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45話 正妻の座

 彼氏の家に遊びに行く約束をしてから引き延ばしに引き延ばされようやくその当日となった。

 彼氏って……///

 たったその2文字の言葉を頭に思い浮かべただけで照れる。

 アンタ本当に50のおっさんだったのか?と冷水をぶっかけられそうだが幸いにも真実を知る者はこの場にいない。

 誰にも水を差されずニマニマとだらしない笑みで時を過ごすことができた。

 同室のソフィーが最近の俺の変化に気づかないはずもなく、スミカと付き合っていることをもったいぶりながら暴露。

 その後はお互いの彼氏自慢でガールズトークが盛り上がったんだよな。



 本日霞澄は真面目なことに講義に出席しているそうで終わるのは15時頃。あと10分程で終了する。

 その間俺は中庭のベンチで暇つぶしに商売道具のナイフを研磨キットで研いでいた。


「~~♪」


 公共の場で頬を朱に染めて鼻歌を歌いながら鋭利な大型のナイフを研ぐ少女。

 道行く学生たちは見えない壁でもあるかのように遠巻きに去っていった。

 ここで座って待っているとよくナンパされるのだが、剥き出しの刃物があっては優等生揃いの学生諸君はなかなか声をかけづらいらしい。

 日本であれば確実にお巡りさんが飛んでくる光景なのだからしょうがない。

 それでも鑑賞に堪える顔をしているので、よほど暇な学生は立ちつくしてぽけーっと眺めてくるのもいるわけだが。

 あ、1時間前から講義サボって俺のことをスケッチしている男子学生君、1センチでいいから胸を盛っておいてくれ。

 絵の中でくらい巨乳になりたい。

 巨乳っていいよな。自分でもめるんだぜ?

 柔らかいものを触って癒されたい時にすぐそこにあるんだ。

 女になる以前から、女になってもおっぱいへの憧れはなくならない。

 むしろ増すばかりだ。

 霞澄のヤツが俺の悩みに、

『知ってる?男に胸をもまれると大きくなるんだよ』

 と指をわきわきさせながら言ってきたことがある。

 知ってるよ!

 男が女の胸をもみたいときの使い古されたベッタベタの口実ってことぐらいなぁ!

 ソレを元女のお前が言うと胡散臭さが200%増量なんだが!?

 先週強引にホテルに連れ込もうとした時(未遂)といいアイツ、スケベすぎません?実は相当にお馬鹿すぎません?

 ホテルへの道中、

『お兄ちゃんがママになるんだよ!』

 こんなセリフまで吐かれた時は生まれて初めて妹をグーパンで殴ったわ。

 霞澄も大分男に馴染んでるなと実感したね。

 それにしたってデリカシーを無くしすぎだ。

 娼館通いが趣味だったので人のことを言えた筋合いではないが、俺は女に無理矢理迫ったことなんてなかった。

 甘い睦言の一つや二つ交わしてからでないとこっちもその気にならないじゃないか。

 あと、ちゃんと式を挙げてからじゃないと絶対に駄目だ。

 思い出に残る初夜がいい。

 そんなこと女だったアイツの方が分かっているはずなのに。

 ここは男の先輩として、兄として妹を正しい男になれるよう教育的指導を施してやらなければなるまい。

 厳しくいくぞ、愛の鞭だ。

 でも、アイツが性欲を持て余して浮気しちゃったらどうしよう?

 グラビアアイドル顔負けの巨乳で、床上手で、MIT首席で、アラブの石油王の愛人で、フリーメイソンの会員の女に誘惑されてなびいてしまったら……?

 最悪の想像をして、熱烈な告白をされておきながらも霞澄の愛を疑ってしまう自分の弱い心を嫌悪する。

 反省しておきながら勝手なもので、恋人がいなくなってしまうことの方が怖くて泣きそうになった。

 や、やだ!やだやだ!やだ!

 俺はアイツのモノなのにアイツも俺のモノなのに浮気されるなんてやだ!!

 男って溜まるもんだし、Bぐらい許可するべきだろうか?

 今時それぐらい普通だよ……な?

 練習しといた方がいいのだろうか?

 けど、恥ずかしいし……

 俺の中の理性君はYOU犯っちゃいなよ。

 彼氏にご奉仕して喜ばせてあげたくねーの?

 アスカちゃんのちょっといいとこノクターンで見てみたい!

 そぉーれ!と囃し立てて来ているのでかえって迷ってしまう。

 うう……どなたか俺に的確なアドバイスをください!



 煩悶を抱えたまま作業が終わって道具を片付けていると講義が終わったのか学生達が次々と校舎から出てきた。

 その中には霞澄の姿も。

 二人きりの時は霞澄と呼ぶが、それ以外ではスミカとこちらの世界の名で呼ぶことにしている。


「スミカ!」


 彼の姿を認めた途端に帰宅した飼い主に駆け寄る犬猫のようなテンションになる。

 無理矢理迫られたことに対する憤慨も諸々の悩みもコロッと忘れてしまうのは俺が単純なのか、それとも愛の盲目さのせいだろうか。

 猫まっしぐら。俺まっしぐら。

 しかし近寄ろうとしたところで足を止めた。

 霞澄が女子学生のハーレムを形成した状態で出てきたからだ。

 陣形に例えるとインペリアルクロスである。

 中心に霞澄、気の強そうな金髪ツインドリルが前衛、両脇をこれといって目立った特徴のない栗色の髪の女の子(ギルガルドの人族に多い容姿)が固めている。

 女の子に囲まれた姿にさっきの想像が脳裏を掠めて胸がチクリと痛んだ。


「スミカ様、今夜当家の晩餐会にいらっしゃいませんか?お父様がデルフィニウム家の嫡子とぜひお話したいと」

「スミカ様、さっきの講義でいくつか分からないところがありますの。これからわたくしと図書館で勉強会でも」

「お二人ともいい加減になさい。スミカ様が困り果ててらっしゃるのにお気づきになりませんか?スミカ様は多忙なお方、邪魔をしてはなりませんわ」

「あら、わたくしたちをダシに点数稼ぎとは抜け目がありませんわねアローラさん」

「なんですって!?その言葉聞き捨てなりません!わたくしはただスミカ様のことを想って申し上げているのです!」


 どうやら講義が終わって早々に俺の彼氏を巡ってキャットファイトが始まっているようだ。

 今の心境をラノベのタイトル風に言わせていただくと『俺の彼氏()がモテすぎて彼女の兄がモヤモヤする件』といったところ。

 どの娘も良家の令嬢なのだろう。美人でスタイルもいい。

 美少女には違いないがロリコン向けの体型をしている俺は、制服を押し上げる彼女たちの戦力との絶望的な差に圧されて気後れしてしまいそうになる。

 だが泥棒猫の存在を許すわけにはいかないし、あいつのことを一番愛してるのは俺だ!

 正妻の座は渡さない!

 突撃突撃ぃぃ!!


「スミカ!会いたかった!」


 意表を突くため高跳びのオリンピック選手のように跳躍してひねりを入れつつ宙転し、霞澄に向かってドラゴンダイブする。

 空から突如として出現した俺の姿に女子学生達は目を丸くして一歩退くこととなった。

 スケッチをしていた男子学生は拍手を送ってくれた。

 曲芸への賞賛であろうが、俺には背中を押す声援に感じられた。

 彼に心の中でサムズアップを返す。


「なあなあ、今日はお前の家を案内してくれるんだろ?早く行こうぜ♪」


 突然の事態に絶句するハーレム要員を無視してできる限り可愛らしく甘えた声で言う。

 危なげなくキャッチして抱きかかえた霞澄は俺の頭を撫でつつ答えた。


「お待たせ。おに、アスカちゃん。

 みんな、これからボクは彼女と用事があるからお先に失礼するよ」


「お待ちくださいスミカ様!これはどういうことなのですか!

 わたくしたちですらお屋敷に招いていただけなかったのにどうして!?」


 アローラと呼ばれていた女子学生、金髪ドリル女がわなわなと肩を震わせて説明を求めた。


「そうです!貴女、断りもなくスミカ様に抱きつくなんて、羨ま……コホン、失礼ではありませんか!身の程をわきまえなさい!」


『そうですわ!』と取り囲んでいた娘達も追随する。

 いきなり現れたどこの馬の骨とも知れぬ女、それも見るからに年下の小柄な少女に学院のアイドルをかっさわれてなるものかと気炎を吐いている様子だ。

 ううむ、想定していたがやはり敵視されるか。

 彼女らが販売してきた喧嘩を積極的に買うつもりはなかったが、彼氏を譲るつもりは毛頭ない。

 ショックを与えるかもしれないが俺はまどろっこしいやり方を好まないのでストレートにいくことにした。

 生憎と女同士の恋愛戦争の作法に詳しくないしな。

 開幕ぶっぱワンターンキルでいかせてもらう。


「身の程って言われてもな。俺はスミカの彼女なんだ。抱きつくぐらい普通だろ。

 それに俺達はキスだってした仲なんだからな」


 霞澄の首に手を回して俺の男だってアピールをする。


「な!?、な、な、な……」


 俺の投下した爆弾に金髪ドリル一味が驚愕に『な』の一文字しか発音できなくなっている。

 戦闘力53万を目の当たりにした地球人レベルの戦慄だ。


「嘘ですわ!嘘だと言ってください!スミカ様!

 わたくし、スミカ様のことをお慕いしております!

 小柄な娘がお好みでしたら、そうなれるよう努力します!」


 グループのリーダー格だからか、いち早く立ち直った金髪ドリルがすがりつくようにスミカを見る。

 もしスミカがプレイボーイだったなら『そんな!?わたくしたちのことは全て遊びだったのですか!?』とでも言いそうな形相だ。


「本当だよ。アスカちゃんはボクの大切な恋人で、許嫁なんだ。

 ごめんね、気持ちは嬉しいけど君たちとは友人でいたいんだ」


 霞澄は彼女たちをフォローぐらいはするだろうと予想していたが、切り捨ててはっきりと俺の望む通りの答えを返してくれた。

 まだお義父さんとお義母さんに認めてもらっていないが、許嫁と言ってくれて心に温もりを覚える。

 だが金髪怒理流さんは俺とは対照的に穏やかではいられなかったのだろう。


「そんな……!?あぁ……信じられません。貴女」


「何だよ?」


「その美しさ、只者ではないとお見受けしました。どこの家の者ですか?もしや貴女は家柄とお金の力で嫌がるスミカ様を許嫁にしたのではありませんか?でしたら正義に誓って許せません!」


 俺と霞澄は心から好き合っているのに否定されてカチンときた。


「そんな訳ないだろ。俺はスミカから告白されて、俺も好きだったから付き合ったんだ。人のことを侮辱しないとお前は自分の恋に正当性を持てないのかよ」


 女に対して舌鋒で勝利したことなんてこれまで一度もなかったのに、口下手な部類の俺にしてはすんなり返すことができた。

 だって俺の彼氏が見てる前で無様な姿を見せることはできないのだから。


「ぐぬぬぬ……」


 ハンカチがあったら噛みちぎっていそうな表情で怒気を発するドリル娘。


「貴女がそう仰るならば証拠を見せてください」


「証拠?」


「ええ、貴女がスミカ様を、スミカ様が貴女を愛しているのなら、神前で婚姻を誓える仲なのであれば、この公の場でキスができるはずです。

 貴女から求めなさい。それでスミカ様が避けないのであればアイリス様も祝福なさることでしょう。できないのなら貴女には諦めていただきます」


「いいだろう。やってやる」


 何を言うかと思えばキスをしろだなんて簡単だ。

 女の子として好きな男とキスをするのがあんなに気持ちいいものだったなんて、あの夜俺は初めて知った。

 何度だってしたい。

 俺達が付き合うことになった夜は霞澄の方から求められたが今度はこちらからのキスだ。

 そこまでする必要はないと霞澄が口を開きかけたが、手の平で制した。

 金髪ドリルの前で結婚式の誓いの場面のように二人、並び立つ。

 別に初めてでもないのに異様に胸がバクバクと高鳴るのは何故なのだろうか。

 なるほどロケーションの効果だと納得する。

 現在時刻は講義の終了で移動している学生が多数。

 教員も、掃除のおばちゃんもいれば、学院に郵便物を運ぶグリフォンも上空にいたりする。

 往来は絶賛大移動のラッシュ中なのである。

 道の端に寄ったとはいえ、衆人環視の前で抱き合う俺達を皆様は歩を、あるいは羽根を止めて事の成り行きを見守るため凝視していた。


「ねえねえ見てよアレ、人前で恥ずかしくないのかしら?」

「髪と肌の色が似てるし兄妹じゃない?もしかして禁断の愛?うわぁ♪」

「若いっていいわねえ。たまには旦那にサービスするか」

「ドキドキ……クイッ」通りがかりの教員が眼鏡の位置を直した。

「クエエエッ!!(訳:おいちゃん急いどるねん!やるなら焦らさんとはよぶちゅっといかんかい!)」


 他人の恋愛に関心を示す程度に都会の人々は暇を持て余しているらしい。


「なあ、せめてもう少し人目につかないところでしないか?

 恥ずかしいし」


 いざとなると前言を翻して泣き言を言ってしまうのは俺のヘタレさ故か。


「あら、この場で口付けを交わせるのならどなたも貴女方をカップルと認めてくださいますわよ?

 それとも真実の愛ではないと悟って怖気づいたのですか?」


 ドリル女は観衆のプレッシャーを味方につけて攻めてきた。

 しかし、


「いいじゃない。見せつけちゃおうよ。

 みんながボクたちを祝福してくれてると思ってさ。

 ボクにはこんなに可愛い恋人がいるんだって、世界に証明したい」


「スミカ様!?」


 霞澄は男からすれば鼻持ちならないヤツだと非難されそうな言葉を口にした。

 イケメンが言うと余計に舌打ちをかましたくなるようなセリフだ。

 当事者ではなく他人だったら喧嘩を売りたくなるだろう。

 だが恋人からのエールである。俺にとっての意味は異なった。


「分かった。俺からする。スミカ、屈んでくれ。そのままじゃ届かないから」


 霞澄は目を閉じてキスを待った。

 これ以上問答する必要もない状態に。

 皆が固唾を飲んで見つめる。

 ええい!男は度胸、女も度胸だ!


「ちゅっ」


 俺は勇気を振り絞って目を閉じ、踵を上げて口づけた。

 幼い少女が、男の子にご褒美のキスを与えるように。

 ちらりと横目に観客を窺ってみた。


「キャーーーー!!!!見た見た?ちゅって今!」

「うん!明日もここ通ったら見られるかな?」

「青春だねえ」

「ドキドキ……」

「クエエエエッ!(訳:あのお嬢ちゃんなかなかやるやんけ。欲を言えばもっとエロいキスして欲しかったけどな。ま、ええわ、ほな配達戻ろか)」


「嘘……そんな……!?こんなことって……!?あんまりですわっ!!ガクッ」


 オーバーキルの失恋ダメージに気を失って、ドリルは工具箱――ではなくお友達に体を預けることになった。



 ――――


 肝心の立会人が人事不省に陥ってしまったため、残った呆然自失の女子学生たちに立ち去ることを告げて歩き出す。

 学院の敷地から出るとキスの緊張から解放されてほっと一息つくことができた。


「よかったのか?スミカ」


 女の子を傷つけた咎は俺だけが背負うべきと思っていたが、結果的に霞澄にまで片棒を担がせてしまった。


「うん、いい友達だとは思ってるけどそれ以上の感情はないよ。期待させておいて裏切るようなことはしたくない。

 彼女が本気でボクを慕ってくれてるのは分かってるから尚更ね。

 みんなには恋人がいるってことを早めに打ち明けたかったから丁度いいよ」


「あの子たちいいところのお嬢さんなんだろ?

 こう貴族同士の付き合いとかこじれたりないか?」


 デルフィニウム家の家格と威光がどの程度かは知らないが、逆恨みされるのは後味が悪い。


「心配無用だよ、ボクは()()じゃないからね。

 その気になれば家から逃げ出すことだってできるし、父さんと母さんだって表向きは勘当扱いで、無関係を装ってくれるよ。それぐらいに信じられる」


 察するにどうやらいいお義父さんとお義母さんのようだ。


「そうか、ん?嫡子じゃないってどういうことだ?」


「デルフィニウム家の家督は姉さんが継ぐことになってるからね。あ、何でもない!今の忘れて!」


 はっきり口にしておきながら忘れろというのは無理があるだろう。


「お前、こっちに姉がいんの?」


 どうして教えてくれなかったのだろう?

 スミカ(・・・)の姉ならば末永くお付き合いすることになるのだ。

 それも一家の長になる予定の人であれば知らなかったでは済まされないだろう。

 嫁としてデルフィニウム家の人々とは良好な関係を築きたいのだ。

 お嫁さん?俺が……?

 えへ、えへへ……

 幼い頃に願った将来お嫁さんになりたいって夢叶っちゃったな。

(大嘘)


「いるよ……居座ってるよ……ブツブツ……

 姉さんのことはいいからほら、行こうよ。

 屋敷の中に何も面白いものはないと思うけどね」


 屋敷に向かう道中、再度彼の姉について尋ねてみたが、貝のように口を閉ざして教えてくれなかった。

 もしかして姉弟の仲が悪いのか?

 家督争いをするつもりがないのに喧嘩になるだろうか?しっくりこないな。

 確認してみなければ分からない別の原因があるのかもしれない。

 だとすれば、霞澄の身内として仲を取り持ってやろうと思いつつ、彼の手を握った。








名前が二つあるキャラクターは表記がややこしいですね。

統一しようかと思いましたが地の文では場合によって使い分けます。

霞澄になることが多そうですね。

セリフでは二人きりの時は霞澄、第三者が混ざっているときはスミカとします。


彼氏と書いて妹とルビを振る行為に興奮いたして候。

手遅れですね。

申し訳ございません、次回は続きではなく番外になりそうです。

感想でいただいたネタを使っていく予定です。

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