第二十一話 嵐の前の人間模様 ②
五月二十九日より、地球統合軍傘下の士官候補生養成学校では、各方面指令部の指揮の下、柵のない若手士官を新教官として登用する試みが始まった。
また、仮想空間に於けるヴァーチャル訓練が正式科目として授業に取り入れられる事になり、その為の新型訓練システムの導入も併せて発表されたのである。
表向きは『時流の変化に伴い、訓練にも最新の技術を導入する』と発表されてはいたが、先日ブリュンヒルデと伏龍の二校が参加した航宙研修での事件が影響したのは推察するに容易いだろう。
その結果、形骸化された教育方針が改められ、実利追求型のカリキュラムの導入に舵を切ったのは、誰の目にも明らかだった。
精神に異常をきたした教官の暴走などは、彼らにとっては取るに足らない些事でしかなかったが、システムによる訓練を短期間受けただけの未熟な士官候補生たちが、熟練の教官チームを完膚なきまでに叩き伏せたという事実は、ある種の希望を軍上層部に懐かせたのだ。
統合軍を取り巻く環境には厳しいものがあるが、それも此れも、五年前の新造艦襲撃事件の影響が未だに尾を引いているからに他ならない。
地球復興の象徴と謳って大々的に宣伝した挙句、巨額の資金をつぎ込んだプロジェクト『地球製・精鋭艦隊建造計画』は、まるで泡沫の夢の如き儚さで土星宙域に散ったのだから、それも已むを得ないと言えるだろう。
試験航海に従事した者達だけでも、軍民あわせて二千八百五十六名の命が失われた上に、この計画を主導した軍上層部の高級士官や関係官僚の不慮の死が相次ぎ、巷では責任をとって自死したのだと、まことしやかに囁かれもした。
その事だけでも軍の威信は地に落ちたも同然だったのに、更に追い打ちを掛けるかの様に政権交代が起こり、連立左派による政権が樹立されたものだから、まさに泣きっ面に蜂だと嘆く他はなかっただろう。
それ以降は、相次ぐ予算の削減を受けて現状戦力の維持にすら汲々とする日々が続き、とてもではないが新型艦の建造、もしくは買い付けをする余力などなかったのである。
また、同盟国にさえ宇宙軍の最新技術や武器の供与を認めていない銀河連邦評議会は、度重なる加盟国からの情報開示要請や、兵器のライセンス生産承認にも難色を示し続けていた。
これらの秘匿権限は銀河連邦憲章に明記されており、異議申し立ては一切認められてはいない。
それ故に、軍の主戦力を二世代は昔の骨董品に頼らざるを得ない国家は数多とあり、地球統合軍もその例に漏れなかった。
だがそれが、多くの加盟国が内包する銀河連邦への不満の温床になっているのも事実であり、そんな中起こった今回の候補生達の活躍は、軍上層部に一縷の希望を懐かせたのである。
その希望とは、戦力の薄弱さを技量並びに練度の優秀な士官や兵員で補うという滑稽なモノであり、無謀な精神論に立脚した、凡そ兵法の常道からは外れた代物と言わざるを得なかった。
しかし、他に有効な戦略を見いだせない現状では、軍上層部が荒唐無稽な妄執に縋ったのも已むを得なかったのかもしれない。
そんな事情もあって現行の教育環境を充実させる為にも、銀河連邦宇宙軍が正式採用しているヴァーチャルシステムの導入を決めたのである。
◇◆◇◆◇
五月最後の訓練科目を終えた蓮は、着任したばかりの新任教官の傍らにあって、リブラに搭載されているヴァーチャルシステムの停止を確認してから評価モードに切り替えた。
この後数分でシステム搭載AIが本日の訓練評価をデーター化し、教官と各該当候補生の情報端末へインプットされるのだが、その評価基準は達也が採用していた物を使用している為、非常に厳しいものだった。
だが、その有益性は蓮達二十名の候補生達で実証済みであり、その結果や評価に異を唱える候補生は一人もいなかったのである。
銀河連邦宇宙軍から派遣されていた達也が臨時教官職を辞するにあたり、無用な混乱を齎した詫びにと、新型ヴァーチャルシステムが完全導入されるまでの間は、リブラを無償で貸与する約束が取り交わされた。
その結果、同システムに精通している蓮、詩織、神鷹、ヨハンの四名が不慣れな新任教官のサポート役を仰せつかり、習熟期間中は全学年の訓練に付き合う羽目に陥ったのだ。
「あぁ~~肩が凝ったぁ~~何だかさぁ、他人の訓練を見ているだけっていうのも疲れるもんだよねぇ」
男子候補生の視線を独占するその容姿からは想像もできない、オッサン臭い台詞を口にしてテーブルに突っ伏す詩織。
夕食時に大食堂に集合した早々に醜態を晒す彼女に、残る三人は同意して御機嫌を取るか、揶揄って怒りを買うか大いに迷ってしまう。
「ま、まぁ、仕方がないんじゃないかい? それに月替わりする明日からは僕らも参加できるんだしさ」
神鷹は面倒を避ける気満々で前者を選択し、その判断が功を奏したのか詩織は不承不承ながらも顔を上げた。
「それよりも如月。お前は唯でさえ全校生徒の注目の的なんだ……気を抜いていると、何を言われるか分かったもんじゃないぞ」
ヨハンの忠告に眉を顰めて嫌そうな顔をする詩織。
実際、先日の航宙研修でジェフリー・グラス教官を向こうに回し、候補生らしからぬ見事な指揮で勝ちを収めた結果、彼女の評価は赤丸急上昇中だった。
「やめてよ……あれは皆が死力を尽くして掴んだ勝利よ。私一人が活躍したわけじゃないし、何よりも白銀教官の指導を受けていなかったら、私達は死んでいたかもしれないのよ?」
錯乱したグラス教官が実弾頭搭載のミサイルを放った暴挙も、彼が秘かに軍病院に収監されたのも、世間にはおろか研修に参加していない他の学年の在校生にすら秘匿された儘だ。
その為、艦長を務めた詩織がまるで勝利の女神の如くに称賛されており、それが彼女の心に暗い影を落としていた。
「私は全然納得してないんだからッ! あんな訳の分からない終わり方ッ!」
最後には嫌悪感しか懐けなかったグラス教官だったが、彼が壊れて行く様を見せ付けられて、いつか自分もあんな風になるのではないか……。
明確な根拠は何もないとはいえ、そう考えれば胸の痛みを禁じ得なかった。
「もう気にするなよ。白銀教官も仰っておられただろう? グラス教官は軍人には不向きな人間だったんだよ……御馳走さまっ。寝る前にひとっ走りしてくるから、お先に」
何処か億劫そうに立ち上がる蓮が、詩織に声を掛けてから退出していく。
残された三人は黙って彼の背中を見送るしかなかった。
「なんだか……おかしくないかい? あんなの蓮らしくないよ?」
「そうだな。まるで覇気がないっていうか……燃え尽き症候群って奴かな?」
神鷹とヨハンが小首を傾げながら話す中、詩織だけが無言のまま幼馴染の背中を見つめていた。
それは付き合いが長い彼女だけが蓮の心中を察していたからに他ならず、それは正に詩織自身の葛藤でもあったのだ。
◇◆◇◆◇
【グランローデン帝国・帝星アヴァロン】
銀河連邦評議会が定めている、西部方面域と南西部方面域の境界線上に位置する帝星アヴァロンを中心にして繁栄しているグランローデン帝国は、東西南北にその版図を拡大し広大な宙域を支配している大帝国である。
建国二百五十年の新興国家であるが、前身の王国を軍事クーデターを以て打倒し帝政を敷いて以来、その突出した軍事力を最大限に行使し、数多の惑星国家を併呑して版図を拡大させて来た。
シグナス教団はそんな帝国の唯一の国家宗教であり、帝国の支配地域に於いては絶対的な権力を容認されている宗教団体である。
帝国が武力で版図を拡大するのに便乗して、新たに支配下に置いた地域の宗教を一方的に邪教と認定しては、残忍な方法も厭わずに根絶やしにしてきた。
そうやって信者を増やしながら、勢力を伸ばして来たのだ。
教団の繁栄は、国教に指定している帝国の威信をも高める結果になり、名のある中堅国家が率先して服属を求めて来るまでに威光を増していた。
つまり、グランローデン帝国とシグナス教団は表裏一体の関係であり、お互いを利用して実利を貪り合う関係でもあるのだ。
だが、その拡大路線にも自ずと限界があるもので、両者の蜜月関係にも深く静かに亀裂が入り始めていた。
「ザイツフェルト皇帝陛下……子飼いのバイナ軍と野良犬同然の海賊くずれを使うとは……何かしらの魂胆が御有りなのですかな?」
豪奢な法衣をその身に纏い、宝飾品で装飾されたミトラ(司教冠)を誇示する 聖職者は、猜疑心に満ちた視線を眼前の男に向けた。
帝星アヴァロンの帝都中心部に聳え立つ帝城アスタロトパレス。
その謁見の間に於いて、シグナス教団最高指導者ニコライ・ハイリヒ三世教皇と、グランローデン帝国皇帝ザイツフェルト・グランローデン七世の会談が行われている。
謁見の間と仰々しい呼び方をしてはいるが、中世の王城の様な華美な装飾は施されておらず、大広間の中央に総大理石の長テーブルが置かれているだけの質素極まる部屋だった。
これは質実剛健を旨とする帝国の気風というより、最高指導者であるザイツフェルト皇帝の意志という側面が強い。
ニコライ教皇とは対照的に華美な装飾品など何一つ身に着けず、黒色で統一された軍装の上に漆黒のマントを羽織るのみ。
そのマントの裏地が目にも鮮やかな真紅である点が、皇帝唯一の自己主張なのかもしれないと考えるのは、少々穿ち過ぎか……。
「魂胆も何も……既に地球統合政府の大統領は、我が帝国への恭順を誓っているではないか? まあ、猊下好みの少々芝居がかったシナリオだが、私は教団のやり方にケチをつける気はないぞ?」
鼻を鳴らして口角を上げる皇帝に対し、ニコライ教皇は不快げに顔を歪めた。
「皇帝陛下……何か誤解が御有りのようですな。我が教団は崇高なるシグナス神の教義を、普く銀河に流布する為に日夜活動しておるのです……それにも拘わらず、昨今の帝国の版図拡大政策は滞りを見せるばかり。多少なりともお力添えできれば……との老婆心にございます」
「それはお気遣い痛み入る……しかし、帝国領辺境部で頻発しておる反乱の原因は、教団の行き過ぎた邪教裁判の結果だとの噂も耳に入っているが……まあそんな些事よりも、問題は連邦軍西部方面域の戦力が入れ替わった事ではないかな?」
さり気なく嫌味を口にしたザイツフェルト皇帝は、纏う雰囲気をがらりと変えるや鋭い視線を教皇に向けた。
しかし、ニコライ教皇はその言葉を鼻先でせせら笑う。
「これは異な事を……憎っくき銀河連邦軍の戦力が入れ替わったとはいえ、配備されている艦船数は十分の一にまで減らされたそうではありませんか? その程度の戦力を恐れておいでですかな皇帝陛下?」
「何だその物言いはッ! 如何に教皇猊下とはいえ言葉が過ぎようッッ!」
ザイツフェルト皇帝の背後に直立不動の姿勢で整列している重臣の中から、まだ十代半ばの幼さを感じさせる軍人が怒声を上げた。
当然のことながら配下の軍属が声を荒げるなど許される場ではないが、その者が皇族であり、然も皇子の一人となれば話は変わる。
しかし、教団側も相手が皇帝陛下ならばまだしも、格下の皇子如きに教皇猊下を罵倒されては黙っていられない。
だから、背後に控えていた神衛騎士団が剣呑な雰囲気を発したのだが……。
「セリス控えよ。猊下に対し不遜であろう。躾は厳しくしろと言ってあった筈だがな、リオンよ?」
皇帝の威厳の前に第十皇子であるセリスは唇を噛んで押し黙るしかない。
側近らしき者たちが彼を列の後ろに連れ出したのを見て、皇帝の横に立っていた青年が恭しく頭を垂れた。
「申し訳ございません陛下。私めの落ち度に御座います……」
眉目秀麗という言葉が相応しいこの美丈夫は、帝国皇太子リオン・グランローデンであり、政治軍事の両面に秀でた才を示し、二十八歳という若さにも拘わらず、帝国宰相を務める文字通り皇帝の右腕だった。
「フンっ! まあいい……それよりも猊下。今貴方が仰られた通り、銀河連邦軍の戦力は大幅に低下しており、ゲートを使用不能にすれば、他の宙域からの増援も、近隣の味方の集結も封じられる。そんな状況で我が帝国の艦隊まで派遣せねばならない理由があるかな? 今回はバイナの諸君の健闘を見守らせて貰う……まだ何か御不満がおありか?」
話は終ったと言わんばかりにそう念押しした皇帝は、興味を失った風情で視線を外す。
そんな彼を一睨みした教皇は乱暴に立ち上がるや、配下を引き連れて足早に退出していくのだった。
「陛下……余り教団を刺激なさるのは感心しませんが」
リオンが苦言を呈すと、ザイツフェルト皇帝は忍び笑いを漏らす。
「フンッ! 何が『崇高なシグナス神の教義』だ……神の存在をこの世で一番信じていない俗物が笑わせてくれるわ。新しい占領地を我が物顔で闊歩し、富の収奪しか考えない者が神を語る……恐ろしい世の中になったものよ」
嘲るように吐き捨てる皇帝に、リオンは両肩を竦めて無言を貫く。
すると皇帝は不意に背後に控えている痩身の武人に声を掛けた。
「そう言えば、ユリアを教団から救けた男も銀河連邦の軍人だったな?」
下問されたその武人は帝国最強を誇る近衛騎士団団長のクリストフ・カイザード上級大将その人であり、ユリアが襲撃された際に達也に伝言役を頼まれた人物でもある。
「はい。仰せの通りに御座います。白銀達也銀河連邦軍大尉と名乗っておりました……」
「クックックッ……赤っ恥をかかされた教団には悪いが、小気味の良い話ではないか! 教団自慢の神衛騎士団、然も、法具持ちの上級騎士三名を一人で相手取って叩き伏せるなど……面白い男がいたものよ」
ひどく上機嫌な皇帝の様子に、周囲の側近たちはどう反応して良いのか分からず困惑の色を浮かべてしまう。
教団から、【忌み子】【災厄の魔女】というレッテルを張られ、一度は死に勝る残酷な運命を背負わされた帝国第十八姫。
彼女が生きていたというだけでも驚きなのに、その危地を救う者まで居るというのは厄介極まりない事態だと言える。
それなのに気分良く笑っている皇帝の真意が知れない……それが彼らの偽らざる本音なのだ。
「彼の姫は既に自分の娘だから、手を出すのなら教団も帝国も叩き潰すと大見得を切っておりました」
何処か愉快気な近衛団長の台詞に、ザイツフェルト皇帝も僅かに相好を崩す。
(ますます面白い……ユリーシャよ。そなたが懇願した十年……無駄ではなかったようだぞ)
誰にも聞かれてはならない言葉を胸の内に吞み込んだ皇帝は、傍に控えるリオンに静かに告げた。
「一個艦隊を準備が整い次第出撃させよ。バイナ星周辺宙域に伏せておくのだ……万が一に備えておく必要はあるであろう。期間は一週間程度で良い。その間に動きがある筈だ」
その命に恭しく頭を垂れて畏まったリオンは、踵を返して退出するのだった。




