第十八話 仰いで天に愧じず ③
五月二十五日(土)
休日を挟んで三日間行われる航宙研修初日は生憎の雨模様だった。
昨日子供達を上海シティの両親宅に預けた後、朝一番の定期便で伏龍に帰還したクレアは、ターミナルに向けて滑走する機内から雨に煙る景色を眺めながら団欒のひと時を思い返していた。
縁あって新しく家族になったユリアと、人化できるようになったティグルを養子に迎える件を両親に話すと大層驚いたのだが、元より子供好きな両親は、ふたりをすっかり気に入ってしまい快く賛成してくれたのだ。
子供たちも少々気恥ずかしそうではあったが、それでも笑顔を浮かべていたのを見たクレアは、安堵して胸を撫で下ろしたのである。
そんな事をつらつらと考えていると、視界に捉えた光景に違和感を覚えた。
(あら? こんなに早い時間から連絡シャトルが待機しているなんて……)
滑走路の東側……校舎から一番遠い駐機場に軍の連絡シャトルが待機しているのを見つけたクレアは、嫌な予感を覚えて顔を曇らせてしまう。
過去の研修では出発の一時間前に参加者らを迎えに来ていたはずなのに、定刻の三時間も前に駐機場に待機しているなど不自然極まりなかった。
そして、彼女の懸念は現実のものになる。
シャトルのミーティングルームでは、今回の研修で汚名返上に燃える蓮や詩織達二十名の候補生が、筆記式の試験を受けている真っ最中であり、既に二時間前から試験が行われていると監視役の軍政官から聞かされたクレアは、憤りを覚えずにはいられなかった。
(夜も明け切らない早朝五時から試験だなんて常軌を逸しているわ! こんな形で銀河連邦軍に対する憤懣をぶつけるなんて……よくも、そんな恥知らずな真似を)
銀河連邦軍主導で実施された今回の西部方面域に於ける戦力削減と太陽系艦隊の再配備の決定に対し、地球統合政府並びに統合軍を軽視しているとの批判があるのは重々承知している。
だが、だからといって、銀河連邦軍士官に教えを受けたという理由だけで、未来ある優秀な士官候補生達へ、その鬱憤を向けて良い筈がないではないか……。
「研修中の学科試験は二時間と規定されている筈です。それを早朝から五時間連続だなんて正気の沙汰とは思えません。直ちに中止させてください」
義憤に駆られて抗議したが、軍政官は『自分には権限がないので』の一点張りで、クレアの訴えに耳を貸そうともしない。
この儘では埒が明かないと判断した彼女はシャトルを飛び出し、雨に濡れるのも構わずに足早に教官室へと向ったが、本校舎入り口で御目当ての人間を見つけるや物凄い剣幕で喰って掛った。
「達……いえ、白銀教官! これはどういう事なのですか? 彼らだけが早朝から試験を強要されるなんて、余りにも不公平ではありませんか!」
一気に捲し立てるクレアに責められた達也は、苦笑いしながらも先ずは着替えを済ませる様にと勧めた。
「シャトル搭乗まで二時間はあるから、先に着替えておいでよ……遠藤教官が熱い飲み物を用意して二階の教官用の小食堂で待っているから、そこで話そう」
そう言われて初めて雨水を吸った制服が肌に纏い付く不快さに気づいたクレアは、万が一にも風邪でもひいた挙句に候補生達へ感染させたら大変だと思い直し、その提案を受け入れたのである。
◇◆◇◆◇
「昨日の夕方……午後六時過ぎに参謀本部から使者が来たのよ……」
よほど腹に据えかねるのか、志保は憮然とした顔で話を切り出した。
彼女が言うには、先日の銀河連邦軍との会合で取り決められた約束を参謀本部が改変した挙句、事前通達もなしに、失地回復を目指す二十名の候補生達に本日早朝より五科目の試験を課すと、その使者は宣言したのだそうだ。
長丁場の試験を終えた彼らには、研修を行う主力戦艦での乗艦式に参加した後、他の候補生達が二時間の学科試験を受けている間、体力テストと称した艦外周耐久マラソンが課せられると決まっている。
その後昼食を挟んで、他の候補生達同様に種目別の査定を受けるのだから、強行スケジュールによる候補生達の疲弊を狙った卑劣な工作であるのは、火を見るよりも明らかだった。
「悪質な嫌がらせよっ……まったくぅッ!《太陽系の平和を護る統合軍》が聞いて呆れるわッ!」
試験が長時間に及ぶだけではなく、恐らく内容も難易度の高いものに変更されているだろうし、二時間もの持久走をこなした後で、更に五時間にも及ぶ実技査定に体力と気力が持つかは、極めて厳しいと言わざるを得ない。
蓮や詩織達二十名にとって正に絶体絶命のピンチであり、この理不尽な仕打ちに憤慨したクレアは、何とか教え子達を救う手はないかと考えたが妙案は浮かばず、縋るような視線を達也に向けたのだが……。
「ここまで来たんだ……今更ジタバタした所で仕方がないさ。今回の試練も含め、彼らの未来は一人一人が自分の手で掴みとるしかない……部外者の俺が手を貸しては、アイツらの値打ちを下げかねないからね」
達也の返事は素っ気ないもので、クレアとしては落胆せざるを得ない。
勿論、彼が達観しているのは、今回の研修が教え子達の問題だと割り切っているからだけではない。
実をいえば、昨夜使者の話を聞かされた時は、統合軍の偏狭さに呆れ果てて、こんな幼稚な軍隊擬きに教え子達を託すべきか否か真剣に自問自答したのだ。
まだまだ未熟とはいえ、蓮や詩織を筆頭に二十名の候補生達は極めて高い資質の持ち主ばかりだし、それは、ラインハルトやエレオノーラも同意見である以上疑う余地はない。
大切な故郷を護って戦うという、軍人としてのささやかな名誉を彼らから奪うのが忍びなくて、銀河連邦軍入りを勧めはしなかったのだが、流石に今回ばかりは、達也自身が腹に据えかねてしまったのだ。
だから昨夜遅くに、教え子達に召集を掛けて勧誘の話を切り出したのだが……。
「実は昨夜彼らを集めて話をしたんだ……『希望するのであれば、銀河連邦宇宙軍で任官出来るように取り計らってもいい』とね……しかし、どうやら余計なお節介だったみたいでね。きっぱりっと断られてしまったよ」
その時のやり取りを思い出した達也は相好を崩して話を続けた。
※※※
「えぇ──ッ!? 何を弱気になっているのですか教官らしくもない。この程度の嫌がらせは想定の範囲内ですよ! 無理をなさる必要はありません。実力で突破してみせますから任せて下さい」
教え子達を前にして銀河連邦軍入りの案を伝えた達也に、真っ先に反論したのは詩織だった。
然も、何処か陽気で飄々としたその態度が強がりでないのは一目瞭然であり、達也としては思惑を外されて唖然とするしかなかったのである。
「詩織の言う通りですよ白銀教官。今回の試練は僕らが自分自身の力で乗り越えなければならないのです」
「その為に頭と身体の基礎訓練を徹底的にやってきました」
「教官に助けてもらうばかりじゃ恰好がつかないし、俺達だってやれるという所を見せなきゃ恥ずかしいしな」
詩織に続いて矢継ぎ早に決意を語る、蓮、神鷹、ヨハン。
そして十六名の後発組も、口々にその決意を語ったのだ。
彼らの表情には欠片ほどの慢心も見られず、果断に決意し毅然とした態度で難関に挑む若者特有の清々しさがあった。
だからこそ、そんな彼らの成長を素直に嬉しいと思った達也は、それ以上の説得を断念したのである。
※※※
穏やかな表情で教え子たちとのやり取りを述懐する達也の話を聞いたクレアと志保は、顔を見合わせて微笑み合う。
それは困難に際して怯まずに立ち向かう気概を見せた彼らに感嘆し、その成長を頼もしいと思ったからに他ならない。
「あの子達は正しく『仰いで天に愧じず』を体現しているのですね」
クレアが感慨深げにそう言うと、達也は大きく頷いて破顔した。
「自らを省みて何も疚しい事がなければ、天を仰ぎ見ても少しも恥ずべき事はない……延いては自分は潔白だという意味のことわざだね……まさしくその通りだ。それなのに、不首尾に終わった後の進路の世話を口にした俺は、何と惨めで矮小だったか……初めて彼らに教えられた気分だよ」
苦笑いして肩を竦める達也へ志保が陽気な声を掛ける。
「それじゃぁ、今日は面白いものを見せて貰えそうね」
「俺も楽しみになって来たよ。さて、少しは教官らしい仕事をするか。君らも受け持ちの候補生達を宜しくな。だが、この儘では終わらない……そんな気がするよ。良い方に転ぶか悪い方か……それは分からないけどね」
立ち上がった達也が無意識の内に口にした言葉は、時を置かず現実のものになるのだが……。
それを確信していたのは、この場にいる三人だけだった。
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