアンスだった。
まるで俺の頭がクルクルパーだと言わんばかりのこきおろしっぷり。
今も昔も妹から尊敬されたことってない気がする。
そうそう、気になることが一件。
隣で手持ち無沙汰につっ立ってる霞澄があの時と同じ怒りを漂わせているみたいなのだ。
王子は勘づく素振りもないが、俺の嗅覚は火薬の匂いが充満するのを嗅ぎとっている。
茶会でのフォローをふいにし、余計な口出しをしたことに腹を立てているのだろう。王子の手前文句を言うこともできず、暇をもて余す現状が鬱憤をためているに違いない。
ここは気分転換を勧めてみよう。
「スミカさん。退屈でしたら庭園の散策でもされては?」
精一杯のお嬢様っぽい口調で助け船を出してみる。
必要であればどんな演技だってするけど妹の前じゃ恥ずかしいな。
元の俺の姿でやったら大爆笑されるか冷ややかな一瞥を受けているところだろう。
「そうだな。他にも愛でるべき薔薇はある。共をつけて案内させようか」
事情を知らない王子が筆を止めて俺に同意した。
「いいえ、お構い無く。アスカと片時も離れたくありませんので」
しかし霞澄はすました顔で肩を竦めここが定位置だと主張する。
「婚約者を愛しておられるのだな」
「アスカには生涯を捧げるだけの値打ちがありますので」
すると王子は興味深げに片方の眉を上げた。
「ほう?貴公ほどの者をしてそこまで言わしめるとは。是非アスカを選んだ理由を聞かせていただきたいところだ」
霞澄の普段のモテっぷりを承知しているらしく、意外そうに反応する。
あらゆる美少女がよりどりみどりの少年がなぜ俺を選んだのか?
俺の基準なら、もし娼館で今の俺みたいな見た目の女の子を紹介されたら迷わずチェンジと言う。体型の好みがどうのこうの以前にいたいけな子供相手だと性欲や恋愛感情より先に守るべき対象だって気持ちの方が先にくるからだ。
しかし霞澄の場合、前世から好きでしたなんて突拍子もない真実に加え、ロリコンの病まで発症している。
後者の理由で俺のことが好きなんですとはとても人様に語れるものじゃない。
どう答えてくれるんだろう?
「目の前に本人がおります。何なりとお尋ねください。彼女の魅力が自ずと理解できるはずです」
丸投げだった。
王子の視線は俺に移る。「気になっていたことがあったのだ」と絵筆を握ったまま問いかけてきた。
「遠国から遥々やってきて学業の傍らその地で出会った男と婚約を結ぶ。考えてみれば奇妙な話ではある。アスカ、君のご両親はどのようにお考えなのかな?」
うん、他人から見たらおかしな話だよな。
親元を離れて他国からも学生が集う学び舎で、恋愛ならまだしも親そっちのけで結婚話にまで発展する例はまれだとみていいだろう。
貴族の子女と平民が混在する学院なら親は余計に心配するに違いない。
「私は冒険に憧れて故郷を捨てた身です。学院には冒険で役立つ実用的な魔法を学ぶために入学しました。必要なだけ学びを終えた後は再びあてどなく彷徨う風来坊に戻ろうと思っていたのですが、このラメイソンで出会ったスミカさんに故郷のあたたかみを感じたのです。彼は私に忘れていた大切なものを思い出させてくれました。彼の隣が私の居場所なのだと気づくのにさほど時間はかかりませんでしたね」
嘘と真実を半分ずつ混ぜて返答する。
霞澄には伝わってくれよとにっこりと微笑みかけた。
直後に霞澄は顔を手で覆い、悶えていた。
後でえっちぃいじめを仕掛けてくる懸念のある悶え方だ。流石に今晩は自重すると思うが。
「ご両親については踏み込んではならない事情だったのだな。失敬した」
「いえ、お気遣いありがとうございます」
「その若さで異境を旅する決意は生半な覚悟ではできないことだ。それを己の腕一本で成し遂げ、更なる力を得るために学院の門を叩くとは向上心も並外れている。学費を捻出できるだけの収入を得ているとなると実力は定かだな。大したものだ」
「お褒めにあずかり光栄です」
「ギルガルドは血筋よりも実力を重んじる風土がある。君のような力と勇気ある淑女はまさにこの国が望む女性の理想像だ」
そして、「他者をいたわる優しさも兼ね備えている。スミカ、貴公の人を見る目は確かだ」と賞賛する。
過大評価を受けるのは居心地が悪いが、王子が気を良くしているので否定したりせず、愛想笑いを浮かべて対処する。
気持ちよく接待してメッキが剥がれないことを祈るのみだ。
今日一日失礼のないように耐えきればそれで済むのだから気合いを入れよう。
「殿下、晩餐の準備ができております」
日没が近づき肌寒さを覚え始めた頃、執事服を着た初老の男性が控えめに声をかける。
「もうそんな時間か。時が経つのは早いものだ」
驚異的な集中力でキャンバスと格闘していた王子は満足気に筆を置いた。
「協力感謝する。やはりモデルが目の前にいてこそだな。完成度は5割程度だが残りは記憶で補える範囲だ」
そう言って未完成の絵を見せた。
手先の器用さだけでなく観察眼も優れているのだろう。精巧すぎて写真と見紛う出来だった。これで5割なのかと疑いたくなるレベルだ。
素人の感想だが肉筆ならではの迫力みたいなやつも宿っている。
これには霞澄も息を飲んで鑑賞するしかないらしい。
バカだな。本物が傍にいてお触りOKだっていうのに。
「では、ささやかな礼だが心ばかりのもてなしを用意させていただいた。デザートには引き続きマクシミリアン氏が腕を振るってくれると聞いている。茶会とは異なる趣向をお楽しみくださいとね。アスカ、君はマクシミリアン氏の菓子がお気に召したようだからね。期待してよいだろう」
「マクシミリアン氏の!?」
マジ?茶会のチョコレートとケーキすっげえうまかったんだよな。
マクシミリアン氏のことは俺だって知っている天才菓子職人だ。
店は庶民には手の届かない高級品揃いでありながらも連日品切れの大盛況。
俺も評判を聞きつけてお菓子を買いに行ったことがある。
行列に長時間並んでやっとこさ手に入れられたのが8分の1にカットされた小ぶりのケーキ。それを寮のいつもの顔ぶれで分け合って食べた。
口にできたのが一欠片でもほっぺたが落ちそうなくらい絶品だったのを覚えている。
彼を唯一自由に動かせるのは無名の菓子職人であった頃からパトロンとして出資しているクラウゼなんとかという侯爵家だけとの噂だ。
恩義を重んじ成金の札束で頬をはたいても言いなりになる男ではないのだという。
俺がアーランドで世話になってる鍜治職人ボルドウィンのじいさんしかり、気難しい職人のコネクションは金だけじゃ買えない。
マクシミリアン氏のデザート、茶会じゃあんまし食べる暇なかったからな楽しみ!
相好を崩す俺の視界の隅で霞澄は何故か頭痛を堪えるような仕草を見せたのだった。
想定していたより執筆作業に難航しました。
うまくいかないので気分転換に仮題「女子中学生アスカ」なる話を書いていました。
一話のif話で、異世界に転移する前の時間軸の日本に帰還する内容です。
異世界からTSして帰還する話って需要ありますかね?




