第54話 アルバイトの終了
「そういうわけで、へおちゃんは無事宇宙に帰りましたが、着ぐるみも別の宇宙船に乗って行ってしまいました。本当にすみませんでした」
月曜日、町役場の町長室で、康介が町長に謝る。柚香も隣で一緒に頭を下げて、謝った。
徹太が着ぐるみを着て危なかったことは多少省いたものの、だいたいの経緯を町長に話したところだ。
「まあ、財政的には打撃だけど、へおちゃんのゆるキャラには、随分助けられたからね。予備の着ぐるみもあるから、何とかなるだろうよ」
「えっ、予備?」
町長の言葉に、柚香も康介も目を丸くして問いかける。
「着ぐるみは、もう一体頼んであったんだ」
「そうなんですかっ」
それは考えてもみなかった。
「うん。まあそれを使うから」
町長の言葉に、二人とも心からほっとする。
「はあ、すみません。よかったです」
康介が言うと、柚香も安堵してつい話した。
「本当にご迷惑をおかけしました。でも、制作にかなり時間もかかっていたようですから、二体あると知って安心しました」
「う、うん……そうだな」
途端に町長の歯切れが悪くなる。
「実は、君たちには黙っていたんだが、本当はもっと前から着ぐるみはできていたんだ。へおちゃんというか、宇宙人君が大人気なのでつい……」
「えっ、着ぐるみ、できたばかりじゃなかったんですか」
康介が詰問する。
「ああ、一か月以上前にはあったんだが、やはりぎりぎりまで宇宙人君にお願いしたいと思ってしまったんで……」
「ええっ」
柚香も康介も、気分の落ちた声を出した。
「すまなかったね。だけど、おかげで電車祭りも大成功だったし、季節のいい時期に子どもたちも大勢へお城に来てくれたはずなんだよ」
「そうですね」
康介が頷く。やはり単なる着ぐるみより、へおちゃんのほうがずっと人気が出たように思う。
「確かにへおちゃん、着ぐるみとしてのお仕事を好きでやってくれていたと思います。帰る当日も寒かったですけど、夕方まで握手したり、終わりまで楽しんでいました」
柚香は思い返して話した。
「宇宙人君には、最後にお礼が言いたかったなあ」
町長の声はしんみりとした感じだった。しかし、少し気分を変えたのか、こう話した。
「まあ、これからはユーフォーの町としていろいろやることもあるしな」
「出馬するって聞きました。よかったです」
柚香が告げると、町長は照れ笑いをして、髪の薄い頭を掻いた。
「いやあ、他にも候補者がいるから、まだ僕が次の町長になるとは限らないんだけどねぇ。みんながもう決まったみたいに言うから、僕も頑張ろうと思って」
「やはりへお町は、亀野町長あってのものですよ」
康介がすかさず持ち上げる。
「そうかねぇ」
答えながらも、町長はにまにまと嬉しげだ。
へおちゃんを追っ手から救った正義のヒーロー。さらに、両親のもとに無事に返すことにも貢献し、宇宙人と地球人の平和を守ったのはこの亀野徹兵である。
そんなふうに浸っているようだった。
上機嫌な町長は、柚香と康介をねぎらってくれる。
「きみたちもへおちゃんプロジェクトの精鋭部隊として、よく頑張ってくれた。礼を言う」
いつから精鋭部隊になっていたのか分からないが。
「いえいえ、そんな礼には及びませんよ。それより、着ぐるみの出演の方は順調にできそうなんですか」
康介が尋ねる。
今週末から、へおちゃんの本物の着ぐるみが活躍する予定だった。予備があるなら大丈夫なのだろうか。
「そうだな。とりあえず、孫に入ってもらわなきゃならん」
「え、大人が調節するとかいう話はどうしたんですか」
康介は、観光課でへおちゃんの着ぐるみに大人が入ることも検討していると聞いていた。
「それがねぇ、やっぱり大人だと着ぐるみの手や足の部分を切って、出すことになっちゃうんだ。それだとどうもねぇ」
「はあ……」
へおちゃんのもふもふした着ぐるみの手足の部分に穴をあけて、大人でも着られるようにという話があったらしい。確かに想像するだけで格好悪いし、夢が壊れそうだ。
「まあ、来年子どもの公募でもするかなと思って。とりあえず、徹太はいいよって言ってくれたから、しばらく入ってもらうよ」
「そうですか」
徹太もなかなかおじいちゃん孝行だ。すっかり仲直りして、協力する気になっているらしい。
それにしても、子どもの公募も気になる。『あなたもへおちゃんになってみませんか?』とか、小学生に話すのだろうか。
「冬場であまり人も来ないようだから、他の人たちで何とかできる予定だよ。そういうわけで、羽鳥君と竹原君は今日でバイトが終了だ。本当にご苦労さんでした」
「こちらこそ、ありがとうございました」
柚香と康介は、町長に深くお辞儀をした。
これで、へおちゃんのお世話をする三か月のアルバイトは本当に終わりなのだ。
「おかげでお城もだいぶ人が来て、少しお金をかけてきれいにしようということになってね。年末年始に壁を塗り替えたり、看板を立てたりすることになった。だから、年が明けてからでいいから、一回給湯室の掃除だけ頼むよ」
「はい、分かりました」
冷蔵庫の中身を整理したくらいなので、一度は給湯室に片づけに行く必要があった。
町長は、鞄のなかから自分の財布を取り出した。
「それからね、僕からの特別手当。二人で食事にでも行ってきなさい」
財布のなかから一万円札をすっと抜き出す。
「えっ」
「そ、そんな、いいですよ」
柚香も康介も、突然の手当てに驚いて辞退しようとする。この間鶴田さんが「お二人に夕食をおごったりとか何かなさった方が」と提案したのを、わざわざ考えてくれたのだろう。
「いやいや、僕の気持ちを受け取ってくれ」
そう言われると、何だか断れない。二人がためらうと、町長は急かした。
「そろそろ鶴田君が打ち合わせから戻ってくる。見られたくないんだ。早く」
そういえば、今日は鶴田さんの姿がなかった。町長の慌てぶりからすると、もうすぐ鶴田さんが戻ってくるらしいし、町長は本気で照れている様子だ。
「それじゃ、ありがたく頂戴します」
二人は結局受け取ることにした。
そのあと、鶴田さんが本当にやってきたので、丁寧にお礼を述べてから、町長室をあとにした。
町役場の入り口まで、康介は柚香を見送ってくれた。
「俺、このあと仕事だから、またな。食事は水曜日の夜でいい? ノー残業デーだから、ゆっくり食べられるんだけど」
「うん、いいよ」
二人は、町長のおかげで豪華な夕食を約束することになった。町長としては、正義の味方はけちっちゃだめだと考えただけなのかもしれないが。
「よかったね、おいしいものが食べられる」
柚香が笑って話すと、康介が告げた。
「ちょうどよかった。柚香に話したいことがあるから」
話したいことって、何?
改まった言いかたが気になって、柚香はそう尋ねたかった。だが、役場の人が通る場所なので人目を気にして、結局何も訊くことができなかった。
とにかく、康介と会う約束をしたのだ。
康介の話って何かなと思う。でも、自分だって康介に話したいことがある。いくつもある。
自分の気持ちも、伝えられるかな。
考えると、それだけでどきどきしてしまう。
けれども、このところいろいろありすぎた。
康介が熱を出した日に、給湯室に一晩泊まってしまったことさえ、ずっと前に感じる。サングラスの男たちに捕まりそうになったり、宇宙船に追われたり。そうして、へおちゃんは宇宙に帰ってしまった。
出来事が多すぎて、整理がつかない。
何だか、康介が好きでどうしたらいいのかと悩み、張りつめていた気持ちの蓋が、ぽんとはじけてしまったかのようだ。
正直、とても楽になった気がする。
柚香は、まだへおちゃんがいないことに慣れない。
週末を一人で家で過ごしてみても、全く実感が湧かなかった。明日にはまた給湯室に出勤して、へおちゃんと康介と一緒にお城の周りを歩いているような気がしてならない。
「へおっ」というあどけない声。うるうるとした瞳。つないだ手。もふもふした温かい体。
今はこの地球のどこにもその姿はない。
へおちゃんがいなくなって、寂しい。大切なものが空っぽになってしまったような思いがする。
一人では耐えきれないほど、とても寂しい。
でも。
町役場をあとにして、柚香は外気の寒さを感じ、マフラーを重ね合わせる。
柚香は思い出す。
宇宙船を見送ったあとに、康介の胸のなかで泣けるだけ泣いてしまった。
へおちゃんがいなくなってしまった寂しさ。切なさ。不器用な自分が三か月やり遂げた達成感。安堵感。いろいろな思いがないまぜになって涙が溢れてしまった。
あのとき、康介がずっと自分を抱きしめてくれた。もふもふの宇宙人とは違い、自分と同じくらいの体温しかないのに。
そのぬくもりがどこかに残っている。





