舞台裏 王子のため息
次話の投稿は22日か23日頃を予定しております。
二話分となります。
ラメイソン魔法学院。
その学舎の一室に美術の同好会がある。
キャンバスが立ち並ぶ室内には同好会の主催であるユリアン王子の姿があった。
「はあ……」
ユリアンは絵筆を握って硬直したままこの日何度目になるかわからないため息をついた。
「ユリアン様。筆が止まっていらっしゃるようですが、ご気分が優れないのですか?」
憂鬱そうにしている――そのように受け取った学生の一人が王子に声をかけた。
声の主は豪奢な金髪を美しくロールさせた身なりのよい少女である。
「心配をかけさせてすまないアローラ。僕は大丈夫だ」
ユリアンはあらゆる女性を魅了してやまない容姿で爽やかに微笑んで物憂げな表情を打ち消す。
自身の容姿が並外れて優れていることについて客観的に理解しているユリアンは女性に対して滅多に喜怒哀楽を示さない。
表面のみを繕い、心の中では冷ややかに相手を観察している。
アスカならば嫉妬と共に激怒して地団太を踏みたくなるような話であるが、気があると勘違いを起こさせないようにするためだ。
しかしながら、例外的に友人として接することのできる女性がいる。
それは自分に恋愛感情をもっていない人という場合だ。
侯爵家令嬢アローラ・フォン・クラウゼヴィッツはその内の一人である。
「でしたらよろしいのですけれども……。では、絵の方で行き詰っていらっしゃるのですか?これは人物画ですわね」
アローラは物珍し気にユリアンのキャンバスを見た。
彼は風景画しか描かないことで知られている。
まだ大雑把な輪郭に少し色をのせた段階であるが、モチーフが人だというのは一目瞭然だった。
「そうだ。誰かの肖像を描くというのは初めての試みでね。うまく筆が進まなくて困っている」
それも珍しいことだ。
ユリアンの筆づかいは大胆でありながら精緻を極め、いつも迷いがなかった。
剣術や魔法だけでなく絵画においても天才と評される彼が行き詰まるなど……
「どなたを描いていらっしゃるのでしょうか?服装からして女学生のように見受けられますが」
「ああ。この学院の学生だ。今日出会ったばかりのね」
「まあ。ユリアン様が筆をとりになられるだけの値打ちがあったとなりますと、さぞかしお美しい方だったのでしょうね」
「まだ幼かったが月の女神の化身かと呼べるほどの美しさだった。彼女の姿を見た時、魂を揺さぶられるような震えが走ったよ」
眼鏡をとって素顔を見せてくれたあの時、もう少し長く足を止めていればと悔やむ。
鮮烈なまでの美しさだったというのに細部を記憶に刻み込む時間が不足していた。
僅かな時間会話しただけで人となりもよく把握していない。普通の少女とはどこか違うとわかっただけのこと。
だから、もう一度会ってみたいと心の底から渇望する。
(これではまるで一目惚れのようじゃないか)
ユリアンは心の中で自嘲気味に笑った。
ギルガルド王国第一王子のユリアンには国内国外問わず無数の縁談が持ち込まれる。
それら全ては国をさらに豊かにするための政略結婚だ。
(恋愛をする資格など僕にはない。弟や妹たちであれば多少の火遊びは見て見ぬふりをしてもらえるが、僕だけは若気の至りでは済まされない)
王位を継ぐ者にとって男女関係での醜聞は避けなくてはならないこと。
色香に惑わされないための教育を受けてきている。
魔法や薬物による誘惑にも囚われない抵抗力はもちろんのこと、精神面も鍛えられている。
ユリアンは教育の効果を差し引いても、とりわけ自制心が強く、いかに妖艶な美女の誘いであれ相手のプライドを傷つけぬよう丁重に断ってきた。
しかし、アダマンタインのごとき自制心は一人の少女によって揺らぐ事態となっている。
今日まで厳しく律してきたものが、美しさに敗北するなどあってはならないことだった。
(会って確かめなくてはならないな。あの少女に執着してしまうこの感情の正体を)
決断すれば王子の行動は早かった。
アローラに相談を持ち掛ける。
「もう一度彼女に会ってみたいがどうしたものかな」
「でしたら絵のモデルになっていただけないかとお願いするのはいかがでしょう。ユリアン様からのお誘いであれば大変名誉なこと。お呼びすればすぐにでもいらしてくれるに違いありませんわ」
「急に呼び立てられるほど親密にはなれなくてね。よしんば彼女の居場所を特定できたとしても、彼女は遠い外国の人だから僕との交流に価値を見出せないだろう」
彼女のよそよそしかった態度を振り返るに、身分の差から恐れ多いと感じているであろうことは想像に難くない。
気軽に話をできる場を設けて徐々に心をほぐしていくべきだ。
ユリアンと同じ見解に至ったアローラが発言する。
「仲を深めたいということでしたら茶会などはいかがでしょうか?お茶には緊張を和らげる効果がありますし、もので釣るようで恐縮ですが大半の女は甘いお菓子に目がないものです。喜んでいただけるものと思いますわ」
女性ならではの目線から考えられた提案にユリアンは悪くないどころか名案だと思った。
相談して正解だったとアローラに感謝を告げた。
「ありがとう。いい案だアローラ。早速茶会の準備を手配して彼女に招待状を出そう」
「恐悦至極に存じますユリアン様。お会いになられたい方がどちらにお住まいかご存知なのですか?」
「残念ながらわからない。――が、幸い友人関係は把握している。ラビリンシアン家のご息女と仲が良い。彼女に招待状を送り、友人を同伴してくるようにしたためておこう」
まさかソフィーとアスカが同室だとは寮生でない二人は知らない。知っているのはソフィーが寮生であることのみ。したがってソフィー宛の招待状を寮監に預けるだけだ。
招待状の送り先のことはさておき、ただ友人を連れてきてくれと書くのでは不確実なので文面に銀髪金眼の少女と指定しておくつもりである。
「それとあまり少人数で周りが貴族ばかりでは終始気を張らせてしまう。格式ばった茶会では彼女は来てくれないだろう。身分の関係に拘らない人柄の友人が多ければいい。貴賤を問わず他の者を何名か招待しよう。アローラ、君もできるだけ広い範囲で友人を連れてきてくれるかい?」
「もちろんですわユリアン様。茶葉やお菓子はいかがなさいますか?」
「王室から最高品質のものを。菓子については詳しくない。君に一任してもよいだろうか」
「お任せくださいませ。お母様が菓子職人の中でも巨匠と名高いマクシミリアン氏と懇意にしておりますの。彼をお招きできると思いますわ」
単なる平民の少女との再会を果たすため大掛かりなことが行われようとしていた。




