第二十二話 日雇い提督は仁愛を得て英雄になる? ②
太陽系への敵艦隊の侵攻を許し、あまつさえ降伏勧告まで突きつけられて騒然となる地球統合軍だったが、寧ろ、統合政府並びに議会の方が軍部以上に混迷を深めていた。
侵略の意志を露にした大艦隊が冥王星宙域に出現したとの報を受けたドナルド・バック大統領が、直ちに緊急安全保障理事会を招集した為、各地区の代表理事らは緊急参集を余儀なくされたのである。
第一報から二時間後には全理事が議場に到着し、バック大統領を議長に選任した後、緊急安全保障理事会が開会した。
今回の未曾有の危機に際し広く国民にも状況を周知させる為、議場の傍聴席には多数の報道陣やTVカメラの入場が許可され、理事会の模様を太陽系全域へ中継する手筈が整っていたのである。
だが、それは、国民の心情を慮って、その不安を少しでも和らげようという高邁な配慮によるものではなかった。
※※※
バック大統領は壇上の高い位置にある議長席から議場を見渡しながら、込み上げて来る笑いを噛み殺すのに苦労していた。
ほんの少しでも気を抜けば、滑稽な罵り合いを繰り広げている議員達を指差して、大声で笑い転げてしまうに違いないからだ。
実際にやってみれば気分は良いだろうが、長年の苦労と引き換えでは割に合わないし、何よりも夢にまで見た悲願が水の泡になっては元も子もない。
だから、今にも零れ落ちそうな愉悦を必死で我慢しているのである。
現在議場で繰り広げられている舌戦の主題は『この様な事態に陥った原因は何なのか? その責任の所在は誰に帰すのか?』という愚者の猿芝居に他ならない。
目の前に迫り来る危機に対処するよりも、今日の事態を招いた自らの政治責任を回避するのに躍起な彼らの姿は、いっそ清々しいまでに滑稽だった。
余りにも見当外れな彼らの醜態を目の当りにした報道陣は呆れ果て、あまつさえTVの前の多くの国民が激しく憤っているのだが、自己保身に汲々とする議員らは、既に体裁すら取り繕う余裕がないのか、不毛な議論を止めようともしない。
(自分には責任はないと言い募る程にボロが出る。クックックッ……)
バック大統領が胸の中で嘯く通り、この場に集っている議員達は、五年前に起こった軍の新造艦隊襲撃事件の折、当時の政権執行部を糾弾して今の地位を得た成り上がり者ばかりだ。
『最先端技術開発で後れをとっている我々は、兵器製造分野に於いて圧倒的に優勢な銀河連邦宇宙軍とライセンス契約を結んでおけばいいのだ! たとえ一世代前の艦船とはいえ、自前で開発するよりも遥かに高性能だというではないか!』
『海賊や敵性国家からの脅威も薄く、主たる銀河航路からも外れている我が太陽系に過度な軍備は必要あるまい……まさに猫に小判だよ』
『その通りですわ! 軍備に無駄な金を使うぐらいならば、女性の自立支援の為のプロジェクトに余剰予算を割り振って下さいッ!』
『そもそも我々のバックには銀河連邦評議会がついておるのだ! いざという時の為に、安くもない協力名目の拠出金を支払っておるのだから、連邦宇宙軍を矢面に立たせれば良いではないかッ!』
『その通りであるっ! 軍備予算は大幅に削り、更なる経済発展を成し遂げる為にこそ予算をつぎ込むべきでしょうッ!』
過去に彼らが力説した言説の数々が大統領の脳裏に浮かんでは消えて行く。
(国防は国家の根幹を成す重大事なのだ。耳障りの良い美辞麗句を並べ、幻の如き《正義と人道》を口にして軍縮を強行。あまつさえ浮いた予算に群がって己の懐を温めたハイエナ共が、今更軍事力の整備が重要とはどの口が言うのだ? しかし、この者達が愚かなお蔭で、私の計画は成就するのだから、雀の涙程度の感謝はしてやるべきかな)
統合政府を牛耳る代表理事達の無能ぶりを白日の下に曝し、国民の信頼を失墜せしめる。
大統領はその目論見を果たすために、議会の生中継を許可したのだ。
そして、事態は彼の望む方向へと推移して行く。
今度こそ我慢出来ずに忍び笑いが漏れてしまい、バック大統領は片肘ついた右手で、さり気なく口元を隠し素知らぬふりをした。
(綺麗事を並べるしか能がない連中は、結局のところリスクを負う覚悟もなければ、自分の意志で何かを決める気概もない。最終的に『大統領一任』という無責任な選択に縋るしかないだろうて……)
数時間先には全会一致で可決されるであろう結果を見透かしているバック大統領は、隠した口元を綻ばせて含み笑いを漏らす。
その未来予想は彼の中では既に確定したものであり、それによって事態に対する決定権さえ握ってしまえば勝利は揺るがない。
そう確信した大統領は、勝者たる己の未来に陶然となり、胸の中で嘯いた。
(私はこんな小さな星の指導者で終わりはしない。今回の手柄を足場にして教団や帝国の中で重要な地位を得て昇り詰めてみせる……絶対にだ! だから、君達には心からの感謝を奉げよう! 愚昧なる政治屋諸君……)
どす黒い高揚感に身を焦がすバック大統領は、眼下で争う議員達を睥睨しながらも、野望を成就させる駒に過ぎない哀れな羽虫達へ感謝を奉げるのだった。
◇◆◇◆◇
この国難に際し、士官養成学校 伏龍も騒然とした雰囲気に包まれ、候補生達にも動揺が広がっていた。
参謀本部が作成した校則には『不測の事態に於いては、軍本部の命に服従しなければならない』と明記されており、防衛出動命令が発令された場合、要請があれば候補生であっても実戦部隊に特別配備される可能性がある。
然も、これは第一級の絶対命令であり、如何なる理由があっても拒否できない。
それ故、既に授業は中止されており、異様な熱気が充満する校内の彼方此方で、候補生達は、大型テレビや携帯端末から流れて来る虚実混合の情報を注視しながら意見を戦わせているのだ。
そんな中で蓮と詩織、そして神鷹とヨハンの四人は、六月には珍しい蒼天の下、屋上に陣取って状況の把握に躍起になっていた。
複数の情報端末を駆使して、TVの報道やネット空間の怪しいアングラ情報まで片っ端から精査しているのだが、どれもこれも信憑性に乏しく、真実を見極めるのは容易ではない。
「駄目だぁ~~ネットの中は巫山戯たデマを流す輩が多すぎて……こんなの本気にしていたら、地球はとっくの昔に占領されちゃってるよ」
神鷹が呆れたように溜息をつけば、憤りを露にしたヨハンも声を荒げる。
「馬鹿じゃねぇのかこいつら? 『抱腹絶倒!地球最後の日!』だと!? 自分達の母星が危機的状況なのに、おちゃらけていられる神経が信じられねぇよ!」
しかし、表情を曇らせた儘の詩織が溜息交じりの声で彼らを窘めた。
「みんな今の状況が信じられなくてテンパっているんだよ……ついさっきまで平穏な日常の中にいた筈なのに、気がついたら目の前まで侵略軍が押し寄せて来ているんですもの……パニックにならない方がどうかしているわ」
「た、確かに如月さんの言う通りかも……」
「まあ、言われてみればそうだよな……然も侵略軍は一千隻の大艦隊で、オマケに転移ゲートまで不調で救援は見込めないとなれば尚更か……」
詩織の言葉には、神鷹とヨハンも神妙な顔で同意するしかない。
統合政府は安全保障理事会開催中に、幾つかの情報を報道官を通じて公式に発表していた。
その内容は侵攻して来た敵はバイナ共和国軍であり、その戦力は一千隻程度という事と、太陽系内と周辺宙域に設置されている転移ゲートが一斉に機能を停止し、現状は使用不能であるという二点。
敵艦隊の規模も大問題だが、それ以上に転移ゲートの機能停止が齎す影響の方が深刻だった。
近隣の宙域に展開している銀河連邦宇宙軍の救援は事実上不可能となり、地球統合軍が保持する戦力と銀河連邦宇宙軍太陽系駐留艦隊の戦力のみで、圧倒的優勢なバイナ共和国軍を迎え撃たなければならないのだ。
この様な不利な状況にあっては、太陽系に住まう全ての国民の間に不安が拡がるのは致し方がなかった。
「なぁ、詩織……白銀教官やグラディス中佐は、もう太陽系を出られた後かな?」
それまで黙っていた蓮が、呟くような小さな声で問うと、詩織は暫し考え込んでから小さく左右に頭を振った。
「分からないわ……八大方面域の一つである西部方面域の戦力が大幅に削減されたばかりですもの。新戦力を支配宙域に分散せざるを得ない中で、教官達の赴任先が太陽系以外なら……」
現状、統合軍や銀河連邦軍駐留艦隊に勝ち目があるとは、御世辞にも言い難い。
バイナ共和国艦隊との戦力差を鑑みれば、味方が不利なのは一目瞭然だろう。
「太陽系内に残っている銀河連邦宇宙軍の艦隊はごく僅かだっていうしね。統合軍は作戦可能艦艇を搔き集めても三百隻が限度……両軍の戦力を合わせても敵の半分にも届かないのでは……」
神鷹が溜息交じりに愚痴を零すと、ヨハンが激昂して怒鳴りつけた。
「だからって! 降参しろっていうのかよッ!? バイナがグランローデン帝国の腰巾着なのは誰だって知っているだろうがッ! 此処で屈したら、地球は対銀河連邦の橋頭保にされて、グランローデン帝国に使い潰されてしまうぜ!」
「そんなのは言われなくても分かっているよッ! だが、転移ゲートが起動せず、援軍が期待できない現状ではっ!」
妙案がない現状に苛立ったのか、神鷹も珍しく言葉を荒げてしまう。
詩織が仲裁に入ってそれ以上の口論には発展しなかったが、蓮はそんな仲間達には目もくれず、自分の中に芽生えた非論理的な疑問に意識を奪われていた。
それは、【今回のバイナ共和国の侵略を白銀教官は知っていた……もしくは予想していた】のではないかという疑問だった。
こんな突飛な事を考えたのは、マンツーマンで戦闘機の操縦を教わっていた時の休憩時に達也と交わした雑談を思い出したからだ。
『司令官の仕事というか、最大の役目は何だと思う?』
そう達也から問われた蓮だが、訓練で搾られて疲れ果てた脳では良い思案などが浮かぶ筈もなく、『あ~~うぅ~~』と意味不明の呻き声を漏らすしかなかった。
すると、達也は苦笑いしながらも丁寧に教授してくれたのだ。
『戦闘中に艦の指揮を執るのは艦長の職責だ。戦闘指揮も航行も索敵も、それぞれに担当している専任士官がいる……つまり、艦隊司令官や総司令官という軍人は、戦闘中はシートに踏ん反り返って開戦の号令を告げる位しかやる事がないのさ』
その答えを聞いて揶揄われたと憤慨する蓮だったが、達也は小さく首を振り言葉を続ける。
『おいおい怒るなよ。俺は何も嘘は言っていないぞ。司令官の一番重要な仕事は、戦闘前に必ず勝てる状況を作り上げるという一点に尽きる。優秀な司令官とはな、勝つ為の算段ができる者なのさ。お前も正式に任官して多くの上官らの下で戦えば嫌でも理解できるようになるさ』
最後は上手くはぐらかされた気分だったが、続けてこうも言われた。
『近い将来に何が起こるか予測して対策を立てるのも司令官の責務だ。周囲の惑星国家や各勢力の動静を見れば、各々の思惑は凡そ見当がつく。後は情報を集めて、起こりうる最悪のパターンを想起し対策を立てる……それが司令官の仕事だ。お前にもいつか必要になる技量だから、必ず習得するよう励みなさい』
その時のやり取りを思い出した瞬間、達也が今回の騒乱を既に予期していたのではないか……そう思い至ったのだ。
(もしそうならば、司令官や幕僚に上申すれば対策はできた筈だ。いや、白銀教官ならきっと……だったら、まだ負けた訳じゃない)
敗色濃厚な中で見出した一縷の光明に気持ちを鼓舞しながらも、戦いの舞台にも上がれない非力な自分が歯痒くて仕方がない。
しかし、唯一の恩師だと思い定めた達也を信じようと、蓮は強く自分自身に言い聞かせたのである。
(いつか必ず追い付いて見せますからね! それまで死んだりしないで下さいよ、白銀教官!)
『死』……自分が心の中で呟いたその言葉に、次第に迫り来る戦塵の気配を感じた気がした蓮は、小さく身体を震わせるのだった。




