修、お手伝いする
夕飯時、自宅のキッチンでお袋と並んで調理をしているのだが、随分と怪訝な表情で見られている。愛する息子をそんな目で見るのはやめて欲しい。
「……学校から帰って来るなり急に買い物に行ってくると言い出したかと思ったら、いきなり料理し出すなんて。一体どこで味噌汁の作り方なんて覚えてきたの?」
「はは、ネットでちょっとな」
「ネット? 学校の授業で勉強した感じ?」
むむ、世の中の魔法の言葉、常套句『ネットでちょっと』が通用しない時代であったのを忘れていた。
そういえばまだこの時代はスマホの普及率が徐々に伸び出した頃だっけか? ガラケーとかがまだ普通にある時代だもんな……。
朝に飲んだ味噌汁……流石に毎日あのクオリティーを飲むのは辛いと思い立ち、お袋の体裁も考えた結果、今後、朝食の味噌汁だけは俺に作らせてくれと頼んだのだ。
「まあ、そんなところかな? おふく……母さんも味噌汁だけでも作らなくなったら少しでも楽で出来るだろ?」
丁寧に煮干しからひいた出汁に、手際よく具材を放り込みながらお袋に伝えた。
「そりゃあ、ありがたい話だけども……ねえ、あんたってそんなに器用だったっけ? 包丁、上手に使うわねぇ。それにいっつもギリギリにしか起きてこないのに、味噌汁だけとはいっても本当に準備出来るの? 六時ぐらいには調理にかからないと間に合わないわよ?」
ふはは、そんなの余裕のよっちゃんだ。俺は毎日四時半には厨房に入っていたからな。六時なんてぬるま湯でしかない。
「大丈夫だって。まあ任せてくれよ」
「一体どういう風の吹き回しから?」
出汁に味噌を溶き、仕上に豆腐を入れてひと煮たちさせたあと、碗に出来上がったばかりの味噌汁を注いだ。
「ほら、一口飲んでみてくれよ」
たかが味噌汁、されど味噌汁。椀物の調理は繊細であり、下っ端には任せてもらえない超重要工程だ。中堅以上の板前しか任されない仕事である。
椀に少量の味噌汁を注ぎ、手渡した。お袋は何度か息を吹きかけ、味わうようにして飲み干してくれた。
「……美味しい。いつもの味噌汁と全然違うわ! 母さんが作るのより断然美味しいわ!」
心の中で思わず年甲斐もなくガッツポーズをした。そのお袋の優しい微笑みに目を奪われている時だった。
「んだほっっ!!?」
忘れもしない、朝にも受けたこの衝撃……尻に走るこの激痛は……また雪かぁ!!? 今、脳内で『アウトぉ~』って聞こえた気がしたぞ!?
「邪魔。冷蔵庫の前に立たないで。飲み物が取れない」
「おまえなぁ!! 一々、兄の尻を蹴らないと気が済まんのか!? 口付いてんだろうが!! 声をかけろよな!? それに何か武道を嗜んでらっしゃいますぅ? 妙に姿勢が綺麗だけども! その軸足で立つ姿は美しいレベルなんですけど!?」
「護身術としてテコンドーを少々」
「おまっ!? それガチなやつじゃねえか!? なら絶対師範か誰か偉いさんに最初に言われてるよね!? 武道と暴力の違いってやつを! 教えを守れよぉ!」
感動を台無しにされたので流石に噛みついてやった。まあ、顔色ひとつ替えやしなかったけど。
しかしこれまた新事実発覚だ。同じ屋根の下に住む兄妹にも関わらず、格闘術を習っているとは知らなんだ……。
「お兄ちゃんってそんなに喋ったけ……で、ママは何を飲んでるの?」
そりゃあ諸先輩やお客様の前で料理を作ってるんだぞ? 話術のスキルなんて嫌がおうにも上がるわ!
伊達に社会人してた訳じゃねえぞ!? 俺はあの頃と違うんだ! よし、今こそ兄としての威厳を——
「何、その顔。うざいんだけど。あ、お兄ちゃんには聞いてないから喋らなくていいから」
心が寒いよぉ……妹に罵られたよぉ……。くっ、負けるものか!!
「お兄ちゃんが作ってくれた味噌汁よ? 雪も飲んでみる?」
「えぇ……いい。不味そうだし。インスタントの方が絶対美味しい」
ほおぉ? 俺のひいた出汁の味噌汁が不味そうだと? 妹といえどもその暴言だけは許す訳にはいかんな!
「おい、雪! 今のは聞き捨てならねえぞ! 騙されたと思っていいから飲んでみろ! もし不味いと思ったらその味噌汁を俺の顔面にぶちまけてくれても構わんッ!」
「おりゃ」
「ひぃゃあぁっ!!?」
「……入ってないし。威勢の割には情けない声出すね、ぷぷっ」
フェイクだった。そしてなんか笑われた。
お袋がさっき味見に使った椀を持つや、いきなり振りかける素振りを取ってきやがった。
おかげで咄嗟に防衛本能が働き、体が反応してしまった。そういえば飲み干してたっけ……。
こいつ、したり顔で笑いやがって……こんなに俺の事が嫌いだったけか? 当時は情けない事になされるがままだったが、今は違う。こちとら世間の荒波をくぐってきた大人の精神を持っているのだ。
だが大人でも驚くものは驚くよ!? めっちゃびっくりしたからな!? 誰だってノンタイムで味噌汁ぶっかけられそうになったら変な声ぐらい出るって!
「ったく! ほら、飲んでみろ! 熱いから気を付けて飲めよ! 不味かったら先に行動ではなくて言葉に出すんだぞ!? 身構える暇ぐらいはくれ! お願いします!」
碗を取り上げ、よそってやった。味には自信はあるが、なんといっても反抗期真っただ中のJCだ。美味くても不味いと言い放たれて意地悪される可能性もある。
ふっ、しかしビビッて最後は敬語になっちまったぜ。
だが、これもそれも俺の尻を蹴りまくる雪が悪い!! 俺は悪くない! 体が無意識に防衛反応を示しているにしか過ぎんのだ!
「……ん」
とりま、味はどうだ? 丁寧に鰹節と煮干しからひいた出汁を使った味噌汁の味は? 素材にこだわり出せばキリがないが、これだけでも普段の味噌汁とは大きく違う筈だ。
いいか? ぶちまけるんじゃねえぞ……片付け大変だからな? 分かってるな、これはフリじゃねえぞ?
味噌汁臭くなるのはヤダぁ……。
「……普通かな。思っているよりはマシだった。インスタントよりは美味しい」
うし、キタコレ! 当然の結果だな! ふははっ!
心配を裏腹に完飲したようだ。どうやら普通に美味かったらしい。まったくもっと素直になれんのか?
「なら今晩もたっぷり飲ませてやるからな、楽しみしてろ」
「はいはい、楽しみにしてる」
どうやらこの勝負、俺の勝ちのようだ。我が妹ながら、年頃の女の子は素直じゃなくて面倒だな。
「なに? その勝ち誇った顔。ちょっとうざいんだけど?」
どうやら俺のニチャついた顔が気に食わなかったようであり、音もなく脚を上げて臨戦態勢に入った。
「おい、やめろ! キッチンで暴れるんじゃない! 包丁とかあるんだぞ!? それにパンツ見えてるぞ!? 縞パンかよ!!」
「っ……成敗!!」
狭いキッチンにも拘らず、一切周りに被害を及ぼすことなく、俺の尻だけ狙いすまし、コンパクトに蹴り上げられた。
こいつ、かなりの手練れじゃねえか……。




