上流階級と元メイド
上流階級嫡子と元メイドがくっついた後の話。元メイドの身分どんでんがえし的な話が書きたかった。ただ、書きたい部分を書きだしたので話の細切れ感が凄いことになっています。
「危ないっ」
国営の美術館からの帰り道アデルは突然走り出した。
馬はもとより気の小さい動物で、ちょっとした衝撃や不意に視界に入ったものにより驚き、パニックを起こす事がある。日々、騒然とした街中を走っている馬とて同じだ……その気質が変ることは無い。
「アデルッ」
ユリシーズは走り出したアデルを追いかけようとしたが、あと一歩というところで捕まえられない。
視界には暴れだした馬が向かう先にいる小さな子どもが目に入る。
ユリシーズにもアデルにも見覚えのある顔だった……それは、ハンゲイト家次男のコリン。
確か、今日は久々に家族の下を訪れていた弟が母と姉と出かけるのだと嬉しそうに言っていたとユリシーズは思い出す。一人でいるということは、はぐれて迷子になってしまったのかもしれない。
そんなことを考えながらも、ユリシーズもアデルがコリンを助けようとしていることを理解し杖を投げ出し走るが……やはり出だしが遅れた事が響いている。アデルも間に合うのか、どうなのか……微妙なラインだ。コリンも自分が置かれた状況を理解したのか、迫る馬を見て顔を青ざめさせ立ち尽くしている。
遠くで、悲鳴が聞こえた……
アデルは指先に布地が触れるとそれを引っ張るようにして腕の中に抱きとめる。その場から離れることはもう無理で、ただ……腕の中にいる子だけでもと強く抱きしめた。
「アデルッッッ!!!」
辺りが静まりかえる。
馬もバランスを崩し転倒しようやく止まった、馬が正気を失うまで手綱を持っていた御者は馬の様子も気になったが……少し先に倒れている人の姿をみて顔色を失った。
ユリシーズはすぐさま駆け寄り、アデルに呼びかけるが反応は無い。
しばらくして、母親のコーデリア、そしてコリンの姉でありユリシーズの妹であるフィオナも駆けつける。
「アデル……」
眼下に広がり始めた赤い水溜りにユリシーズも、オーレリアたちも言葉を失う。ユリシーズは言葉を発しようと思ったが、上手く歯がかち合わない。
「だ……だ、誰か、誰か医者を……」
震えている、アデルを失うかもしれない。死と隣り合わせに生きてきたのに。最初はその見た目に惚れた、けれどアデルという人となりを知って……知れば知るほど好きになっていて、もうアデルがいない日々が考えられないほどだ。アデルを失うことが怖くて堪らなかった。
医者がやってきて応急処置を施し、屋敷に運び帰るまで……ユリシーズは一言もしゃべる事ができなかった。
「怪我はたいしたことはありませんが、頭を強く打っていて意識が数日戻らないかもしれません……日に一度は診にきますが、目が覚めたら夜中でも呼びつけてもらって構いません」
医者はコリンとそしてアデルの治療を終えると、そう言い残し屋敷を後にする。
残されたハンゲイト家の者たちは悲痛な顔をしていた。
コリンはアデルに庇われ手の甲にかすり傷を負うだけですんだ。
「コリン……」
ユリシーズは心ここにあらずといった感じの中コリンに呼びかけた。
「迷子になったときは無闇に歩き回らないほうがいい……今度から気をつけろ」
一度くしゃりと頭を撫でると、ユリシーズはアデルが寝かされている部屋へと向かって歩き出した。父親のリチャードは止めようかと手を伸ばしかけたが、それはコーデリアによって止められる。言葉は無い静かに首を横に振り悲しそうな笑みを浮かべた。
「アデル」
ベッド脇に椅子を近づけそこに腰掛ける。
眠るアデルは包帯を巻かれ、出血もそこそこにあったのだろう顔色は白い。
眼鏡はフレームこそなんとか無事だったが、レンズは割れていて、割れたレンズが目や顔に刺さらなかっただけでも不幸中の幸いだろうと医者は言っていた。
「……」
アデルはまだ朦朧とする意識の中で目を動かす範囲で見える場所を眺めていた。カーテンの隙間から入り込む光の様子から朝方だと知るが、夜に眠った記憶がない。
ユリシーズと美術館を訪れ目にした美術品の美しさや物珍しさをカフェで話したことまでは覚えている。記憶が無いのはその後からだ、カフェを出てどうしたのかということや、何故眠っていたのかということや、身体が痛むのは何故なのかということが思い出せない。
そして、視線を横に向けたとき、椅子に座りベッド端に身体を預け眠っているユリシーズの姿が目に入った。アデルは眼鏡を捜すために身体をおこそうと身体に力をの入れたが、痛みが走る。
「っ……」
「……ん」
アデルの倒れ込んだ衝撃にユリシーズが目を覚ます。
「……アデル?」
「おはようございます、ユリシーズさん……ずっとそこにいらしたんですか」
身嗜みには気を使っていたユリシーズが髪を下ろしたままにしていることが珍しくてアデルはくすりと笑う。ユリシーズはしばらくアデルの様子を見ていたが、状況を理解するとメイドや執事が控えている部屋の呼び鈴を押した。
「そんなに急いでどうかされたのですか……」
「君が目覚めたら医者から呼びつけるように言われていてね……よかった」
身体を少し動かすたびに表情を歪めてはいるが、そのほかは心配ないようだった。言葉もちゃんとしているし、ユリシーズのことも覚えている。ユリシーズはアデルに負担を掛けないようそっとベッドに手をつくと頬に口付けをおとした。
「……そういえば」
時間が経つにつれて蘇ってくる記憶。アデルは身体が痛む原因を思い出す。
「ユリシーズさん、コリン君は無事でした?」
「……君のおかげで、かすり傷だけですんだよ」
髪を撫でていた手を止めてユリシーズはありがとうと言葉を紡いだ後にまた口を開く。
「けれど、君が傷ついてしまった……もうあんな無茶なことはしないでほしい」
******
「馬上から失礼。こちらはハンゲイト家でよろしいか」
四頭だての馬車が停まったかと思えば、身なりのよい男が尋ねてきた。門が最近きしんでいる様だと報告を受け、現状を窺う為に門前に出ていた執事は相手が誰なのか見極めようと答えながら観察をしている。
「はい、そうですが……何用ですか」
「数日前の事故のことで話に来た」
事故と聞いて、執事は相手の名前と身分を知る。
馬車に乗っている男はアルジャーノ・レアード、古くから爵位を受け継ぐ貴族でその受け継がれている爵位は伍等爵でも最上位の公爵。過去いく度に渡って王室の姫君たちのこ降嫁したことのある家柄だ。社交界に姿を見せることは少ないがその地位が揺らいだことはない。
また、家族がおらず、妻もめしとらず、このまま公爵家の幕を閉じさせるのではないかとすら噂されている人物でもある。
「先触れもなく申し訳ないと思ったが、時間をつくることができなくてね……お目通しを頼めるか」
「少しお時間をいただくことになりますが……」
執事は馬車を門内にいれると、近道を通り屋敷へと急ぐ。
屋敷に入るとアルジャーノのことをメイドに伝え、主人のもとへと向かった。
「レアード公爵が訪ねてきた?」
「はい、あの事故のことについて話したいと……」
ユリシーズがメイドとの恋を取り貴族との婚姻を破棄してからというもの、あまり伍等爵をもつ家との付き合いはなかった。今回の事故についても、下手をすれば使いの者が訪ねてきて終りかとも思っていたのだが……
「わかった、直ぐにゆく……お待たせしている部屋は」
「応接間に通すよう言いつけてあります」
手にかけていた仕事を一旦止めると、リチャードは襟元を正し応接間へと向かう。その後を続いて執事が追った。
応接間に行けばこれまで目にしてきた貴族たちよりも貫録も優雅さも兼ね備えた貴族がそこにはいた。リチャードが話すより先にアルジャーノから腰をあげ頭を下げる。
「先日はそちらのご子息を危険な目にあわせて申し訳なかった」
「いえ、こちらこそ……」
まさか公爵に頭を下げられるとは思っておらず、驚きに戸惑っているとアルジャーノが言葉を続けた。
「御者から聞いたのだが……ご子息を庇った女性は黒髪をしていたそうだが……名を『アデル』と言わないだろうか」
公爵が妻をめしとらない理由としてまことしやかに囁かれていた噂の中にこんなものがある。身分違いの愛に身を焦がしその女性以外とは結婚をしないといいそれを今もつらぬいているというもの。
相手は実力で成り上がってきた新人のオペラ歌手、幅広い音域に整った顔……プラチナブロンドにヘーゼルの瞳は身分が無いものとは一目では分からない。
そして、時がたった今も姿を消したその女性を探していると……
「確かに、あの者はアデルという名ですが……それが何か」
「そうか」
アルジャーノは目を瞑り、息を大きく吐くとリチャードを見据えた。
「その女性に合わせて欲しい、事故のことで謝りたいこともあるが……それ以上に確認したい事がある」
ずっと探していた。手紙を残されて、姿を消した恋人を探し続けようやく見つけたと思ったときにはすでにこの世には存在していなくて、変わりに得たのは娘がいたという情報。だが、その時に娘は人攫いにあい姿を消した後だった。
それからというもの、地位を使ってできる限りの手をつくしその娘を探したが……名前と髪や瞳の色しか情報が無く、今の今まで見つからずにいたのだ。
「確認……?」
「えぇ、私が……ずっと探していた娘なのか」
アデルというありふれた名前、この国では少し珍しい黒髪。
顔のつくりは母親に似ていたという……ならば、一目見れば分かるはずだとアルジャーノは思う。
「……娘」
「あぁ、私に唯一残された家族は……アデルという名で、子どもの頃人攫いに攫われたのだよ」
濃い茶の双方の瞳がリチャードを見据える、その目は……見覚えのある目だった。最初は避けていたが、それでも顔を合わせることはあってしっかりと瞳を捕らえるように向けられた目は……アルジャーノと同じ目をしていたのだ。
アルジャーノは少し身を硬くしたリチャードを見てふっと笑う。
医者が帰ったという報告を聞き、リチャードはアルジャーノを伴いアデルの眠る部屋へと向かった。
「私だユリシーズ。開けるぞ」
ノックをして、返事が聞こえてきたことを確認すると扉を開け、中に入る。ベッドには顔色はまだ青白いがそれでもしっかりとした光を宿した瞳のアデルがいた。その脇には普段よりも髪を撫で付けていないユリシーズが腰を下ろしている。
「……そちらは?」
父親であるリチャードに会釈をすると、ユリシーズはその背後に立つ見慣れぬ人影に眉をひそめた。
「こちらはレアード公爵、今回のことで話しにこられたのだ」
そして、道を譲るようにリチャードが身体をずらしたが、アルジャーノはその場に立ったまま動かない。視線はアデルに固定され、驚きを表していた表情は次第と緩みぽつりと漏らす。
「……メグに良く似ている」
メグ……それは、アデルの母の愛称だった。
「え……」
確かに、母親に似ているといわれたことは何度かあった。家族の中で一人ブロンドの髪を持ち、輝きを持っていた母に似た整った顔。人攫いに攫われず、ずっとあの叔母の家に居たとして、将来同じように娼館に売られていたかもしれない。
母親の名前はマーガレット。声はおぼろげに覚えているし、これだけは絶対に手放してはいけないといわれて手渡されたペンダントのトップにしまわれている写真で若い頃の顔は何度も見ている。
そして、その母の横に入れられていた若い男性の写真……母親が思い出したように話してくれた父親のこと、その話は常にこの写真と共にあった。
母の近くにいないということはもう死んでしまったのか、それとも母を捨てたのかどちらかだろうとアデルは判断しずっと胸にしまっていたこと。そして、歳を重ね、世界を知るようになって写真を撮るということはそれなりにお金が無ければできないということを知った。その上、母が残したペンダントはそれこそ上流階級しかもてないような価値があるのだと……メイドとしての振る舞いや知識を授けてくれた人や、仕えた屋敷の婦人、そして義理の母となった人が教えてくれたこと。何処かに名が刻まれているかもしれないと探してみたこともあったが、奇妙なカラクリが仕込まれているらしく、写真を外すことは一度もできていない。
「今回の事故のことは申し訳なかったと思っている。私に出来ることならなんでもしよう……それから」
「い、いえそんな。私はこうして無事に……」
アルジャーノが言葉を続けようとしたが、アデルはメイドの頃の癖が抜けないのか、身分の位が高そうなアルジャーノが頭を下げそうな気配を感じ言葉を遮った。
「無事に……ではないだろう。どうしてそうやって他人のことばかり心配するのだね」
アデルがアルジャーノの言葉を遮ったのは、確かにメイドの頃の癖も多少はあったが、やはりこのまま身分の高い人間に謝罪を受ければ、また社交界の人間からハンゲイト家に対して良くない噂が広まると思ったからだ。
そんなアデルを見てアルジャーノはマーガレットを思い出す。彼女もまた、自分よりも他人を優先させるほど優しい人間だった。オペラの舞台を見てマーガレットに心奪われたアルジャーノは幾度と無くアプローチをかけようやく食事へと漕ぎ着け、そこで舞台上ではなく、素のマーガレットの人柄に触れより一層惚れたのだ。
今まで出会った女性たちは押し付けがましく、アルジャーノ本人ではなく、後ろにある権力や財産ばかりを気にしていた。だが、マーガレットは違った。ただ一人の青年として相手をしてくれ、舞台で見せる妖艶な笑みとは違う朗らかな笑みでアルジャーノを癒してくれたのだ。
だが、ただ食事をして、時に床を共にしたが……結婚という二文字を持ち出したとき、マーガレットが首を縦に振ることはなかった。何度プロポーズをしても返事は「あなたにはもっとふさわしい女性がいるわ」と、それだけが何度も返ってくるだけ。
愛人として身分の低い女性や娼婦を持っていた貴族は居たが、やはり本妻には同じ貴族の女性や、上流階級に準ずる女性を貰っていた。
「それと、私の話を最後まで聞いてもらえないだろうか……」
怒ったわけではない、ただ嘘のようで本当のこの過去のことを聞いて、知って、そして受け入れて欲しかった。
自分と同じ黒髪と、濃い茶の瞳、そしてマーガレットの面影を強く残す顔の作り。性格もオペラ歌手をしていたマーガレットに比べ派手さは無いだろうが、人を思いやる優しい性格をしているに違いない。
「え、あの……」
「君の母親はブロンドの髪にヘーゼルの瞳をした評判の美人ではなかったかい」
そう、例えばこんな姿で……とアルジャーノは懐から懐中時計を取り出すと蓋を開け、文字盤ではなく蓋の裏側をアデルに見せるよう差し出す。そこのはめ込まれていたのは、アデルに見覚えのある女性の写真だった。
「……これは」
何故母親の写真が目の前に差し出されているのか、アデルには理解できなかった。母親は確かに美人で周囲でも評判だったようだ、写真を撮れるような相手が居たという過去もある。だが、今この写真を差し出しているのはリチャードの態度からして随分と身分が上の人のようにうかがえるのだ。
アルジャーノは戸惑うアデルを見て表情を緩めると言葉を続けた。
「これはね、私の愛する人の写真だ。私が結婚を迫ったばかりに、手紙を残し姿を暗ませた……大切な人のね」
「……でも、そんな」
見覚えのある写真だった、そして見上げる男の顔も見覚えのある顔だ。そう、アデルの持つ母の遺品のペンダントのもう片方の写真の青年の面影が……確かにある。
「もう、この人は……メグは亡くなってしまっているけれど、彼女には娘がいるらしい。私はその娘をずっと探している……」
頬に触れ、そのまま撫で下ろし肩に手を置く。
「そして、ようやく見つけた……君が私が探し続けていたメグと私の子ども……」
もしかしたら違うかもしれない、部屋を訪れる前はそんなことを思いもしたが、一目アデルの姿を見てそんな考えは消し飛んだ。
「まさか……」
誰の言葉だったのだろう。アデルの声だったのか、ユリシーズの声だったのか、リチャードの声だったのか。
「彼女が消えた時、彼女が子を宿していたことは知っている。その頃、相手が私しかいなかったことも」
アルジャーノが贔屓にしているオペラ歌手、もしそんな女性に手を出せば、上流階級で王族の次に権力を持っているといっても過言ではなかったアルジャーノに目をつけられることは必至。それも、遊びではない本気で落そうとしている相手だ、その権力すべてを持って立ちはだかられることも付随して考えられること。
真直ぐと見つめてくるアルジャーノを見て、アデルの脳裏に母の昔の笑顔がよみがえる。
『これがあなたのお父さんよ……あなたと同じ黒髪なのよ』
普段から美しいと評判だった母だったが、父親の話をするときには少女のように笑い、一層その美しさをましていた。
『アデルはお母さんの髪が羨ましいっていうけれど……私はあなたの髪が好きよ』
光り輝くような母の髪がアデルは好きだった。何で自分も同じ髪色じゃないのかと何度も尋ねたことがある。その度に母はそういってアデルに言い聞かせていた。
「私の父は……私と同じ髪、同じ瞳の色だと母に聞きました……そして、もういないと」
目覚めてからまた身につけたペンダントを握り締める。まさかと思った、相手がこんなに身分が上の人だったなんてと。それと同時に、どうしてもっと早くに見つけてくれなかったのだという感情もわきあがった。それは自分が見つけられるということではなくて、母が生きているうちにどうしてといった感情だ。
母がこのアルジャーノの前から姿を消したのはアデルがおなかに宿っていると知ってからのことだろう。そして、母が亡くなったのはアデルが幼少の頃のこと……母がアルジャーノの前から姿を消した時から考えて四年から五年ほどだろうか。
アルジャーノほどの富と権力を持つ者だ、それを駆使すれば田舎に住む特徴のある女性くらい見つけ出せる事が出来るのではないかと……思ってしまう。
「メグはそう言っていたんだね……」
「けれど、母が父をとても大切に思っていたことは幼い私でもわかりました」
母がなくなるまで各地を転々としていたことを覚えている。身体が弱っているにも関わらず、何かから逃げるように宿屋で女中をしたり、街頭でその美声をもってお金を稼いだりしながら。
相手も必死でさがしていたのだろう、けれど母も必死で逃げていたのだ。相手に迷惑をかけることだとわかっていたから。同じように、階級の差にたじろぎ逃げ出したことのあるアデルだからこそわかる。母も私も同じことをしたのだと……
アデルは穏やかな笑みを浮かべると、胸にかかっていたペンダントを外す。
「これをお渡しします。きっとあなたが持っていたほうが母は喜ぶでしょうから」
遺品らしい遺品は手元に残らなかった。たった一つ形あるものはこのペンダントだけ。母がどんなに生活に困っても手放さなかった写真の入れられた金色のペンダント。シャラリと軽い音をさせてアルジャーノの手に収まったペンダント、その外装は先ほどアルジャーノが見せた懐中時計に掘られていた模様と酷似している。見覚えのあるそれにアルジャーノは目を大きく見開いた。
「……」
指先でもてあそぶようにペンダントトップを開け閉めを繰り返していると写真がはまっていた部分がパカリとあく。そして、後ろから現れたのは小さくたたまれた紙切れとレアード家の紋章だ。
「ふさわしいとか、ふさわしくないとか……そんなことは関係ないのだがね」
かすれて読みずらい文字、それでも文章を把握することはできて、書かれている内容に涙ぐむ。
私はあなたにはふさわしくないから、きっと迷惑をかけてしまう。手紙だけを置いて姿を消してごめんなさい。ずうずうしいことだけれど、遠くからあなたを思わせてください。いつかこの手紙があなたの手元へ届く時、きっとそれを届けてくれるのはあなたが私に最後にくれた一番大切な贈り物です。
「私はただ傍にいてほしかっただけなのに」
何時も、どこかで感じていた孤独。それを癒してくれたのがマーガレットだった。周りの非難も異論もすべて抑え込むぐらい幸せを見せつける自信はあったのに。
けれど、彼女がいた証が、宝物だと言った娘が今目の前にいる。ロンドンでも有数の力を持ったジェントリがメイドを妻として迎えたとうわさになったことはアルジャーノも知っていた。それを聞いた時、なんとうらやましいと思ったことか。
確かに風当たりは強く、婚姻を破棄された貴族がハンゲイト家との付き合いを断つと宣言してからは貴族の世界から遠ざかっていたはずだ。
「だから、君にはそんな苦労をして欲しくはない」
皆が選んだ権力はこの手にある。愛し合う者同士はすでに夫婦だ。
なら、あとひと押し……
「迎えに来るのが遅くなって済まなかった……私のたった一人のかわいい娘」
血は繋がっている。黒髪も、濃い茶の瞳もレアード家の血を引き継いだ証拠となるだろう。




