第十九話 女神の横っ面を張り倒せ ③
「右舷三時方向より敵増援接近すっ! ミサイル駆逐艦シェレンベルク級二隻っ。距離三十八突っ込んできます!」
「左舷側の敵は完全に沈黙しました……次元探査ソナーに感無し! 次元潜航艇の排除に成功した模様!」
刻一刻と変化する状況を必死にオペレートし続ける仲間達の声に、詩織は小さく頷いて指示を返す。
「VLS開放っ! 対艦ミサイル発射っ! シェレンベルク級の脚を止めなさい。鉱石輸送艦はどうなっているかしら?」
「現在戦闘宙域を全力で離脱中なるも、右舷エンジンが不調の為、尚時間を要すとの通信アリ!」
自軍に不利な条件を付きつけられても、詩織は顔色一つ変えない。
しかし、それが彼女の精一杯のポーズに過ぎないのを仲間達は良く知っている。
本来ならば盛大に舌を弾きながら地団駄を踏んでストレスを発散している所だが、『指揮官は常に冷静であれ』という達也の教えを守って、ポーカーフェイスを装っているのはバレバレだ。
だからこそ、彼らは詩織の想いに応えようとし、己に与えられた職分を全うするべく全力で奮戦するのだった。
「仕方がないわ。民間船が離脱するまで時間を稼ぐわよっ! 面舵いっぱいっ! シェレンベルク級の鼻っ面に砲撃開始! 操舵手、回避任せます!」
「「「了解っ! 艦長っ!」」」
艦長以下クルーが一丸となって与えられたオーダーを完遂する為に全力を尽くす姿は、軍人ならば誰の目にも尊い光景に映るものだ。
それは、無言のまま訓練を見守る本艦の艦長以下、幕僚の面々も例外ではない。
特に艦長は腹の底から込み上げて来る歓喜に興奮し、無表情を装うのにも苦労する有り様だった。
先に同じシナリオ設定で訓練に臨んだブリュンヒルデ優等組に感じた物足らなさを、この落第組は見事に克服して見せたのだから、思わず頬が緩んでしまったのも仕方がないだろう。
(軍人が戦うという意味をこの候補生達は良く理解しているじゃないか。いやはや恐れ入ったね……)
内心で秘かに喝采を叫んでいると、すぐ隣に控えている副長が感服したと言わんばかりに囁いて来た。
「これは……大したものですねぇ。彼女の指揮には迷いがありません。実働部隊にさえ、あのように果断に指示できる艦長がどれだけいるか……」
日頃は採点が辛い幕僚の面々までもが、副長同様に驚きを露にしている事実が、この候補生達の力量の高さを証明していると言っても過言ではない。
そう感服した艦長は、手放しで彼らを褒めそやす。
「確かにな……それと同様に称賛されるべきは、他の十六人の正確で素早い手際の良さだよ……彼らは艦長の命令を寸瞬の遅れもなく実行し、彼女のイメージ通りに艦を動かしている……余程の信頼関係がなければ、こんな芸当はできはしないよ」
艦長の最大級の賛辞に、副長も顔を綻ばせて何度も頷いたのだった。
そして、訓練は最終局面を迎える……。
「艦長っ! 鉱石輸送艦が戦闘宙域を離脱しました!」
この報告を待ち侘びたかのように、詩織は右腕を大きく横に振った。
「面舵いっぱい! 反転百二十度。両舷前進強速‼ とっとと逃げるわよっ!」
未だ無傷のミサイル駆逐艦が健在の状況で撤退命令を出した詩織の決断に、見学していた他の候補生達から失笑が漏れる。
オーダー達成目前で撤退を余儀なくされた落第組の不手際が、彼らの目には嘲笑に値する失態に映ったのだが……。
同じ瞬間に思わず右の拳を握りしめた艦長は、頬を吊り上げて歓喜を露にしたが、その真意に気付いた者は一部の側近以外には誰もいなかったのである。
◇◆◇◆◇
初日の研修は予定通り午後六時を以て問題なく終了した。
唯一のアクシデントと言えば、落第組である二十名全員が研修最後の艦長訓示が終了するのと同時に昏倒し、医務室に運び込まれるという騒動があったぐらいだったが……。
「単なる疲労で良かったですわ……今夜一晩ゆっくり休めば大丈夫と、ドクターのお墨付きを戴いています……」
艦長の厚情で士官用の娯楽室に人数分のベッドが運び込まれ、臨時の休眠場所が設えられた。
疲労の極に達し昏々と眠り続ける二十名の教え子たちを見守りながら、クレアはそう達也に告げて微笑む。
「昨夜から陸に寝てないのに誰一人脱落せず、ハードな研修を乗り切ったんだ……気が緩んで緊張の糸が切れてしまったのだろう」
「ええ……明日もありますから、このまま寝かしておきましょう。目が覚めた時に空腹を訴える者がいるでしょうから、簡易食の用意をしておきますわ」
部屋の明かりを最小レベルまで落として通路に出るや、ふたりは肩を並べて士官食堂へと向かう。
無事に初日の研修を終えて緊張から解放された所為か、通路で擦れ違う候補生達の表情にもチラホラと安堵の色が見受けられる。
夕食を終えた彼らは各々展望室や喫茶コーナーで歓談に勤しんでいるが、本来ならば最終点呼が終わるまでが訓練検定であり、叱責もののチョンボだと言えなくもない。
しかし、実戦配備されている先任乗組員から見れば彼らは未だに半人前であり、この呑気な光景も御愛嬌だと許容されているようだった。
そんな中ふたり揃って食堂に顔を出すと、人数分の食事を確保した志保が奥まった座席で待っていてくれた。
「ミーティングまでそんなに時間がないんだから、イチャイチャしてないで、早く食事を済ませてしまいなさいな」
ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべて揶揄ってくる腐れ縁を睨みつけ、クレアが文句を返す。
「イチャイチャなんてしていませんっ! 研修中に変な話を吹聴したら、本気でぶつからね」
午後八時から作戦会議室で行われる研修初日の総括に、正規の教官であるクレアと志保は出席を義務付けられているが、銀河連邦軍の士官である達也は、前回同様参加を認められていなかった。
「ふたりとも申し訳ないが、あいつらの援護を宜しく頼むよ」
料理を口にしながら達也が懇願すると、表情を改めたクレアと志保は強く頷いて決意を露にする。
「安心してください。彼らの頑張りを無駄にはできませんもの……落第などという理不尽な話は、必ず撤回させてみせますわ」
何時になく強気なクレアの弁に頷く志保も笑顔で太鼓判を押す。
「任せておいて! 採点官達の反応は決して悪くはなかったから、希望は充分あると思うわ……後はあの馬鹿共が騒ぎを起こさなければ、案外簡単に復学が叶うかもしれないわよ」
さすがに楽観的に過ぎると思った達也が、注意を促そうとした時だった。
彼らのテーブルに歩み寄って来た人物を見た三人は急いで立ち上がるや、敬礼を以て礼を尽くす。
「どうか御自由になさって下さい。私は艦長からの要請を伝えに来ただけです」
そう言いながら人の好い笑みを浮かべた副長は、間を置かず用件を伝えた。
「実は、この後行われる総括に白銀大尉にも出席して貰えないかと、うちの艦長が希望しているのですが、お願いできますか?」
どういう風の吹き廻しかは分からないが、願ってもない厚情に感謝した達也は、艦長からの申し出を有難く了承した。
「ありがとうございます。御迷惑でないのならば是非参加させて下さい」
要請した艦長の意図は不明であるが、副長の表情から推察する限り、蓮や詩織達にとって不利な話でないのは窺い知れた。
そうでなければ、態々達也の参加を求めるのは不自然極まりない。
圧倒的に不利な状況で巡って来た挽回のチャンス……。
気絶するまで頑張った教え子たちの為にも、この好機を逃さず反撃に転じようと、達也は意気込むのだった。
◇◆◇◆◇
今回の航宙研修初日の総括は、艦橋下の作戦会議室で執り行われると通達されており、関係者は食事を終えたその足で参集していた。
参加者の内訳は、艦長以下研修の採点官を務めた幕僚が二十名と、両士官学校の担当教官が合わせて三十名。
総勢五十名の陣容だった。
然して広くもない作戦会議室の過密状態に辟易している面々がざわめいたのは、見目麗しいクレアと志保が入室して来たからではなく、彼女らに続いて達也が姿を見せたからだ。
「なっ! なぜキサマが此処にいるのだ! 銀河連邦軍所属のお前は部外者だっ! 出て行きたまえッ!」
既に彼の中では白銀達也という存在は怨敵に等しいのか、激昂したジェフリー・グラスが一喝する。
しかし、達也はウンザリした表情を浮かべはしたが、敢えて無視して知らぬ顔を決め込んだ。
その態度が癇に障り再び怒鳴ろうとしたジェフリーだったが、上級者である艦長が割って入ったが為に、それ以上の抗弁は口にできなかった。
「グラス大尉。気にしなくてもいい。彼は私が招集したゲストだからね」
その言葉に驚きを露にした顔で反問するジェフリー。
「ゲスト? 何を馬鹿なっ! この男は銀河連邦軍の廻し者ですよ?」
「おいおい。物騒な物言いは止めたまえ……確かに彼は統合軍の所属ではないが、同盟軍の士官じゃないか。然も、幕僚本部から特別査定を言い渡されている二十名の候補生達の教官でもある以上、この総括には欠かせない人間だと私が判断したのだ……異論は認めない。早々に席に着きたまえ」
いきり立つジェフリーを理路整然と宥めているように見えるが、艦長の双眸には有無を言わせぬ苛烈な意志が滲んでおり、凡そ教官らしくもない振舞いに及ぶ男を睨め付けている。
然しものジェフリーもその強い威圧感の前には引き下がらずを得ず、内心の不満を隠そうともせずに顔を歪めるや、両腕を胸の前で組んで乱暴に腰を降ろした。
「さて、白銀大尉。申し訳ないが席は私の隣でいいだろうか? 美しい同僚の隣が良いとは思うのだが……」
艦長の明け透けなジョークに苦笑いを浮かべた達也だったが、一礼して指定された席に移動する。
クレアと志保は伏龍側の教官席の後列に場所を確保した。
「さて、これで全員が揃ったようだから、本日の研修の総括を始める」
開会を告げる艦長の言葉の後、参集した全員に各種資料が配られて副長が大まかな説明をする。
数多の士官候補養成学校の中にあって、最優秀との誉れも高いブリュンヒルデの候補生達だけあって、総合の平均点は伏龍のそれを大きく上回っていた。
今回の合同研修が決まった当初から予想されていた結果とはいえ、悔しさを隠しきれない伏龍の教官達に対して、ブリュンヒルデの教官達は、然も当然だと言わんばかりに涼しい顔をしている。
それぞれの思惑が交錯する中で、敗者の側に身を置かねばならない現状に憤るジェフリーだったが、同時に自分の信念ともいえる持論が証明された事で、僅かだが溜飲を下げていた。
(ふんっ。何を今更……愚鈍な凡夫を排除し、優秀なエリートばかりで構成された集団が切磋琢磨すれば、抜きん出た能力を誇る人材が育つのは当り前ではないか。だからこそ、無能者は早々に放逐するべきなのだっ!)
自分のような優秀な教官が指導しているにも拘わらず、成長の痕跡が見られない候補生など首を斬られて当然だし、再チャンスを与えるなど時間の無駄だ……。
そんな呪詛を心の中で吐き散らしたジェフリーは、己が切り捨てた候補生たちに対し、欠片ほどの憐憫の情も懐きはしなかったのである。
すると副長の説明が終わるのを待ち兼ねたかの様に艦長が立ち上がってマイクを手にするや、意味ありげな視線で周囲を見廻してから口を開いた。
「確かに前評判通りの結果である……とは言えないのだよ。これがねぇ……」
その勿体ぶった物言いに両校の教官達が怪訝な顔をする中、新たな資料が配られ、それを目にした教官達は一様に驚愕して狼狽を露にする。
「今配った資料は再考査組の本日の結果である……参加候補生達の総合順位で上位三十人の中に彼ら二十人が全員入っており、そのうちの十八人は二十位以内の席を占めている状況だ。首席は満点評価の如月詩織候補生。次点は皇神鷹候補生となっている」
弾んだ声で資料を読み上げた艦長とは対照的に、両士官学校の教官達はその結果が信じられず騒然となってしまう。
満面の笑みを浮かべているのはクレアと志保ぐらいのもので、ブリュンヒルデの教官達に至っては、落胆の色を隠そうともしない者までいる始末。
誰もが想像もしなかった結果に打ちのめされ悩乱する中で、両の拳をテーブルに叩きつけるや、憤然と立ち上がった人間が居た。
言わずと知れたジェフリー・グラスその人である。
「こんな馬鹿げた茶番が許されると思っているのかァッ! 何の取り柄もないあの愚鈍な落ち毀れ共が優秀であるわけがないッ! 絶対にあるわけがないのだッ!」
目は血走り狂気に歪んだその顔は憤怒に満ちていて、彼を取り巻く仲間達が思わず後退ったほどの激昂ぶりだった。
しかし、そんな彼の狂態には斟酌せず、怒りを滲ませた声が叩き返される。
「俺の教え子達をこれ以上侮辱するのは許さないっ。その薄汚い口を今すぐ閉じて引っ込んでいろッ!」
教え子達の力を信じて疑わない達也が、大切な彼らを貶められて黙っていられる筈がない。
席から立ち上がって放たれた一喝には明確な殺気すら感じられ、周囲の緊張感を弥が上にも高めてしまう。
激しい火花を散らして睨み合うふたり……。
一触即発の事態に直面した全ての人間が、会議室の空気が頗る重くなったと認識し息を吞んだ。
残念ながら食堂での志保の杞憂が現実のものになってしまったが、それはそれで良かったのかもしれないと達也は思う。
数日後には、己の正体も含め、何もかもが白日の下に晒されるのだ。
今更少々無茶をした所で誰に迷惑をかける訳でもない。
(ならば、地獄へ戻るついでに、心卑しき鬼を懲らしめていこうか……)
熱く高揚する心の命じる儘に、達也は剣呑な視線で因縁の相手を睨みつけるのだった。




