最終話 日雇い提督の終わりと始まり ②
今回にて第一部の物語は完結です。
最後まで御付き合い下さいました皆様方に心から御礼申し上げます。
「すまない……バイナ本星の攻略は断念せざるを得なかったよ……」
珍しくも表情を顰めたラインハルトがスクリーンの向こう側で唇を噛んでいるのを見た達也は、苦笑いするしかなかった。
今回は機動部隊の色あいが強い艦隊の特性を生かし、少数精鋭艦隊を囮とした上で、優勢な航空戦力による奇襲を軸にした太陽系防衛戦が採用されたのだ。
多くの艦艇を西部方面域に分散配備したのは、達也への敵意を露にして、陸でもない策謀を企てるクルデーレ大将や腰巾着幕僚の目を欺く策だった。
そして分散配備した部隊から選りすぐった精鋭を秘かに再編成し、ラインハルト少将指揮の下、バイナ本星電撃侵攻作戦が決行されたのである。
転移ゲートへの細工を逆手にとり、バイナ連合軍が太陽系に侵攻したのと同時に手薄になった海賊らのアジトを急襲するという、殲滅戦を敢行したのだ。
作戦は図に当たり、抵抗らしい抵抗も受けずに、西部方面域に点在する小海賊を一掃するのに成功した。
公海上の脅威を払拭した事で、銀河連邦が影響を及ぼす地域が拡大するのは確実であり、その周辺に位置する小規模な惑星国家群は、我先にと銀河連邦評議会への参入を表明したのである。
それまでは旗幟を鮮明にせず、その時々で銀河連邦とグランローデン帝国を天秤にかけ、双方に良い顔をしては漁夫の利を得て来た強かな国々だ。
それが態度を急変させたのは、銀河連邦の西部方面域支配率が四十%を超えて、他の勢力から頭一つ抜け出したからに他ならない。
強い者に靡くのも立派な処世術であり、決して恥ずべき事ではない。
寧ろ、情勢の変化に対応できず、国家や国民を危難に追いやる指導者こそが無能だと非難されて然るべきだろう。
話を元に戻す。
複数の海賊拠点を制圧したラインハルトは、その勢いの儘に空き家同然のバイナ共和国本星に進撃したのだ。
このバイナ本星こそが最重要拠点であり、此処を攻略すれば、西部方面域で劣勢を強いられている銀河連邦軍にとって起死回生の一手になる筈だった。
この惑星宙域を支配下に収めれば、グランローデン帝国に対する橋頭保としての前線拠点たり得るし、地球統合軍と連携すれば後方の補給線の確保も容易になる。
その戦略的な価値は計り知れず、達也やラインハルトを筆頭にして、艦隊幕僚部が検討に検討を重ねた末に立案された作戦だった。
しかし、いざバイナ本星と目と鼻の先の距離まで攻め入った時、想定外の事態に直面し、それ以上の侵攻を断念せざるを得なかったのである。
衛星軌道上には、皇帝陛下の指示により派遣されていたグランローデン帝国艦隊が万全の布陣を終えて待ち構えており、ラインハルトは進むか引くかの選択を迫られてしまう。
「戦力的には互角だったが……帝国艦隊の防衛線に隙を見出せなくてね……」
結果的に撤退を選択したわけだが、寸前で大魚を逃したラインハルト以下、艦隊将兵に未練がなかったと言えば嘘になるだろう。
彼らが落胆しているのは容易に察せられた為、達也は敢えて口元を綻ばせ、笑顔でラインハルトと部下将兵を労った。
「今の我々に帝国と真っ向からやり合う力はないからな。引いて正解だよ。主目標の攻略を逃したのは残念だが、無理をして艦隊を損耗させれば、西部方面域の防衛すら儘ならなくなる……その状態で帝国軍の逆侵攻を防ぐのは不可能だ」
想定する中でも最悪の未来予想図を提示すると、横に控えていたエレオノーラも溜息交じりに言葉を続ける。
「そうね……もしそうなったら、この太陽系はもとより、海賊連中を討伐して得た公益航路の占有権も失うでしょうね。それでは今回の作戦が根底から無意味なものになって、西部方面域に連邦の居場所はなくなるわ……アンタの判断は間違ってはいないわよ。ラインハルト」
海賊や犯罪シンジケートは支配域を持たず、公海上の無人小惑星帯や惑星国家の裏世界に寄生しているのが殆んどである。
それ故、彼らを駆逐したからといって勢力を拡大できる訳ではないのだが、公海上の安全を確保した勢力には、優先的にその航路の占有権が与えられるのが慣例であり、銀河系全ての文明国家に課せられる不文律なのだ。
つまり、今回複数の海賊らを殲滅して確保した公海航路では、銀河連邦軍がその支配権を有するに等しく、銀河連邦加盟国以外の勢力に所属する艦艇であっても、国営民間を問わず臨検を強制できるのである。
流通の自由を制限されるのは経済を疲弊させる最大の要因であり、延いては国家の趨勢をも左右する一大事に他ならない。
このような事情から、冒頭で述べた様に周囲の国家群が銀河連邦に服属を申し出るのだが……それは今暫く後の話である。
親友二人の気遣いを受けて漸く気持ちの整理がついたのか、ラインハルトは表情を引き締め、優秀な副司令官の顔に戻って意見具申した。
「これ以上バイナ星系に艦隊を留めておく理由はないので即時撤退し、各々の受け持ち宙域に帰還させる。それから防衛線の外周を太陽系に設定し、駐留艦隊の戦力を増派するべきだと思うが、どうだろう?」
「そうだな……帝国が追撃戦を仕掛けて来る可能性は極めて低いと思うが、警戒するに越したことはあるまい。秘密裏に参加している航宙母艦三隻をこのまま太陽系艦隊に組み込んで、それとは別に五隻ほど護衛艦を廻してくれれば万が一の事態にも対応できる筈だ」
「わかった……編成を急がせて早急に太陽系に派遣するよ」
この会談を以て本作戦は全て終了し、参加艦艇はそれぞれ本来の任地に向かうと決まっている。
だから安堵して司令官専用シートへ深々と身体を沈めた達也は、気の緩みもあってか珍しくも愚痴を零した。
「やれやれ……漸く正規の役職を与えられ『日雇い提督』とオサラバできたと思ったのに、やっている事は以前と少しも変わらない。少しぐらいは楽をさせて貰っても良いと思うんだがなぁ」
すると、親友二人は思わずといった感じで表情を歪めてしまう。
尤も、それはほんの僅かな変化であり、作戦が無事終了し安堵していた達也は、その変化には気付けなかった。
今後の既定路線(?)をヒルデガルドから聞かされているラインハルトとエレオノーラは、達也の未来が決して華やかなものではないと熟知している。
気の毒だと同情はするが、下手に庇い立てをした挙句にアナスタシアを怒らせて睨まれるのだけは避けたい……それが彼らの偽らざる本音だった。
(す、すまんっ! 俺にはとても口にはできない……)
(【神将】って聞こえは立派だけど……やっぱ、アンタは不幸体質だわ)
親友に対する申し訳なさで居心地が悪い二人は、何とか無難にこの場を乗り切ろろうとする余り、当たり障りのない慰めの言葉で達也を労ったのである。
それが、自らの墓穴を掘る愚行だとは気付かぬ儘に……。
「き、気にする必要はないんじゃないかな。そもそも口さがない連中は『日雇い』などと不遜な物言いをするがな、武勲を重ねるおまえをやっかんでいるだけさ! 言いたい奴には言わせておけば良いんだ!」
「そっ、そうよぉッ! 他人の武勲を羨んで僻む馬鹿な輩など、気にしても疲れるだけよぉ! 無視してしまいなさいな」
傍から見れば、気心知れた親友同士の何気ない会話に聞こえただろう。
事実、周囲の参謀やブリッジクルー達は微笑ましげな視線を達也らに向けているのだから。
しかし、誰よりも親友達のサド体質を熟知している達也は、その有り得ない激励に眉を顰めるしかなかった。
落ち込む仲間に対し、思いやりに満ちたハートフルな慰めの言葉を掛けるなど、この二人に限っては天地がひっくり返っても有り得ない。
先程の様な愚痴を零そうものなら、二人とも盛大に鼻を鳴らして顔を顰め、嘲笑と罵倒を投げつけて来るのが常なのだから。
『お~~嫌だ嫌だっ! 下手に出世なんかするもんじゃないねぇ。部下にだけ苦労させて自分は楽がしたいとは……将官様は御偉いこってッ! ふんッ!』
そんな親友らの嫌味交じりの嘲弄が幻聴となって耳朶に木霊する。
容赦のない罵倒を浴びても当然だと言わんばかりに平然と宣うのがこいつらだと、達也は自身の経験から嫌というほど熟知していた。
にも拘わらず、今回に限ってなぜ常識人の様な反応を見せるのか……。
言い知れぬ不安を覚えた達也は、胸騒ぎに急かされて親友らを問い質す。
「お前達さぁ……何か俺に隠している事はないか?」
条件反射とは恐ろしいもので、後ろ暗い思いを懐く人間ほど、突発的な事態には素直な反応を示してしまうものである。
然も、相手が白銀達也となれば、その神がかった観察眼を知るだけに、隠し事を見破られたと思うのも仕方がなかった。
『ギックゥ────ッ!』
効果音が聞こえてきそうな程に両肩を跳ねさせた二人の様子を見た達也は、己の直感が正しかったと確信して口角を吊り上げる。
(やっぱり……何か知っていて俺には隠していやがるな、こいつら)
明らかに確信犯である親友達。
然も、ラインハルトに至っては立派な前科持ちなのを忘れてはいけない。
そもそもが西部方面域総司令官に任じられた経緯からして、事前に何一つ知らされず、ガリュードとラインハルトの思惑に踊らされる羽目に陥ったのだから。
どんな隠し事をしているのか、今度こそ暴いてくれる……。
そう意気込む達也だったが敵もさるもの引っ搔くもので、強かな名指揮官二人の反応も旋風の如き素早さだった。
「なあ、ライン……」
親友の仮面を被った不義理な輩を問い詰めようとした途端、スクリーンがブラックアウトしたかと思えば、ラインハルトの姿が掻き消えてしまう。
「お、おいッ! こらぁ待てぇッ! ちっくしょうッ! 通信を切りやがった! ラインハルトの奴めぇ~~通信士ッ! 急いで回線を繋げ!」
総司令官閣下の怒涛の剣幕に恐れ戦いたオペレーターが慌ててパネルを操作するが、一向に通信が回復する気配はない。
「だ、駄目ですっ! 全ての周波数による通信は途絶しており、強制通信用の回路も遮断されております……事実上完全無線封止状態です」
「ば、馬鹿かアイツは! 不測の事態が起こったらどうするつもりなんだ?」
あまりにも非常識な暴挙に呆れ返る達也だったが、気を取り直して背後に控えているエレオノーラに追及の矛先を向けようとした。
だが、振り向いたそこに艦長である彼女の姿はなく、ブリッジにいた他の人間が誰一人として気付けないほど鮮やかに、まるで煙の様に忽然と消え失せてしまったものだから、驚くやら呆れるやらで……。
「りっ、立派な職場放棄だよな……これ!?」
もはや純粋な憤りに身体を震わせる司令官閣下は、未来の不安要素を詳らかにする為、全乗組員に厳命を下した。
「全艦に通達する! グラディス艦長を早急に確保、私の前に引きずり出せッ! 草の根分けても探し出すのだぁッ!」
如何にシルフィードが弩級戦艦といえど、所詮は密閉された狭い空間である。
乗組員総出で捜索する以上捕縛は時間の問題かと思われたが、その楽観的な予想に反して行方は杳として掴めなかった。
土星のアトラス基地に帰還してからも彼女は姿を現さず、何か不測の事態に巻き込まれたのではないかと、部下達の間で不安の声が上がる始末。
だが、作戦後の各種雑事の処理を終えた達也が、地球統合政府との折衝のためにアトラス基地を出発する際の見送りの人並みの中にいたのは、紛れもなく行方不明中のエレオノーラだった。
シャトル機内で地団太を踏んで悔しがる達也に向けて投げキッスをひとつ。
そして彼女の周囲に群がっては、今まで何処にいたのかと問い詰める幕僚連中に妖艶な微笑みを浮かべて宣ったのだ。
「いい女はね……秘密を纏って美しく咲きほこるものなのよ」
この台詞は彼らを大いに憤慨させたのだが、女性士官らを中心に下士官連中にはすこぶる好評であり、羨望と共に長く語られるのだった。
◇◆◇◆◇
結婚したとはいえ新居に引っ越した訳ではなく、白銀家は以前と同じマンションの並びの物件をそのまま使っており、今後、銀河連邦軍西部方面域司令部が何処へ拠点を定めるかで、達也の勤務先も変わる為に暫くは現状のまま我慢しようと決めていた。
大人二人に子供三人の家族構成では2LDKの物件は手狭だし、ヒルデガルドが料理目当てに頻繁にお泊りに来るとあれば尚更だ。
その結果、達也が借りた物件を夫婦で使い、クレアの方は子供部屋と食事を含め家族で団欒を楽しむ空間として使用している。
そんなささやかな問題とは別に、ラインハルトやエレオノーラ同様、愛する夫がこの先難しい選択を迫られるのを知っているだけに、それを隠している事をクレアは申し訳なく思っていた。
正式に発表があるまでは……と、アナスタシアに口止めされてはいるが、周囲の思惑から逃れられない達也が不憫でならない。
だが、彼自身が軍を含む銀河連邦という組織の改革が必要だと考えている以上、アナスタシアとヒルデガルドの策は不可欠だとクレア自身も理解せざるを得ず。
だからこそ、申し訳ないと思いながらも気まずさに耐えているのだが、彼女が殊更にネガティブになっているのは、別の理由があるからに他ならない。
土星宙域の大海戦から早くも五日が経過しているにも拘わらず、地球を中心にした太陽系内の混乱は未だに終息する気配すらなく、寧ろ、過激化して騒乱に発展する気配すら見せ始めていた。
自分達が選んだ大統領が今回の事件の首謀者だったという事実は、太陽系全域に瞬く間に伝播し、全ての地球人類を震撼させたのである。
事件の経緯が徐々に明らかにされ情報が開示されていく中で、人々の驚きが怒りへと変貌していったのは想像に難くないだろう。
大統領の暴走を止めるどころか、好いように手玉にとられた統合政府や議会と、多くの同調者を出して機能不全に陥った地球統合軍は、とりわけ激しい非難に曝され続けていた。
幸いにもバック大統領が早々に捕縛された為、彼の影響下にあった反乱軍人達は主導権を取り戻した主流派によって制圧され、現在統合軍は正常な状態を取り戻している。
その一方で怒りが収まらないのが、木星と土星の独立公社に属し地球の為に資源開発と採取作業に従事している人々だ。
危険と背中合わせの過酷な環境下で日々地球の為に尽くして来たにも拘わらず、生贄同然の扱いを受けて危うく海賊連中への貢ぎ物にされるところだったのだから、その怒りも無理はないだろう。
当然ながら、地球統合政府に対する彼らの怨嗟は極限まで高まり、地球との関係を清算して銀河連邦評議会と通商条約を批准するべきだとの意見が大勢を占めたのは必然だったのかもしれない。
それは、統合政府に見切りをつけ、銀河連邦の庇護の下で新しい未来を模索するべきだとの声が大勢を占めた結果に他ならないのだが、この騒動がクレアを不愉快にさせる最大の原因となっているのだから、世の中とは儘ならないものである。
地球統合政府は独立公社の不満を抑え宥める為に、在ろう事か銀河連邦軍。
所謂西部方面域総司令官である白銀達也大将にこそ非があると言い出したのだ。
彼らの言い分は、今回のバイナ共和国の侵略行為を事前に察知しておきながら、銀河連邦評議会の一員でもある地球統合政府に情報の提供すらせず、徒に太陽系を危地に追いやったという難癖に等しいものだった。
バック大統領の罷免に伴い、統合憲章に定められた手続きに沿って臨時大統領に昇格した前副大統領が声高に遺憾の意を表明するや否や、政府高官と官僚らが揃って反白銀達也の意志を明確にし、露骨な批判を繰り広げているのだ。
(国家元首が裏切り者だったのを見抜けず、何一つ決められずに、その悪党に全権を一任したは何処の誰なのよっ!?)
戦闘が終了して以降、TV番組は土星海戦とその後の騒動の報道番組一色で塗り潰されており、保身の為に統合政府や議会を擁護する身勝手な連中に対し、クレアは何度胸の中で悪態をついたか分からない。
子供達の手前、怨嗟の言葉を口に出すような真似はしなかったが、賢く教養もあるユリアや、達也と共にいた時間が一番長いティグルは、嫌悪感に顔を強張らせる場面が何度もあった。
尤もさくらは難しい大人の言い分などは理解できず、敵司令官と達也のやり取りを記録した映像が流れる度に、満面に笑みを浮かべて喜んでいたのだが……。
その所為か、ユリアもティグルも妹の想いに水を差すような事は一言も口にしなかった。
その子供達も今は安らかな眠りの中にいる。
(夢の中でお父さんに逢えると良いわね……)
子供達の無邪気な寝顔に心癒されながらも、クレアは切にそう願わずにはいられなかった。
子供部屋の扉をそっと閉めてリビングに戻った時には既に日付が変わっており、ここ数日の緊張から解放されたクレアも軽い疲労を覚えている。
幸い明日は日曜日だし、帰宅できない達也に代わって子供達を遊びに連れて行ってやろうか……。
そんな事を考えていると何処か遠慮がちに玄関の呼び鈴が鳴り、クレアは思わず顔を上げていた。
こんな深夜に来客などある筈もなく、ならば呼び鈴を鳴らす人間はこの世に一人しか存在しない。
玄関ホールに駆け込むや、確認もせずに電子ロックを解除してドアを押し開けたクレアは、そこに夢にまで見た待ち人を見つけて感嘆の吐息を漏らしてしまう。
「あっ……あぁ…………」
次に逢えた時には言いたいと思っていた事が沢山あった。
聞きたい事も、知りたい事も、そして感謝を……。
だが、いざ再会を果たしてみれば何も言葉にならず、只々喜びで胸が一杯になってしまう。
「ただいま……こんな時間に悪いとは思ったんだが、早く君の顔が見たくてね」
柔らかい笑みを浮かべる達也が、何処か照れ臭そうに気障な台詞を口にする。
感極まって裸足のまま飛び出したクレアは、愛しい夫に抱きつくや、その逞しい胸へ顔を埋める。
「馬鹿ね……ここはあなたの家じゃありませんか。何を遠慮しているの? 時間なんか関係ない……無事に帰って来てくれただけで……私は……」
泣いては駄目だと思いながらも、優しく抱き締められて感じる温もりに心を揺さぶられ、涙が滲むのを堪えられない。
「心配ばかりかけてすまない……でも、やはり待っていてくれる人がいるというのは嬉しいものだね。自分がどれほど恵まれているか良く分かるよ」
柔和なその声からは心から安堵した心情が窺えて、クレアは微笑みを以て感謝の言葉を返した。
「お帰りなさいあなた。戦勝おめでとうございます。それから私達を護ってくれて本当にありがとう……逢えるのを待ち侘びていたわ」
どちらからともなく顔が接近し唇が重なり合う……。
暫しの間、お互いの存在を確かめ合うようにくちづけを交わしたふたりは、名残惜しげに抱擁を解いた。
「さすがに子供達はもう休んでいるのかな?」
「二時間程前までずっとニュースを見ていて、あなたの映像が出る度にTVの前でみんな大騒ぎしていたの。そうだわ! 起こしてきましょうか? きっとあの子達も喜びます」
クレアが喜色を浮かべて提案したが、達也は小さく左右に首を振る。
「その必要はないよ。明日は午後から用事があるだけだから、朝方はずっと家にいるしね。挨拶はその時で良いさ……それよりも少し話さないかい? 騒がしくして子供達を起しては可哀そうだから、向こうで……」
何処か照れ臭そうに隣の自分の部屋のドアを見る達也。
一応夫婦の生活空間になっているが、寝室を含めてふたりだけで使ったのは一回しかない。
達也からの遠回しのお誘いだと思い至ったクレアは、思わず頬を染め半眼になって夫を見据えるや、詰るかのような物言いで訊ねた。
「た・つ・や・さん……まさか、そんな事の為だけに態々帰って来たのですか?」
「ち、違うッ! そりゃぁ、君と一緒に居たいと思ったのは事実だが……俺達さ、普通の恋人同士みたいにデートもしてないだろう? だから、もっと君と恋愛をしたい……そう思ったんだ。夫婦だからこそ互いに恋する気持ちを大切にするべきじゃないかと考えたら、居ても立っても居られなくてさ」
その言い訳じみた台詞に虚を突かれたクレアは、更に顔を朱に染めてしまう。
随分と密度の濃い体験の連続だったが、確かに出逢って三ケ月にも満たない短い時間がふたりの全てだった。
早々に籍を入れたのを後悔している訳ではないが、恋人同士の時間がもう少しぐらいはあっても良かったかな……そう考えると妙に心が浮き立ち、世情の柵など雲散霧消したような気がしてならない。
(本当に不思議な男性……誰に聞いても無精者の朴念仁だと言われているのに)
達也の提案をクレアは素直に素敵だと思ったし、何よりも自分と恋愛をしたいと言ってくれた愛しい旦那様の気遣いが嬉しかった。
だからこそ、今まで言わずに胸の奥に秘めていた想いを吐露したのである。
「恋愛ね……少し照れてしまうけど素敵だと思うわ。でも、ひとつだけ我儘を言っても良いですか?」
居住まいを正し真っ直ぐに視線を向けて来る妻に達也は頷いた。
「構わないよ……俺にできる事なら努力を惜しんだりしない。約束する」
満足いく回答を得て納得したのか、クレアは再び縋りつくように身体を密着させるや、気恥ずかしそうな顔を上げて最愛の夫を見つめる。
妻の瞳に涙が滲んでいるのを見た達也が、何事かと身体を固くすると……。
「お願いですから私をひとりぼっちにしないで下さい……大切な人を亡くして一人残されて泣くのはもう嫌です……たとえ愛しい子供達がいても、あなたの代わりにはならないから……だから一日で良い。私よりも長生きしてください」
死んだ筈の前夫は生きていたとはいえ、真実は彼女にとって余りに残酷だった。
然も、その真実を知る術もなかったクレアは、最愛の夫を喪った痛手を嫌というほど味わっただけに、人の死に対して臆病になる気持ちは充分に理解できた。
だからこそ、死と隣り合わせの軍人にとって安請け合いだと批判されるのを覚悟の上で、達也は妻の懇願を受け入れたのだ。
「いいよ……俺は戦場では死なない。必ず君や子供達のいる場所に帰って来る……そして君が天に召される時は必ず傍に居るよ。約束する」
それが口先だけの約束ではなくて、本気で自分の願いを受け入れてくれたのだと察したクレアは、心が奮えるほど嬉しくて歓喜に咽てしまう。
「ありがとう……私は幸せだわ。あなたのような男性に巡り逢い結婚して夫婦になれた。そしてこれからも恋ができるなんて……だから二人で百年の恋をしましょう達也さんと私。ふたりでずっと……」
クレアの返答に達也は微笑みを返しただけで何も言わなかった。
これ以上の言葉など何も必要ないのを分かっていたから……。
だから相手の身体に廻した腕に力を込め、どちらからともなく唇を重ね合う。
まるでお互いの心の温度を確かめ合うかの様な甘く優しい抱擁だった。
◇◆◇◆◇
「ふみゅぅ……んんふぁ~~~ぁぅ……はふぅぅ」
心地よい温もりを顔に感じたさくらは、微睡から目を覚ます。
カーテンの隙間から差し込む柔らかい陽光が『早く起きなさい』と促すかのように顔を照らしてくれている。
可愛らしい口をムニャムニャと動かしながら寝ぼけ眼を擦り、上半身を起こして隣に目をやるがそこにユリアの姿はなく、代わりに姉が愛用しいる花柄のパジャマが綺麗に畳まれて置かれていた。
最近は人型で過ごす時間が多くなったティグルは、二段ベッドの上段を占拠しているのだが、いつもは五月蠅く感じる寝息が聞こえてこない。
(あれぇ~お姉ちゃんもティグルも、もう起きちゃったのかなぁ~。どこに行ったんだろぉ)
うつらうつらと夢と現実の間を行き来していたさくらの脳裏に、大好きな姉兄の行き先が天啓の如く閃き、眠気など一瞬で吹き飛んでしまった。
(そうだぁ! 昨日みたいにTVにお父さんが映っているから、二人とも早起きしたんだぁ、もうっ! さくらも起こしてくれたらいいのにぃ!)
幼い彼女にとって自ら導き出した答えは世界の常識であり、真理でもある。
薄情な姉兄に置いてきぼりにされたのだと憤慨し、慌てふためいてベッドを飛び降りるや、パジャマ姿のまま子供部屋から駆け出した。
この数日の間テレビの話題を独占しているのは先日の騒乱の事ばかりで、当事者の銀河連邦軍艦隊司令官である達也の映像や、傍受された敵軍司令官との遣り取りが再三に渡って放映されている。
真紅のコートを纏い毅然とした姿でTVに映っているお父さんの姿は、さくらにとって羨望を懐くには充分なものであり、大騒ぎして燥いでは、母や姉兄を苦笑いさせていたのだ。
一刻も早くリビングへ行かないと……。
気持ちばかりが逸ってしまい、パタパタと小走りに廊下を駆けてキッチンに飛び込んだ。
ママが朝食の準備をしているらしく、パンが焼ける香ばしい匂いや、大好物の甘々ホットミルクの香りに鼻孔を擽られるが、そんな香しい誘惑さえも、お父さん大好きのさくらを振り向かせる事はできなかった。
「ママぁ~~おっはよぉ──ッ!」
顔も向けずに挨拶だけ口にするや、そのまま右隣のリビングに駆け込んでTVの前に座り込み、気忙しげにリモコンを操作しては、次々にチャンネルを切り替えていく。
既にユリアやティグルの存在は頭の片隅にも残っておらず、周囲に姿が見えないのにも疑問を懐かない。
暫くリモコンを弄っていたが、間が悪いのか早朝である為か、御目当ての映像は見つからず、さくらは唇を尖らせて拗ねてしまった。
「あ~~ん……達也お父さん、出てないよぉぉ……」
不満げに文句を言いながらも諦めずにリモコンを操作しようとするさくらだったが、背後から掛けられた声に驚いてしまう。
「そりゃぁねぇ。今はさくらの後ろにいるからね。TVの中を捜してもお父さんは見つからないよ。おはよう。昨夜はよく眠れたかい?」
聞き間違える筈もない優しい声で呼び掛けられたさくらは、反射的に振り返った視線の先に待ち焦がれていた父親の姿を見つけて歓声を上げた。
「わあぁ────ッ! お父さんっ、帰っていたんだぁ────ッ!」
リモコンを放り投げるや、体当たり同然の勢いで飛びかかって来た愛娘を難なく抱きとめた達也は、軽々と片手で抱えて自分の右太腿に座らせてやる。
「昨夜遅くに帰って来たからね、みんな気持ち良さそうに寝ていたから、起こさなかったんだ……それにしても、さくらぁ? 女の子が朝起きて早々にパジャマ姿でバタバタ走り回るのは、お父さん感心しないなぁ~~」
達也が意地悪く言うと、隣でスクランブルエッグを作っていたクレアが微苦笑を浮かべ、愛娘を揶揄うようにお説教する。
「ちゃんと相手の顔を見て挨拶しなさいと何度も教えたでしょう? それが出来ていれば、お父さんに笑われなかったのにねぇ~~~さくら?」
両親から注意されたさくらは失敗を誤魔化すかの様に照れ笑いを浮かべ、父親の胸に顔を埋めて言い訳をしたのだが……。
「いっ、いいんだもん……明日からちゃんとするからぁ~~ほよっ?」
その時になって漸く自分の隣……つまり、お父さんの左太腿にチョコンと座らされているユリアに気付いて目を瞬かせてしまうさくら。
然も、対面の席で我関せずとばかりにカリカリベーコンを貪るのに忙しいのは、他でもない人化したティグルだ。
取り敢えず食い意地が張った幼竜は放っておいて、隣の姉に視線を戻してみれば驚いた事にユリアは真っ赤に顔を上気させており、もしかして風邪でも患って熱が出たのではないかと心配したが、それは杞憂だと姉自らの台詞で気付いてしまう。
「お、お父様ぁ~~もう許して下さい……恥ずかしいですぅ~~もう、勝手な事はしませんからぁ……」
何時も物静かで優しい姉が、テレテレのアワアワ状態で情けない声を上げ身体を捩っている。
しかし、達也はニマニマと口元を綻ばせ、彼女のお腹辺りを押さえて解放し様とはしない。
「だぁ~~めです。あの時、嘘をついた罰だから我慢しなさい。救けて貰ったのは嬉しいが、危険があるのを隠していたのはいけない事だ。君に万が一の事があったら、ここに居る全員が悲しむのだからね?」
「うぅぅ~~お父様が心配で……もぅっ! お父様は意地悪ですぅ……」
可愛い両手で顔を覆い抗議するユリア。
さすがに見かねてクレアが助け舟を出してやる。
「もう~~あなたったら……いくら子供達が可愛いからといって、あまり甘やかしていると親離れができなくて困りますよ? あぁ、そうねぇ……うちの場合はパパが子離れできない口かしら?」
さすがにこの言い種には達也の方が脱力してしまった。
「お、おいおい……人聞きの悪い事を言わないでくれ。俺にだって常識というものがだねぇ~~あっ、しまった……」
嫌そうな顔で愛妻に文句を言う隙を衝かれてユリアの逃亡を許してしまい、達也は苦笑いするしかない。
愛娘は素早くクレアの陰に隠れて真っ赤な顔だけ覗かせるや、『べ~っ』と舌を出し、照れ隠しに怒って見せるのだった。
眩しい笑顔が絶えない愛妻と娘達、そして泰然として食い気優先の一人息子。
自分には縁のないものだと、半ば諦めていた光景が目の前にある。
仕事も正規の官職を得て流浪生活の『日雇い提督』から脱却できたし、順風満帆の道が開けたのも全て家族のお蔭だと、達也は心から感謝するのだった。
しかし、そんな幸せな時間が幻に帰すのは一瞬だった。
正に『好事魔多し』を絵に描いたような悪夢に達也は見舞われたのだ。
『番組の途中ですが只今速報が入りました。本日未明。銀河連邦最高評議会が声明を発しました……まず、会見の映像を御覧下さい』
点けっ放しにしていたTVが臨時ニュースに切り替わり、緊張したアナウンサーの声を耳にした達也は、何気なく画面に視線をやって驚きに目を剥いてしまう。
そこには最高評議会議員にだけ許された重厚な純白の法衣を纏ったアナスタシア・ランズベルグが、大勢の報道官が押し掛けた会場で会見を開いている姿が映っていたからだ。
『西部方面域に於ける今回の騒乱で敵勢力を駆逐せしめ。銀河連邦の版図を大きく拡大させた功績を称え、方面最高司令長官白銀達也銀河連邦宇宙軍大将に対して、我が最高評議会は【神将】の称号と貴族位を下賜する』
平然とした顔で告げられた決定事項に会見会場は大きなどよめきに包まれたが、それ以上に仰天したのは他でもない達也だ。
「はあぁぁ──ッ? 何言ってんだあの人はぁッ!【神将】って……あの婆さん、いや……きっとヒルデガルド殿下も共犯だな!!」
まさに天国から地獄とはこの事か……。
達也は脱力して椅子の背に凭れ、呆然自失の体で天井を見上げるしかない。
口では文句を言いながらも、性格も考え方も知り尽くし、敬愛して已まない二人の女傑の思惑を達也は一瞬で理解した。
(軍制改革をやるのならば内からでは駄目だと? つまり軍の柵がない外部の立場で成せという事か…………)
彼女らのそんな思惑は理解できたが、それを納得できるかどうかは別問題だ。
以前達也が聞きかじった限りでは、【神将】という称号は名誉より悪名の色合いが濃く、軍人としては決して喜ぶべきものではないと承知していた。
それに称号を賜るのと同時に【大元帥】に任じられ、軍内で位階を極めるのだが、退役軍人と引き比べてもその立場に大きな差はなく、命令権を持たない名誉職として広報活動などに従事するものだと聞いている。
(重要な案件は事前に本人に一言相談するという常識人が、何故俺の周りにはいないんだ?)
腹が立たないと言えば嘘になるが、心配げに自分を見ている家族をこれ以上不安にさせない為にも、達也は努めて明るい口調で言った。
「ごめんクレア……当分『日雇い提督』からは抜け出せそうにない。色々と苦労を掛けるだろうが許してくれ」
アナスタシアから今回の件を聞かされていただけに、何と言って慰めれば良いのか分からないクレアは曖昧な笑みを浮かべるしかなく、ユリアやさくらも不安げな顔をしている。
先程までの楽しげな雰囲気が、重苦しいものに取って代わろうとした時だった。
それまで食い気一辺倒だったティグルが顔を上げて破顔するや、ソースで汚れた儘の口を大きく開けて言い放ったのだ。
「何を情けない顔しているんだよ達也……じゃなかったパパさん。『日雇い提督』上等じゃん! 今までも誰にも真似できない事をやり遂げてきたじゃないかっ! たとえ他人がどう言おうが、パパさんは俺達家族にとって、この世にたったひとりしかいない英雄なんだからさ……胸を張ってくれよ」
さすがにキザな事を言ったという自覚はあるようで、ティグルは色白の顔をほんのりと朱に染めて横を向いてしまう。
反対に達也の方が照れ臭くて苦笑いを浮かべたのだが、クレアは救われた気分で微笑みを浮かべた。
「馬鹿竜のくせに生意気な……でも、お父様が私達にとって英雄であるという意見には全面的に賛同しても……いいです」
ユリアは澄まし顔でそう言ってくれたが、達也の上に鎮座しているさくらだけが困惑した顔でティグルに訊ねる。
「ねぇ……ティグルぅ~~えいゆーって、何なのぉ?」
「英雄ってのはな、さくらが大好きなヒーローの事だよぉッ!」
そう断言して力強いサムズアップを決めてやると、さくらは今度こそ理解したらしく、達也の首に抱きついて燥ぐのだった。
「そうだよ! 初めて逢った時から達也お父さんはさくらのヒーローなんだもん! だから、だぁ~~い好きだよぉ──ッ! お父さんッ」
そして最後にクレアが満面の笑みを浮かべて言葉を掛けてくれた。
「何も卑屈になる必要はないわ……子供たちの言う通りです。あなたこそが私達の英雄ですもの。達也さんと共にいるのを私達が苦にするなんて有り得ないわ……。だから、御自分が信じる道を歩いて下さい。私達はずっとついて行きますからね」
家族みんなの気持ちが嬉しくて思わず目頭が熱くなったのを知られまいと、達也は顔を天上へと向けた。
(そうか……そうだよなぁ……家族が俺を必要としてくれる事こそが、何にも勝る名誉じゃないか。それさえあれば他には何も要らないさ)
一度だけ目頭を拭った達也は家族全員を見廻してから、殊更に大きなゼスチャーで本日のプランをぶち上げたのだ。
「今日は仕事はやめだッ! 朝食が済んだらこの前の約束通り、みんなで遊園地に遊びに行こうか!?」
当然のように子供達は大喜びで歓声をあげ、クレアも呆れながらも反対はせず、寧ろ乗り気で心を弾ませる。
これからも、様々な困難に見舞われるのだろうが、この家族と一緒なら乗り越えていけるし、みんなの為ならば自分に不可能はない。
根拠も何もない戯言だと人は笑うかもしれないが、達也は確信と共にそう思うのだった。
この後銀河系は未曾有の騒乱の渦に巻き込まれていくのだが、それは同時に後の世で英雄と称えられる男と、彼を支えた家族と仲間達の英雄譚の幕開けだったのである。
日雇い提督は仁愛を得て英雄に至る・第一部 ~ 完 ~
この拙作に最後まで御付き合い下さいました皆さま方に、心から感謝して第一部を終了させて頂きます。本当にありがとうございました。
追記
令和5年11月12日。『日雇い提督は仁愛を得て英雄に至る』、全96部分の、漢字のルビ振りと加筆修正が終了いたしました。
お陰様で只の落書きから、素人のヘボ小説程度にはなったのではないかと思います。
修正前の落書き作品に根気よく御付き合い下さいました読者の皆様方には、心から感謝申し上げると共に御詫びするしかありませんが、これに懲りずに引き続き第二部にも御越し戴けたら嬉しいです。
第二部『梁山泊編』も、冒頭から加筆修正するつもりですので、どうか宜しく。
たくさんのブックマークとポイントをありがとうございました。




