第二十一話 嵐の前の人間模様 ①
数多ある歴史書には、最後の世界大戦を経験した後の地球は、統合政府を樹立し銀河連邦評議会の支援の下で復興を成し遂げたと記述されている。
疲弊し破綻しかけていた各分野に、夢のようなオーバーテクノロジーが貸与された結果、食料・エネルギー問題、環境汚染や異常気候の改善、戦争被害からの復興、そして児戯に等しいと批判されていた宇宙開発技術の目覚ましい躍進等々、それらの果実を甘受し地球は繁栄を取り戻したのだ。
だが、その支援の代償として、地球開星以降三十年間に亘って太陽系内の各惑星は銀河連邦政府の管轄下に置かれ、そこから得られる各種資源を、無償で搾取され続けたのである。
これは、火星のテラフォーミングが終了した後も、木星と土星の開発プロジェクトが本格的に始動するまで続いた。
この歴史的事実を以て現在の地球では、政財官民を問わず『強欲な銀河連邦に、過剰で不当な扱いを受けた』と主張し、脱銀河連邦を口にする者が増えている。
それが銀河連邦評議会と地球統合政府の間に微妙な痼りを残し、関係を悪化させる原因にもなっていた。
三年前に政権を奪取し、地球新統合政府第五十八代大統領に就任したドナルド・バックは、反銀河連邦の旗を掲げる急先鋒の一人であり、舌鋒鋭く銀河連邦批判を繰り返す彼は、一部国民から熱狂的な支持を受けている政治家だ。
だが、彼の本質は謀略を好む野心家でしかない。
(この三年間で野党を含めて議会は掌握できた……軍部や民間には根強い親銀河連邦派がいるが……一旦、事が起きてグランローデン帝国に主権が移譲されさえすれば粛清は容易い……)
バック大統領は、地上百階の威容を誇る統合政府ビルの最上階にある大統領執務室で、革張りの高級リクライニングチェアに背を預けて思考に耽っていた。
彼の最終目標は地球を銀河連邦評議会から離脱させ、屈辱に塗れた地球史に燦然たる栄光を取り戻す事にある。
だが、これは支持者を篭絡する為の方便に過ぎず、良くも悪くも彼自身は地球に対する思い入れなど欠片も持ち合わせてはいなかった。
では何の為に一歩間違えれば銀河大戦を誘発させかねない危険な賭けに出る必要があるのか……。
それは彼が狂信的なシグナス教団の隠れ信徒であるからに他ならない。
西部方面域に教団が進出する時には、太陽系は恰好の中継点として重要な役割を果たすだろうし、帝国軍が駐留するとなれば、銀河連邦軍も簡単には手を出せなくなるのは必定。
ほくそ笑むバック大統領は窓際へと歩を進める。
壁面は総硬質ガラス張りで、雨に煙るサンフランシスコの街が一望できた。
「……此処まで来るのに十年か……長かったのか、それとも……」
シグナス教団の前教皇猊下より直々に任務を賜ってから、それだけの月日が流れている。
(くそっ! 五年前の画策が成就しておれば、もっと早く教団に栄光を齎せたというのに……忌々しいッ!)
五年前の統合軍新造艦隊襲撃事件は、本来ならば別の結末を迎える筈だった。
圧倒的な軍事力を背景にした銀河連邦軍優位な状況に対し、忸怩たる思いを懐いていた軍内の急進派を唆し、独自建造艦隊の新設を強行させたのはバックだ。
だからこそ、グランローデン帝国が開発途中で断念した思考波制御兵器と、銀河連邦内で極秘裏に開発されていたフォーリン・エンジェル・マリオネットを融合させた、絶対兵器という名のガラクタを搭載した戦艦の建造計画がスタートした時は、まさに「我が事なれり!」と歓喜したものだった。
事実、目論見通りの主力艦は完成し無事就航を果たす。
後は非人道的かつ狂信的なフォーリン・エンジェル・マリオネットの存在を白日の下に晒した上で軍部の暴走を糾弾し、同時に当時の政権与党を貶めて政権交代を果たす筈だったのに……。
綿密に練られた計画は、儚くも漆黒の土星宙域に霧散してしまった。
正体不明の海賊艦隊に遭遇し襲撃された新造艦隊は一方的に撃破されて、調査も儘ならないほどに破壊され尽くしてしまったのだ。
特に旗艦の破砕状況は酷く、技術局の監査官達も匙を投げる状況であり、全てが謎のまま事件の調査は打ち切られ、バックが仕組んだ計画も頓挫したのである。
(あの計画さえ成就しておれば、大恩ある前教皇猊下様の御存命中に良き御報告が出来ていたものを……)
胸に苦い感情が混じり、彫りの深い顔を歪めたバックは忌々しげに舌を弾く。
しかし、彼は転んでもただは起きなかった。
巨額の予算を注ぎ込んでおきながら無様に破綻した計画の責任を議会で追及し、三年前の大統領選挙で与党の現職を大差で退け地球統合政府の頂点に立ったのだ。
それから今日に至るまで、今は亡き教皇猊下の意志を遂行すべく、与野党を問わず欲ボケした議員連中を、金、女、利権とあらゆる手段で篭絡せしめて来た。
だが、それも間もなく報われる時が来る……。
銀河連邦宇宙軍・西部方面域派遣艦隊が大幅に縮小されて、太陽系を窺う陣営のパワーバランスが大きく崩れるという千載一遇の好機が巡って来たのだ。
近日中の出撃を控えて、バイナ人民共和国軍と海賊艦隊の出撃準備は整ったとの報告が入っている。
(太陽系に大挙として押し寄せて来る艦隊……ゲートの故障で援軍の見込みが断たれた時、この星は偉大なるシグナス教団のモノになるのだ)
幾ばくか機嫌が持ち直したバック大統領は、あと数日の時間が待ち遠しいと言わんばかりに口角を吊り上げるのだった。
◇◆◇◆◇
「うぅ~~~ちゃんと帰って来てくれないと、いやだよぉ?」
半泣き状態で抱きついて来るさくら。
その頭を優しく撫でてやる達也は、柔らかく微笑んで愛娘に提案した。
「さくらとの約束を僕が破った事があったかな? 今回のお仕事が終わったら時間も取れるだろうから、ママやユリア、そしてティグルも一緒に遊園地にでも遊びに行こうか?」
現金なもので、御褒美を提示されたさくらは破顔して燥ぐ。
「本当に!? うん! ぜったいだよッ! さびしくても、良い子にしてお父さんが帰って来るの待ってる……だから、ぜったいに遊園地に連れて行ってね!」
調子のいい我が娘にクレアは苦笑いし、ユリアは微笑ましそうに義妹を見守り、幼竜姿のティグルは大きな欠伸を連発する。
皆で昼食を共にしてから、青龍アイランドに帰るクレアと子供達を見送りに空港まで来たのだが、案の定『寂しいよぉ』と愚図るさくらを、達也は容易く篭絡して見せた。
勿論、アルバートと美沙緒も一緒に見送りに来ており、近い将来義理の息子になる男の手慣れた様子に感心するばかりだ。
元気を取り戻したさくらはクレアに手を引かれて歩きだしたが、ユリアと一緒に出発ゲートを潜るまで、何度も振り返っては懸命に手を振り続けるのだった。
今朝がた上海に来る機上で、銀河連邦軍の機密に触れない程度の事はクレアにも話してある。
不安げに顔を曇らせていたが、彼女も軍人だ。
取り乱す様な真似はせず、ただ一言『御武運を祈っています』と言ってくれた。
そんな些細な心遣いが嬉しくて、周囲の乗客には気付かれないように唇を奪うという蛮行に及んでしまったのは、子供達にも内緒だ。
尤も、羞恥に顔を赤くしながらも眉根を寄せて睨んできたクレアの視線に射竦められ、大いに反省せざるを得なかったのだが……。
家族の背中が見えなくなるまで手を振っていた達也は、義理の両親になるふたりに向けて深々と頭を下げた。
「今日は貴重な時間を戴いて感謝いたします。御二人から見れば私などは頼りない若僧でしかないでしょう……しかし、クレアさんや子供達を愛する気持ちは劣っているとは思いません。何かと御不満はございましょうが、どうか今後とも御指導を宜しくお願いいたします」
すると美沙緒が優しく微笑んで頭を下げる。
「不満だなんてとんでもない。クレアもさくらもすっかり貴方に懐いてしまって、私は本当にびっくりしたのよ……全て白銀さんのお蔭です。感謝していますわ」
美沙緒の言葉の意味が分からずに何と返すべきか戸惑っていると、すっかり毒気の抜けたアルバートが補足してくれた。
「不慮の事故で悠也君を失って以来、クレアは酷く臆病になってしまった……生まれた時には既に父親がいなかったさくらも、随分と寂しい思いをした筈だ。それがどうだ……あれほど無邪気に心の底から笑うさくらを私は初めて見たよ」
「そうですよ。ユリアちゃんはまだぎこちなくて固い所もあるけど、それも時間の問題でしょう……何よりも、あれだけ落ち込んでいたクレアがあんなに笑えるようになるなんて……白銀さん。いえ、達也さん……母親として心からお礼を申し上げますわ」
美沙緒がそう言って頭を下げ、隣のアルバートも妻に倣う。
これには達也も恐縮してしまい、何度も頼んだ末に漸く顔を上げて貰えた。
「くれぐれも命を大切にして欲しい……全ては生きて帰ってこそ始まるのだから」
「御自愛くださいね……また近い内に訊ねてきてね。今度は私の手料理を御馳走しますわ」
最後は笑顔で温かいエールを贈ってくれたローズバンク夫妻に、唯々頭を下げて謝意を伝えるしかできない。
空港の玄関口までふたりを見送った達也は、柄にもなく感傷的になっているのに気づいて苦笑いを浮かべるしかなかった。
(こんな形の幸せがあるなんてな。この星に戻って来て良かった。そして……)
偶然のめぐり逢いが全ての幸せに繋がっている……。
だから、クレアに出逢えた幸運に心から感謝するのだった。
◇◆◇◆◇
ローズバンク夫妻を見送った達也は空港内に取って返し、一階フロアーの最奥にあるプライベートジェットの駐機場ゲートに向った。
そこに待機している小型シャトルで大気圏外の護衛艦に移乗し、そのまま土星のアトラス基地に向う手筈になっている。
しかし、シャトルのエンジン整備が遅れているらしく、暫し時間を潰さざるを得なくなってしまった。
今更焦っても仕方がないが、残された短い時間でやらねばならない事は多い。
だが、そんな焦りは微塵も見せずに平静を取り繕った達也は、一旦、ロビーへと引き返した。
一般客には縁の無いエリアだからか、簡易スタンドのコーヒーショップの従業員以外は、搭乗待ちの乗客はおろか空港職員もおらず、周囲は閑散としている。
フロアーを見渡した達也は一瞬だけ怪訝な顔をしたが、コーヒーショップに歩み寄るや、カウンターに両肘を乗せて銀貨を一枚置いた。
「いらっしゃいませ。何になさいますか? 今の時間帯ですとハムサンドセットがお得になっておりますが?」
初老の痩せた従業員が笑顔で訊ねて来るのに対して、達也は人好きのする笑顔を崩さずに、この男にだけ聞こえる声音で問い返す。
「いつから情報局のエージェントは、コーヒースタンドでアルバイトをするようになったのかな? んっ? クラウス・リューグナー大佐殿?」
「おぉ! これは失礼。コーヒーだけでよろしいのですね」
初老の従業員は殊更に明るい声で了解してから手際よく準備を始めたが、最初から惚ける気はなかったようで、達也同様声を抑えて会話を続ける。
「完璧な変装だと思っているんですがねぇ。どうも貴方に関わると陸な事がない……因みに参考までに伺いますが、どうして分かったのですかね?」
達也も顔の表情は変えずに肩を竦めた。
「言っただろう……アンタも俺も同じ穴の狢だと……匂うからね。人殺しの匂いが……さ」
「これは困りましたねぇ。観念的なモノは誤魔化すのが難しいのですよ。つくづく厄介な人ですね、貴方は……」
遠回しな謎掛けを楽しむつもりもない達也は、単刀直入に問い掛けた。
「それで、情報局の凄腕が一体全体何の用なんだい? 互いに旧交を温める仲でもないし……」
「意外にせっかちですな。あぁ、そうだ。先日急逝した上司に代わって情報局局長に就任いたしました……今後ともよしなにお願いしますよ」
「それはそれは……ならば、これまで以上に身の周りに配慮しなければならないな。何処に盗聴器を仕掛けられるか分からないし」
「はっはっはっ……貴方相手にそんな事をしても無駄でしょう? 万が一の時には情報局そのものを犠牲にする覚悟が必要な相手ですよ……貴方という人は」
鼻孔を擽る芳醇な香りを放つコーヒーカップを手にした達也は、その黒い液体を警戒する素振りも見せずに無造作に啜る。
口では何と言っても、本気でクラウスを疑っている訳ではないのだ。
「うん……美味い! 失業したらコーヒーショップの親父もいいんじゃないか? 通わせて貰うぜ?」
達也が唇の端を吊り上げれば、クラウスも老人の顔を微かに歪めて苦笑い。
「止めておきますよ……引退してまで貴方の様な危ない人に関わりたくはないのでねぇ」
「ふんっ! 酷い言い種だな……んっ? これは……?」
コーヒーカップを再び口にした達也の前にレシートが置かれたのだが、その下に明らかに何かがあった。
「先日頂戴した、ある少女の記録媒体のお礼ですよ。どう使うかはあなた次第……と言っても、連邦に敵対している人間の弱味ですから、端から遠慮する必要はありませんけどねぇ」
この時期にそして彼の口振りから、レシートの下にある物が何かを察した達也は、何気ない素振りでその物体をレシートごと掴んでポケットに突っ込んだ。
「礼は言わないぜ……」
「要りませんよ。その代わり、あの少女がもう少し大きくなった暁には、また記録媒体を頂けると有難いのですがねぇ……」
達也はクラウスの物言いに呆れたように苦笑いを浮かべた。
「おいおい、物騒な事を言うなよ。内緒でそんな事をしていたとクレアに知られでもしたら、俺の人生終わっちゃうよ? 怒らせると本当に怖いんだから……彼女」
「知っていますよ……まあ、私も任務上仕方がなかったとはいえ、外に子を生したなどと女房にバレた日には、確実に後ろから刺されますがねぇ」
物騒な未来予想図に辟易した達也は、カウンターに背を預けて残りのコーヒーを飲み干した。
「まあ、善処するしかないかねぇ……ただし、口外無用だぜ?」
「OKです……では、益々の御健勝をお祈り申し上げますよ……」
その言葉を最後に背後から人の気配が消える。
何気なく振り返ってみたが、案の定既にクラウスの姿はなく【本日は閉店いたしました】と記されたプレートが揺れているだけだった。
達也は溜息を吐いて姿勢を正す。
同時に機体の整備が終わった旨を伝えるアナウンスがロビーに流れ、再び駐機場に向かって歩き出した。
(アイツとの縁もクレアとの出逢いのオマケみたいなものかな……奇妙なものだが面白いかもしれない。まあ、さくらの害になる場合は速攻で抹殺してくれるがな)
そんな馬鹿な事を考えながらも、達也はポケットに入れた彼からのプレゼントを、そっと指先で擦るのだった。




