42話 再会と禁断の
予定よりも早く書けました。
気づけばストーリーが恋愛メインになってしまっておりますね。
「待たせたスミカ、……じゃなくてえーと、霞澄なんだ……よな?」
祭りという記念すべき一日にも終わりは必ず訪れる。
夜の帳が下り、ミリーシャをグリーンウッドまで送り届けた俺は城壁の外の原っぱでコマちゃんと留守番をしていたスミカ、……また間違えた、霞澄の元に戻った。
「うん、おかえりお兄ちゃん」
コマちゃんの鱗を手慰みにブラシで磨いていた霞澄が振り向いた。
昼間スミカが俺の妹霞澄であるという衝撃の真実を知って以来動揺を隠せないのだが、霞澄のやつは涙を流したおかげかすっかり落ち着いた様子である。
俺もいい加減気持ちに整理をつけなければと半日自己分析を試みているものの、思考は空回りしてしまい、どのように接してやればよいか掴めないでいる。
混乱が四割、心配をかけたことの罪悪感が三割、霞澄と知らなかった頃から持ち続けている、なんとも形容しがたい感情三割といった塩梅だ。
「とりあえず腰を下ろそう?」
霞澄はアイテムボックスを発動し、尻に敷くのが憚れるような豪奢な緋毛氈を草の上に広げた。
「準備がいいな」
「懐かしいね、それ夏祭りで私が言ったセリフ」
そんなことあったけか?
細かいことまでよく覚えているものだ。
並んで腰かけ何とはなしに都市の中空を眺める。
誰の入れ知恵によるものか魔法による花火が打ち上がっており、暗い夜空を照らしていた。
ちらりと隣の横顔を盗み見してみる。
見下ろしていたはずの妹の顔が、男性に変化したことで見上げなければ視線が届かない。
「あのさ、霞澄」
「うん」
「あー、なんだその……」
長年離れ離れになっていた相手とどこから会話のとっかかりを発見すればよいだろうか?
時候の挨拶?アーティファクトから得た知識にそういう教養はあるが、妹相手では残らず歯が浮いてしまいそうだ。
素直に思ったままのことを口に出す。
「……大きくなったな」
積もる話なんて他にいくらでもあるだろうにそんな言葉しか出てこなかった己の発想の貧困さを呪う。
「ぷっ……くくく……くくっ」
霞澄は背中を丸めて吹き出した。
失笑されることは想像していたが、覚悟が出来ているわけではないので傷つく。
「そういうお兄ちゃんは小さくなったね。
カワイイカワイイ♪
おしゃれだって凝ってるし、お兄ちゃん女の子の才能あるよね。
女の子の生活、楽しんでるでしょ」
小動物を愛でるように頭を撫でまわしてきた。
自分より年下の少年かつ妹(男を妹と称するのは違和感甚だしいが)に気安く頭を撫でられるのは、兄として自尊心が損なわれるので睨みつけ、身動ぎして抵抗を示す。
しかし嫌がる素振りが霞澄の琴線に触れてしまったようで結果的に喜ばせてしまった。
「うう……悪いかよ?
元男が女になったらおしゃれに気を使ってたら気持ち悪いかよ?」
「ううん、全然。
素材がいいのに生かさないなんて罰当たりもいいところだと思う。
それにしてもどうしてお兄ちゃんは女の子になってるの?
私、神様からお兄ちゃんをほとんどそのままの状態で送ったって聞いたんだけど」
手を止めて、当然ともいえる疑問を口にした。
遅まきながら気づいたことだが言葉遣いがスミカのものから霞澄に変わっている。
男の声で俺のよく知る妹のイントネーションで話されるとどうにも複雑な気持ちだ。
「神様ってお前もあいつに会ったのか?」
「お兄ちゃんがいなくなってから三年目の夜に野良猫の姿で部屋に侵入してきたよ。
お兄ちゃんがこっちにいるから来ないかって。
時空の乱れが原因だとかで生まれ変わるしか私を送る方法がなかったからこの姿になったの」
「そうか……」
どうせあの神のことだ。
面白半分で誘いをかけたのだろう。
あいつがポップコーンとコーラを飲み食いしながら人の人生を鑑賞する出歯亀の最低野郎だってことは霞澄も気付かないわけがないと思うんだが、危険のない日本での暮らしを捨ててまで俺に……?
俺は死んだんだからわざわざ転生してまで会いに来なくてもよかったのに――と言っては怒らせてしまいそうだな。
長い年月の間行方不明では周りにいた人達にかなりの心配をかけただろうから。
事情を説明するよりまずは謝らなくてはならないな。
「ごめんな霞澄。
何も伝えずに勝手にいなくなったりして。
お前との待ち合わせの約束した日にさ、事故で死んじまったんだ。
その時にあの野郎が現れてな。色々あって今に至る訳なんだが。
俺さ、夢だったファンタジー世界で人生やり直せるってことに浮かれてて、残される家族のこと考えてなかったんだ。
浅はかだったよ」
死んでから生者に謝れる人間など存在しないが、転移前に駄目元でわがままぐらい言っておくべきだった。
「お兄ちゃんが無事だったから許してあげる。
それに私もお父さんとお母さんに黙ってこの世界に生まれ変わるのを決意したから同罪だし」
まだ十代の子供を二人も失った両親の心中は察するにあまりある。
特に霞澄を溺愛していた親父は悲しんでいるだろう。
兄妹揃って親不孝者だな。
親父にはお前の娘は元気だぞと伝えてやりたいと思う。
しかしそれと同時に娘がよその家の息子になってどんな気持ち?NDK?NDK?と煽ってやりたい。
おっと話が脇道に逸れてしまった。
どうして俺が女になったのか霞澄に説明しなければ。
俺は魔人族の遺跡で起きたことを全て包み隠さず妹に話した。
EDのくだりだけは伏せたけどな。
若さや力はともかく、男性機能を取り戻すために伝説のアーティファクトを探し求めたなどと動機としてはあまりにもアホらしすぎる。
兄妹の縁を切られても文句は言えない。
「ふーん、大人になったお兄ちゃんを見てみたかったけど、今の方が都合がいいかな」
霞澄の反応はあっさりしたものだった。
そりゃそうか、自分で性別が変わる体験をしてるんだもんな。
驚くには値しないか。
少しひっかかったんだが今の方が都合がいいってどういう意味だ?
「ねえお兄ちゃん。
女の子になってみてどう?
男の子が好きになったりするの?
ほら私、イケメンだよ?」
ニヤニヤと笑みを浮かべながら意地の悪い質問を投げかけてくる。
少年の演技を捨てた表情や仕草は三十年以上離れていても慣れ親しんでいたものと重なって、やはり妹なんだと確信する。
「どうって……質問に質問で返すようで悪いけどさ、お前だって……」
言葉を続けようとしたところで思い出す。
スミカの、霞澄の目的は……
「私ね、お兄ちゃんに会えたら言いたいことがあったんだ」
思い当たるのと同時に霞澄が口を開いた。
「私ね、お兄ちゃんのことが好き。この世界の誰よりも愛してる」
ストレートな告白だった。
心の臓を射ぬかれるとはこういうことを言うのだろうか。
つきたった言葉の鏃は脈拍を乱して安定とは程遠い状態にしているというのに不思議と不快ではない。
痛覚を麻痺させ、快楽物質を産生させる類いの猛毒でも塗られていたのか傷口からじわりじわりと幸福感が体を巡るのだ。
他人ではなく妹だと分かってしまっているのに、脳内で先ほどの告白を反芻して、気持ちよさに浸る自分を認めてはいけないと叱咤する。
「い、いつから……?」
「恋だって自覚したのは小学一年生ぐらいの頃からかなあ。ほとんど一目惚れなんだけどね。
大きくなったらお兄ちゃんのお嫁さんになるって何度も言ったけどあれ本気だよ。
体が成長してきてから色々なアプローチでアタックしてたんだけど、お兄ちゃん全然気づかなかったね。女の子だって認識してくれなくてすごく悔しかった。
お兄ちゃんを襲っちゃおうとした夜が何回あったことか数え切れないぐらい」
確かによく言ってた。
高学年ぐらいからは聞かなくなったから、大人になったらお父さんのお嫁さんになるっていうのと同次元の話だと思っていたのだが。
長い!長すぎる!おバカな洟垂れ小僧だった時から俺のことが好きだったっていうのか!?
あとよく貞操無事だったな俺!!
「待った!俺達は血の繋がった兄妹だろう!?」
「今は繋がってないから問題ないよ」
「あ、そうか」
この世界でも俺の知る限り全ての国で三親等以内の婚姻が禁じられているし、忌避感を覚えるのは常識である。
しかし、遺伝的、社会的繋がりが失われた今では他人同然だ。
恋愛に発展するにあたって障害はない。
「そうそう、兄妹でえっちなことしても誰にも迷惑かけないから安心だね。
異世界に来て本当によかった。
日本にいたままだったらバレないようにしないといけないから」
ええ!?え、えっちなことって!?
……どこまで?
娼館マイスターの俺が言っても説得力皆無だけど、ちゃんとデートして、結婚式あげてからだぞ!
そう結婚式してからだ。
子供だって十分な貯金と安定した収入を確保してからなんだからな!
最低でも男の子と女の子一人ずつ希望!
庭付き、果樹園付き、番犬にヒポグリフいないとお嫁に行かないからな!
デルフィニウム家のお義父さんとお義母さんにはいつ挨拶に伺えばよいだろうか!
ってちげぇよ!!
セルフツッコミをいれてから致命的な問題点を指摘する。
「お前はデルフィニウムさんのお宅の子かもしれないけどな!
心は俺の妹霞澄のままなんだろ?倫理観ってやつはないのか!?」
「あるけどお兄ちゃんのことだけは別。
初めてでも大丈夫、女の子の悦ばせ方ならバッチリだよ!
血の繋がった兄妹でさ、やっちゃいけないことだってわかった上でするのって興奮するよね!」
ないのかよ倫理!?
それにバッチリって……
当たり前か。
女やってた年季ってもんが俺とは違うんだから。
元女のテクニックか……
ごくり……
「お兄ちゃん」
「ひゃわ!!」
肩に手を回された。
抱き寄せられて体が密着する。
それだけで体から力が抜けて逃げようとする意思が挫かれた。
も、もしかして今からするのか?
初めてが外なのは嫌だ。
せめて風呂に入らせて……
「返事聞かせて」
「何の……?」
どうしよう!?どうしよう!?
パンツはいてないのバレたらこっちもその気だって思われてしまう!
「告白のだよ」
「あ、うん……」
分かってたよ?分かってたとも。
俺は何も勘違いなどしていない。
先走っているように見えたとしたらそれは幻覚だ。
いいね?
「……」
それでは気を取り直して、なぜ霞澄は兄妹の絆も捨ててひたむきに俺を求めてきているのか?
人倫にもとる行いにためらいもないのか?
理解する努力を放棄しては分かり合うことはできない。
自身を例として考察してみよう。
この場にタイプの違う美女が二人いたと仮定する。
片方はスレンダーで線の美しい長身の美女。
一方は異性を象徴する部位にボリュームがありつつもメリハリのきいたボディの美女。
どちらかしか選べないなら俺は好みである後者を選択するであろう。
しかし、社会のルールに縛られず両者を手に入れることができたなら?
間違いなく二人ともモノにする。
獣欲は不特定多数の種類の異なる魅力的な異性を欲するものだからだ。
人間は性欲が枯渇するその時まで下半身の欲望から解き放たれることはない。
だからこそ世の中に浮気や娼館が氾濫している。
貞淑な人妻も、一途な夫も、損得勘定で自制することで対象を一人に定めて愛し合っているにすぎない。
不貞を咎められることのない社会であったなら、より魅力的な対象に迫られれば彼らは獣としての本能に従ってどこまでも堕ちていくだろう。
もちろん損得勘定のギリギリ帳尻の合う範囲で計算し、配偶者にバレさえしなければ良いだろうと自由な交際に励む男女を俺はこの世界で掃いて捨てるほど見てきた。
恐らく地球も大差はあるまい。
愛は存在する。
だが、それは自らに利する愛しか肯定しないものだ。
こうした人間の浅ましい本性を悟っていたからこそ、俺は欺瞞を解いて生きてきたのだ。
特別な誰かなんていらなかった。
「どうして俺なんだ……?」
「私がお兄ちゃんを好きなのに理由が必要なの?」
「別に俺じゃなくたって可愛い女の子は星の数ほどいるだろう。
霞澄ならよりどりみどりじゃないか。
うまく立ち回ればハーレムだって夢じゃないし、お前のためなら何でもするような娘だっていると思う」
「お兄ちゃんが持ってた漫画とか小説の話?
うだつの上がらない男の子がある日神様から力をもらって女の子をトロフィーみたいに集めていくような。
それがその人の夢なら別に否定はしないよ。
節操無しは節操無しで勝手にやればいい。
私は違う。
私はお兄ちゃんでないと意味がないし、お兄ちゃんだけが欲しいの」
「じゃあ、もしこの先俺より可愛くて気立ての良い金持ちの女の子がお前のことを好きだって告白してきたらどうするんだ?」
「お兄ちゃんは人を愛するのに相手の優秀さなんて大切にするの?」
「共同生活を営む上で力や財力は必須じゃないか」
雄にせよ雌にせよ、優れた子孫を確実に残すためにより良いパートナーを選ぼうとするのは生命の本能だ。
優生学的な俺の答えに、私も力もお金も生きていく上で不要だとは言わないと前置きしてから告げた。
「私ね、お兄ちゃんのヘタレで情けなくて単純なところも好きなの。
今の女の子の顔も好きだけど、男の子だった時の顔の方が好き。
イケメンじゃなくたってどんな男の子も目に入らなくなるぐらい私を夢中にさせてくれた。
年頃で素直じゃなかった私のことを見守ってくれた優しいお兄ちゃんが好き。
無理なわがままでも聞いてくれて頑張ってくれたお兄ちゃんが好き。
他の女の子が気づきもしないお兄ちゃんのいいところを私だけが見つけて知っているのが嬉しくてしょうがなかった。
でもいつか、お兄ちゃんの魅力を知ろうとする女の子が現れて独り占めしようとしてきたらと想像したら怖かった。
だから誰にもとられたくない!
私だってお兄ちゃん以外の誰にも奪われたりしない!
お兄ちゃんの妹として生まれたその日から私はお兄ちゃんのものなんだから!」
「…………」
霞澄の語る愛は己に利するものだけを肯定するそれに他ならない。
欲して求めるだけの一方通行の感情。
だけど、だけど、どうして求められた俺までもが応えてやりたいって思ってしまうんだ!?
どこから俺はスミカの、霞澄のことが好きになってしまったんだ!?
変なんだ。
俺はこうして告白されて愛される前からいつの間にかスミカのことを愛してしまっていたのだから。
順序の関係なんてもう支離滅裂だけれど、霞澄の勇気を賭した告白に返事をしなければと滅茶苦茶になっている頭を働かせて言葉を紡ぐ。
「……俺は霞澄のことさ、嫌いじゃないぞ。
むしろ好き……だと思う…………女として……」
「女として?」
完全に墓穴を掘った瞬間だった。
家族としてとでも言えばまだ時間を稼ぐことができただろうに胸の内をさらけ出してしまっていた。
「お兄ちゃんもしかして、『スミカ』の私が好きなの?
女の子になったばかりなのに、男の子が気になっちゃうんだ?」
肩を抱く腕に力が入った。
きゅんと胸に甘い痺れが走る。
恋という形を与えられたその痺れは熱病のように理性を熱く冒した。
快い酩酊感を味あわせてくれるがそれはあくまで病であって本音の気持ちを隠していた外皮を蝕んで剥き出しにする。
元男なのに男になった霞澄が好きになってしまっている事実を本人から嘲笑うように指摘されて、芯だけは男でいようと限界まで踏ん張っていた心の砦が崩壊してしまう。
「ば、ばかぁ……ひっく……俺だって男なら誰だっていいわけじゃないもん!
お前だけ……だもん……俺がドキドキするのはお前だけだもん!霞澄の意地悪……俺は今女なんだから……男なら……優しくしろよ……ふぇぇぇぇん!!」
アーティファクトの性能は完璧だったのだろう。
精神年齢や趣味嗜好が少女のものに馴染んできているという自覚はあった。
しかしいかに女らしくさせるような効果があったとしても俺という人間性との衝突は避けられない。
感情を制御しきれなくなって涙が流れた。
「ごめんね、お兄ちゃん。
いきなり女の子なっちゃったら戸惑うよね。
お兄ちゃんも私のこと好きって言ってくれて嬉しかったから」
霞澄は俺が落ち着きを取り戻すまで母が子をあやすように頭を撫で続けた。
妹にみっともないところを見せてしまって羞恥に頬を染め、自身の膝に顔を埋めて隠すことにした。
汚さないようにと注意していた浴衣は涙で濡れて染みになってしまった。
「お兄ちゃんが可愛いすぎていじめちゃった。
もう絶対にしないから許してくれる?」
霞澄の言は軟派男のありがちな軽薄な謝罪だが、熱烈に愛されていることが分かっているためか許してしまう。
男娼に入れ込んで身を持ち崩してしまう女性の心理に近づけた気がする。
惚れた弱みというのは実に始末が悪い。
だが、すんなり許したのでは悔しいし、せめて一矢報いて留飲を下げなければ気が済まない。
俺の中の男の部分だって瀕死の瀕死でもまだ負けを認めていないのだから。
「……霞澄は俺が欲しいんだよな?」
「当然、お兄ちゃんがいなければ私はこの世界に来なかったよ」
「俺さ、霞澄の欲しいものに真っ直ぐで真剣なところ気に入ってる。
強引にされるの好きだったりする。
だからさ、お前らしく、男らしく俺を奪ってみせろ」
「分かった。私はどうやってお兄ちゃんをもらえばいいの?」
「俺達は冒険者だろ?
底辺のランクだろうとSランクだろうとやることは同じ。
力づくで奪い取るしか能のないごろつきだ」
「そうだね」
若くしてAランクに上り詰めた霞澄とてその常識はわきまえている。
同意して首肯した。
「決闘だ。
お前が勝ったら俺のことは好きにしろ。
どんな命令だって聞く。
俺が勝ったら」
一呼吸置いて自分の想いに誤りがないことを確認してから素直に、愚直にぶつけてやることにした。
「俺をお前の嫁にしろ!!」
無意味な勝敗を巡って少女の恋の戦いが始まった。




