第二十話 銀河の片隅で ③
「本日付で本校の臨時教官を退任となり、銀河連邦宇宙軍に戻る事になった」
達也から告げられた言葉を聞くクレアは、瞑目して唇を噛むしかなかった。
今回の不祥事の根幹にジェフリーと達也の対立があったのは紛れもない事実であり、弁明の余地はないだろう。
譬え、それが一方的な怨み辛みであったとしても、此処まで大きな事件に発展してしまった以上、幕僚部から派遣された監査官も、二人の間にあった柵と因縁を無視する訳にはいかなかったのだ。
然も、ジェフリーの取り巻き達が口を揃えて達也の非を論ったのも少なからず影響し、何かしらの責任を問わざるを得ないと監査官らが判断したのは、至極当然の結果だった。
折からの銀河連邦軍西部方面域の戦力再配備に伴うゴリ押しが、地球との関係に無用の軋轢を生んでいると認識し、銀河連邦軍に対し反感を抱く統合軍士官が大勢を占めている中、統合軍所属のジェフリーにだけ処罰を下すのは得策ではない。
そんな軍上層部からの声も考慮した上で熟考が重ねられ、喧嘩両成敗的な雰囲気が醸成されたのだ。
勿論、クレアや志保は達也を擁護したが、彼女らに感謝しつつも彼自身は弁明を一切行わず、監査官の裁定を受け入れたのである。
(達也さんの潔白が証明されたとしても問題は解決しないわ……事件の背景に銀河連邦に対する根深い不信感がある以上、何を言っても強者からのゴリ押しだと受け取られて反発が強くなるだけだもの……)
クレアが危惧する通り、強硬に自らの正当性を訴えてみたところで、統合軍側の不信や疑念を完全に払拭するのは不可能だ。
同盟関係にヒビを入れない為にも引き下がるしかない……。
そう決めた達也の意志を尊重したクレアは、無念の感情を押し殺して平静を装ったのである。
だが、詩織らにとって、今回の決定は青天の霹靂以外の何ものでもなかった。
事情を知るクレアや志保が無念を堪えて瞑目する中、椅子を蹴立てて立ち上がるや、達也へ詰め寄って激情を隠そうともしない彼女らの様子を見れば、その憤懣が如何ほどだったかは容易に想像できるだろう。
「どうしてっ!? どうして教官が退任しなければならないのですかッ?」
「そうよッ! グラス教官に非があるのは明白じゃありませんか! アイツが勝手に逆恨みして、勝手に自滅しただけじゃないですかッ!」
「納得出来ませんっ! 断じて承服できませんよっ!」
「監察官に抗議して不当な処分を撤回させようぜッ!」
まるで重機関砲の鶴瓶撃ちの如きその勢いに不意打ちを喰らった達也は、思わず仰け反ってしまった。
彼らの剣幕に驚いたクレアと志保が宥め様とするのだが、達也が退任するという決定が余りにも衝撃的すぎて、冷静になる所か益々エキサイトしてしまう。
「こんな馬鹿な話はありませんよっ!? こっ、これからじゃありませんかッ! これから、もっともっと貴方から……」
詩織は双眸を真っ赤に染めてそう叫ぶや、慟哭しながら達也に縋りついて、その胸をポカポカと叩く。
他の女子達は既に泣き出しているし、男子達でさえも鼻を啜っている者が何人もいた。
驚いた事にヨハンまでもが瞳を赤くし、眼尻に溜まる雫を乱暴に腕で拭っているではないか。
これには、然しもの名将白銀達也も完全に虚を突かれてしまった。
たった三ケ月間の短い付き合いだった……。
取り立てて優しくしたわけでもないし、部下達に対するのと同じ様に公平に接したつもりだ……。
厳しく指導もしたし、時には遠慮なく罵声を浴びせもした……。
今回の騒動で一番の貧乏くじを引かされたのは、紛れもなくこの子達であったにも拘わらずだ。
この二か月あまりの時間を振り返った達也は、改めて己の至らなさを思い知り、何時の間にか軍という組織の毒に犯されて、この子達の様な純粋さを失っていたのだと気付いてしまう。
(なんだ……これじゃぁ、怒ろうにも怒れないじゃないか。まったく……)
すっかり毒気を抜かれた達也は、自分に縋り付いて啜り泣いている詩織の背中を優しく撫でてやり、子供を諭す様に柔らかい声音で言葉を掛けた。
「ほら、如月艦長殿……お前達の気持ちは分かったから、もうそろそろ泣き止んで席に戻りなさい」
しかし、達也の制服に顔を押し付ける彼女は、激しく頭を振って拒絶する。
「如月……お前と真宮寺の二人は俺の初めての教え子じゃないか。だったら無様な真似を晒すのは許さない」
威圧感は微塵もなく静かな口調だったが、詩織の小さな両肩が微かに震えた。
それは二十名の教え子達の中で詩織と蓮だけが知る、拒絶を許さない白銀達也の本気の言葉だったから……。
彼女は漸く顔を離すと、非難する様な口調で恩師を詰った。
「卑怯ですよ……そんな風に言われたら、みっともない真似は出来ないじゃありませんか……教官は意地悪です……」
「何だ今頃気付いたのか? 俺は卑怯で意地の悪い男なのさ」
冗談めかして相好を崩した達也は、彼女の頭を撫でてやる。
詩織は首を竦めて擽ったそうにしたが、その顔は何処か嬉しそうにも見えた。
そして、一度だけその華奢な腕で涙を拭った彼女は、決然たる態度で顔を上げ、仲間達を一喝する。
「さあっ! みんな席に戻って! これ以上無様な真似を晒したら教官に見限られるわよっ! 最後まで私達は白銀組でしょう?」
ふたりのやり取りを目の当りにしていた教え子達も、不承不承ながらも自分の席に戻る。
倒れた椅子を整えて彼らが着席するのを待った達也は、候補生達一人一人の顔をゆっくりと見廻してから口を開いた。
「本当に君達には悪いことをしてしまったな……俺が此処の教官に赴任したのは、方面軍の政務官である上官からのゴリ押しもあったのだが、実は他に適当な仕事がない……そんな為体だったのも確かだ」
何とも脱力ものの言い種であったが、教え子達は誰一人として表情を揺らさず、真剣な眼差しを眼前の教官に釘付けにして微動だにしない。
「此処に配属された時も、所詮はアルバイトだと軽く考えていたからか、いざ辞めるとなった今も同じように軽く考えてしまった……君達の教官として余りにも軽率で失礼な態度だったと恥じて深く反省している。本当に済まなかった」
背筋を伸ばしたまま腰を折って深々と頭を垂れた達也は、真摯に謝罪した。
たっぷり十秒は頭を下げていただろうか。
ゆっくりと上半身を起こし、その瞳に焼き付ける様に教え子達の顔を見つめる。
「今回の騒動の幕を引く為にも、俺の退任は必要な処置だと考えてくれ……また、将来の統合宇宙軍のエース候補の君らを、いつまでも他軍の士官に預けてはおけない、というのも幕僚本部の本音だろう。それは至極当然で真っ当な言い分だから、俺は甘んじて決定に従うつもりだ」
訳知り顔でそう言われても、蓮は少しも納得できなかった。
ついさっきまで、これからも指導して貰えるのだと信じていただけに、不意打ち同然に『これでお別れだ』と言われても、ハイそうですかと承服できる筈がない。
何かを言わなければ……そう気持ちだけが焦ってしまう。
我儘でもいい、みっともなく泣き叫んででもいい、駄々を捏ねるなと叱られてもいい……。
必死に自分を叱咤し言葉を捜すのだが、口は微かに開閉を繰り返すだけで、本来の役目である声を発するという仕事を果たしてはくれない。
この期に及んで慰留の言葉すら思いつかない自分が情けなくて目頭が熱くなってしまい、そんな顔を見られまいと蓮は俯くしかなかった。
それは、壇上で達也の背後に立っているクレアや志保も同じだ。
全ての教え子達が俯いて肩を震わせているのだが、気の利いた慰めの言葉ひとつ掛けてやれない。
そんな自分が歯痒くて仕方がないが、下手な慰めは逆効果になりかねないと知るだけに、ふたりは沈黙を守るしかなかった。
達也も口を閉じて、教え子達が落ち着くのを待つ。
やがて、一人、また一人と鼻を啜りながらも顔を上げていく。
全員が瞳を真っ赤にしていたが、それでも自分を注視してくれた時、達也は口元を綻ばせた。
「それでいい。軍人には泣いている暇も、後悔している暇もないんだ。そんな暇があるのならば寸暇を惜しんで自分を鍛えなさい。弱者を救うために、そして仲間を救うために……何よりも君達自身が死なない為に」
一旦言葉を切った達也は詩織に視線を向けて微笑む。
「『私達は白銀組だ』と言ってくれてありがとう……随分と照れ臭い台詞だったが嬉しかったよ。だから、俺から君達へたった一つのお願いだ」
そう言われて彼らは背筋を伸ばして固唾を呑んだ。
彼らの視線を一身に集める中で、達也は偽りない願いを吐露したのである。
「君達が揃って少尉任官を果たすのは決して難しくはない。その程度の実力は充分にある。それは俺が保証するよ。その上で誰一人欠けず全員が軍人生活を全うして退役する事……それが叶ったならば、俺は君達を心から誇りに思うだろう。素晴らしい教え子達だったとね。それが俺の願いだ」
胸が熱くなる……このまま声を上げて泣けたならどんなに楽だろう。
蓮はそんな想いを断ち切って立ち上がるや、直立不動の姿勢で敬礼していた。
彼に追随して残りの教え子達が全員立ち上がって敬礼をし、誓いを新たにしたのは言うまでもない。
達也は満足そうに大きく頷くと見惚れる様な答礼を返し、一言だけ華を添えたのだった。
「諸君の健闘を心から祈る……これが今生の別れではない。いつか銀河の何処かで同じ軍人として逢おう……楽しみにしているぞ」
◇◆◇◆◇
本人は格好良い別れのシーンを演出したつもりだったのだが……。
蓮や詩織達教え子にとっては、感動に彩られた涙のお別れで幕を閉じるなど断じて承服できる訳がなかった。
不意を衝かれた達也は彼らに拉致され、半ば強制的に学内の大食堂へと連行されたのである。
「こっ、こら! お、お前達ッ! 何をする気だ? さっきまでのしおらしさは何処へ消え失せたんだ!?」
懸命に抗議するものの、暴徒と化した彼らの耳にそんな泣き言は届かない。
挙句の果てに【落第打破記念パーティー&白銀教官送別パーティー】なる狂乱の宴への強制参加が確定したのだから、まさに「泣きっ面に蜂」だ。
何処が狂乱かといえば、参加対象者は当校の教官と候補生ならば、学年を問わずALL・OKという参加無制限同然の鬼畜設定。
然も、費用は全額白銀教官の奢り、と教え子達の総意を以て決定したのである。
「ふざっけんなあぁ! 俺の送別パーティーじゃないのか? なんで送られる側が費用を全額負担しなきゃならないんだ? 理不尽だッ!」
後ろ手に拘束された上に両足の自由も奪われて、歩く事もままならない達也は、教え子達に担がれて大食堂中央のテーブルに座らされてしまう。
そのテーブルにだけ、取って付けた様に花瓶が飾られているのが妙に腹立たしく、憤慨は増すばかりだったのだが……。
「あらっ? あらあらあらっ? 教え子たちに散々無茶振りをした挙句、さっさと帰っちゃう薄情者が、理不尽とか言うのねぇ~?」
世紀末に降臨した悪魔王遠藤志保が、艶を含んだ声で揶揄するや、教え子達から『そーだ!そーだ! その通ぉ~~りっ!』 と棒読み賛意の大合唱。
最凶の天敵までもが教え子側に味方し、形勢は一気に不利へと雪崩を打つ。
然も、追い打ちを掛けるように校内放送がパーティーの告知を始めるや、隣接する校舎の彼方此方で騒めきが起こり、それは次第に喧騒へと膨れ上がっていく。
「もう観念なさった方が良いですよ……お別れ会なら賑やかな方が嬉しいですわ。費用は半分私がもちますから……最後は楽しい思い出で門出を祝いましょう」
何時の間にか隣の席に強制的に座らされたクレアが、笑顔でそう懇願してきた。
恋人にこうまで言われては、駄々を捏ねて男を下げるような真似はできない。
安っぽい見栄だと笑われても、退いてはならない場面が男にはあるのだ。
開き直った達也は厨房の管理者たちを相手に、料理やドリンクの交渉をしている詩織に大声で命令した。
「如月ッ! 折角の門出だ、ケチケチするなッ! この大食堂の食材とドリンクをお前達が完食できたら、気持ち良く全額奢ってやるよッ! さっさと後輩達も搔き集めてこんか──いッ!」
狂乱の宴が伏龍全校生徒参加第一回大食い大会に変化した瞬間だった。
因みに、この後第二回大会が開催されたかは定かではない。
◇◆◇◆◇
「ふう~~~参った、参った……まさか本当に食材もドリンクも喰い尽くすとはな……日頃から陸な物を食べていない証拠だよ。全く嘆かわしい」
自宅……といっても当然のようにクレアの自宅なのだが、帰り着いて早々に愚痴を零しながらも、何処か嬉しそうな表情の達也を見て彼女も相好を崩す。
結局、全校生徒が参加して開催された大食い大会は中庭まで溢れた参加者で賑わい、大盛況のうちに幕を閉じた。
獰猛なイナゴの群れかと見紛わんばかりの欠食児童達は、大食堂の食材を見事に平らげ、詩織が最後のコーラ一杯を飲み干した瞬間、打ち上げ花火代わりの大歓声を放って感謝と別れの挨拶にしたのである。
特別参加した林原学校長の厚情で、特別功労金扱いで費用を五十%OFFにして貰った達也は、心の中で手を合わせて狸親父に感謝するのだった。
「照れなくても良いのに……本当は嬉しかったのでしょう? 今でも頬が緩みっぱなしですよ、達也さん?」
揶揄われて気恥ずかしくなった達也は、バツが悪そうな顔でリビングに逃げ込むや、素知らぬ顔で話題を替えた。
「さくらやユリアは御両親の所で我儘を言っていないかな?」
「まさか。寧ろ、爺婆が孫娘達を甘やかさないか、その方が心配です……達也さんからも厳しく言ってやって下さいね」
キッチンで飲み物の用意をしているクレアが溜息交じりにそう言うが、達也にしてみれば、初対面の御両親相手に荷が重い事この上ない。
「余り期待しないでくれ。俺だって初めて御会いするんだからね。初対面の若僧に説教されて御父上が気分を悪くされたら……その方が怖いよ」
ソファーに腰を降ろして穏やかな声で答えたのと同時に、スコッチウイスキーの瓶と氷容れ、その横にグラスがふたつ乗った銀製のトレーを持ったクレアが戻って来た。
それらをテーブルに並べると、隣に腰を降ろして丁寧な仕種で水割りを作る。
グラスを叩く氷の音が心地よく、琥珀色の液体が目に楽しく、達也は笑み崩れて問うた。
「君がウイスキーなんて珍しいね?」
「偶にはいいじゃありませんか……その……多分、これ一杯が限度でしょうけれど……お話相手にはなれますわよ」
クレアには伝えなければならない事が山ほどある……。
明日、彼女の御両親に御挨拶する以上、その機会は今夜しかない。
それを分かった上で、少しでもリラックスできるようにと、飲めもしないアルコールに付き合ってくれる彼女の心遣いが、達也には堪らなく嬉しかった。
「それじゃぁ……」
「「乾杯……」」
グラスが触れ合い、チンと軽く澄んだ音がして、二人はそれぞれに琥珀の液体を口に含む。
「んっ……けほっ……ご、ごめんなさい、私ったら……」
軽い舌触りとは裏腹に、喉を焼くような強い酒精の刺激にクレアは思わず咽てしまう。
「無理しなくていいのに……でも、こうして俺を気遣ってくれるのは君だけだものなぁ……失いたくないよ」
「達也さん?」
全てを話せば彼女を含めて大切なモノを失うかもしれない……。
最近は、そんな夢を見て目を覚ましてしまうのも珍しくなかった。
だが、譬え、そうなったとしても、これは自分の口で伝えるべきだ。
そう思い定めて手にしていたグラスをテーブルの上に置いた達也は、意を決してクレアの手を取った。
「君に聞いて貰いたい事がたくさんあるんだ……決して耳障りの良い話ではないけれど、これを隠したまま君の隣には居られない。それでも聞いてくれるかい?」
達也が何を不安に思い何を隠しているのか、クレアに察する術はない。
しかし、それがどんな話でも構わないと思う自分が居る……。
だって、私はこの人を愛しているのだから……。
その事実だけで充分だと思ったクレアは、なんの躊躇いもなく愛しい恋人の問いに頷いた。
「えぇ、聞かせてください。貴方のお話がどんなものであっても、絶望も悲観もしません……だって私の隣に居て欲しい人は……あなただけなのですから」
欠片ほどの逡巡も見せず、そう言い切った最愛の女性の微笑みに誘われるかの様に達也は話を切り出したのである。




