第十九話 女神の横っ面を張り倒せ ⑦
教え子たちが八方塞がりの状況に追い込まれているにも拘わらず、達也は不敵な笑みを浮かべたまま泰然とスクリーンを見ている。
何を根拠に窮地にある彼らの戦術に感嘆したのか、周囲の人間は誰もその真意を理解できず、半信半疑の眼差しを向けるしかない。
しかし、そんな中にあって、クレアと志保は顔を見合わせて微笑みあっていた。
達也がそう断言する以上、活路は残されていると彼女らは信じているし、それを疑うのが如何に無意味かを誰よりも良く理解しているのだ。
「一人だけ分かった様な顔で悦に入るなんて趣味が悪いわよ? 勿体ぶってないで、さっさと教え子自慢を披露しなさいよ」
意地の悪い顔で志保が軽口を叩くのは何時もの事だが、隣のクレアも含み笑いを漏らしているのを見れば、どうやら同じ意見らしい。
そんなふたりの催促に苦笑いしながらも、達也は教え子達の意図を解説した。
「面舵を切っていれば、地形効果の恩恵を利用して引き分けに持ち込めたかも、と副長殿が仰ったが、それでは意味がない……如月以下全員の望みは勝利以外にはないからね……引き分けも敗北も眼中にはないんだ。あいつらは」
その傲慢極まりない達也の物言いに反発し、憤然とした顔をする者もいたが、艦長や幕僚達は興味津々といった風情で聞き耳を立てる。
「戦力で劣る彼らが勝つには相手の虚を突かなければならない……もうすぐ結果が出るので、ネタバレして興醒めさせるのは申し訳ないので詳しくは言いませんが」
そこで一旦言葉を切った達也は、デブリ帯の狭い回廊を疾駆する軽護衛艦の映像を見て口角を吊り上げた。
「最大のポイントは、如何にして敵の優勢な火力を無力化するか……それが勝負の分かれ目になるという事です。その一点を見据えた如月が、虚実を織り交ぜて此処まで指揮して来た……さあっ、そろそろクライマックスです。お見逃しないように御注意ください」
その気取った言い回しを受けてブリッジの面々がスクリーンを注視するなかで、クレアは達也に寄り添って片腕を絡ませる。
「彼ら自身の手で、望む結果を掴めるといいわね……」
「きっと掴むさ。その為だけに必死に頑張ったんだからね……最後まで見てやってくれ……俺の自慢の教え子達の戦いを」
絡ませたその手を優しく握り返されたクレアは、小さく頷いてから、そっと恋人の肩に頭を預けるのだった。
◇◆◇◆◇
「敵艦進路変わらず! 本艦と同高度のまま回廊出口に高速で接近中!」
「一番、二番主砲の準備ヨシッ! 目標選定どうしますか?」
絶好の砲撃ポイントに陣取り、手ぐすねを引いて待ち受けるジェフリーは同僚からの問いに哄笑しながら答えた。
「はっ、はははぁ~~! 決まっているじゃないかっ! ブリッジ周辺を集中的に叩くのだ! 軽護衛艦のシールドなど重武装艦の砲撃の前には気休めに過ぎない。早々に撃ち砕いて、あのクズ共を絶望の淵に突き落としてくれるッ!」
高揚する気分の儘に吠えるジェフリーだったが、彼なりに戦況分析は入念に行っていた。
(火力の差は歴然! 真っ向勝負の撃ち合いになったとしても、威力と手数で勝る本艦が有利なのは自明の理だ。奴らも今更進路変更はできまい……回廊周辺はもとより、現在位置から進行方向全域にも、容易に突破出来る様な密度の低いデブリ帯は存在しないっ! さあっ! のこのこと顔をだすがいいッ! その時がお前らの最期だ!!)
「グラス艦長! 主砲にエネルギーを優先的に廻しているため、対ビームシールドの強度が不安定になっている……どうする?」
機関とエネルギーの維持を管理しているオペレーターからの報告に、ジェフリーは瞬間湯沸かし器よろしく怒声を返す。
「馬鹿めがッ! 軽護衛艦の小口径艦砲ならば、シールドレベルDでも充分だ! 奴らの搭載火器で本艦の装甲を破壊するには、至近距離まで肉薄する必要があるが、あの落第生どもにそんな度胸も技術もありはしない! それでも不安ならば、残りのエネルギーで艦首前方にシールドを展開させておけッ!」
怒鳴られたオペレーターは不快感を露にしたが、それでも命じられた仕事は一切手を抜かずにやり遂げた。
彼は艦隊所属の士官であり、気が進まない儘に今回のヘルプを引き受けたのだが、気に入らない相手の指示だからと手を抜くのは矜持に反する。
ただし、その後はお手並み拝見とばかりに鼻を鳴らし、サボタージュを決め込んだのだが……。
ジェフリーら伏龍教官達の傲岸不遜な態度に、ヘルプで乗艦している士官たちで憤りを覚えない者はいない。
当然ながら彼らは、こんな愚かな教官に当たった候補生達に同情的であり、内心では勝利を掴んで欲しいと強く願ってもいたのだ。
そんな彼らの想いに後押しされたかの如く、詩織ら候補生達は乾坤一擲の大博打に打って出たのである。
◇◆◇◆◇
「回廊出口まであと四十五秒! 作戦予定地点まで二十秒です!」
オペレーターからの報告に頷いた詩織は、一度だけ大きく息を吸った。
現在、回廊の出口から九時方向、距離十五の位置にジェフリーの艦が攻撃準備を整えて待ち構えている。
このまま出口に到達し敵と相対した場合、中距離レンジでの戦闘を余儀なくされる詩織達の方が不利なのは、誰もが分かっていた。
自艦の砲撃は相手の防御シールドにより減衰されるのは火を見るよりも明らかだし、反対に高火力を誇る敵艦からの攻撃を防ぐ手立てはないに等しい。
したがって彼らが勝利を掴むには、近接戦闘に持ち込んで全火力を集中して敵艦に叩き込むしかないのだ。
困難極まる状況だが光明はある。
敵重護衛艦が陣取っている場所は、デブリ帯によって分断されているとはいえ、詩織達の現在地からは目と鼻の先ほどの距離しかない。
然も回廊の残りの行程が緩やかな左カーブを描いている関係上、両艦はほぼ並走しているも同然だった。
ここでターンしデブリ帯を突っ切れば、勝利を確信し油断している教官達に一泡も二泡も吹かせてやれる可能性は極めて高い。
軽護衛艦の利点である高速航行能力を最大限に生かして相手の隙を衝き、その懐へ飛び込んで火力不足を補う。
この一瞬の状況を作り出す為に、詩織は逃げに徹して相手の疲弊を誘い、自艦の戦力を温存してきたのだ。
(策は尽くした……ここから先は運任せね……ふふっ、上等よッ!)
「作戦予定位置まで五・四・三・二・一・今ッ!」
オペレータの絶叫と同時に詩織も大喝する。
「艦首スラスター逆進二秒ッ。取り舵いっぱいッ! 左転舵六十度! 艦首前方にシールド展開! 全速でデブリ帯を突破するわよッッ!」
急激な慣性により船体にが悲鳴を上げるなか、軽護衛艦は急速転舵を成し遂げ、シールドを艦首に展開したまま密度の濃いデブリ帯へと突入を果たす。
船体に衝突する岩石群が破砕する衝撃に艦は激しく揺れ、今にも装甲が重篤なダメージを負うのではないかとの恐怖に苛まれる候補生達。
しかし、それを意志の力で強引に捻じ伏せた彼らは、ただ勝利をもぎ取る為だけに全力を尽くす。
「舵このままッ! デブリ帯を突っ切ったら一気に勝負よ! 神鷹! ヨハン! みんなぁッ! いっくよぉ──ッ!」
仲間全員の応諾の声を力に変えた軽護衛艦は、その脚を加速させて敵艦目掛けて疾駆するのだった。
※※※
「つっ!? て、敵艦急速回頭! シールド展開後デブリに突入ッ! 最短距離を直進ッッ! 本艦に突撃してきますッ」
状況の急変は当然の如くジェフリー側も察知する。
此処まで温存していたシールドをデブリ突破の切り札にし、最短距離を駆け抜けて肉薄してくる候補生達に、同じ軍人として敬意を懐いた者は多く存在した。
軽護衛艦がデブリ帯を突破すれば、目と鼻の先に躍り出るのだから、相手の虚をつく見事な操艦だと評価しても何ら不思議ではない。
しかし、ジェフリーは想定内だと言わんばかりに高笑いして罵声を発した。
「そんな芸のない浅知恵を見抜けないとでも思ったのか? 所詮、クズは何処まで行ってもクズに変わりはないなぁッ! 大口径の主砲を防げないシールドの使い道などその程度のものだ! こんな猿知恵で戦術を語るなど恥を知れぇいッ!」
候補生達の手の内を見透かしたと確信したジェフリーは、教え子達の敗北を目の当たりにして屈辱に歪む達也の顔を幻視し、身体中を満たす愉悦に震える。
(もう少し……あと少しで、白銀に勝てる──ッ!)
やはり最後に勝者たるのはエリートである自分だったのだと、喜悦の情に満たされたジェフリーは矢継ぎ早に指示をだした。
「艦首右回頭十三度ッ! 主砲は前方に固定したまま標的艦の艦橋部をロック! 意表を衝いたつもりだろうが、慌てなければ対応は可能だっ! 主砲の一斉射撃で仕留めるのだぁッッ!」
しかし、目先の勝負に執着して勝ち誇るジェフリーは気付けない。
彼の横柄な態度に辟易したヘルプ組の士官らが、全力を尽くす意思を喪失している事に……。
それ故に僅かだが、艦の挙動に致命的な遅れが出ているのをジェフリーは察知できなかったのだ。
「敵艦っ! デブリ帯を突破しますっ! 距離三!」
眼前の密集した岩石群が一瞬で破砕して漆黒の宙空に拡散した瞬間、軽護衛艦の艦首が突出する。
「今だあぁぁッ! 一番、二番主砲斉射ァッ! その後連射に移行ッ! 徹底的に艦橋部を叩いて、奴らに己の分というモノを教えてやれえッ!」
絶叫するジェフリーの脳裏には輝かしい称賛を浴びる己の姿が浮かび、その顔には喜悦の色が滲むのだった。
※※※
「デブリ帯を突破っ! 敵艦発砲──ッ! 艦橋直撃コースッ!」
悲鳴にも似たオペレーターの絶叫に、自分の策が図に当たったのを確信した詩織は、口元を笑みで歪めて命令を下す。
「シールドを三連バックラーに変形っ! 艦橋前面に集中展開ッ!」
詩織はここまで温存していた切り札を満を持して投入した。
彼女の命令と同時に艦前方に展開していたシールドが消失し、小振りだが三枚の円形シールドに再構築されて艦橋前部に顕現する。
まさに間一髪。
重護衛艦の大口径連装主砲二基、合計四門のビーム砲の前に立ち塞がった異形のシールドは、一枚目、二枚目は破砕されたものの、三枚目の盾が減衰されたビームに耐え切って候補生達の未来への道を切り開いた。
(グラス教官。プライドに執着する貴方なら、私達を嘲笑う為にも絶対に艦橋狙いだと思っていました。なりふり構わず、全ての兵装を駆使して攻撃すれば良かったのに……それが貴方の限界よッ!)
この時点で艦長である詩織の仕事は終ったと言っても過言ではない。
何故なら、既に神鷹とヨハンが彼女の期待に応えるべく、研ぎ澄まされた反撃の刃を大上段に振り翳していたからだ。
「三連シールド消失!」
「構わない! 艦首下げ二十ッ! 進路修正右に二度! このまま敵艦直下を反航するッ!」
「全主砲並びにCIWS全門仰角最大ッッ! VLS全門開放! 対艦ミサイル全弾セーフティ解除ッ!!」
瞬時の間に指示を飛ばし、艦の戦闘力を極限まで開放する。
他の仲間達も持てる技量の全てを叩き出し、神鷹とヨハン、延いては詩織の期待に応えようと必死の作業に傾注した。
「敵艦第二射発砲──ッッ!」
オペレーターの叫びに神鷹は不敵にも口角を吊り上げていた。
「遅いッ! 両舷前進強速──ッ! 進路そのまま──ッ!」
艦首から急降下を開始した軽護衛艦は、敵艦からの第二射を見事に回避するや、そのまま全力で下方へと潜り込む。
「艦首上げ二十! 敵艦真下を反航するっ! ドンピシャリだ! ヨハンッ!」
神鷹の絶叫と同時にニ艦の艦首が重なったのをヨハンは見逃さなかった。
「おうッ! たらふく喰らいやがれぇッ! 攻撃開始ッッ!!」
ヨハンの大音声を合図に、それまでの鬱憤を晴らすかのように全ての火器が砲声し、疑似ビーム弾と模擬ミサイルが敵艦底部を舐め尽くすかの様に蹂躙する。
その刹那、花火大会のクライマックスが如き豪奢な七色のエフェクトが宙空を彩った。
そして、間を置かずに旗艦艦長の裁定が両艦に告げられたのである。
「今回の模擬戦は、教官側の乗艦大破判定を以て伏龍候補生側の勝利とする。実に見応えのある内容だった……両艦乗員共に御苦労!」
その通信を聞いた詩織以下十九名の乗員達は喜びを爆発させ、歓声を上げながら勝利の味を噛み締めるのだった。
◇◆◇◆◇
「やったぁッッ! あの子達が勝ったわぁ──ッ!」
志保は破顔して両腕を振り上げるや、周囲で同じ様に喝采を叫んでいた士官達に抱きついては喜びを爆発させた。
「し、志保ったら……」
ブリッジに居たのは中堅所の士官から参謀まで様々な階級の者達だったが、皆が男性士官であるのは他の艦と変わりはない。
だが、今の彼女は喜びが勝っているらしく、そんな些事に斟酌する余裕はなく、そして、腐れ縁の奔放さに呆れ顔のクレアは、溜息を漏らしながら苦笑いするしかなかったのである。
とは言うものの、グラマーで美人の志保に思いっきり抱きつかれた男達にとっては、最高に嬉しいハプニングだったに違いない。
しかし、美味しい話が容易く転がっている筈がないのは世の常で……。
(志保が正気に返らなければいいのだけれど……あっ……)
クレアの懸念は直ぐに現実のものになる。
破廉恥な騒動になる前に制止しようとした生真面目な副長が反対に志保から抱き締められ、オマケとばかりに頬にキスの洗礼まで受けてしまったのだ。
そこで終わっていれば笑い話で済んだのだが……。
当然、艦橋の男共は幸運極まる副長に盛大なブーイングを飛ばして嫉妬に狂い、騒ぎはヒートアップ!
怒号飛び交う乱痴気騒ぎの中、漸く正気に返った志保は、自分が男に抱きついてキスまでしている状況に驚くや、電光石火の右フックを副長の腹部に叩き込んだのである。
志保のボディーブローをまともに喰らった副長は、その身体を二つに折って床に崩れ落ちてしまい、憐れにもそのまま医務室へと搬送されてしまう。
まさに不運としか言う他はない彼の悲劇に周囲は顔を青くするのだった。
そんな騒ぎは無視して候補生たちの健闘に考えを巡らせていた艦長は、意味深な微笑みを浮かべて達也に訊ねた。
「あの三連の盾は銀河連邦軍の新兵器なのかい?」
「いえ……防御力の弱い小艦艇用に、私の所属する艦隊で開発されたシールド変形システムです。パターンデーターを入力するだけで使用できますし、秘匿兵器ではありませんから、宜しければ御自由にお使いください」
「それは、ありがたい! 遠慮なく使わせて貰うよ。しかし、あの子達はたいしたものだね。挑発や突飛な行動の全てが、敵の砲火の着弾点を艦橋部に誘引する為の駆け引きだったなんてねぇ……いやはや恐れ入った。彼らこそ次代を担う士官に相応しいっ! 幕僚本部にはそう伝えておくよ」
「ありがとうございます……彼らは自分達の力だけで夢を掴みました。私の自慢の教え子達ですよ」
※※※
喜びも露に破顔する達也とは対照的に、敗者であるジェフリーは、信じられない結末に呆然と立ち尽くすしかなかった。
そして、悩乱し耐え難い屈辱に苛まれ、自我を崩壊させてしまったのだ。
(負けた・負けた・負けた・誰が・誰が・誰が・私が? 私が? 私が?)
(違うッ! 違うッ! 違うッ! クズはクズだ。そうだクズだ。クズは死ななければならない!)
狂気を孕んだ呪詛を胸中で吐き散らしながら、ふらふらした足取りで管制パネルに近づくや、血走った眼を見開いてタッチパネルを操作する。
「死ね・死ね・死ね・死ね・死んでしまえぇ。クズ共に生きる価値はなぃ!」
そして狂ったように雄叫びを上げるジェフリー。
彼の異変に気付いた他の士官が制止しようとしたが時すでに遅く、前甲板十二基のVLSが全門開放され、対艦ミサイルが発射されてしまう。
「あっ、あれは実弾頭搭載……もっ、模擬弾ではありません! 目標は本艦後方の軽護衛艦!? 命中まであと二十秒ッ!」
驚愕するオペレーターの叫びに、先任士官が間髪入れずに叫び返す。
「自爆コード送信ッ!」
「だっ、駄目ですっ! コードを受け付けませんッ! セキュリティーが破壊されています!」
「クソったれがぁッ!!」
正気を失って哄笑を撒き散らすジェフリーをシートから引き摺り降ろした先任士官は、マイクに向かって絶叫するのだった。
※※※
『逃げろぉッッ! そのミサイルは模擬弾じゃないッ! 実弾だッッ!!』
突然の警告を受けた詩織達は、歓喜から一転して恐怖のどん底に叩き落とされてしまう。
いち早く艦を増速させて逃げに入った神鷹の好判断もあって、対艦ミサイル群が命中するまでの二十秒は確保したが、近接戦闘用兵器の実弾を搭載していない彼らには、迫り来る凶弾を迎撃する手立ては皆無だった。
十二発もの対艦ミサイルが命中すれば、軽護衛艦の脆弱な装甲ではひとたまりもなく宇宙の藻屑になるしかない。
(どうする? どうすればいい? どうやったら助かるのッ!?)
自分だけではなく十八名の仲間の命が懸かっているのだ。
焦る気持ちとは裏腹に時間だけが容赦なく過ぎていく。
その時、火花が散るように脳裏に浮かんだのは、最後の訓示の時にエレオノーラから託された言葉。
『女神の頬を張り倒してでも振り向かせなさいッ!』
詩織は意を決して絶叫する!
「ヨハンっ! 艦首前方の大きな岩塊に両舷のアンカーを撃ち込んで! 神鷹っ、メインエンジン後進全速の後、急速左旋回百八十度! 対応スラスターは全基全力噴射! 緊急回頭ぉ──ッ!」
この時に彼らが成した操艦は、奇跡という言葉で片付けられるようなものではなかった。
詩織の決断とそれを寸瞬も躊躇わずに受け入れ、全力を尽くして己の職分を全うしたヨハンと神鷹の技術。
そして、三人の信頼し合う心が、結果的に気紛れな女神を振り向かせたのだ。
軽護衛艦は急制動をかけると同時に急激な左回頭へと移行する。
「ヨハン! アンカーの鎖を捲いてェッ! 全員何かに掴まってッ!」
言葉を発せられたのはそこまでだった。
艦を巨人の腕に見立てれば、アンカーで引かれる岩塊は巨大なハンマーか?
急激なGに耐える十九人にできるのは祈る事しかない。
そして、その祈りは確かに女神に届き、彼らは奇跡を掴んだのである。
艦が回頭したのと時を同じくし、艦首目掛け肉薄して来た対艦ミサイルは眼前まで迫り来ていた。
まさに万事休すかと思われた瞬間ッ!
アンカーに引かれた岩塊がミサイル群の横っ腹を盛大に薙ぎ払ったのだ。
その衝撃に対艦ミサイルは脆くも破砕し、次々に誘爆していく。
しかし、直撃こそ免れたものの、至近距離での爆発をまともに受けた艦は激流に揉まれる木の葉の様に吹き飛ばされてしまう。
「ひ、被害状況知らせっ!?」
詩織が懸命に叫ぶと、各部署から矢継ぎ早に報告が返って来た。
「艦首装甲に亀裂多数! 両舷前部スラスター六基大破!」
「衝撃でエネルギー伝導システムが緊急停止した! 再起動まで二十秒。その間はエンジンは動かせないっ!」
「火災は発生しませんでしたが艦内酸素の流出が認められます! 艦首四ブロックの隔壁を閉鎖します」
(な、なんとか……生き延びた?)
艦に致命傷がないと分かった途端、今更ながらに恐怖がぶり返す。
しかし、これで助かった……と安堵するには早過ぎた。
「レーダーに感あり! ミサイルが二基生きています! 艦直上より急速接近ッ、ロックされた! もう駄目ェッ!」
オペレーターの絶望に染まった悲鳴がブリッジに響く。
推進力を失った艦に、このミサイルを回避する術はない……。
(ごめん……蓮。約束守れなかった……)
詩織が唇を噛んで瞼を閉じた、その時だった!
『まだ諦めるのは早いッ!』
スピーカーが大音声を発したのと同時に、艦の左右を閃光の如く駆け上がっていく二機の戦闘機!
『蓮! 右は任せたわ! しくじるんじゃないわよッ!』
『了解ッ! アイラ、君もなッ!』
その合図と同時に翼下に搭載された二十㎜ガトリング砲が雄叫びをあげ、銃弾の牙が仲間の命を奪わんと肉薄する二本のミサイルを正確に撃ち抜いて、漆黒の宇宙空間に火炎の大輪を咲かせるのだった。
その想定外の出来事に、詩織は思わず素っ頓狂な声をあげてしまう。
「ちょ、ちょっとぉ──ッ! あなた達どうして実弾なんか積んでるのよッ?」
『いやぁ~~それがさぁ……出撃前に白銀教官に『なんかキナ臭い雰囲気だから、実弾も積んでいけ』って言われてさ……こんな形で役に立つとは思わなかったよ』
『あんた達さぁ……あの人を見縊りすぎだって言ってるでしょう? 彼に掛かれば、この程度のアクシデントなんか全部お見通しなのよ』
「あはっ……あはは……はは……はぁ~~~」
アイラの言葉を聞いた詩織は一気に膝から力が抜けてその場にへたり込んでしまったが、今度こそ危地を潜り抜けたのを悟り、大きく息を吐き出した。
しかし、同時に僅かばかりの妬心を感じてしまう。
(あ~~ぁっ……少しは成長できたかと思ったけれど……まだまだ教官の足元にも及ばないんだなぁ~~~もっと、もっと頑張らなくっちゃね)
たくさんの歓喜と少しの悔しさ……その想いを詩織は噛み締める。
周囲を見廻せば仲間達が疲労困憊してシートに身を委ねており、詩織自身も気が抜けたのと同時に抗い難い疲労感に襲われてしまい、はしたないと思いつつも床の上に大の字になって寝ころぶのだった。
◎◎◎




