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51話 王子

プロットが固まってきましたので次話は早めに投稿できるかと思います。

早ければ6日前後を予定しています。

 出張から帰ってきたというソフィーの姉、ジュノン・ラビリンシアンに会うことになり、俺はソフィーと学院の廊下を歩いている。


 今日の俺はナンパ除けグッズとして大きく分厚い野暮ったさを感じるデザインの伊達眼鏡(スモークガラスみたいに外から顔を見えにくくするエンチャントがかかっている)を装着し、目立つことこの上ない銀髪を三つ編みにして大人しい感じの文学少女を演出している。

 三つ編みのやり方は霞澄が嬉々として教えてくれた。練習の甲斐あってなかなかの仕上がりだ。


 余談になるが霞澄は俺の髪を編み込む際、「こうしていると妹ができたみたい」と喜んでいた。

 傍目には仲睦まじい兄妹みたいに見えるもんな。

 そこまではよかったのだが、調子に乗った霞澄は「ねえ、お兄ちゃん。私のことお兄ちゃんって呼んでみてよ。一回でいいから」なんて耳を疑いたくなる要求をしてきた。

 兄に妹属性を望む妹の倒錯した性癖を知った俺は「馬鹿野郎、特殊プレイはお断りだ。勝手に脳内でやってろ」と叱りつけたものの、欲望に正直な背徳王子霞澄は止まらなかった。

 壁ドンと顎クイコンボからのキスで黙らせられることになる。

 メロメロにされて前後不覚になった結果、俺は瞳を潤ませながら妹を「しゅきぃ……お兄ちゃん……」と呼んでしまうのであった。

 その後の賢者タイムで味わう自己嫌悪ときたらもう……。

 俺はもう人として駄目かもしれん。



 済んだことは忘れて現実に帰ろう。

 教室の隅でハードカバーの文庫本読んでる系の女子に扮装したおかげでナンパは避けられている。

 俺だけはな。

 代わりに文句なしの美少女であるソフィーが被害を被りやすくなっている。すれ違う男子学生が「あの子かわいくね?」と結構な頻度で振り返っているのだ。

 今は振り返るだけで済んでるからいいが、しつこくまとわりついてくる野郎が現れたら面倒だな。

 その時は刃物をちらつかせて切り抜けるとしよう。

 剣はペンより強し。もちろん弁舌に対してもだ。

 そんなわけで俺は刀を腰に帯びている。

 刀装備の文学少女。

 なんともアンバランスな組み合わせである。


 柄の鮫革を手慰みにいじりつつソフィーと雑談する。


「魔法学院の校舎って言っても、割とフツーの学校と同じなんだな」


「普通の学校と同じって?」


「ほとんど座学の教室だなって」


 窓から覗き見る魔法学院の教室は中学の社会見学、オープンキャンパスで見た大学の教室とほぼ同じだ。

 扇状に広がり、緩やかな坂になった空間に教卓があって、机と椅子が並んでいてと、その辺は異世界でも同じ発想に行きつくんだなと思う。


「そうだね。大きいだけで大体は地元の学院と変わらないかな」


 相槌を打ったソフィーは生家の近所にあるという学院を比較対象に出した。


「アスカちゃんはここ以外の学院に通ったことがあるの?」


「まあな。15まで数学とか、語学とか歴史とかあと政治・経済とか普通の学問を学ぶところに通っていたよ。魔法は教わらなかったけど自然科学はやってた」


「その幅広さは普通じゃないよ。もしかしてアスカちゃんかなりのお嬢様なんじゃ」


「いんや。生まれも育ちも庶民だよ」


「本当に?アスカちゃん食事のマナーがいいし、今だってほら、屋敷で歩き方のレッスンしてたわたしの家庭教師よりずっと綺麗な歩調で歩いてるよ」


「ホントだって。食べ方なんて親のしつけの範囲だろ。歩き方や姿勢なんかは剣の師匠に厳しくしごかれて身に着けたんだ。俺はソフィーの3倍は長く生きてるからな、何十年もかけりゃどんなボンクラだってそれぐらいできるようになるわ」


 歩き方はさておき。あれだな。日本での一般的な食事マナーが海外で美しく見えるってやつか。

 昔読んだ異世界転生ものの小説で食事マナーが王侯貴族並みだスゲーって主人公が過大によいしょされてる展開があったなあ。

 ヒロインや周囲のモブからの好感度を上げるために盛り込まれる場面だ。

 実際にソフィーからの好感度は上がったようだが、俺の人間人生50年にヒロインが存在しなかったのはバグですかね?

 一応いたけどさ。実の妹って隠しヒロインにもほどがあるだろ……。むしろ俺がヒロインにされてるじゃねえか。

 ゲームだったら普通のRPGやってたはずが途中からいきなり乙女ゲー始まったっていうプレイヤー置き去りの超展開ですわ。

 恒例の話脱線。学校のことから始まってマナーとか教養の話をしてたのにどうしてこうなるんだか。


 モノホンの貴族令嬢であるソフィーが太鼓判を押すなら多少は自信を持ってもいいのだろう。

 ソフィーの手が空いている時に本格的なマナーについて教えを乞うてみようか。

 お義父さんとお義母さんの好感度稼ぎのためにな。


「忘れてた。アスカちゃんってわたしのお母様よりその、お姉さんだったね」


 種族ごとに平均寿命が異なる異世界でも女性の年齢に触れるのはデリケートな話題なのかソフィーは若干言い淀んだ。

 俺はそれを気にせず同意する。


「だぞ。お勉強する目的じゃないとはいえまた若い子に混じって学生やることになるとは思わなかったけどな」


 しかも一国の最高学府に籍を置く学生ときたもんだ。

 今さら学歴にこだわりなんぞないが最終学歴小卒なんだよな俺。

 義務教育すら修了していないのはスミカ(・・・)のご両親にウケがよくないだろうか。

 試験はカンニングで突破。講義はサボリと不良学生もいいとこだがこの都市で冒険者としての活動成果を報告していけば卒業するのは簡単だ。

 辞めるのは保留にして休学するのもありかもしれない。在学中なら体面は保てるからな。

 後で霞澄と相談してみよう。

 霞澄も卒業するつもりなら休学届を出す。

 あいつは俺と違ってインチキ入学したわけじゃないから学院でもっと学びたいだろう。


「あいつ、ちゃんと必死こいて勉強して入学したんだろうな……」


 俺を探すため危険なとこにも足を運べるよう努力していたんだ。

 前世の女の子らしい華やかな装いだった部屋とはうってかわって殺風景なスミカ(・・・)の部屋を思い出して愛の深さを知る。


「アスカちゃん」


「ん?」


「今、スミカ先輩のこと考えてたでしょ?顔に出てるよ」


 エスパーかよ!とツッコミそうになって自分の顔にぺたぺたと触れてみる。

 頬が痛くなりそうなぐらい口元がωな形状に歪んでいた。

「悪い。ところ構わずニヤついちまって。いい歳してこれじゃキモいよな」

 歳だけじゃなく中身が俺なら尚更だ。


「そんなことないよ。お嫁さんになるって女の子の夢が近いんだもん。幸せが滲み出ちゃってもしょうがないと思う」


 知らぬが仏ってのもあるが美少女のガワのおかげだな。ソフィーは引くような態度を微塵も感じさせずにフォローしてくれた。


「しょうがないか。ウン、しょうがないに決まってるよな。女の子の夢だもんな。てへへ」


 そうしておしゃべりしながら移動していると前方から男子学生のグループが角から現れた。

 華のある中性的なイケメンを先頭にして、後ろには顔立ちは若年ながら逞しい体つきをした騎士装束の男達を伴っている。

 彼らは全員が帯剣している。全て大型の騎士剣だ。重量は俺の太刀の5割ぐらいありそうだな。

 重すぎて素人には向かない、いや、並みの戦士でもまともに使いこなせない剣だ。

 彼らは一様に武器の重量を感じていないかのような泰然とした身のこなしをしており、眼光鋭い。

 かなりできる連中だと俺は踏んだ。

 エリート階級の騎士といったところか。


 眼鏡の奥で戦士としての観察眼を働かせていると、ソフィーは俺とは別の種類の緊張で表情を引き締めた。

 どうしたのかと尋ねる前にソフィーが口を開く。


「アスカちゃん。前にいるお方、ユリアン様だよ」


「ユリアンって――この国の第一王子のことか?ここで学生してるのか?」


「うん。わたし達と同じ精霊科で学生会長もしていらっしゃるの」


「ふーん。どいつが王子なんだ?先頭にいるいかにもな男がそうか?」


「そうだよ」


「あれがね」


 確かユリアン・クレイグ・ギルガルドだったか。ギルガルドの次代王位継承者。

 お国情勢を知っておくのは冒険者としての嗜みなので名前くらいなら俺だって知っている。

 年は霞澄と同じくらいか、17、8といったところだろう。

 見てくれは人族と違いはないようだがギルガルドの王家は様々な人種を血統に取り込んでおり、祖先を辿っていくと人族を始め、エルフ・ドワーフ・ヴァンパイア・猫耳族・人狼族・ドラゴニュート・狐人etc.と多様なんだとか。

 この異世界、生まれてくる子は両親の特徴を半々受け継ぐこともあれば、片方だけの性質をもつこともある。見た目の特徴を受け継いでいないのに能力だけは受け継いでいる場合もあって人は見かけによらないってことが多々ある。

 例えば純粋な人族と人狼族の間にできた子が、人狼族のトレードマークである狼耳をもっていないのにも関わらず、人狼族並みの身体能力をもってるなんてことがな。

 ギルガルド王家は見た目に特徴が現れなくても親の能力を受け継ぐことがあるって点に着目して各種族がもつ優れた能力を取り込み、集約することで次代に優秀な王を生み出そうとしているのだとか。

 安定した治世を敷いて名君名高い現王の評判から察するにその方法は功を奏しているのだろう。


 んで、王子はというと、あらゆる種族のとびっきり優秀な貴人遺伝子の集大成であるゆえか、実にロイヤルな外見のイケメンだ。

 凄まじく金がかかっているであろう美しい刺繍の施された濃紺のサーコートは生半可な人物では添え物に過ぎなくなってしまうだろうが、優美と言っても過言ではない均整のとれた長身によって見事に屈服させられ、着る者の魅力を引き立てる役目に甘んじている。

 そして面構えが実に立派なものだ。

 緩やかにウェーブした流麗な金髪。切れ長の瞳は南の海を思わせる鮮やかなサファイアブルーの碧眼。

 甘く整った顔の骨格にはすっきりと通った鼻筋に形のよい薄い唇が。

 非モテ男子からすれば『死んでくれる?』と嫉妬で呪い殺したくなるような容姿だというのに、周りを固める騎士装束の男子学生はやんごとなき身分に対する畏敬ではなく、崇拝とか尊敬といった類の眼差しを寄せていて、有能なだけでなく慕われるに足る器の持ち主なのだろうと推察される。

 ま、俺の彼氏の方が上だけどな。


 元非モテ男子としてはルサンチマンが爆発しそうなので心の中で金髪ワカメ王子と呼称して慰めることにしよう。

 と、どうでもいいことを考えている場合じゃないな。


「なあ、このままだとすれ違うことになるんだがどうしたらいいんだ?俺、王族なんか会ったことないから礼儀作法なんて知らないぞ」


 社内の廊下で社長とすれ違う際の挨拶って会釈するだけでオーケーだったよな。

 昔見た『知らないと損するビジネスマナー』なんてタイトルのテレビ番組の内容を思い出してみるが、社長と王子って同列に並べていいもんなのかと悩む。

 では魔人族流のマナーに頼ってはいかがかと知識を引っ張り出してみるが、魔人族は淑女も帯剣するのが常識で、貴人同士での挨拶は互いに抜き身の剣を掲げるのが習わしだという。

 王子も帯剣しているが魔人族流の武闘派な挨拶は100%意図が伝わらないだろう。

 白昼堂々斬りかかろうとする辻切に間違えられるのがオチだ。


「学院では王族であっても一学生という扱いになるから敬意を示すのは簡易に済ませて大丈夫だよ。私がお手本を見せてあげるね」


「助かる」


 一歩先に進んだソフィーが、ワカメ王子とすれ違う際、スカートの端をつまみ軽く膝を折ってお辞儀する。

 俺もそれに倣って同じようにしてみた。


 頭を上げると王子は目礼を返してきた。

 すれ違うことに成功したとみていいだろう。即席マナーでも問題なかったらしい。

 ――そう思っていたのだが、


「失礼。少しよろしいだろうか?」


 何の気まぐれか、ワカメ王子が声をかけてきた。

 おいおい、やめてくれ。俺はバイトのファミコン敬語しかできねえぞ。

 王族に対して不敬にあたらない会話術なんかできるかっての。


「ああ、すまない。大勢の男でレディを囲むのは非礼だったね。君たちは先に行ってくれ」


 王子が後ろに目配せするとつき従うように立っていた男子学生らは恭しく胸に手を当てて一礼するとこの場から去っていく。


「怖がらせて済まなかった。僕の名はユリアン・クレイグ・ギルガルド。学生会長をしている」


 朗々とした美声で名乗る王子。

 それに対して普段は年相応の少女であるソフィーが貴族の令嬢に相応しい気品と風格を漂わせて応じる。


「お懐かしゅうございます。ユリアン殿下」


「確かに懐かしいね。久しぶりだ。君はラビリンシアン公の次女、ソフィーだったね」


「はい。ご記憶ありがたく存じます」


「面影が残っていたから思い出すことができたよ。10年前宮廷で父君と一緒に会った時以来か。美しく健やかに成長されたようだ」


「もったいなきお言葉です。殿下におかれましてもますますご清栄のこととお喜び申し上げます」


「ありがとうソフィー。少し話をする時間はあるかな?次の講義に間に合うよう歩きながらで構わない」


「滅相もございません。殿下の貴重なお時間をいただいてしまってよろしいのでしょうか……」


 さすがに未来の王様相手で緊張を堪えきれないのか会話を交えるにしたがってソフィーの表情が硬くなっていく。丁寧だが受け答えが事務的だ。

 それに気づかない愚鈍な王子ではなく、美貌に大概の女なら舞い上がってしまいそうな微笑を浮かべると、落ち着いた調子で言葉を紡ぐ。


「ソフィー、ここでは僕も学問を究めんとする一介の学生に過ぎないんだ。どうか特別扱いはやめて堅苦しい言葉遣いを緩めてくれないだろうか。10年前のようにね」


 王子に誠意のこもった目で見据えられるとソフィーの緊張は幾分か和らいだようだった。


「お心遣い感謝します。殿下がそうおっしゃるのであれば善処いたします」


「再開を喜びたいところだが、まず最初に君に謝罪させてほしい。大変に申し訳ない。もし君に会えたなら確認しておかなければならないことがあってね」


「何でしょうか?」


 王子は訊きづらいことを訊くつもりなのか眉をしかめ、苦渋に顔を歪める。


「まだ真実が明らかになっていないから詳しくは話せない。魔物による被害に関することとだけ言っておこう。君の心中を察するにそっとしておくべきだと僕個人は思っている。しかしながら事態は悪化の一途をたどっていてね。被害者が増え続けているんだ。王子として国の安全を担う以上、必要なことだと判断した上で質問をさせてもらいたい」

 

「何なりとお尋ねください。次の講義は午後からなのでお話をする時間はあります」


「ありがとう。姉君だけでなく続けざまに君自身も大変な目に遭ったことは冒険者ギルドからの報告で聞き及んでいる」

 王子は一呼吸置いてから話を続ける。


「学院までの道中、街道でオークの集団に襲撃されたそうだね」


 その瞬間、ソフィーの肩が小刻みに震えた。

 思い出したくもない恐怖の記憶を掘り起こされて。


「はい……」


「話せる範囲で構わない。その時の状況を教えてくれないだろうか」


「ソフィー、ここは俺が」

 友達として止めようとしたが、ソフィーは「もう大丈夫だから」と気丈に微笑んだ。


 都市まであと数日と人里が近いにも関わらず、オークの集団が現れたこと。

 オークが死体を囮に使って護衛の騎士をおびき寄せ、奇襲で一網打尽にしたことをソフィーは伝えた。

 王子はサファイアブルーの瞳で優しくソフィーを見つめながら聞いている。


「一つ聞かせてくれ。ソフィー、君の見たオークは通常のオークと比べてどうだった?」


 ソフィーの瞳に怯えの色が宿った。しかし、彼女は俺が思っているより強い女の子だった。

 冷静に、学んできた知識に基づいて事実を語る。


「オークの実物は初めて目撃したので比較はできませんが、生態学で学んだ一般的なオークより一回り大きかったと思います。大きさだけではないですね。油断していて攻撃しやすかったとはいえ、騎士を鎧ごと切断するだけの腕力はオークにはなかったはずです。旅用の――薄手の装甲でしたが、達人級付与術師(エンチャンター)である父が手ずから【強化】エンチャントを施した鎧です。上位種であるオーガの一撃にも耐えると話していました。それがオークの単なる鉄斧の攻撃で破れるはずがありません」


「……やはり、通常よりも強力な個体か。死体を検分できなかったのが無念というよりほかないな」


 すまん王子。死体は俺が月魔法で塵も残さず消し飛ばしたわ。


「貴重な情報感謝する。辛い体験を思い出させてしまったね。改めてお詫びしよう」


「いえ、殿下のお役に立てたのであれば何よりです。今後の対策に繋がればよいのですが」


「繋がるとも。十分に有益な情報だった。街道の警備範囲強化を父上に進言しておく。ラビリンシアン家には既に弔慰金を送っているが、それだけでは酷薄にすぎるな。後日殉職した騎士への弔問にも参上しよう」


「ありがとうございます。殿下がいらしてくださるのなら常世の彼らも浮かばれましょう」


「ソフィー、君個人にもお礼をしたい。君の心を傷つけた償いには到底足りないことを承知の上で。厚かましいことだが今後君に心配事があれば是非協力をさせてほしい。学生会長として、友人として力を貸そう。お友達も気軽に相談に来てくれて構わない。歓迎しよう」


 その後「父君は御壮健か」、「姉君の論文は大変興味深かった」などといった世間話で旧交を温め合う二人を俺は半歩退いて見守る。晴れやかな表情になっていくソフィーを見て安心した。

 王子と知己のソフィーが会話を弾ませてくれている。こちらとしては万々歳だ。

 俺はこのまま別れるまで黙って外野を務めるとしよう。

 無関係な平民ですよーといった態度を装う。

 相手から視線を察知されないのをいいことに余所見をして暇を潰す。

 ちょうど更衣室を覗くため無駄に旋回を繰り返している配達員グリフォンを見かけた。

 興奮のいななきを上げている。彼の目には絶景が映っているのだろう。


 ――なんだか今夜は鳥肉が食いたい気分になってきたな。

 鳥豪族は食材の持ち込みオーケーだったはずだ。

 上半身の肉は若鳥のグリルがいいだろうか。いやいや、俺の好物骨無しチキンも捨てがたいぞ。異世界でコンビニの味を再現できるもんかね?

 下半身のライオン肉はどんな調理法がうまいだろうか。臭みが強そうだから香辛料をまぶしてピリッとスパイシーに?それとも葡萄酒でじっくり煮込んだやつがいいかな?うーん、悩ましい。


 異世界グルメに思いを巡らす俺。

 待っていると会話に一区切りついたようだ。

 ただし、王子の興味はソフィーで終わらなかった。

 後ろでボケっとつっ立っている俺に身を乗り出して覗き込んでくる。


「やあ、君は新入生歓迎式典では見かけなかったが、中途で入学されたのかな?」


 空気読めやワカメ――と言いたいのを飲み込んで俺は両手を上げて首を大げさに振った。


「そうですけど。あの、俺、じゃなくて、私、平民なのでユリアン様と口をきけるような身分では……」

 と答える。

 声をかけられないように素知らぬふりをしていたのでしどろもどろな返答になってしまった。

 大げさに遠慮したのは逆効果だったのか、王子は華やかな笑顔を俺にも惜しみなく振舞うとさらにずいっと身を乗り出して距離を狭めてくる。近いっての!


「ソフィーにも言ったけどね、ここでの僕は単なる学生だ。出自がいかなるものであっても君と対等の立場なんだ。学院内の法でもそう定められている。学生同士での交流に身分の違いを持ち出すのは厳禁とね。なぜだか知っているかな?」


 知らん。

 

 そう答えたいが俺のせいでデルフィニウム家に迷惑をかけるわけにもいかないので真面目に頭を働かせてみる。


「なぜって……」

 

 王子相手だろうと身分差を無視できる治外法権ね。

 うーん、能力が伴っていないのに権力を振りかざせるやつらがトップに居座っていたら内ゲバで学術研究どころの話じゃなくなりそうだからか。

 時代の最先端をキープしなくてはならない最高学府でそれはまずいよな。


「……最高学府に政争を持ち込ませないためですか?」


 思いついたままのことを答えると、我が意を得たりといった顔で笑う。


「その通り。この学院は何よりも成果を得るために実力主義を徹底している。活発に意見を交わし、時には競い合って能力を研鑽するのに学院外の名誉や権力など不要ということさ。表向きはそう謳っているのだが、なかなかそのようにわきまえてくれる人がいなくてね。ありのままに接してくれる人が一人でも多ければ助かるんだ」


 王子は軽く腕を広げて寛大さをアピールしてみせた。


「はあ……」


「そこで、貴重な一人目になってくれることを期待して君と話をしてみたい。お急ぎでなければどうかな?」


 王子からの誘いを袖にするのは後々面倒なことになるだろうな。

 ソフィー助けてくれ。

 俺は表情に「どうする?」と言外のメッセージを乗せてソフィーの顔を見る。

 同じ部屋で過ごしてきただけに以心伝心で、ソフィーの反応は迅速だった。

「殿下とのお話しなら待っているお姉ちゃんも許してくれるよ」と目で伝えてきた。

「オッケー。ちょっとだけで済むことを期待しよう。向こうも忙しいご身分だから平民なんぞに大して時間はかけんだろ」との意思を頷き一つで返す。


「喜んで。殿下とお話をさせていただけるとは身に余る光栄です」


 慣れない敬語で応じる。


「よかった。まずは君の名前を聞かせてもらえるかな?」


「アスカ、です」


「アスカ。ふむ、いい名だね。君の可憐さによく似合っている」


 俺の名前を呟いてふっと笑う王子。

 細かい仕草がいちいち様になっている。


「出身はどちらかな?」

 その質問に俺は適当にでっち上げた辺境国の寒村の名を告げた。


「また遠いところからはるばるとやってきたものだね。女の子一人では大変だろうに。こちらでの暮らしには慣れたかな?」


「はい、友人がよくしてくれていますので。毎日有意義な生活を送れています」


 ソフィーのことは言えんな。俺も事務的に受け答えしている。

 さっさと興味を失ってくれればありがたいんだが。


「実りある学生生活で何よりだ。この学院では文化・芸術にも力をいれていてね。僕は絵を描くのが好きなんだ。講義の後は気の合う仲間と集まって絵筆を握っているよ。君の趣味は何かな?」


 お見合いかよ。


「刀剣鑑賞です」


「騎士を志す男ならわからなくもないが、女の子にしてはなかなか珍しい趣味だね……」


 適当に答えた趣味が王子には理解不能なものだったらしい。

 俺の見た目とのギャップに苦しんでいるようだ。

 ハハッ!苦しめイケメン!下々と会話をしようとすれば火傷は付き物だと教えてやろう。

 俺は追い討ちの機会を逃さない。

 女とのつまらない刀剣トークで帰りたくなるようにしむけてやる。


「殿下のお腰のもの、素晴らしい逸品であるとお見受けしました。強い魔力を感じます。王家に伝わる由緒ある剣なのでしょうか?」


 薔薇を象った繊細でありながらゴージャスな装飾がされている騎士剣を指差す。

 鞘越しからでも伝わってくる濃厚な魔力は強力なエンチャントが施されているためだろう。

 若い頃こういうカッチョよくて性能も優れた剣が欲しかったわ。装飾は薔薇じゃなくて男らしくドラゴンでも飾ったのがいいな。

 

「これかい?単なる骨董品さ。――骨董品なのだが剣としては極めて優秀でね、いざという時命を預けるものなら使いやすさを重視した方がいいと考えて選んだ結果だよ。派手すぎるのがいただけないがね」


好んでそのデザインの剣を身に付けてるのと違うんかい。


「……同意します。武器は機能性が第一です」


「機能性が第一か。成程、君は立ち姿が洗練されている。実際に剣を振ってもいるのだね。その腰の剣はよい品なのだろうか?」


 お、物を見る目があるようだなこのワカメ。

 

「総アダマンタイン製です。どんなに硬い魔物を斬っても刃こぼれ一つしないので気に入ってます」


 俺の発言で秀麗な顔に苦笑いを浮かべる王子。

 

「ははは……。総アダマンタイン製……?まさかね……。ところで好きな食べ物はあるかな?」


 そっちの剣のことは誉めたのにマイフェイバリットソードのことはスルーっすか。

 そんでまたお見合い質問かよ。

 好きな食べ物の話題をフットインザドアにする王子って正直どうよ?


「豆腐とわかめの味噌汁」

 

 この王子の頭を見てたら無性に味噌汁が恋しくなってきた。

 大豆自体はこの世界にあるんだから味噌を作るのは不可能ではないよな。

 もしかしたら味噌の醸造がグリーンウッドで実現しているかもしれない。


「トウフとワカメのミソシルとは一体……?」


「私の故郷で定番になっているスープの一種です。飽きることのない家庭の味ですね」


「立場上、様々な国の料理を見てきたけど、まだまだ僕の知らない料理があるのだね」

 王子はしみじみと頷いてそう言った。


 味噌汁……もう何十年とあの味から離れていたな。

 作ってあげたら霞澄のやつ喜んでくれるかな?

「美味しいよ。お兄ちゃん、これから毎朝私のために味噌汁を作って」なんて言われて、抱きしめられたりして。

 ……おお!!やべえ!何そのヴィジョン!甘すぎる!きゅんってきた!幸せすぎる!

 後でグリーンウッドに飛んで行って味噌があるか確かめに行かねえと!

 豆腐とわかめもだ!

 

 俺の脳内に新婚の朝の風景が広がる。

 念願のマイホームを購入してピカピカのキッチンで朝食を準備する俺。

 出勤前のかっこよくスーツをきめた夫。


「……ちゃんとお代わりはあるからな……。はい、お弁当だぞ。マグボトルにも入れておいたから職場でも飲んで……こーら♪行ってきますのチュー、忘れてるぞ♪うっかりさんめ♪へへ……♪」


 めくるめく幸福の妄想ワールドにトリップしているとどこか遠くで声がした。


「アスカ?聞いているかい?……急にどうしたんだい?彼女は」


「あはは……アスカちゃんの持病みたいなものです。しばらく置いておけば治りますから」


「なかなか個性的なお友達だね」


 その後も愛読書は何だとか得意な魔法を教えてくれだとかお見合いみたいな質問に返答していくと王子は満足気に微笑んだ。


「そろそろ講義の時間だね。また君のことを聞かせてくれ。そうだ最後に。アスカ、君の素顔を見せてくれないだろうか」


 別れ際王子がそんな要求してきた。

 まあ、王子なんて高貴な立場の人間が平民なんてナンパなんてするわけがねえし婚約者もいて当たり前だろうから望まれるまま眼鏡をとった。


「――――――美しい」


 ほうっと息を飲む気配。

 俺の顔はきれいどころに慣れた王子様でも見応えのあるものらしい。

 身動きすらせずに固まったまま目を瞠っている。


「殿下?」


「あ、ああ……!すまない。これほどまでに美しいとは思わなかった。それで顔を隠していたのだね。楽しい時間だったよ。また今度、必ず、必ず会おう」


 はっと我にかえった王子はそう言い残すと優雅な足どりで去っていった。




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