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57話 内助の功を目指したい

 

 人生で初めて散髪以外の目的で美容院に行った。

 ドレスに似合うヘアスタイルとなると女歴が女子高生で止まっている霞澄の知識では無理があったのだ。

 そんなわけで貴族としての伝手を頼りに腕のいいスタイリストがいるというヘアサロンを紹介してもらい、髪を結って編み込んでもらった。


 ドレスと合わせて姿見の前に立てば目の前にいるのはまさに花も恥じらうプリンセス。

「おーーっ」と自分で自分に見惚れたわ。


 茶会の会場に行けば他の招待客の反応で俺ってやっぱ可愛いよなと実感する。

 ま、可愛いつっても大人の色気ってもんがないちんちくりんだから口説こうとするやつがいたらそいつはロリコンで確定だ。王子に取り入る千載一遇のチャンスを放棄してまで女の尻を追っかける酔狂な野郎いないと思うが。

 霞澄はどうなのかって?

 あいつぁロリコンだよ。間違いない。

 霞澄のことはさておき、せっかくの茶会マナーを学ぶ機会だ。

 勉強させてもらうとするか。



 〇〇〇



 思いもよらない珍客に騒然とする広間。


「美しい……」

「なんて神々しく透き通った瞳なの……。まるで黄金を太陽で溶かして金剛石の中に閉じ込めたかのよう……」

「アルティミシア様が下界にいらしたのか……?」

「馬鹿を言え!そんなわけがあるか!しかし……!?」

「どこの姫なのだ!誰か知らないのか!」

「知っているわ。中庭の君よ」

「中庭の君?」

「ラビリンシアン教授は先ほど聖女様とおっしゃったわ。失明を元通りに癒してしまうなんて奇跡の使い手よ」

「ユリアン様が招待されたお方だけのことはありますわ。さぞやお心も美しく慈愛の精神をもつ素晴らしいお方なのでしょうね」


 今しがたまでしていた茶飲み話の内容を忘れ少女について口々に囁き合う招待客たち。

 遅れてユリアンは呆けて立ち止まってしまっていることを恥じた。

 これが国の将来を左右する交渉の場であったなら詐欺師同然の輩が勘づかぬはずがない。つけ入られ、たちどころに丸め込まれていることだろう。


(時間を無駄にしてはいけない。彼女の隣は僕が招待したスミカ・デルフィニウムだな。親し気に肩を抱いて。彼女と一体どういう関係なんだ?)


 明朗な思考を妨げようとする不快な動悸を胸の奥底にしまいこみ、少女へ歩み寄る。


「よく来てくれたねアスカ。招待に応じてくれて嬉しいよ。ささやかなもてなしだが楽しんでいただければ幸いだ。スミカ、君はここのところ学院内に姿を見せてくれるようになったね。入学当時と比べれば話をする機会は減っていったが、君の才能に触れてみたいと常々思っていた。学院の外で君が見て肌で感じたものを学ばせてもらいたい」


「恐縮です」

「お招き感謝します殿下。未熟者ではありますが、殿下のお役に立てるなら」


 ソフィー仕込みの淑女の一礼を返すアスカ。

 王子に家臣の礼をとるスミカから見惚れてくれている気配を敏感に感じ取り、自信をもった。


(付け焼刃だがこの手の動作だけは問題なさそうだな。まともな敬語はできねえから極力しゃべらないようにする。ボロを出して旦那のキャリアとデルフィニウム家の看板に泥を塗るわけにはいかねえ。内助の功なんて欲をかかず、じっとしてるのが最善だ)


 ソフィー、ジュノン、スミカと身の回りに3人も貴族がいるので心強い。

 アスカは彼女達から口のきき方を学ばせてもらうべく、傍観者に徹しようとしていた。

 そう思っていたのだが王子はアスカの方に詰め寄ってくる。


「やはり、君は美しい。学院の廊下で出会って以来、君の絵を模写してみたのだが何度筆をとっても上手くいかなかった。当然だな。僕は君について無知に等しい。風景画はありのままに感じ取ったものを描けばいいが、人は違う。魂がある。誰一人とて同じものがない魂がね。それを時間をかけずに写し取ろうとするなど傲慢もいいところだ。それがこうして再会してみてようやく理解できたよ」


「そうですか」


「そこで是非君に僕の絵のモデルになって欲しい。差し支えなければ君のスケジュールを教えてくれないか?僕の方から合わせるよ」


 一般的なご婦人であれば蕩けてしまいそうな笑みでさらに接近するユリアン。

 しかしアスカは警戒心でビクッと反射的に背を仰け反らせた。

 不良からカツアゲされる陰キャの心境だった。


(は?絵のモデル?何言ってんのこいつ。嫌に決まってるだろうが面倒くさい。あ、でも断ったらどうなるんだ?王子からの心証を損ねたら旦那の出世に響いたりしないか?お義父さんの立場が悪くなったりしないか……?俺の幼稚な都合で不幸にしていい人たちじゃない。クソッタレ!パワハラワカメめ!)


 とんだ疫病神だ。関わる気がなくても積極的に祟ってくるなんて。

 先の内心をどれだけ分厚いオブラートに包んで話しても不敬な発言に違いない。あるいは意図的にそうさせることで自ら墓穴を掘らせようとするつもりなのではないかと邪推するほどだった。

 平民の娘をいじめてユリアンが得することは何もないのだが。


「そうだ、明日は祝日なのだからこの屋敷の貴賓室に泊っていかれてはいかがかな?ギルガルド王家の名に恥じないもてなしをさせていただこう。後は滞在中のほんのひと時でいいから僕のモデルをしてくれないかな?」


 それはユリアンにとって一石二鳥の提案だった。

 次にいつ見られるか分からないアスカの美しいドレス姿をキャンバスに残すまたとない機会であるのと同時に自分の屋敷内ならば会話の相手として独占できる。

 アスカにとってはありがたくないことこの上なかった。


(いいっ!?何で俺にロックオンしてくるんだよ!?庶民の小娘。もとはと言えばその辺のおっさんだぞ俺は!?オメー若いんだから普通加齢臭漂わせ始めたおっさんと仲良くなりたいと思うか!?思わんだろ!!おい、助けてくれ霞澄!ぷりぃぃぃーーず!へるぷみー!)


 アスカは救助サインの視線を必死にスミカに送信した。

 あわあわと狼狽している彼女の様子は大変にチャーミングで、王子はますますアスカに興味を募らせる。


 はたしてアスカの訴えはスミカに届いた。

 同じ釜の飯で育ってきただけのことはある。

 以下アイコンタクトのみで成立した会話である。


(ちょっとお兄ちゃん!いつの間にユリアン様と仲良くなったの!?)


(別に仲良くなってねえよ!ソフィーと廊下ぶらついてたらたまたま会って挨拶した程度だよ)


(ふーん、挨拶程度で絵のモデルになって欲しいとか言われちゃうわけ?ふーん)


(霞澄が妬いてくれるのがちょっと嬉し……じゃなくてだな!あのワカメモドキの考えてることなんて俺が知るかよ!それよりこいつの相手をしてくれ。女の子が困ってたら助けるのが男ってもんだろ)


(お兄ちゃんって都合のいい時だけ女の子を主張するよね。でも、頼られるのはいい気分だからなんとかしてあげる)


 そんなやりとりを終えてスミカが王子から庇うようにアスカの前に立つ。

 リングの上で好敵手と対峙する拳闘士のようだった。


(なんだよやればできんじゃん。かっこいいじゃん俺の彼氏)


 恋人の背中に頼もしさを覚えときめくアスカ。


「殿下、アスカは私の婚約者です。類まれなる画才をお持ちの殿下に絵のモデルとして選んでいただけることは大変名誉なことと存じておりますが、彼女は間もなく婚姻の儀を控えた娘でございます。ですので独身の男性の屋敷で一夜を明かすというのは好ましいことではありません。一家臣として私は殿下をお諫めしなくてはならなくなるのですが……」


 スミカは遠回りな説明を省き、広間に通る声で堂々とアスカを婚約者だと発表した。

 さらにこの世で最も愛していると言って憚らない女の子をフリーの男と密会させて平静でいられる神経の持ち合わせはない。

 途中からの発言は意訳すれば『俺の女に手を出したらどうなるかわかってんだろうな』という典型的な脅し文句であった。聞こえようによっては王子をまったく信頼していない、不敬な発言でもある。


「そうか君の婚約者だったのか。これは失敬した。アスカ、先ほどの誘いは忘れてほしい」


 感情の読み取れない平坦な声でユリアンは応じた。

 表情こそ波風のたっていない平静のものだったが、胸中は穏やかではなかった。

 彼自身にも原因に自覚のない嵐が吹き荒れていた。そして、それはアスカのことをもっとよく知らなければ収まりそうにないという予感がユリアンにあった。明晰な頭脳をもってしても解明できない自身の感情に迷いつつも何とか彼女との関りを持とうと試みる。


「ただ、絵のモデルの件は覚えておいてくれ。スミカ、君の婚約者の美しさを共有できない者がいるのは世の中にとってあまりに惜しいことだ。同好会の皆の目にも、いや、見込みある画家には可能な限り触れさせておきたい」


「私はアスカの意思を尊重しますよ。アスカはこうした社交の場に馴染みがなく、本来人前に出ることを好みません。華やかな都会ではなく自然に囲まれ精霊と共に生きる贅沢とは無縁の日々を愛する少女なのです。アスカの絵は描いた者にその気がなくとも間違いなく途方もない値がつくでしょうね。絵を投機の道具としかみなしていない富豪がそれを見たら……?人々が金銭を巡って醜く争う様をアスカはけして快く思いません。彼女は清楚で控えめなところが強すぎて、人の頼みをなかなか断ることのできない損な性分をしております。ですので婚約者である私には彼女の意思を汲み取り、代弁する役目があります。――絵のモデルの件は一切ご遠慮させていただきたいと申し上げます」


 スミカがそう言って恋人にウインクを送る。

 アスカは色々とツッコミたい衝動を堪えつつ、ユリアンに「そうなんです!勘弁してください!」と必死に目で訴えた。


「そうか。そこまでは考えが至らなかった。ならば無理強いはできないな。この場で目に焼き付けておくだけにしよう」


「ご無理を申し上げました」


「構わないとも」


「…………」


 実のところアスカはハラハラしながら成り行きを見守っていた。

 言葉遣いこそ丁寧であるものの、スミカは王子の望みをことごとく袖にしている。

 ユリアンに気分を害した様子は見受けられないが、身分が身分だ。腹芸の一つや二つできなければ王子なんてやっていられないだろう。そういった真似ができる人間は後で何をしてくるか分からないとアスカは知っていた。

 立場が上の相手から譲歩を引き出すときは互いにとっての落としどころを用意するものだと彼女は短くない人生経験で学んでいたのである。


(大丈夫なのか?俺のためにそこまでして。でしゃばるべきじゃないのはわかってる。でも王子と険悪な関係が続くかもしれないってのは今後のことを考えるとよくないと思うんだよなあ。妥協点を提示した方がいいんじゃないか?)


 アスカは考えた末に結論を出した。

 睨み合っているように見える両者の間に割って入る。


「あの、殿下」


 彼女が恐る恐る口を出すと金銀の貴公子から注目が集まった。


「今日だけということでいいのならモデルの件、受けようと思います。そこでお願いなのですが、今晩このお屋敷で夫と一緒にお世話になってもいいですか?」


 



次話は16か17日あたりに投稿できればと思います。

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