第二十二話 日雇い提督は仁愛を得て英雄になる? ③
太陽系に生きる全ての人々が固唾を呑んで見守るなか、地球圏の命運を左右する議論が交わされている安全保障理事会は、深夜に及ぶ今も審議が継続していた。
この様な事態に至った経緯や統合政府の初期対応の是非、はたまた、国家防衛を担うべき軍の脆弱な実相に対する非難……。
意見は百出するも、突きつけられた降伏勧告への言及は驚くほどに少ない。
それもこれも議員達が自身の責任回避に汲々とし、低俗な告発合戦を繰り広げているからに他ならなず、その不甲斐ない様子を目の当たりにした国民の間に憤懣の声が満ちたのは、至極当然の結果だろう。
ライブ中継されている議場の映像を熱心に見ていたクレアも、愚にもつかない責任転嫁に終始する政治家らの姿勢には、大いに憤りを覚えずにはいられなかった。
(土星や木星の厳しい環境下で懸命に働いている同胞達が窮地に立たされているというのに……今更責任の所在を問うて何になるというの?)
その悲憤は彼女だけが懐いたものではなく、この陳腐な猿芝居を見せ付けられている全人類共通の想いに他ならない。
実際問題として明朝には圧倒的戦力を誇る侵略軍と対峙しなければならない土星木星独立公社の代表や理事らは、地球統合政府に対して、統合軍艦隊の防衛出動を再三再四要請し続けている。
だが、それに対する回答は『安全保障理事会の決定待ち』という文言が繰り返されるのみで、一向に埒が明かない有り様だ。
この統合政府の迂遠な対応は、報道に携わる民間会社がその垣根を取り払って迅速に協力し合い、地球を含む太陽系の各惑星に拡がる各社のネットワークを開放したのとは雲泥の差だった。
そのお陰と言えば不遜だが、土星と木星を統括する独立公社からの統合政府への烈火の如き怒りや、逃げ場のない在留住民の悲嘆に暮れるさまがダイレクトに報道され、それが、却って見る者の痛哭の涙を誘ったのである。
資源採掘に従事する十万人の労働者と、その家族合わせて四十万人以上。
その他、政府の出先機関や日常生活をサポートする人員も五万人以上。
その五十万人にも届こうかという同胞が、保有船舶と退避に必要な時間的猶予が足らないばかりに、明日には戦場になるであろう場所に取り残されているのだ。
そして、統合政府の御粗末な対応が仇となり、退避も儘ならずに侵略軍の暴威に直面させられているのだから、その事実に憤りを覚えない者はいなかった。
それはクレアも同じであり、同胞を救いたいと願う気持ちは強くなるばかり。
だからこそ、この期に及んでも臆病なまでに慎重な姿勢を崩さない統合軍上層部には、深い失望を懐かずにはいられなかった。
だが、議会の承認もなしに軍が勝手に動けば、それはシビリアンコントロールを無視した危険な反乱行為だと糾弾されるのは必定。
良くも悪くも、軍やそこに所属する軍人は法によって縛られており、それを無視して勝手に動く事は許されてはいないのである。
その理屈も分かるからこそ、クレアは葛藤せざるを得ないのだ。
儘ならない我が身の不自由を嘆くしかないクレアが、リビングを出て子供たちの部屋のドアをそっと押し開くと、隙間から差し込んだ微かな光が、仄暗い室内の 様子を浮かび上がらせた。
やや大きめのセミダブルのベッドの真ん中辺りで、ユリアとさくらが寄り添って穏やかな寝息をたてている。
年相応のあどけない寝顔の二人は手を取り合っており、姉妹仲の良さを見せ付けられたような気がして、クレアも柔らかい微笑みを浮かべずにはいられなかった。
(幸せ過ぎて怖いくらい……こんなにも恵まれていていいのかしら?)
今この時も土星や木星では、さくらやユリアと同じ年端もいかない子供達が不安と恐怖に晒されて怯えているのだと思えば、やはり胸が痛んでしまう。
一刻も早く無意味な議論を打ち切って、救援艦隊の派遣が決まれば良いと思うが、今の議会や政治家にそれを望むのは無理なのかもしれない。
となれば、最後の希望は土星宙域に再配備された銀河連邦宇宙軍艦隊……つまり達也が率いる艦隊しかない。
侵略してきたバイナ共和国軍の艦隊規模を考えれば、良くない未来ばかりが脳裏を過り、激しい不安に苛まれてしまう。
(信じると決めたんでしょう!? 達也さんの事を……しっかりしなさい!)
弱気を振り払い自分を叱咤した時、ベランダに続くガラス戸が開いて、人化したティグルが満足げな表情で部屋に入って来た。
「まあっ? 姿が見えないと思っていたら……何処に行っていたの?」
驚いてそう訊ねると、ティグルはバツが悪そうに苦笑いして頭を掻きながら弁明する。
「えへへへ……ごめんよママさん。ちょっと小腹が空いてさ……海で魚を……」
「あら、あらっ、こんなに遅くに? 遠慮なく言ってくれていいのよ? 幼くてもあなたは竜種なんだから……それに、我が子に空腹を我慢させるなんて、母親としては悲しいわ」
そう言ってクレアは自分の半分ほどの背丈のティグルを抱き締めた。
「あ、あははは……大袈裟だなママさんは。でも、それはパパさん、いや、達也も同じだったっけ……」
「あの人が?」
珍しく照れ臭そうに小首を傾げるティグルの態度に興味を覚えて問い返すと、 彼はクレアから離れてソファーに腰を降ろした。
「もう聞いていると思うけどさ……俺は卵の状態で密売組織に捕獲されていた所を達也に救けて貰ったんだよ。だけど、俺が孵化して希少種の幼竜だと知れた途端、生物研究局や民間の研究機関が俺を研究物件……所謂、モルモットにするから引き渡せと要求して来たんだ」
さすがにそれは初耳だったが、現在でも正式な血統種族が判明していない希少種であるティグルならば、それも有り得る話だと思った。
しかし、達也がどの様な返答をしたのか、クレアは直ぐに察してしまう。
「ふう~~ん……それは大変だったわね。でも、あの人は……達也さんなら断固として拒絶したでしょう?」
ティグルはそう問われ、本当に嬉しそうな笑みを浮かべて大きく頷いた。
「そうなんだッ! 『こいつは俺の家族だ! 子供を売り飛ばす父親が何処の世界にいるんだ! バカヤロー!』って……毎度毎度、引き渡しを要求する役人を怒鳴りつけてさ。散々揉めた末に強引に所有権を認めさせてしまったんだ」
「嬉しかった?」
クレアの問いにティグルは顔を赤くしながらも素直に頷く。
「役人達はさ、出生を明らかにして同族の住む星に帰すべきだ、それがこの幼竜の幸せだって言ってたけど、俺は達也がいい……俺を家族だって言ってくれた達也と一緒にいたい……そう思ったんだ」
ティグルは一旦言葉を切ってから、クレアに優しい視線を向けた。
「ママさんも同じだ……人間じゃない俺を自分の子供だって言ってくれた。だからユリアは姉さんに、さくらは妹になってくれた……俺、本当に良かったよ。達也に出逢えて、ママさんに出逢えて、そして家族にして貰えて本当に良かった」
クレアは小さく頭を振るや、愛おしげに再びティグルを抱き締めてやる。
「私もよ……ティグルに出逢えて家族になれて本当に嬉しいわ。でもね、自分を『人間じゃない』なんて言っては駄目よ……種族なんか関係ない、共に同じ時間を家族として過ごす……それが一番大切なんですからね」
「う、うん……ママさん……達也、いや、パパさんを信じてやってくれよ。あの人は本当に凄いんだ! だってさ……」
そこからはティグルの独演会だった。
今まで達也が階級や経歴を秘密にしていた為に、ティグルも迂闊な事を喋らないようにと念押しされていたのだが、それが解禁された以上は遠慮は要らない。
ティグルはクレアを相手にして、舌鋒鋭く講談さながらの思い出語りを披露するのだった。
一緒に暮らし始めてから今日までの七年間。
銀河系中を転戦しながらも、楽しく過ごした日々。
不利な戦況を何度も引っ繰り返し、数多の悪党を叩きのめした胸のすく様な話。
伝えたい事は山ほどあるのだが、さすがに疲れたのか何時しか幼竜の姿に戻ったティグルは、そのままクレアの膝の上で眠りについたのである。
そんなあどけない我が子の小さな身体を優しく撫でてやりながら、自分は本当に恵まれた人間なのだと、クレアは改めて心に刻んだ。
そして、この世でたったひとりの……自分が選んだ伴侶への想いを強くしたのである。
(何も心配する必要はない……どれほど絶望的で困難な状況でも、達也さんならば必ず勝つわ。そして私達家族の待つ場所へ帰って来ると信じている)
クレアが秘めた決意を強く心に刻んだのと同じ頃、延々と続いていた安全保障理事会は漸く終幕を迎えていた。
ドナルド・バック大統領の目論見通りに『大統領一任』という最終提案に全議員が同意したのだ。
その結果、バイナ共和国からの降伏勧告に対する返答は、本日午前九時に大統領自らの演説によりなされると報道官から発表された。
地球人類の命運を決するまであと五時間あまり……。
最後に笑うのが誰なのか? それは神のみが知る事なのかもしれない……。




