第二十話 銀河の片隅で ⑤
ざっと戦況を俯瞰してみると、寡兵の敵軍が良く健闘しているのが一目瞭然で、達也は心の中で溜息を吐くしかなかった。
敵戦力は二部隊。それに対し味方は四部隊と戦力比は一対二と優勢であり、然も敵の遊撃担当の一部隊は、何を考えているのか全く動く気配がない。
しかし、目に見えているものが全てではないのも、また戦場の常だ。
優位な状況を得た味方は一気呵成に砲火の口火を切るのだが、敵将の老練且つ、しぶとい指揮に翻弄されて決定打を与えられず、ズルズルと消耗戦へと引き込まれつつあるのが分かる。
そんな戦況分析を脳内で繰り広げる達也だが、抑々がこのバトルの原因は他ならぬ彼自身なのだから、戦いから除外され傍観者の身分へ追いやられた身としては、その肩身の狭さに冷汗が出る思いだった。
(これが本物の戦場ならば……もう少し気が楽なんだがなぁ~~)
困惑する彼の眼前で繰り広げられているのは、疑似戦場と化したローズバンク家・家族会議だった。
五月二十八日。
休校を利用して上海の両親宅に預けている子供達を迎えに行ったクレアは、達也を紹介し結婚の承諾を貰おうとしたのだが……。
「軍人との結婚など絶対に許さんッ! とっとと帰れッ!!」
玄関先で炸裂した、実父であるアルバート・ローズバンクの怒声を宣戦布告代わりにしてバトルが勃発したのである。
但し、バトルの当事者はアルバート対クレア&子供連合という構図になっており、当の達也はメンバー枠に登録さえして貰えなかったのだが……。
※※※
「どうして駄目なの? 私は軍人だから達也さんを愛したんじゃないわ! 愛した人が軍人だっただけですッ!」
「結果は同じだッ! 戦場で人を殺すしか能がない軍人に、良き家庭を築ける訳がなかろうッ!」
愛娘であるクレアの懇願を一笑に付すや、乱暴に切り捨て。
「う~~おじいちゃん! 達也お父さんはとっても優しいんだよぉ~」
「さくら……お前は騙されているんだ。軍人に優しい男などいない! それにね、まだお父さんではないからね」
日頃から猫可愛がりしているさくらの言い分も却下し。
「それは余りに一方的ではないでしょうか? お父さまとお母さまのお蔭で、私は家族として迎えて戴いたばかりか、生きる幸せと喜びを教えて貰ったのです」
「ユリアは聡明だからそう言うが、お前を助けたのだって、どんな下心があったのか知れたものではないッ! 儂には分かるッ! この男の本性は変態以外にはあり得んのだッ!」
さくらと同様に実の孫として溺愛しているユリアの言にも耳を貸さない。
「キュイ、キュイィ~~ン! キュイ、キュイィィ──ッ!」
「うんうん、ティグルはそこで大人しくしていなさい、後で美味しいお肉を食べさせてあげるからね」
人化していない幼竜は意見さえ取り上げて貰えないらしい。
こんな遣り取りが、既に一時間以上続いているものだから、達也にとっては正に針の筵状態であり、居心地が悪くて仕方がないのだ。
何とか穏便に済ませたいと思い、頃合いを見て仲裁を試みるのだが……。
「お前なんぞに『お義父さん』呼ばわりされたくはないわぁっ!」
「達也さんは引っ込んでいてッ! この頑固爺に理屈は通用しないわ!」
……と、父娘揃ってヒートアップするばかりで一向に埒が明かないものだから、ほとほと困り果ててしまったのだ。
こんな状況で頼りになるのは、アルバートの妻である美沙緒だけなのだが、夫と娘のバトル開始以来取り立てて口を挟みもせす、優雅に紅茶を嗜んではニコニコと実に嬉しそうな微笑みを浮かべるのみ。
それでも、万に一つの可能性に縋って喧嘩の仲裁を頼んでみたのだが……。
「そうは言ってもねぇ~~今を取り繕って平穏を得ても、後で騒動になるのならば何の意味もないのではなくて? それならトコトン意見をぶつけ合った方が良いと思うの……あぁ! 白銀さんも紅茶のおかわりは如何かしら?」
「いただきます…………」
義母になる女性のフワフワした雰囲気に当てられて、紅茶カップを差し出すや、ソファーの背凭れに背中を預けて深々と溜息ひとつ……。
しかし、その光景が癇に障ったのか、妻と略奪者(アルバート目線による達也)の遣り取りを見咎めたアルバートが罵声を投げつけて来た。
「おいっ! お前ッッ! 娘だけでは飽き足らず、儂の女房にまで手を出すつもりかッ!? 変な目で美沙緒を見るんじゃないッッ!」
決して本心で言っているのではない……。
それは、同性である達也が誰よりも良く理解していた。
血の繋がりこそないものの、さくらやユリアという娘を得て、男親が懐く愛惜の情が朧げに分かる様になった。
(心配で心配で……娘や孫を想えば平静ではいられないのだろう……俺も、さくらやユリアに恋人ができたら、こんな風に取り乱してしまうのかな?)
などと考えれば、知らず知らずのうちに笑みが零れてしまう。
片や夫の無礼な物言いに眉を顰めた美沙緒だったが、当の達也が気分を害してはいないと悟るや、表情を和らげて無言を通す。
だが、達也や美沙緒とは違い、恋人の人格まで貶めた父親の暴言をクレアは断じて許せず、その怒りに衝き動かされる儘に父親を一喝していた。
「お父さんッ! 今すぐに達也さんに謝罪して頂戴ッ! 言って良い事と悪い事があるでしょう!? 私の大切な人を侮辱しないでッ!」
その場に居た全員が彼女の剣幕に圧倒されたが、怒りの矛先を向けられたアルバートの吃驚は一方ならぬものだった。
いつもは理路整然と相手を諭す自慢の娘が、激情を露にし、その瞳に瞋恚の炎を宿し睨みつけて来るのだ。
愛娘が見せた女の顔を目の当たりにすれば、心底この若い軍人を愛しているのだとアルバートは理解せざるを得なかった。
(ふん……そこまで本気だったか。二度目の結婚が同じ悲しい結末を迎えては不憫と思い反対したが……要らぬ世話だったか……)
憑き物が落ちた様に頭が冷えたが、娘に怒鳴られたぐらいで言を翻したとあっては父親としての沽券に関わる。
そんな意地を張るアルバートは腕組みをしてそっぽを向き、怒れる娘から視線を逸らした。
しかし、その強がりは完全に裏目に出てしまう。
絶対に譲れない要求を無視されたクレアは激昂する感情に流され、越えてはいけない一線を踏み越えてしまったのだ。
「そうっ! 謝罪もしないのね……なら、私はそんな無礼極まる人間を父だなんて思いたくないわ! この場で親子の縁を切って頂戴ッ!」
荒れる感情のままに絶縁宣言を叩きつけた愛娘の怒気に呑まれたアルバートは、気後れして何も言い返せない。
流石に見かねた美沙緒が仲裁しようと腰を浮かせたのだが、それよりも早く厳しい声で叱責したのは、他ならぬ達也だった。
「たとえ売り言葉に買い言葉だったとしても、子供達の前でそんな事を言うもんじゃない! お父さんに謝りなさい」
先程までの呑気さは消え失せ、厳しい表情で恋人を睨みつける。
その視線に射竦められたクレアは、昂った感情が一瞬で冷めてしまった。
隣に目をやれば、さくらやユリアが不安げな顔で自分を見ているのに気付いて、胸の内に疼きにも似た痛みが走る。
(私ったら……いくら頭に血が昇ったとはいえ……何てみっともない真似を)
無様な姿を子供達に見せてしまったのが恥ずかしく、クレアは後悔の念に苛まれてしまう。
達也が叱り付けてくれなかったらどうなっていたか……。
父親が彼に吐いた暴言は許せるものではないが、だからと言って逆上して暴言を返すのが正しい方法である筈がない。
子供達が見ている前で母親たる自分がそんな醜態を曝すなど、決して許されはしないのだから。
「ちょっと待ちなさい、クレア」
悄然と項垂れて、アルバートに謝罪しようとした愛娘に、今度は美沙緒が待ったを掛ける。
そして怪訝な顔をする達也に軽く微笑んで見せてから、彼女は隣でそっぽを向いた儘の夫に説教を始めた。
「あなた……いつまで意地を張っていらっしゃるのですか? いい加減にしないと娘だけではなくて、可愛い孫達にも嫌われてしまいますわよ?」
愛妻の言葉は堪えるのか、アルバートは漸く顔の向きだけ元に戻す。
だが、一度張った意地を簡単に引っ込められず、謝罪をする所か半ば開き直って自己弁護をする始末。
「儂は何も間違った事は言っておらんっ!」
しかし、美沙緒は手慣れた様子で更に諭すように言葉を重ねた。
「そんな次元の問題ではありません……あなたは先程クレアに叱責されて狼狽なさったでしょう?」
「そっ、そんな筈は……ないだろう……」
妻に指摘された途端に急にソワソワし始めるアルバート。
「昔から声を荒げるのすら珍しいクレアが、あれほど本気で怒ったんですものね……驚いて、狼狽して、反論もできずに黙り込んでしまったじゃありませんか。それなのに白銀さんは、クレアが娘達の前で醜態を晒さないで済む様に取り計らって下さったわ……完全にあなたの負けです」
愛妻に懇々と説教された上に、最後に駄目出しをされては、負けず嫌いなアルバートも折れるしかない。
「ふん……まあ、見た目よりはしっかりしておるようだし……辛うじて及第点といった所だろう」
不承不承という態度を装ってはいたが、娘婿として合格だと認めたのだ。
実際、アルバートは達也の人となりに秘かに感心していた。
誰に似たのか昔から自分の意見を曲げない頑固娘が、一喝されてしおらしくなるなど、何の冗談かと自分の目を疑ったほどなのだ。
「ご、ごめんなさい、お父さん……。酷い言い方をしてしまったわ……」
「……構わないさ。お互い様だ。儂も頭に血が昇って言い過ぎてしまった」
祖父と母親が和解したのを見て、子供達の顔にも笑顔が戻る。
さくらとユリアは互いに顔を見合わせて目配せをするや、父娘の和解が成り安堵する達也目掛けてダイブした。
「おっうぅ~~! こ、こら、さくら。お腹に突っ込んで来るのはやめなさい」
見事に不意打ちを喰らった達也が涙目になって抗議するが、さくらは知らん顔をして正面からしがみ付き、顔をグリグリと押し付ける。
その隙をついたユリアは達也の右隣りに座ると、細い両腕を父親の逞しい腕に 絡めて嬉しそうに瞳を細めた。
そして止めとばかりにティグルが達也の頭の上に着地するや、そのまま丸くなって寛ぐものだから、ぎくしゃくしていた雰囲気は一気に雲散霧消してしまう。
「あらあら……これはまた好かれたものねぇ~~」
子供達の本当に嬉しそうな顔を見た美沙緒が楽しそうに笑えば……。
「限度があるわよ……達也さんは私には厳しくて冷たいくせに、娘達にだけは激甘なんだから……ふんだ!」
不満げな視線を達也へ向けたクレアは拗ねて愚痴を零す。
これに異を唱えたのは身動きできない達也だった。
「まっ、待ってくれ! お義父さんとお義母さんの前で誤解を招くような事は言わないでくれ。俺は君に厳しくとか冷たくした覚えはないぞ!」
懸命に言い募るが、クレアは頬を膨らませてソッポを向き完全無視。
すると、美沙緒が心底あきれましたと言いたげな顔で嘆いた。
「クレア……あなたねぇ……娘達にヤキモチを焼くなんて母親としてどうなの? どうせ、式を挙げるまでは……とか生真面目ぶって、達也さんに寂しい思いをさせているのでしょう?」
美沙緒の明け透けな物言いに、アルバートと達也は揃って顔を強張らせたのだが、彼らが一驚し狼狽した理由は全く別物だった。
アルバートは父親として『そんなのは当然だ!』という思いだけだったのだが、これが美沙緒の誘導尋問であるのを一瞬で見抜いた達也は、クレアがうっかり余計な事を言わないか不安で焦ったのだ。
残念ながら、その懸念は見事に的中してしまう。
母親の挑発に憤慨したクレアは、何処か得意げな顔で形の良い胸を張るや、言ってはならない事を口走ったのだ。
「私はそんなに薄情な女じゃないわ。それに私は昨夜から正真正銘、達也さんの妻ですから…………あっ」
自分が何を口にしたのか思い至った《正真正銘の妻》の顔が真っ赤に染まる。
そして、クレアの視線が、ニコニコと意地の悪い微笑みを浮かべる美沙緒のそれと交わった時……。
「あらあらッ! ごちそうさま! 若いって良いわねぇ~~本当に羨ましいわ」
「い、いやあぁぁッ!!」
母親の挑発に堪えられず、悲鳴をエコーさせるクレアは、脱兎の如くリビングを駆け出して行くのだった。
「ねえ、ユリアお姉ちゃん。ママどうしちゃったのかな……?」
「そっとしておいてあげなさい……お母様も説明に困ると思うわよ」
「キュィ、キュィ~~~~」
どうした事か、ティグルの鳴き声が、『グフッフフ、グッフフ』と、酷く下卑て聞こえたのは幻聴か。
美沙緒はソファーに突っ伏して声を押し殺して笑い転げているし。
「白銀君……向こうで話そうか? まさか嫌だとは言わないよね?」
殺意を隠そうともしない歪んだ笑顔のアルバートが、ポンと達也の肩を叩いた。
拒否する権利など端からない達也は、執拗なアルバートの説教を聞かされる羽目に陥り、その苦行に耐えるしかなかったのである。
しかし、それでも達也は自分が恵まれているのだと思わずにはいられない。
(太陽系周辺は銀河連邦から見れば辺境部で……口さがない連中は『銀河の片隅』などど嘲笑うが、俺にとっては全ての幸せを貰った場所だ……)
慚愧の念から、疎遠になっていた園長先生や仲間達と笑顔で再開できたし、素晴らしい教え子達にも出逢えて充実した時間を過ごせた。
そして何より、最愛の女性に巡り合って素敵な子供達も得たのだから、これ以上何を望むと言うのか……。
(だからこそ……俺は戦って護る。この素晴らしい世界と大切な人々を!)
そう決意を新たにする達也だった。
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