第十九話 女神の横っ面を張り倒せ ①
今回の航宙研修の採点官は研修担当艦の上級士官たちが兼務する、と事前の打ち合わせで決定していた。
彼らは試験中起こり得るあらゆる不正行為の摘発と、候補生らの立ち居振る舞いに対する評価も一手に担っている。
そんな中、早朝から行われている試験の担当官を務めていた四十台半ばの中佐は、試験内容やその実施方法が余りにも公平さを欠くと憤慨し、統合幕僚本部から派遣された連絡士官を詰問していた。
「実質五十分で五十問の試験が五科目連続というのも異常なら、試験の中身は完全に常軌を逸している! このレベルの問題は少尉任官された士官が、一定の経験を積んだ後に昇進試験として挑む内容に等しいじゃないか。こんなハイレベルな試験を候補生に課すなど無茶苦茶ではないのかね?」
この中佐とて今回の候補生達の特殊な事情については把握している。
一旦は落第の処断を下されたにも拘わらず、銀河連邦軍から派遣されている特別教官のゴリ押しで再試験のチャンスを与えられた者達。
統合政府の正式な請願を強権を以て改変し、駐留艦隊の再配備を決めた銀河連邦軍への反発もあって、彼らに対する感情は酷く冷めたものだったのは確かだ。
しかし、その忸怩たる思いを差し引いても、今回の幕僚本部のやり様には義憤を覚えずにはいられなかった。
だから、見習い参謀同然の若い連絡将校に喰って掛ったのだ。
「そうは仰られても、彼らは一度は失格の烙印を押された落ち毀れ……役立たずの候補生を、我が統合軍が雇わねばならない理由はありますまい。統合幕僚本部の意向は、士官学校の正式教官らが下した判断の尊守であります」
殊更に慇懃な物言いで、候補生達を侮辱する若い連絡将校の横柄な態度に中佐は顔を顰めたが、幕僚本部の意向と言われれば、それ以上の抗弁はできなかった。
しかし、この不愉快なやり取りが原因となり、候補生達に対して同情的な心情が芽生えて不当な偏見意識が薄れたのだから、蓮たちにとっては僥倖だったと言えるだろう。
※※※
心情的な味方が増えているとは露ほども知らない蓮たち二十名は試験に挑んでいる真っ最中だったが、設問内容を見て全員が内心で喝采を叫んでいた。
(凄いや! ラインハルト閣下の読み通りになっちゃったよ!)
十六名の後発組を前にしてラインハルトが語った訓示を思い出した蓮は、思わず感嘆の吐息を漏らしてしまう。
~約二週間前~
「研修冒頭に行われる筆記試験では、少尉士官に課せられる昇進試験レベルの問題が出題されるだろう」
その言葉を受けたエレオノーラが追随する。
「過度な難問をだせば『最初から合格させる意志はなし』と下衆な魂胆を見透かされるのは必定。だから、現場に出て二~三年の少尉が習得する知識と技量を問題にする筈だわ……その程度でも候補生にとっては難問であるのに変わりはないもの。貴方達を合法的に落第させるには効果的な作戦ね」
経験豊富な艦長殿の不気味な予想を聞いた数人の候補生が生唾を呑み込み、その緊張は他の仲間にも伝播する。
「だが、必要不可欠な知識であり技術に変わりはないのだから、これを機に取得しても損はないだろう。よって、それらの全てを五日で叩き込んでやる」
常軌を逸した過酷な訓練を行うと事もなげに言い放ったラインハルトは、続けて強い口調で教え子達を激励した。
「その後はグラディス中佐の指導の下、ヴァーチャルシステムによる状況対応訓練を活用し、叩き込まれたものを君達の血肉に変えなさい。試験や昇進の為に日々の厳しい訓練があるのではない! 生き残るために必要なものを掴む為にこそ訓練があるのだ! それを肝に銘じて死に物狂いで頑張って欲しいッ! 諸君らの一層の奮励努力を期待するっ!」
こうして始まった二人からの指導は、『厳しい』という言葉では語り尽くせない過酷なものだったが、それを乗り越えて研鑽を積んだ彼らは、誰一人として落伍者を出さずに大きな成長を遂げたのだ。
(この程度の設問なら、全員がそれなりの成績を残せるはずだわ……)
余裕で設問の解答を記していく詩織は口角を吊り上げ、彼女なりのシミュレートに余念がない。
(私達以外の候補生は二科目の試験だから、結果は正答率で計算される筈……この程度の問題ならば全員が九十%以上正答するのは確実。この後に行われる持久走も、皆が放課後に体力増強に努めてきたから問題はないわ……)
詩織が最大の難関と位置づけているのは、ブリュンヒルデの優等生達と競う五時間連続の艦内実習試験以外にはなく、こんな前座と呼ぶのも烏滸がましいペーパーテストなど眼中にはなかった。
(彼らと競い合って勝ってこそ、私達の生き残る道があるんですもの。みんな頑張ってッ! 全員で任官を勝ち取るわよッッ!)
詩織は心の中で大喝し、仲間を叱咤激励したのである。
◇◆◇◆◇
ジェフリー・グラスの偏狭な思考と、達也に対する憎悪の念がピークに達したのは、午前中のカリキュラムを終了した時だった。
今回の銀河連邦軍の横槍を誰よりも疎ましく思っていた彼は、信奉する軍上層部の将官に事の理不尽さを大袈裟に吹聴して廻ったのである。
傭兵上がりの跳ねっかえりが地球統合軍の秩序も対面も無視し、稚拙な精神主義を掲げた教育を候補生達に施し洗脳しているのだと……。
これらの誹謗中傷は、銀河連邦軍に対して良い感情を抱いていない面々の行動を促すには格好の口実となり、落ち毀れ組に厳しく当たるのは幕僚本部の総意といういう空気が醸成されたのも已むを得ない仕儀だと言えた。
それ故に、統合参謀本部直属の連絡将校の威を笠に着たジェフリーは、落ち毀れ組の答案書を引き渡す様に艦長に要請したのである。
それは、高得点の可能性がある詩織や神鷹の点数を改竄してでも、彼らの退学を確実なものにしようという姑息な企みに他ならなかったのだが……。
「再試験組の答案用紙を渡せだって? 今回の航宙研修参加候補生達の研修評価は、我々艦隊首脳部に委ねられているはずだ? なぜその様な要求に応じなければならないのかね?」
若い連絡将校の慇懃無礼な要求に憮然とした表情でそう問い返す艦長は、視線を険しくして訊ねた。
「そっ、それは……上層部からの指示で……」
要求を拒絶されるとは思ってもいなかったのか、大いに狼狽して口籠る若手参謀を艦長は一喝する。
「上層部とは誰の事かッ!? 統合幕僚本部長かね? それとも参謀部総長か? どなたからの命令なのだ? ハッキリ言いたまえッ!」
矢継ぎ早に叱責同然の質問を叩きつけられた彼は、艦長の気迫に呑まれて真面な返事もできずに立ち尽くしてしまう。
将来の参謀部を担う逸材とはいえ、長年現場で経験を積んだ艦長と比較すれば、その能力や胆力に雲泥の差があるのは致し方がないだろう。
だが、おめおめと引き下がったのでは目論見が水泡に帰してしまう。
だから、蛇に睨まれた蛙の如く押し黙ってしまった若手参謀たちの醜態に内心で舌打ちしたジェフリーは、交渉を引き継ぐべく艦長と対峙した。
「どうか落ち着いて下さい艦長。誰からの命令だと明言すれば、上層部にとっても都合の悪い事態になってしまいます……言わば今回の件は統合軍の総意だと御理解して戴きたいのです」
「軍の総意だって? それは興味深い御意見だね大尉。いったい何が我が軍の総意だというのかね?」
幾分雰囲気が和らいだ艦長の物言いに気分を良くしたジェフリーは、まるで演説さながらの熱弁を振るう。
「それは、高圧的に振る舞う銀河連邦軍の横暴を、これ以上は看過できないという全将兵の願いであります。今回の身勝手極まる銀河連邦艦隊の再配備という屈辱に対する抗議として、彼らの手垢がついた無能な候補生を断固として排斥し、その傲慢な思い上がりを挫く事こそが、我が軍の大義と独自性を尊守する唯一の方法だと小官は信じる次第であります」
自分の言葉に酔い一気に捲し立てたジェフリーだったが、その大言壮語を鼻先で嗤った艦長は、冷めた表情で問うのだった。
「その意見が軍の総意だというのは、何かの間違いだと言わざるを得ないね……。そもそもが、銀河連邦評議会加盟の経緯を論って騙し討ちだったと騒ぐ連中は、銀河連邦が齎したオーバーテクノロジーの恩恵によって、滅亡寸前だった地球と、人類が救われたという事実から敢えて目を逸らしているのではないかね?」
「そ、それは詭弁でありますっ! その対価として今日まで太陽系内の鉱産資源を搾取され続けている事実が、銀河連邦の狡猾さの表れではありませんかッ!?」
「搾取ねぇ……政府間で合意した適正な対価を受け取っている以上、君の意見は、見当外れの言い掛かりでしかない。我が地球も銀河連邦の一員なのだ。度を過ぎた選民思想は判断を誤らせるぞ……迂闊な事を口走るのは慎みたまえ」
至極真っ当で良識的な艦長の言葉もジェフリーの心には響かないし、考えを改める気などさらさらない。
それどころか、どす黒い憤怒に苛まれ、不遜にも上官である艦長を血走った目で睨むに至っては、救い様がないと断ぜられても仕方がなかった。
(この男も銀河連邦にシッポを振る卑劣漢だ。志を語るべき相手ではない)
己の言に理解を示さない人間を相手にする暇はないと見切りをつけたジェフリーは、若手連絡参謀達を促して退室していく。
ジェフリー・グラスという若い軍人に得体の知れない狂気を見た気がした艦長は、苦虫を嚙み潰したかのような顔でその背中を見送るしかなかった。
「最近の若い連中の中に、あのような危険思想を声高に叫んで恥じない輩が増えているらしいが……困ったものだね。戦力や練度、そして最先端のテクノロジーでも勝る銀河連邦軍を妬んだところで、何が変わる訳でもあるまいに」
艦長の慨嘆に、それまで敢えて言葉を挟まなかった副長も頷く。
「いつまで経っても、銀河連邦軍の風下に立たされているのが我慢ならないのでしょうが……組織としても人的交流を奨励し、我が軍の体質改善に努めるべきではないでしょうか? あの大尉のような教官が士官候補生を指導しているという現実の方が、私は遥かに恐ろしいと思います」
「ふむ。そうだな……今度参謀本部に上申してみよう。何を変えるにしても最初の一歩は大切だからね。とはいえ、今は候補生達に対する正しい評価を下すのが先決だ。午後からの各部署における研修が本番なのだから、採点官にはくれぐれも私心を交えないよう、公平を以て評価する様に念を押してくれたまえ」
「はっ! 承知いたしました。各員に伝達して艦長の意を徹底させます!」
敬礼して退室していく副長を見送った艦長は、リクライニングチェアの背凭れに身体を預けて大きく嘆息した。
ジェフリー・グラスという若きエリートが、如何にしてあのような闇を心に抱えるに至ったのか……。
だが、その結論は終ぞ出なかったのである。




