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47話 人妻少女アスカ

 

 夕方になる頃にはキリエの処遇が決定した。

 屋敷にある通信アーティファクトでランドーロスにいるお義父さんと連絡を取ることができたのだ。

 音声のみのやりとりだったが、お義父さんもまたかなりの男ぶりであることが想像できる落ち着きのある豊かなバリトンボイスであった。

 俺も通信での会話に混ぜてもらい、極度の緊張に膝の関節を震わせつつもなんとか挨拶することができた。

 最後に『ランドーロスに来る日を楽しみにしているよ。スミカの花嫁さん』とあながち社交辞令とも言い切れない好感触な反応を得られたのでよかったと思う。

 そのおかげか別荘を売却する話がトントン拍子に進んだ。

 他に身を寄せるところもなく、生活能力が皆無のキリエは強制的に実家送りとなる。

 今後は領主見習いとしてお義父さんの元で働き、婿入りしてくれる寛容な男性を気長に待つことにするのだそうだ。

 人族ではちんたらやってはいられないが、寿命の長い種族はその辺のスケールが違う。

 キリエはその方針に納得しているかといえば全く受け入れられておらず、泣き崩れて自室に引きこもってしまった。

 働くのが泣くほど嫌なのか……。

 少々気の毒なので、彼女を元気づけるために一肌脱いでやろうと思う。

 美味いものでも食えば多少は前向きになれるだろう。


「なあ、霞澄。晩飯作るから台所を借りていいか?」


「え?お兄ちゃん料理できるの?」


 肩の荷が下りて休憩に読書をしていた霞澄が本から視線を外して意外そうに訊く。

 驚くのは想定していた。

 まともな料理なんて昔は学校の家庭科の授業ぐらいでしかやらなかったからな。

 俺はこの世界に来てから身につけた。


 ちなみに霞澄も俺と同様料理をしなかったので法要などで両親が家を留守にした日なんかは2人でコンビニ弁当食ってたな。

 霞澄は女の子らしくサラダパスタと新商品のデザートをよく買ってたっけ。

 俺は幕の内弁当にミルクティーの黄金コンビが定番だ。

 その組み合わせあり得ない、気持ち悪いと霞澄に顔をしかめられていたが、好きなんだから別にいいだろうがよ。


「できるけど、あんまり期待するなよ。俺の腕前は普通だぞ普通」


 とりあえず過度な期待を抱かせないように予防線は張っておく。

 ソロ活動の多い冒険者にとって必須スキルだから覚えたってだけだからな。


 長期のクエストで人里から離れると温かい食事というのは戦いのための活力になるだけでなくストレスを和らげる重要な役割がある。

 それを身をもって知るベテランの冒険者ならば決して料理を蔑ろにしたりはしない。

 全く料理をしそうにない髭もじゃで筋肉達磨のむくつけき男でもできることが多いのだ。

 というか俺の経験上そういう男こそやたらと料理がうまかったケースが多かったな。ギャップ萌えというやつだ。

 おっさんの女子力を舐めてはいけない。

 が、俺の料理女子力は並みなのでお高めの食材で味を補いたいと思う。


「霞澄はどうなんだ?」


 霞澄も料理を覚えているのかは気になるので訊いてみる。

 手先が器用だからもしかしたら俺よりできるかもしれない。


「野菜を切ったり皮をむいたりするぐらいなら」


 どうやらこちらでは学ぶ機会はなかったようだ。

 身分上、種族上の都合によるものだろうか。


「オーケー、それだけできりゃ十分だ。手伝ってくれるか?」


「もちろん。お兄ちゃんの手料理楽しみ。あ、食後のデザートはお兄ちゃんで」


「はいはい。もう夕方なんだから市場が閉まらない内にさっさと買物に行くぞ」


 妹のスケベ心にいちいち取りあっていたら心身ともにもたないので後半の軽口はスルーした。

 しかし相手もさるもの、アプローチはそれだけで終わりにしない。


「お嬢さん、お急ぎなら霞澄タクシーは御入り用ではありませんか?」


 霞澄が舞踏会で意中の女性にダンスの申し込みをするように貴族としての華麗さと気品を伴って手を差し出してきた。

 霞澄タクシーとは恒例の屋根間お姫様抱っこツアーを主な業務とする個人タクシー会社である。

 初乗り料金は目的地までの移動時間にマッサージと称してサービスされるセクハラに耐え続けることで支払いが完了する。

 目的地まで連れて行ってくれるのならまだマシなのだが、運転手は興奮するとお客さんを怪しい宿泊施設に運送してしまうのでちっとも安心できない。


「それならキリエを気分転換に外に出してやりたいな。つーわけで相乗りでヨロシク。俺は背中にしがみつくからキリエをお姫様抱っこしてやれ」


 俺がそう言うと霞澄は悪魔に取り引きを持ちかけられた人間のように顔を強ばらせた。


「背中にお兄ちゃんの天使ちっぱい……だけど腕に汚物……どうしよう、どうしよう!選べない……!お兄ちゃん、お兄ちゃん、お兄ちゃん!ウワアアアァァァ!!」


 大体そうなるのを分かっていて言ったけど、究極の選択肢を突きつけられた霞澄は頭を抱えて懊悩した。

 実の姉を汚物って……。

 それとちっぱいは余計なお世話だ。

 俺のは成長期なんだから絶対に大きくなるに決まってるもん!


 俺も多少のダメージを負いつつ、どうにかセクハラタクシーの乗車を回避して二人で屋敷を出た。


 真っ直ぐ商業区まで急いだ俺たちだったが幸い市場は都会だけあって営業している店が多かった。

 近所に歓楽街があるため、夜間営業の飲食店が不足した食材の買い足しにくるのだと声をかけてきた果物売りのおっちゃんが教えてくれた。


「霞澄は食べたいものとかあるか?

 つっても俺はアーランドの料理しかできないけどな」


 食材を品定めしつつリクエストがないか訊ねてみる。


「お兄ちゃん特上」


『鰻重特上!』とオーダーするかのように小気味良く即答された。

 その顔はいたって大真面目である。


「性的にじゃねえよ!そんなもんアーランドにあってたまるか!

 だいたい特上の俺って何なんだよ!?」


 訊いた俺が馬鹿だった。

 こいつは普段からどれだけ煩悩を抱えているのか。

 付き合いだしてから暴走しすぎじゃない?


「それはね、うさ耳つけて首輪したお兄ちゃんのね、」


「いい!言わなくていい!聞きたくない!知りたくない!」


 霞澄の胸中に秘められた羞恥プレイの内容を知ってしまったら人として、少女として後戻りできなくできなくなってしまう気がする。

 そして、最も恐ろしいのは自分。

 人妻少女アスカとして同じ空間で過ごすのが当たり前になってきたら、なし崩し的に夫の要望に応えてしまいそうなところだ。気づけば自分から求めていて……なんてことが。

 俺が想像しているような変なことはしないよな?霞澄。


「そういうのは2人きりの時に静かなところで……はわわ、そうじゃなくて!仮にも貴族なんだから場をわきまえろよな!外にいるんだからそういう話は禁止だ。禁止!いいな!それより料理の話をしようぜ?な?美味いもの作るからさ。ほら、お前レバー好きだろ?レバニラ炒めっぽいもの作ってやるよ。お!見ろよちょうどあそこにニラっぽい野菜があるぞ!すみませーんおじさーんこれ味見させてくださーい」


 必死に話を元の軌道に戻そうとする俺。

 霞澄はからかうのが楽しくてたまらないって目でこちらを見ていた。

『お兄ちゃん特上一丁上がり』と呟いていた気がするがきっと空耳だ。空耳。


「ふーっ、いいもの買えたなっ!霞澄。異世界風レバニラ炒め、旨そうだよな。それじゃ今度はキリエが好きな食べ物を教えてくれよ。参考にするからさ」


「トウモロコシの皮かな」


 家畜以下の扱いに同情した。


「いくらニートだからってお前姉に辛辣だな!?

 もういいよ。お前ら好き嫌い無さそうだし適当に作るわ……

 それじゃ、手分けして買い物しようぜ。買って欲しいものものを今から教えるからさ」


 頭の中にあるレシピから俺でも失敗せず万人受けするものをチョイスして食材の種類と分量を伝える。


「ん、わかった。買い物が終わったらどこで待ち合わせしようか?」


「中央のアイリス像の前な」


 一旦別れてそれぞれの役割を果たすことにする。

 30分ほどで買い物カゴの中身は必要量を大幅に超過していっぱいになった。

 男の店員のところで買い物をしたらやたらとサービスされたからだ。

 余った分は後で作りおきにでもして、二人に処分してもらおう。


 アイリス像の前に移動すると霞澄も買い物を終わらせたところのようだった。

 カゴに食材が満載である。

 俺が伝えた分量以上だ。

 どうやら俺と同じことが霞澄にも起きたようだ。


「たくさん買ったね。お兄ちゃんは女の子なんだから私が全部持つよ」


 そう言って俺の手から自然な動作で買い物カゴをとった。

 中学の頃は俺が荷物を押し付けられていたので立場の逆転である。


「へ?あ……お、おう……サンキュ」


 女が男に荷物を持ってもらうなんてベタなシチュエーションだと思うが、不覚にもそんな簡単ことでときめいてしまってアイテムボックスという無粋なスキルの存在をこの時だけは忘れた。

 霞澄が左手に買い物カゴを二つとも持ったので俺は空いた右手を照れ隠しにそっと握る。


「お兄ちゃん?」


「な、なんだよう……」


 ちょっと優しくされただけで嬉しくなるのが悪いのかよ。


「あはっ♪なんでもない」


 洞察力に長けた霞澄が単純明快な俺の内心に気づかないはずもなく、ニヤニヤしながら俺の様子を観察して楽しむのであった。




 ――――


 屋敷の台所に戻って荷物を下ろすと、俺は料理をするため空き部屋に移動して学院の制服から竜の落とし子亭のエプロンドレスに着替えようとした。

 なぜか霞澄が部屋の中までついてくる。

 部屋の隅にあるソファに腰を下ろし、長い脚を組んで堂々と凝視してきた。

 まるで気になっていた映画が民放で放送されることになって上映されるのを今かと待ち構えているような姿勢だ。

 部屋にいられては着替えられないので抗議する。


「あのさ俺、今から着替えるんだけど……」


「着替えたらいいんじゃないかな?お兄ちゃんが女の子の服をちゃんとお着替えできるか女の子のプロとして隅から隅々まで見ててあげる。何なら脱がしてあげよっか?」


 なんなのこの人……

 息をするように最低な発言をされた。

 さっきまでのときめきを返してほしい。


「幼児じゃねえんだから着替えくらい一人でできるわ!バカ!スケベ!恥ずかしいんだから部屋から出ていってくれ」


「私とお兄ちゃん、女の子同士だし気にすることなくない?」


「今のお前は男だろうが、女子更衣室の覗きをする変態と変わんねえよ」


 霞澄がこの世界に転生した時間は俺の過ごしてきた時間と十数年分の誤差が発生していると聞いたのだが、計算してみると女歴よりも男歴の方が若干長いのだそうだ。

 それを裏付けるように立派に男している。

 いやらしい方向に男らしさを発揮して欲しくないのだが。


「えー、私が小学5年生までは一緒にお風呂入ってたし、入らなくなってもお兄ちゃん、お風呂上がりによく腰にバスタオル一枚で家の中うろついてたじゃない。たまに隙間からお稲荷さんプラプラさせてさ。あの頃のサービス精神旺盛なお兄ちゃんはどこにいったの?」


 乙女の柔肌と野郎の肌の価値を同列に並べないでもらいたいな。


「霞澄よ、お前のよく知る兄はもう死んだんだ。俺は俺だけど、ハートはもう女の子なんだよ」


 俺はもう身も心も女であることを受け入れて肯定しているのだ。

 それは俺自身の意思で決めた心の在り方だけに限らない。

 無意識に作用する好悪の感情の基準だって変化しているのである。

 例えば男の時に人前で肌をさらしても平気だったのが、今じゃ本能的に隠さないとって考えるのが自然になっている。浴場で同性に見られる程度は問題ないのだが、男の視線は嫌でも気になってしまうのだ。

 霞澄が最近言ったように自分は元から女の子だったんじゃないかと指摘されても違和感を感じないくらいこの体に馴染んだ。

 だからセクハラに過敏になって不快感を露にしても何もおかしいことはないのだと申し上げたい。

 どうしてもしたいならや、やさしくだぞ……。


「そっか、でも中身お兄ちゃんの可愛い女の子が恥じらう姿でよしとしようかな。それだけで私ご飯3杯はいけそう」


「この世界で米見たことないんだが……。あと俺をいじめるのはやめろ。千鳥家の男は女に優しくが家訓だぞ」


 霞澄の晩御飯のおかずにされるぐらいなら、まあ許す……。




 ――――


 料理が食卓に並ぶ頃にはキリエが部屋から出てきた。

 湯気をたてる料理の匂いにつられてやってきたらしい。

 泣きはらした後が赤くなっていて少々痛々しかったが、テーブルの上の料理を目にするとお誕生日を迎えた小さな子供のように相好を崩した。


「わ、すごいご馳走!いつもの冷たいお総菜とは違うわ!美味しそう!スミカ、これどうしたのよ?」


「アスカちゃんが作ってくれたんだよ。正直姉さんにはスープの一滴でもあげたくないけどね」


「意地悪言ってやるなよスミカ。お姉さんもこれから頑張らなきゃいけないんだ。だったら精のつくものでも食べて元気づけてやらないと」


 吸血鬼として体力をつけてもらうとなると動物の血液と粉末状にした魔石を混ぜて固めたもの、『血晶石(けっしょうせき)』を摂取した方が普通の食事よりも格段に効率が良いのだが、こっちは味と込めた心で勝負だ。


「嬉しい!お姉ちゃん、子宮が元気になっちゃったわ!

 アスカちゃん、今からあたしのベッドで乱れましょ!

 優しくするから!」


 キリエが感極まったのかぎゅーっと俺を抱きしめてきた。

 ミリーシャには劣るが程よい大きさのおっぱいの感触が押しつけられる。

 ああ、最低でもこれぐらいは欲しいな。羨ましい。

 そう思っていたら彼女は一瞬ぺろんとスカートをめくると中に手を突っ込んできた。

 明らかに常軌を逸したスキンシップである。

 さっきの発言は冗談かと思ったが、有言実行する気満々だ。

 食事をする前だというのにいらないところに精力をつけてしまったらしい。


「ちょっと!お姉さん!あんっ、やめっ、いやっ!そこ敏感だから!ひゃうっ」


「大丈夫よ!先っぽだけ!先っぽだけだから!お姉ちゃんに身も心も委ねるのよ!」


 それは先っぽだけで済まないやつだ。この人のどこに先っぽが生えているのかは知らないが。

 俺の悲鳴を聴いてもキリエはますますヒートアップしてしまう。

 まさぐってきたキリエの指がパンツにひっかかった。

 他人の手によって最後の壁が引きずり下ろされようとしている。

 俺にとって未知の、めくるめく官能の世界に引きずりこもうとしている。

 女性には絶対に手をあげないと戒めている俺は身をよじらせて儚い抵抗をもって時間を稼ぐことしかできない。

 デルフィニウム家は姉弟揃って俺を無理矢理手籠めにしないと気が済まない(さが)でもあるのか。


「姉さん」


「何よ!今取り込み中よ!後にして!さあアスカちゃん、おパンツぬぎぬぎしましょうね~」


「……いっぺん死んでみる?」


「え?」


 キリエが間の抜けた声を発した刹那、美しい額にフォークが突き立った。

 彼女は俺の体から腕を離すと怪訝な表情で額を貫通するフォークを引き抜く。

 4つの穴からだらだらと血液が流れているのを確認したキリエは合点がいったという表情で頷くと恥も外聞もなく泣き叫んだ。


「いやぁあああああ!!!!ひっどおおおい!何をするのスミカ!これは家庭内暴力よ!DVよ!DVDよ!姉DVDよ!」


 ご近所に聞こえてしまいそうな大音声で喚き散らす。

 キリエは一体何を言っているのだろうか?

 俺の持っている言語理解というスキル。

 某翻訳サイトみたいにたまに謎の翻訳をするので理解できない言葉にぶち当たる時がある。


「チッしぶとい。今度こそ仕留める」


 霞澄は舌打ちしてキリエを睨みつけ、ジャキッと手の内に収まるだけの大量のテーブルナイフを構えた。

 食器とはいえ達人が投擲すれば十分な殺傷性を確保し得る鈍い銀の光はキリエを怯えさせるに効果覿面のようだ。


「ヒィッ!それだけは堪忍して!冗談じゃ済まないわ!」


「ボクとアスカちゃんの食卓にゴキブリ以下の害虫が忍び込んだみたいだねえ。料理が冷める前に退治しないと」


 霞澄はにっこりと微笑んで彼女に狙いを定める。

 ゴキブリ以下の害虫ことキリエは血を流した額を床に擦りつけて謝罪した。


「申し訳ございませんでしたァーー!!スミカ様!魔が差したというかほんの出来心だったんですゥーーー!!

 なにとぞお許しをーー!!アスカちゃんの穿いてるパンツの色を教えますのでなにとぞォーーー!!!!!」


 大粒の涙まで流してひれ伏すキリエ。

 ここまでプライドを捨てられると俺なら哀れを通り越して殺す気すら失せていたことだろう。

 徹底して姉に厳しい霞澄は断罪するかと思いきや矛を収め、あっさりと赦した。


「もう、仕方ないなあ姉さんは。今後はアスカちゃんにおいたをしたら絶対に許さないからね。ほら、頭を上げてよ。デルフィニウム家の跡継ぎが弟に頭を下げてたら示しがつかないよ。ただし、アスカちゃんにはちゃんと謝ること」


 霞澄がキリエの手を掴んで起こしてやる。

 ダメな姉を支える弟って感じがして微笑ましい光景だと思う。被害者俺だけど。

 霞澄ってさ、怒ってても訳を話してきちんと謝れば許してくれるんだよな。俺が昔やらかしたことも誠心誠意謝ったらあっさり水に流してくれたし。


「ありがとうございますゥーーー!!スミカ様ー!!」


「いいよ。反省してくれればそれで」


 お姉さんがランドーロスに戻るまでにもう少し姉弟のやりとりを見ていたいと思う。

 俺の知らない霞澄の色々な顔が見られるだろうから。


 霞澄は仏のような慈悲深さを感じさせるアルカイックスマイルを浮かべキリエの口元に耳を寄せた。

 そして一言発した。


「――で、パンツの色は?」


 前言撤回。

 俺、何でこんな男好きになっちゃったんだろうとほんの一時真剣に悩んだ。



 ひと悶着あったが気を取り直し、ディナータイムが始まる。


「いやーごめんねアスカちゃん。同意もなしに迫っちゃって」


 サックサクに揚がった俺の自信作、人面水牛ビーフカツに舌鼓を打ちながらキリエが謝罪する。


「同意以前の問題だよ。アスカちゃんは可愛いから襲いたくなるのは分かるけど、それはボクだけの特権なんだからね」


 いや、いくら彼氏でも乱暴していい特権なんてねえよ。

 また俺が原因で争いが始まっては面倒なので一先ず仲裁する。


「まあまあ、俺はもう気にしてないよ。食事の時間ぐらい仲良くしようぜ。ほら、このスープ、海老と貝のダシがきいててうまいんだ」


「そうだね。せっかく作ってくれたんだから料理を味わうのに全力を尽くすべきだよね」


 霞澄が魚介のスープを口に運ぶ。

 ほうっと息を吐いて少しだけ険しかった表情がほころんだ。


「美味しい。アスカちゃんはいいお嫁さんになれるよ。

 毎日食べたい優しい味だね」


 恋人からのド直球な誉め言葉。

 胸の中がじんわりと暖かくなって、頬が火照る。

 女としてこれ以上の幸せがあるだろうか?

 そうなんだよ。俺はこういう日常の些細な愛情を求めていたんだよ。

 思春期迎えた少年が運よくできた恋人にがっつくような青臭い劣情じゃないんだよ。


「そうね、アスカちゃんの人柄が出てる気がするわ。あー、あたしも結婚するならほっとするような味の料理を作ってくれる人がいいなー。実家のシェフの料理が美味しくないってわけじゃないんだけど」


 両者からの大絶賛である。

 自分のためにと思って覚えた料理がこうして愛する人に喜んでもらえているのはいいことだ。

 日本にいた頃に料理ぐらい嗜んでおけばもっと美味しいものが出せたかもしれないと少し後悔する。

 そうだ、この世界に料理教室やってるようなところってあるのだろうか?

 ぜひ通いたいところだ。

 将来子供ができたらさ、『ママの料理が一番!』って言わせてみたいよな。

 考えてみて気づいた。

 それってさ、空いた時間に料理のカルチャースクールに通う奥さんみたいじゃね?

 旦那さんと子供のために自分磨きをする生活、悪くないな……。へへ♪


 そんな温かい感情がスパイスになったのか、自分で作った料理なのに一際美味しく感じられた。

 しかし、こういう機嫌の良い日はもっと人生を味わい深くしてくれるアクセントが必要だと思う。

 こういう日は、


「こういう日はお酒を飲まないとね。

 じゃじゃーん」


 偶然だが俺の内心を代弁するようにキリエが席の背後にある戸棚に納められていた酒のボトルを何本か取り出した。

 この世界にも葡萄が存在する。

 俺の嗅覚はそれがワインの香りであると訴えていた。


「ちょっと姉さん、それ父さんが楽しみにとっておいたお酒だよ」


「いいじゃない。デルフィニウム家にお嫁さんがやってくるおめでたい日なんだもの。お酒もパパもきっと本望よ」


 キリエが濃紺の葡萄酒をワイングラスに注いで優雅にあおる。

 芳醇な香りがこちらにまで漂ってきて俺の喉がこくりと鳴った。

 そういえば俺、この体になってから一度も酒を飲んでいない。

 以前は仕事中を除けば毎日最低でも一杯はやっていたのに。


 猛烈に喉が渇きを覚えてきた。

 胃の中がカァーっと熱くなるような液体を流し込みたくてたまらなくなる。

 欲を言えば同じ葡萄が原料でも度数の高い蒸留酒――前の世界で例えればコニャックやシンガニみたいなのをストレートでやるのが好みであるが、この際贅沢は抜きだ。

 ワインは好みでなくあまり口にしたことはないのだが、酒ならばもはや何でもよかった。


「なあお姉さん、それ俺にも一杯くれないか?」


「お?アスカちゃんもしかしていけるクチ?」


「うん。俺、酒に目がないんだ。めっちゃ飲みたい」


「おー、それなら甘口と辛口があるけど、どれがいい?」


 キリエが俺の前にボトルを並べた。

 見たこともない銘柄で、時代を感じさせる重厚な空気を纏ったボトルである。

 長年の酒飲みの勘が決して安酒ではあり得ないと断定している。

 期待が持てそうだ。


「料理には辛口一択っしょ」


「じゃあこっちね」

 キリエが俺のグラスにワインをなみなみと注いだ。

 ボトルの口から液体が流れるトクトクという音にテンションが最高潮に高まっていく。

 作法とかそういうものをことごとく無視してグラスが満たされた。

 がぶ飲みするような酒ではないと思うが、今の俺にはありがたい。


「へっへー♪じゃあまずは一杯召し上がれ♪あたしと乾杯しましょ」


「ありがとう。お姉さんいただきます」


 高い酒をいただくので居住まいを正して返事する。

 しかし、嬉々としてグラスを受け取ろうと伸ばした俺の手は隣の霞澄に止められた。

 楽しみに水を差されて抗議の視線を送る。

 それに対して霞澄はやんわりと応じた。


「アスカちゃんみたいな体の未成熟な女の子がお酒なんか飲んだら駄目だよ。体壊しちゃうよ」


 エルフや吸血鬼のような長命種族のお酒は80歳からっていうギルガルドの法律か?

 体の成熟具合なんて所詮目安だろ?くどいようだけど50なら誤差の範囲だろう。

 あとその未成熟な体に好き放題しようとした人が言っても説得力ないだろうがと訴えたい。


「えー、固いことを言うなよ。別にいいじゃんか。他に誰も見てない家の中なんだから取り締まられるわけでもなし。いい酒を目の前で見せられて我慢しろなんて生殺し同然だぞ」


「本当に大丈夫?お酒に強そうに見えないんだけど」


「心配いらないって。これでも俺はアーランドのギルドじゃSSランクに認定された酒飲みなんだ。飲み比べじゃ負け知らずで『無敗王』の二つ名をギルドマスターからもらってぶいぶいいわせてたんだぞ」


「その称号、絶対褒めてないと思う」


 胸を張った俺に霞澄は呆れたようなジト目を見せた。

 どうして今に限って戦闘の時と同じぐらいの信頼を寄せてくれないのか。


「なあに、酒の飲み方ぐらい心得てるさ。それにお前が止めようと俺は力づくでも飲むね」


 霞澄の制止を振り切って俺はグラスを受け取った。

 軽くグラスを揺らしてその色を楽しむとキリエのグラスの方に掲げて乾杯の意を示す。

 そして蠱惑的な芳香漂う液体を口に含んだ。

 その瞬間に力強い果実の風味が口内を駆け抜けた。

 刺激のきいた味わいだが、仄かに甘味があって強さだけなく柔らかさも内包している。

 酸味は強いが程よい苦みがそれを打ち消してくれるので決してくどくない。

 余韻が短くしつこさのない爽やかさは俺の味覚にしっかりとマッチしていた。

 血中にアルコールが瞬時に巡って全身に多幸感が押し寄せてくる。

 極上の快感にうっとりと目を細めた。

 俺の知る安い葡萄酒とは桁が違う。

 偏見を捨て去り、認識を改める魔法の美酒であった。

 もっと至福のひと時を味わうべくぐいぐいと葡萄酒を流し込んでいく。

 すぐに心地の良い酩酊感がやってきて体がふわふわと浮いたようになる。

 久しぶりに飲む酒は格別で、夢見心地の酔いを提供してくれた。

 こんなにも気持ちいいのは久しぶり……。


「おおー、いい飲みっぷりねアスカちゃん」


 キリエが感心したように言った。

 もう一杯飲む?とボトルの口を向けてくる。


「はあ……❤美味しいよお……これ、もっと欲しいのお……お姉ちゃんおかわりー」


 二杯目を上機嫌で注いでもらう。

 あん、少しこぼれて指についちゃった。

 キリエは不器用だなあ。


「ちょっと、アスカちゃん、本当の本当に大丈夫なの!?

 顔真っ赤だよ!?」


 霞澄が心配そうに顔を覗きこんできた。

 プッ、そういうお前の方が変な顔芸してんじゃん。


「あっははは♪俺が酔っぱらうわけないにゃろ。らいじょーぶ。それより、スミカの顔ぐんにゃりしててヘンだぞー、イケメンなのにぐにゃぐにゃしてるー。面白~い♪エッヘヘ、楽しくなってきたあ♪お姉ちゃんもう一杯ちょうらい♪くれないと屋敷がふれあいんぱくとだぞー♪がおー」


「え?ええ……屋敷がふれあいんぱくとはなんだかヤバそうな予感がするわね。どうぞ」


「こくっこくっ……はあん、やっぱり美味しい♪ねえ、お姉ちゃんもっとぉ」


 俺はゆらゆらとしてうまく捉えられないボトルの口を追いかけ、おかわりをもらおうとグラスを差し出して、そこからの記憶があやふやに……


作中で登場した血晶石は武器にはめ込んで攻撃力を強化するものではございません。単なる栄養補助食品でございます。

地底人をやめてからずいぶんと経つのですが、未だによくマラソンした聖杯文字は暗記しておりますね。


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