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40話 回想その2

霞澄視点の回想となります。

 

 お兄ちゃんが前触れもなく失踪した。

 私がデートに誘って想いの丈を告白しようとしたその日に。


 携帯は圏外で1日、2日、お兄ちゃんが行きそうな場所や交友関係を洗ってみたけれど結果は絶望的で一縷の望みを託して警察に捜索願いを出すしかなかった。


 家族としてではなく一人の男性として兄を愛してしまっていた私にとって兄の失踪は極めて受け入れがたい事実であった。


 失踪の数日前に私とちょっとしたトラブルはあったけど家出する程のことではないし、兄の性格から推測してもあり得ない。

 何らかの事件に巻き込まれたとしか説明のつけようがなかった。

 警察の捜査で一つの痕跡も発見されない不可解さが私の不安に拍車をかけた。


 そうしてお兄ちゃんが見つからないまま2年が経過する。

 私は高校生になり表面上は優等生として過ごしてきた。

 最初こそ取り乱して周囲の人に散々迷惑をかけたものの、以前と変わらない生活を送る私の様子に両親は胸をなでおろした。

 が、うまく隠していただけにすぎない。

 内側では張り裂けそうな胸の痛みと戦っていた。

 愛する人がいない世界は永久凍土のように寒く、色あせた出来の悪い絵画の中も同然であった。

 それでも私は耐えた。

 いつかお兄ちゃんが帰ってくることを信じて魅力的な女の子でいられるよう努力は怠らなかった。


 3年目、本人不在の誕生日の夜、お兄ちゃんの写真を見つめて眠りにつこうとすると病の発作のように、唐突に悲しみがこみ上げてきて私はみっともなく嗚咽して涙を流した。

 隣室の生活音が絶えて自室が耳が痛くなるぐらい静寂に包まれている。

 慣れ親しんだ兄の音のない世界が辛くて苦しくて私は独りで泣く。

 両親に不自由なく養ってもらい、友達のいる恵まれた境遇に関わらず孤独感だけは決して癒えないのだ。


「お兄ちゃん、私寂しいよ……」


 もし神様がいるとしたらこれは私への罰なのだろうか。

 実の兄に恋慕を抱いてしまったことへの。

 世の中に禁断の愛を成就させた人達がいないわけではないのにどうして私だけがと、いもしない神様へ抗議する。

 許されないのならこの気持ちを永遠に封印して生きていきますからどうかお兄ちゃんを帰してください。

 私はお兄ちゃんがいてくれるならそれだけで幸福ですから


「うう……会いたい……会いたいよう……お兄ちゃん……」


「キミ、お兄さんに会いたいの?」


 急にまだ声変わりを迎えていない少年の声が耳朶を打った。

 私の独り言に合いの手が入ると思わずベッドから跳ね起きて室内を見回す。


 開いた窓のそばにどこにでもいるような一匹の雑種猫が座ってこちらに目線を合わせている。

 人間、いやそれ以上の意思を感じさせる瞳に釘付けになる。


「猫がしゃべった……?」


 そんな馬鹿なフィクションの世界ではあるまいに。

 私の困惑を余所にその猫?は語り出す。


「こんばんは。僕は――キミ達人間に分かりやすく言えば神様ってやつかな。

 正確に僕自身が何者なのかは自分でも知らないけどね。

 ただ、エネルギーと精神だけの存在ってことは確か。

 今この生き物の体を借りて、口を訊けるように改造してキミに声をかけている」


 2回も発言すれば、この事態を否定するわけにもいかなかった。

 私は言葉を操る猫の存在に恐怖するでもなく、むしろ超常の存在が現れたのだという点に期待してすがった。

 溺れる者は藁をつかむ心理で。


「神様?神様なら何でも知っているでしょう!?教えて!お兄ちゃんはどこ!」


「ここではない別の時空の世界。ほらキミ達の作る物語の中に剣と魔法の世界というのがあるだろう?

 ちょうどそんな世界が存在していてね。

 実はキミのお兄さんにそこに行かないかと提案したのは僕なのさ」


 答えはすんなり返ってきた。

 それどころか兄を誘拐した犯人と出会うことになるとは。


「……どうしてそんなことを?」


 激情に身を任せて糾弾したいところだったが、理由を聞かなくてはと理性と働かせる。


「僕の娯楽のため」


 そいつは理解も共感もできない犯行の動機を端的に語った。


「どのように精査しても普通の人間なのにごくたまに天文学的な低確率の事象を予測もつかないタイミングで引き寄せてしまう体質が面白くてね。

 より面白くするため彼が夢見た第二の人生を与える代わりに、僕は彼の生きる様、物語を鑑賞して楽しませてもらうことになったのさ。

 言わば取引だね。

 こうしてキミと話している今も観察しているけれど、うん体質が機能していなければ平凡と言えば平凡な人生かな。

 彼らしいよ」


 お兄ちゃんが無事らしいことに安堵する――かなり大切なことであるが、問題はそこではない。


「違う!お兄ちゃんから家族や友達を奪うことのどこが取引なの!そんなの全部あなたの勝手じゃない!」


「その通り。

 だけど彼、向こうに行く前に体質のせいか不幸な事故で死んじゃってたからねえ。

 死んだままの方がよかった?

 生き返らせてあげただけでも大サービスだと思うんだけど」


 目の前の相手が真実を言っているとは限らないが嘘をつくメリットに検討がつかないので反論を返せない。

 言葉の真贋を疑うよりも、なぜこの自称神様が私の前に現れたのか知るべきだ。


「そうそう、僕に娯楽が必要かどうかなんて意味のない質問はしないでくれよ。

 僕は最初からそういうものなんだ。

 キミ達と同じさ。

 他者の生きる様を観察し、疑似体験することで精神的快楽を得る。

 そのために宇宙の管理なんて面倒な業務をやっているんだ。

 だからキミ達には自由に生を謳歌して僕を楽しませてほしいな」


 神様というのは人間に興味なんてなくて無慈悲な存在だと考えていたこともあったけど、実は真逆で利己的な存在だったようだ。

 ならば、目的は?


「あなたのことがよく分かったわ。神様って私が想像しているより最低だった。

 じゃあそろそろ私の前に出てきた理由を教えてよ」


「うん、お望み通り本題に入らせてもらおうか。

 キミ、お兄さんのいる世界に行ってみない?」


 私のこともずっと観察していたのだろう。

 その提案はある程度予測していた。

 兄が持ちかけられたのと同じ悪魔の取引だとしてもそれは願ってもない申し出だった。

 兄に会えるのなら例え帰れなくても後悔はしない。


「お兄ちゃんをこっちに返してくれないのなら行くわ」


 愛のためにこの世界への未練を捨てる。


「話が早くて助かるよ。

 まず、キミには記憶と人格の情報、魂はそのままに別の生物に生まれ変わってもらう。

 これには理由があってね。

 必要最低限の能力だけ与えるに止めて等身大の彼の活躍を見守りたいと思ったのがまずかった。

 キミのお兄さんを意図的に向こうの世界にほとんどそのまま送る行為が、時空を乱してしまったんだ。

 同業者(向こうの神々)から怒られてしまったよ。

 こちらのエラーで向こうに記憶を保持したまま生まれ変わってしまったり、向こうの管理の不手際でうっかりこちらから移動してしまった例は齟齬の修正が簡単なんだけど。

 そういうわけでキミを今の姿のまま転送することはできないんだ。

 ごめんね。人類は、神は全知全能だなんて過大評価してくれてるけど、実際のところ限度があるのさ。

 こちらの意思でキミを移動させるには転生しか他に手がない。

 これでも譲歩してもらったんだよ。向こうのアイリスとかいう同業者がキミのことを気に入ってくれたからなんとか許可してくれたようなものなんだ。

 あと問題があるとすれば、時空の乱れでお兄さんが生きている時間に転生させてあげるにも少々ずれが生じるかもしれない。

 お兄さんがやってくる前の過去の世界かもしれないし、未来かもしれない。

 もう一つ、これは僕の決めたルールだけどお兄さんはキミ自身の手で捜してほしい。

 キミが彼に会えるのか会えないのか。

 僕にとって物語を楽しむためのスパイスだからね」


「ほんの僅かな可能性でもお兄ちゃんに会えるなら、同じ世界で生きていけるならあなたの思惑通りだろうと構わない」


「それは重畳。キミ達の物語が僕を楽しませてくれたらちょっとだけサービスしてあげるよ」


「そう、期待しないで待っておくわ」



 そして私は異世界に生まれ変わることになった。

 ただし、女ではなくヴァンパイアの男性の体として。

 お兄ちゃんと同性になってしまったのは残念だったが、生まれ変わる肉体が人以外の場合もあったのだ。

 贅沢は言うまい。


「お兄ちゃん、私必ず会いに行くから」


 今度こそ想いを伝えるため、私は生まれた世界を旅立った。








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