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第二十話 銀河の片隅で ②

 錯乱したジェフリー・グラス教官が、模擬戦の最中(さなか)に候補生の乗艦目掛けて実弾を発射したという信じ難い出来事は、未曽有(みぞう)の混乱を軍内へ(もたら)したと言っても過言ではなかった。

 この事実が公表されれば、統合軍は元より、統合政府までもが、管理責任を問われて窮地に(おちい)るのは避けられないだろう。

 そんな事態を避ける為にも、早急に事件の詳細を知る必要がある。

 そう考えた参謀本部は、研修を担当した伏龍所属の教官たちや艦隊首脳陣の元へ監察官達を派遣し、厳しい事情聴取を行ったのだ。


           ※※※


 五月二十七日早朝に航宙研修を終えて帰還した候補生たちは、翌二十八日までの休暇を与えられたものの、それを手放しで喜ぶ者は誰一人としていなかった。

 特に詩織たち二十名の白銀組は事件の当事者でもあり、軍上層部の判断次第では今後の処遇が大きく左右されるだけに、心中(おだ)やかではいられないのは無理もないだろう。

 (みずか)らの行動が間違っていたとは思わないが、エリート然としていたグラス教官を狂気に追いやった一因が、自分達にもあるのではないか……。

 そんな(にが)い想いが心に(わだかま)って、一向に気分が晴れないのだ。


 それは、誰もが同じだったらしく、昼食を終えた頃から一人また一人とリブラのミーティングルームに集まっては、互いに顔を見合わせて、曖昧な微笑みを交わし合うのだった。

 時折時間を気にしながらも意味の無い雑談に興じていた彼らに、クレアから連絡が入ったのは午後二時を過ぎた頃だ。

 状況の説明をするから全員に召集をかけるようにという通達だったが、(すで)に全員が(そろ)っていると伝えると、そのまま待機するようにと言われたのである。


             ◇◆◇◆◇


 それから間を置かず、志保を(とも)なったクレアがリブラへやって来た。

 不当な処分を受けた二十名の候補生たちにとっては、何くれと面倒を見て貰った大恩ある教官であるから、この場に彼女らが居るのに違和感を覚える者はいない。

 だが、肝心の達也の姿はなく、怪訝(けげん)な表情をする教え子らの間に(かす)かな(ざわ)めきが生まれる。

 そんな彼らの懸念(けねん)払拭(ふっしょく)するべく、柔らかい微笑みを浮かべたクレアは現在の状況を説明した。


「白銀教官は学校長とともに、参謀部から派遣された監察官を含めた三者会談をなさっておられます……(じき)此処(ここ)に御見えになると思いますので、先に今回の事件に()ける幕僚本部の意向を伝えておきます」


 そう言って彼女が候補生達に伝えた内容は、(おおむ)ね次の通りだ。


① 今回の事件は精神錯乱を起こした教官が引き起こした偶発的(ぐうはつてき)ケースだと考えられ、世上の混乱を避ける為にも関係者には一級の秘匿(ひとく)義務を課すものとする。 


② 本件の根底には士官候補生養成学校の教務官体制に(いちじる)しい不備があるのではないか、との疑念に(かんが)み、至急全教官の資質調査並びに適正検査を実施する。


③ 上記②の措置(そち)(あわ)せて各学年のクラスを再編成し、候補生間の連帯感の構築と授業内容の質の向上を図る。


④ 今回再検定の処遇(しょぐう)を受けた候補生については、その資質並びに修学度に()いて何ら問題はないものと判断し、先の退学処分は無効とする。


 等々であるが、最後の通達を聞いた蓮達は破顔して、それまで抑えて来た感情を一気に爆発させた。

 歓声を上げて大きくガッツポーズをとる者。

 肩を抱き合って涙を流す者。

 大袈裟(おおげさ)なゼスチャーで(はしゃ)ぎ廻る者。

 個々によって反応は様々ではあるが、懸命な努力が(むく)われた歓喜と、困難を克服(こくふく)して名誉を回復した達成感を()()めているのは、誰もが同じだ。


 彼らが信念と生き残りを賭けて頑張ったのを知るだけに、クレアも志保も騒ぎを(とが)める気にはなれず、口元を(ほころ)ばせて優しい視線で見守っていたのだが、その厚情に優等生の詩織が気づかない訳がない。


「こ、こら! みんなっ! 教官がいらっしゃるのよッ! 嬉しいのは分かるけれど、騒ぐのはやめなさぁいッ!」


 清楚(せいそ)な見た目からは想像もできない大音声が室内に響き、(ようや)く我に返った仲間達は慌てて自分の席に着く。

 眼差しで詩織へ感謝を伝えたクレアは、皆を見廻してから祝意を述べた。


「皆さんが()()びていた吉報を伝えられて、私自身大変嬉しく思っています……理不尽な仕打ちに耐え、切磋琢磨(せっさたくま)して困難を克服した貴方達を心から祝福するわ。本当におめでとう」


 続いて軽くウィンクする志保が、何時(いつ)もと変わらない軽口を叩く。


「君達に不当な査定を下した愚か者共にはご愁傷様(しゅうしょうさま)と言う他ないが、正しい者が(むく)われるのを見れたのだから、私も本日は気分が良いわ! さぞかし晩酌(ばんしゃく)の酒は美味(うま)いでしょうから、君らに感謝して堪能(たんのう)させて貰うわね」


 大半の候補生が『遠藤教官らしいや!』と顔を(ほころ)ばせるなか、躊躇(ためら)いがちに右手を上げた蓮がクレアに訊ねた。


「あ、あの……結局グラス教官は、あの後どうなったのでしょうか?」


 不当な評価を受けただけではなく、散々居丈高(いたけだか)に罵倒されただけに、憎くないと言えば嘘になる。

 しかし、あの狂気に(ゆが)んだ顔が脳裏から離れず、何がジェフリー・グラスという男を破滅へと駆り立てたのか……。

 納得できる答えを得ないうちは、今回の騒動に終止符を打つ気にはなれない……それが蓮の偽らざる心境だった。


 だが、それは質問されたクレアも同じだ。

 ジェフリーに対する処罰と今後の処遇については説明できても、何が彼を狂わせたのかという点については、彼女自身も明確な答えを持ち合わせてはいない。

 それでも処分の経緯だけでも説明しようとしたのだが、そのタイミングを見計らったかの様に入室して来た者によって遮られるのだった。


「待たせたね。真宮寺の質問には俺が答えよう。ありがとう、ローズバンク教官」


 教え子達が一斉に起立し敬礼をするなか、登壇(とうだん)した達也はクレアと入れ替わって彼らの前に立つ。

 着席を(うなが)し、全員が腰を降ろしたのを確認してから口を開いた。


「グラス教官は精神疾患(しっかん)を理由に軍病院に収監された。訓練中に実弾を使った行為は明確な軍規違反であるし、彼を擁護(ようご)できる理由も根拠もない。仮に病状が回復したとしても復帰は有り得ないだろう。また、彼に協力していた複数の教官達も罷免(ひめん)され、人事局の一時預かりとなるそうだ」


 取り巻き連中までもが処分されるとは驚きだったが、達也の回答は事後の経緯を述べたに過ぎず、事件の根幹を知るには物足りないと感じた教え子達は、皆一様に複雑な表情を浮かべるしかなかった。

 しかし、これ以上の詮索(せんんさく)が果たして許されるものなのか……。

 そんな葛藤(かっとう)(さいな)まれる教え子らへ達也は問うた。


「来年の春に無事に少尉任官を果たせたとして、君らは軍という組織の中で出世したいと思うかい? 真宮寺候補生、君はどうだ?」


 その突飛な質問に狼狽(ろうばい)した蓮は、何と答えれば良いのか迷ってしまう。

 上級士官ならば、誰だって昇進して位階を極めたいと思うのは当然だし、それを浅ましい行為だと(そし)る理由は何処(どこ)にもない筈だ。

 だが、それを承知の上で()えて問うのだから、達也に何らかの思惑があるのではないかと深読みした蓮が、暫し考え込んでしまったのは仕方がないだろう。


「そ、その、候補生の僕にはピンとこない話ですが……いつかは将官まで昇進して艦隊を指揮してみたい……その程度の夢はあります」


 名指しされた以上答えないという訳にもいかず、蓮は差し障りがないと思う範囲で常識的な答えを口にした。

 すると、口元を(ほころ)ばせた達也が軽口を返す。


「ふむ……随分と可愛らしい願望だな。『元帥まで出世し、スーパーロボット開発プロジェクトを立ち上げます!』ぐらいは言うかと思ったんだが?」


 マニアの血潮(ちしお)(たぎ)らせ、何時(いつ)かはガ〇ダ〇のパイロットになる、と蓮が公言しているのを知っている仲間たちが、達也の台詞を聞くや一瞬で爆笑したものだから、それまでの陰鬱(いんうつ)な雰囲気までもが吹き飛ばされてしまった。


「ひっ、ひどいですよッ白銀教官ッ! 人の夢を笑いものにするなんて!」


 憤慨して顔を赤らめ抗議する蓮に笑顔で謝罪し、達也は言葉を続ける。


「お前を笑いものにする気はなかったんだが……ただ、人は何か目的や願望があるからこそ、上位の場所を目指して努力するものだろう? それは軍人も同じだが、昇進を重ねるうちに若い頃の理想や夢は薄れ、組織の中での立ち位置ばかりを気にする者が増えていくのも、悲しいかな事実なのだ」

「そっ、それはある程度は仕方がないのではありませんか? 理想や夢だけでは、軍という巨大組織が成り立つはずもないのですから」


 神鷹が珍しく否定的な意見を口にすると、数人の仲間が同調して頷く。

 そんな彼らを達也は責めはしなかったが、その心の暗部にこそ今回の事件の根幹を成すものがある以上、それを正す義務があると思い()えて反論した。


「自身の理想を叶えるために必要な地位を目指していたはずなのに、いつしか出世そのものが目的になってしまう……俺はそれを正しいとは思えない。だが、グラス教官にとっては、高い地位に昇り詰める事こそが、彼自身の揺るぎない価値観だったのだろう……」


 教え子達の誰もが息を呑んで達也を凝視する。

 それは、彼の言葉が事件の核心を()いていると理解したからに他ならない。


「俺が所属している銀河連邦宇宙軍でも貴族出の士官が幅を()かせ、その他の士官と対立するなどざらだ……彼らは平民士官を見下すし、平民出の士官達も貴族閥の士官達を無能と嘲笑(あざわら)って忌避(きひ)する……こんな組織がいざという時に戦う集団として機能すると思うかい?」


 一旦言葉を切った達也は、教え子達の顔を見廻してから再度口を開く。


「以前にも話したと思うが、軍人が武器を手にして力を行使するのを許されているのは、(ひとえ)に力のない民間人を護る為だ。出自も身分も関係ない……弱者の救済以外に軍人の存在意義はないのだ。それを心に刻んで結果を出し続けた者こそが昇進に値するのだよ」


 そう強い口調で言った達也は急に言葉のトーンを落とした。


「俺はグラス教官のような軍人を大勢見て来た……エリート至上主義や悪しき選民思想……そのようなものに()りつかれたばかりに、いつしか目指した道を見失い、堕落していった同情する値打ちもない連中だ……お前達は決して彼らのようにならないで欲しい。それだけは約束してくれ」


 欠片(かけら)ほどの情けも見せずジェフリーらを断罪した達也は、教え子達へ強い視線を向けてから口調を改めた。


「これから言う事は俺の個人的な考えだから真に受ける必要はない。しかし、少しでも心に掛かったならば、君達の軍人生活の指針にして貰えれば幸いだ……」


 ミーティングルームが静まりかえり、教え子達の視線が達也に注がれる。

 敬愛する教官の口から発せられる言葉を一言一句聞き逃すまいと耳を(そばだ)てる彼らに、達也は真摯(しんし)な想いを(たく)した。


「将官にまで昇進できる軍人には二通りの人間が存在する……一つは、位階を極めこれからは毎日が天国に居る様なものだと浮かれる連中。もう一つは、いつ終わるとも知れない無間地獄を歩いて行く覚悟をして昇進を受け入れる連中。遠い未来、その分岐点に君達が辿(たど)り着く頃には、この言葉の意味が分かる様になっているだろう。その時に間違った選択をしない様に日々の研鑽(けんさん)を怠らないでくれ」


 少尉任官やその後の昇進を一種のステータスだと考えていた己の浅はかさに蓮は恥じ入るしかなかった。

 この白銀達也という軍人を見下す連中が今の訓示を聞けば、間違いなく負け犬の遠吠えだと断じて嘲笑(あざわら)うだろう。

 傭兵から特別任官された達也は、どれだけの手柄を立てようとも最終的な階級は少佐止まりなのだから……。


 しかし、そんな物にどれほどの価値があるというのか……。

 崖っぷちで藻掻(もが)いていた自分を救い上げてくれたのは、ジェフリー・グラスではなく白銀達也だったではないか。

 その事実だけで充分だと思った蓮は、達也の言葉を素直に受け入れたのである。


(もっと、もっと……この人から学びたい。アイラが言っていたのは、お世辞でも何でもない。この人こそが俺達が目指すべき軍人のあるべき姿なんだ)


 辿り着かなければならない目標を見定めた蓮は、心の奥から込み上げて来る熱い高揚感に歓喜した。

 その想いは自分だけではない……。

 彼がそう確信したのも当然だろう。

 詩織や神鷹、そしてヨハンや他の仲間たちの顔にも有り有りと晴れやかな表情が浮かんでいるのを見れば、それは疑いようもなかったからだ。


 だが、次の瞬間、そんな彼らの心情に冷水を浴びせるが(ごと)き言葉が恩師の口から飛びだしたのだ。


「お前達に伝える最後の訓示がこんな謎々(なぞなぞ)じみたものでは不満かもしれないが……勘弁してくれ。俺も本日付で退任となり、銀河連邦宇宙軍に戻ると決まった。短い間だったが世話になった。心から感謝している」


 そう言って深く頭を下げる達也。

 その瞬間に場の空気は凍り付き、本人を除く全員が身動きできない彫像の(ごと)くに立ち尽くしてしまうのだった。

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