第十九話 女神の横っ面を張り倒せ ④
(安っぽいエリート至上主義に拘泥した挙句、己の意を押し通す為ならば、教え子達の至誠を踏み躙っても恥じる事さえない……こんな馬鹿共に人を指導する資格があってたまるものか!)
自身の教え子達が必死に努力して掴んだ成果に泥を塗られた達也は、普段の彼からは想像できないほどに激昂していた。
だが、不穏な空気が室内に充満し、その緊張感に負けた誰かが喉を鳴らした音が皆の耳朶を打った時……。
「見苦しい真似は止めて下さい。懸命に研鑽を積んだ候補生達が、学び得た技量を余す所なく発揮したというのに……教官の貴方達が子供じみた醜態を晒すなんて恥ずかしいとは思わないのですか?」
周囲の思惑に忖度せず激昂する二人を正論を以て窘めたのは、その美貌を険しくするクレアだった。
久しぶりに彼女の本気の叱責を受けた達也は一瞬で我に返るや、昂った心を鎮めようと小さな呼吸を繰り返す。
(いかん、いかん。あいつらには『指揮官は常に冷静沈着であれ』と教えた俺が、まんまと挑発に乗せられたのでは恰好がつかないじゃないか)
危うく暴発する所を救われた達也は素直にクレアに感謝したが、そんな殊勝な心掛けなど微塵も持ち合わせてはいないジェフリーは、忌ま忌ましげに舌打ちして彼女を睨みつけた。
「技量を余す所なく発揮した? そんな物は何もない! ある訳がないのだッ! 奴らは軍人としての才能がない落ち毀れだ。それは、指導した我々が誰よりも良く知っているぅッ! だからこそ、変な未練を持たぬように綺麗サッパリ落第にしてやったというのにぃッ!」
傍から見れば狂気以外の何ものでもない物言いだが、血走った双眸を歪めたジェフリーは、憎悪を込めた視線を達也へと向けて尚も吠えたてる。
「心ある統合軍士官ならば誰もが! お前の図々しさに唾棄するに違いないぞ! 秩序を乱してまで出来損ない共を救済しようなどと……そんな理不尽な真似は断じて許されないのだッ!」
それは、まさに被害妄想に等しい妄言だと言う他はなかったが、彼の意見に同調する教官達も一定数存在しており、銀河連邦という巨大な強者に対して反感を持つ士官が多いという証左でもあった。
しかし、それまで黙っていた艦長は、そんな彼らの歪んだ心情に不快感を覚えながらも、努めて鷹揚な態度を保って口を開いた。
「なるほど。グラス大尉以外にも本日の査定に不満な者がいるようだ。よろしい。査定した我々が君達の疑問に答えようじゃないか……誰か質問はないかね?」
特段に怒った様子は見られない艦長の問いに、遠慮する必要なしと判断したのかブリュンヒルデの年若い教官が椅子を蹴立てて立ち上がるや、一気に捲し立てる。
「本日の査定でトップと評された候補生は、戦闘指揮の検定の際オーダーを満たせなかった筈です。それなのに彼女が我が校の候補生よりも優秀だと仰られても、到底納得できませんっ! 我々にも理解できるよう説明をお願い致します」
誇りあるエリート校の看板に傷をつけられたのが不満らしく『納得できなければ、只では済まさない』と言わんばかりの物言いだったが、艦長は大きく頷くや、不敵な笑みを口元に浮かべて彼の質問を受けて立った。
「フム……いいだろう。本日の検定は私の判断で課題のレベルを変更していたが、戦闘指揮と艦橋に於けるチームワークの検定を受けた全てのグループの中、最上位のレベル設定をしたのは、ブリュンヒルデのチームから二組と再検定組。合わせて三組のみだった」
「我々にもその様に見受けられました。与えられたオーダーは『持ち時間内に戦闘宙域に存在する敵艦の殲滅』……我が校から選抜された二組がオーダーを満たしたのに対し、再検定組は敵戦力を排除できず、あまつさえ残敵を放置したまま戦場を離脱しました! この結果で彼らの方が優秀だと仰られても到底納得できるものではありませんッ!」
艦長以下採点官達が何らかの意図を以て検定結果を不正に捻じ曲げたのではないかと、この教官は思っているらしい。
それは、彼の言葉の端々から感じられる悪意という名の棘からも明らかだ。
だが、艦長はそんな些事は意にも介さず、平然とした顔で驚きの言葉を返した。
「確かに敵艦の殲滅がオーダーだったが、戦場に於いて、それは当り前ではないのかね?」
投げやりともとれる反問に意表を衝かれたのか、その若い教官が唖然とするのを面白そうに見やりながら、艦長は言葉を続ける。
「私や採点官が如月候補生と指揮下の仲間達に高い点数を与えた理由は、彼女達だけが軍人の戦いを実践していたからに他ならない。残念ながら、君らの教え子達はまだまだアマチュアの域を出ていない……半人前だと評価せざるを得ないね」
一旦言葉を切った艦長が意味ありげな視線でクレアを見ると、彼女は寸瞬の間を思考に費やしただけで彼の思惑を読み取って見せた。
「鉱石輸送艦に対する対応が問題だったのではないでしょうか?」
クレアの回答に満足して大きく頷いた艦長は、笑顔で言葉を引き継いだ。
「その通りだ。如月チームだけが民間船を護るべき存在として認識し、乗員全員がその撤退の援護に全力を尽くした……それが点数を分けたポイントだよ」
「しっ、しかし……我が校の二組も輸送艦を撃破されてはおりませんっ! 何処が違うというのですか!?」
納得できずに語気を荒げる質問者に艦長は冷然と言い放つ。
「それは結果的に撃沈を免れたというだけで、積極的に護り切ったという意味ではない! それが証拠にブリュンヒルデの二組の鉱石輸送船は、それぞれが二発被弾して撃沈判定の一歩手前まで追い詰められていただろう? それに対して如月組は無傷で凌いだじゃないか。余りに見事過ぎて面白くないので、エンジントラブルのアクシデントを追加してみたんだが、慌てもせずに難なく対処して見せたのは見事だと言う他はないね……そうだろう副長?」
話を振られた副長は大きく頷いてから明快な分析を披露した。
「はい。護衛対象がエンジントラブルを発生させたと報告を受けた如月候補生は、迷わず輸送艦の進路を変更させてデブリ帯の陰を航行させました。その上で敵艦隊の射撃軸線を自艦に引きつけ、防御に徹して輸送艦の脱出時間を稼いだのです……全く見事だと言わざるを得ません」
「しかしっ、結果として敵艦の殲滅には失敗したではありませんかっ? ならば、敵艦を殲滅せしめた我が校の候補生達の方が劣るという批評には同意いたしかねます! 贔屓目に見ても、引き分けが妥当ではないでしょうか?」
どうにも諦め切れないのか、尚も執拗に食い下がるブリュンヒルデの教官の問いに、『そんな事も分からないのか?』と言いたげな嘲笑を口元に浮かべる艦長。
「確かに君の教え子達は見事に敵の殲滅を成し遂げた……だが、その目先の戦果を得る為に大切な事を見落としてしまったんだよ。資料の最終項目を見てみたまえ。作戦終了時の三艦の武器残弾数が記載されているだろう? よく引き比べて見れば理解できると思うのだが?」
艦長に促された教官達が指定された資料に目を通した瞬間、そこに記載されているデーターの意味を理解した彼らのどよめきが部屋中に拡がる。
「こ、これは、両校ほぼ全ての班が主兵装に廻すエネルギーと実砲弾を使い切っているのに、再検定組はそれを三十%以上保持してミッションを終えている?」
戦闘中に艦の主動力が稼働しているならば、光学兵器が使用不能になる可能性は極めて低いと言えるだろう。
だが、作戦中に不測の事態が起こらないとは限らないし、それにより肝心な時に主兵装が使えない……。
そんな最悪の事態が絶対に起こり得ないとは言い切れないのだ。
敵艦の撃破に躍起になる候補生達の中にあって、唯一、詩織だけが最悪の事態を想定して指揮を執ったのである。
冷や汗を額に浮かべ愕然として黙り込む教官たちを睥睨し、艦長は厳しい声音で彼らを諭した。
「その数字を見れば一目瞭然だ……殆んどの候補生が、検定をゲームと勘違いして敵艦の殲滅に固執したなかで、再検定組だけが傷ついた輸送艦を自軍の基地まで連れて帰る為の戦闘オプションを失うの恐れた。いざという時に弾切れで戦えないという無様を晒すぐらいなら、敵艦の一隻や二隻を見逃したからと言って何ほどの事がある? まさに見事な決断であり見事な引き際だった」
艦長の口から零れる称賛の言葉に、自らの浅薄さを思い知らされた教官達は悄然として項垂れるしかない。
「軍人の存在意義とは護るべき存在を命懸けで護る事にある。目先の戦果や称賛などに目が眩んでいるうちは一人前には程遠い。少尉任官や訓練の為にする訓練など欠片ほどの値打ちもないと知るべきだ! 我々は護るべき者を護り、そして生きて帰る為に訓練をしているのだからね……」
そう訓示して話を締め括った艦長に、今度はクレアが姿勢を正して訊ねる。
「本校の再検定組二十名の検定評価は、どの様になるのでしょうか?」
艦長は破顔一笑するや、直卒の幕僚達の意見を集約した私見を述べた。
「いやぁ~~今回の検定を通じて我々は驚かされてばかりだったよ! 本日の検定結果では特に問題となる点は見いだせなかったし、ブリュンヒルデの候補生たちを上回る逸材もチラホラ目についた……幕僚本部には嘘偽りなく真実のみを報告するから安心したまえ。中尉」
望む答えを得たクレアは安堵したが、その言を承服しかねる者もいる。
ジェフリーは椅子を蹴立てて立ち上がるや、憤懣を露にして上級者である艦長に喰って掛った。
「そんな馬鹿な査定があるものかぁっ! 明らかに恣意的な依怙贔屓だとしか思えないッ! そうでなければ、あんな落ち毀れ共が優秀だなどと称賛される筈がないだろうがッ!」
当然ながら艦長の顔からも笑みは消え去ったが、ジェフリーに付き合って激昂したりはせず、静かだが威厳に満ちた声音で訊ね返す。
「グラス大尉……君が落ち毀れだと罵倒している二十名の候補生達は、本日早朝より五時間にも及ぶ試験を受けているのだが、直前になって試験方式を変更された挙句、その内容は少尉相当の士官が昇進時に受けるものと大差ない……そのように査定担当官から報告を受けているのだが……」
「そ、それが……何だというのですか?」
自分で裏工作をした結果である為か、ジェフリーは狼狽して思わず言葉を詰まらせてしまったが、そんな彼に艦長は追い打ちを掛けた。
「その様な仕儀に至った経緯について、彼是と詮索するのは我々の仕事ではない。しかし、理不尽でアンフェアであるのは明白であり、私の権限で試験結果を無効にするべきかとも思ったのだが、全員が正答率九十五%以上という結果ではねぇ……寧ろ、彼らの優秀さの証明になるだろうと思って其の儘にしておいたよ」
想定外の結果を聞かされ、自ら墓穴を掘った事に臍を噛むジェフリーは、憤怒に顔を紅潮させ押し黙るしかない。
「その後の実技に於いても特段に問題になるような場面はなかった……今度は私の問いに答えてくれるかね大尉? なぜ彼らに落第の烙印を押したのかね? 彼らの担当教官を務めたのは、君を筆頭に伏龍の特別教官ばかりだと聞いているが?」
長きに亘る艦隊勤務で培われた存在感……。
ジェフリーを睨みつける艦長の威圧感は、地上勤務の木っ端参謀の比ではなく、まさか、自分が詰問されて追い詰められるとは想像もしていなかったジェフリーは、怨嗟の眼差しを達也へ向けて歯噛みするしかなかった。
(おのれ! おのれっ! おのれぇ────ッ! 白銀達也めぇッ! 下衆の成り上がり者めがァッ! 融通の利かない艦長を篭絡して取り入るなどと卑怯な真似をしおってぇぇッ)
明らかに傍迷惑な被害妄想だと言うしかないが、その憎悪は深くて強い。
怒りと憎しみに歪んだ精神状態の彼にとって、今の自分の惨めな境遇は全て白銀達也という男の存在によって齎された結果であり、この目障りな男を排除しなければ、栄光に包まれた自分の未来も失われてしまう……。
心の中で別の自分がそう囁くのだった。
その為にも、蓮や詩織らの落第組を此の儘にしておける筈がない。
一旦落第の烙印を押された者が再評価されれば、一転して今度は自分達が優秀な候補生の素質も見抜けなかった無能者のレッテルを張られ、批判の対象へと貶められてしまうだろう。
そんな屈辱を味わう自分の姿を想像しただけで、彼は気が狂いそうだった。
だから、恥も外聞も捨てたジェフリーは、艦長や周囲の者達へ己の言い分を強弁したのである。




