第十八話 仰いで天に愧じず ②
候補生達にしてみれば、航宙研修までの一週間は厳しい訓練に追われて瞬く間に過ぎてしまった、というのが正直な感想だろう。
まだまだ未熟な彼らは自身が半人前であるのを知っているが故に、もっと何かができたのではないかと、忸怩たる思いを懐かずにはいられないのだ。
だが、後悔に表情を曇らせる教え子達を見た達也は、彼らの心中に理解を示しながらも、賞賛と期待を惜しまなかった。
(たった二週間の訓練で、これほど貪欲になれるのも立派な才能だ。その向上心が本物ならば、これから幾らでも伸びていくさ)
ラインハルトとエレオノーラも想いは同じであり、彼らにしては珍しく穏やかな視線で候補生達を見ている。
しかしながら、時間は有限であり、何時までも感傷に浸っている訳にはいかず、その感慨を胸に秘したラインハルトが、訓練の総括をするべく口を開いた。
「候補生諸君。二週間の厳しい訓練によく耐えて励んでくれた……我ら教官三名を代表して心からの賛辞を送らせて貰おう」
てっきり厳しい言葉を掛けられると思っていた教え子達は、一様に惚けた顔をしてラインハルトに見入るしかない。
「誤解のない様に言っておくが、我々は本気で君達を鍛えたつもりだ。厳しい叱責も罵倒も一切遠慮はしなかった。その苦行を乗り越え、この場に残っている君らは間違いなく二週間前の君らではないッ! それは私達三人が保障しよう」
指揮官として経験豊富なラインハルトの檄が、候補生達の自尊心を擽った所為か、彼らの顔に朱が差して自然と口元が綻む。
「何も恐れる必要はない。今まで培って来た力を存分に発揮して難関を乗り越え、諸君らが望む未来を手に入れる様に心から願って已まない。君達を見縊った愚か者らに、研鑽して磨き上げた実力を存分に見せつけてやるといい」
凡そ、将官らしくはない挑発的なその物言いに教え子達の間で含み笑いが漏れたが、ラインハルトが大きく頷いて見惚れるような敬礼をすれば、背筋を伸ばし表情を改めた蓮達も敬礼を返した。
「最後になったが……同盟軍とはいえ、若い諸君の熱意に触れられた時間は私達にとっても貴重で喜ばしいものだった……諸君らがこのまま真っ直ぐに伸びてくれるよう切に願う……本当にありがとう!」
敬礼を解いて一歩下がったラインハルトに代わって、今度はエレオノーラが前に出る。
訓練時とは打って変わって穏やかな微笑みを浮かべる彼女の美しさに、候補生達は男女の区別なく見惚れてしまう。
「この二週間に貴方達は数え切れないほど戦死したわね……しかし、それを恥じる必要など欠片もないわ。自分が犯したミスや未熟さが原因で死ぬという屈辱によく耐えたし、そうならないで済む方法を必死に学んで来たのだから」
緊張し固い面持ちの候補生達を見廻してから訓示を続ける。
「後発組の十六人には最低限度の知識と技量を叩き込むので精一杯だったけれど、何も心配する必要はないわ……各々が学んだ事を生かせば道は必ず開ける筈だから頑張ってね。これは教え子に送るエールではありません。僅か二週間の付き合いでしたが、貴方達は紛れもなくこの私エレオノーラ・グラディスの戦友よ。それだけは忘れないでいて頂戴」
彼女の激励に瞳を潤ませる教え子が後を絶たない。そんな中エレオノーラは言葉を続けた。
「如月詩織候補生。前に出なさい」
名指しされた理由が分からず、戸惑いながらも詩織が一歩踏み出すと……。
「私達は部外者だから明日の研修には参加できない……だから此処でお別れになるわ。貴女には一番厳しく辛く当たったけれど、良く最後まで脱落せずに頑張ったと褒めてあげる……それから、挫けそうになった時に支えてくれた想いを大切にしなさい。そうすれば、貴女はきっと優秀な指揮官になれるのだから」
そう言ったエレオノーラは、今まで一度も見せなかった飛び切りの笑顔を披露してウインクひとつ……。
自分が挫けずに済んだ原因を見透かされていたのを知った詩織は、ひたすら照れて冷や汗を流すしかない。
「諸君達はこれから大なり小なり指揮官として厳しい戦いを潜り抜けていくのでしょう……しかし、戦争は戦力の過多や指揮官の能力を含む人為的な優劣だけで勝ち負けが決まる単純なものではないわ」
息を呑んで真剣な視線を向けて来る教え子達に、エレオノーラは言い放つ。
「戦場では実力以上に運に左右される事がとても多い……それを胸に刻んで忘れないでちょうだい。自身にとって都合の悪い状況が発生すれば、不幸を振りまく死神が纏いついてくるし……反対に幸運の女神は中々に気紛れで怠惰……そして意地悪だわ。微笑んで欲しい時にそっぽを向くのが彼女の特徴よ」
急に話が脱線したぞ、と詩織を始め教え子達が苦笑いを浮かべた瞬間だった。
エレオノーラが柳眉を吊り上げて大喝する。
「そんな時は容赦なく女神の頬を張り倒してこちらを向かせなさいッッ! 胸倉を掴んで引き摺り倒しても構わない! 自分を含めて大勢の部下の命が掛っているのだから、それが、指揮官として当然の対処だと心得なさいっ!」
一旦言葉を切ると、驚いている教え子達に真剣な視線を向けて言葉を続けた。
「幸運や奇跡というものは、懸命に足掻いた末に自分の手で掴み引き寄せるしかない。そして、手繰り寄せたもので艦の活路を拓く事こそが艦長の仕事なのだと覚えておきなさい……今は分からなくても何れ分かる日がきます……それまでは研鑽を積み、全力で精進するよう念押ししておくわ」
一気に捲し立ててから一呼吸間を置いたエレオノーラは、自分の高位指揮官用の軍帽を脱ぐと、それを詩織の頭に自らの手で被せてやる。
「あ、あの……こ、これは……」
突然の事に狼狽する詩織に、エレオノーラは優しく微笑んで想いを告げた。
「大切にしてちょうだいね……それは、私が初めて艦長職を拝命した時に尊敬する上官から頂戴したものよ……『いつか、お前の後継者を見つけたら譲ってやればいい』そう言われて拝領したの……だから貴女に託していくわ」
詩織の双眸からポロポロと熱い雫が溢れて頬を伝い落ちる。
託された軍帽を両手に持ち替えて胸に抱くと、喉の奥から零れた嗚咽が、周囲の空気を震わせた。
「馬鹿ねぇ……この程度で泣いては駄目じゃない。ふふふ、これからも精一杯頑張りなさい。いつか銀河の何処かで貴女の指揮する艦と轡を並べて戦いたいものね。楽しみにしているわよ、詩織?」
そのエールに詩織は感激と興奮で返事もできず、泣きながら何度も何度も頷いて自分の決意を伝える。
エレオノーラは満足そうに微笑んで、啜り泣く教え子の頭をポンポンと軽く叩き激励に変えるのだった。
◇◆◇◆◇
銀河連邦宇宙軍本部アスピディスケ・ベース。
中枢区画の更に奥まった場所にある作戦会議室に、銀河連邦軍を実質的に支配している高級将官らが顔を揃えていた。
軍令部総長のゲルトハルト・エンペラドル元帥。
軍政部総長のカルロス・モナルキア元帥。
そして、航宙艦隊幕僚総本部総長のユリウス・クルデーレ大将の三人だ。
七聖国の縁者ではないものの、両元帥は極めて高位の銀河貴族(公爵)であり、その権勢は銀河連邦軍のみならず連邦評議会にまで及んでいる。
彼らにとっては政軍分離の理念は形骸化した御題目に過ぎず、選民思想を掲げる貴族閥の実質的な旗頭と見做されていた。
重鎮二人が珍しく憮然とした表情を浮かべているというのに、対面のクルデーレ大将は始終御機嫌で、グラスの高級ワインを飲み干しては悦に至っている。
その横では幕僚総本部参謀総長が、電光掲示板に映し出された地図を使って今回の作戦の概要を説明している所だった。
「現在白銀艦隊は提出された艦隊再編案に従って再配備が行われている最中であります。本日付けでその七割が配備を完了し、既に撤収した前任艦隊から任務を引き継いでおります」
ラインハルト副司令官から提出された再編案を詳細に分析した結果、特に不審な点は見受けられないばかりか、幕僚総本部の思惑通りに兵力の分散という愚を犯している事実を知ったクルデーレ大将は、心の底から喝采を叫びたい気分だった。
(下賤な痴れ者めがッ! 卑しい平民のお前が高貴な私に敵う筈がないのだ。もうすぐだ……白銀ぇッ! 必ずオマエを葬ってやる)
民生派の旗頭になりつつある達也は、彼にとって目障りな存在であると同時に嫌悪の対象でしかない。
何かにつけて達也と比較されるクルデーレは、平民出身者と同列扱いされるのは恥辱以外の何ものでもないと忌避していた。
「それで? 白銀は太陽系内に自艦隊を配備して直率するのだな?」
エンペラドル元帥の質問に参謀長は大きく頷く。
「その通りであります。彼の者にとって地球は母星でありますし、銀河連邦軍初の将官として凱旋し、故郷へ錦を飾りたいという思いがあるのではないかと」
「ハッ! 全く以て破廉恥な俗物なのですよ、白銀という男は! 然も低俗な願望に固執したばかりに、逃げる間もなく大艦隊に押し潰されて死ぬのですからなぁ。あっはははははッ!」
部下の説明を途中で遮ってまで仇敵を嘲笑うクルデーレの軽薄さに、エンペラドル元帥は思わず内心で舌打ちしていた。
(ちッ! この馬鹿者が! 白銀はあのガリュードが己の栄達と引き換えにしてまで目を掛けた後継者だぞ。それに、出世に浮かれる様な男が二年間で膨大な戦果をあげた挙句、あれだけ多くの士官に認められる訳があるまいがッ!)
「それで、バイナ艦隊と海賊連合の戦力は予定通りなのじゃな? あと、地球統合政府が銀河連邦評議会に反旗を翻す件はどうなっておる?」
苦虫を嚙み潰したかの様な表情で顔を背けたエンペラドル元帥に代わり、モナルキア元帥が訊ねる。
「はっ! バイナ革命政府軍七百隻。周辺宙域を根城にする海賊連合が十二艦隊で三百隻。予定通り一千隻の大艦隊で太陽系に侵攻し、白銀艦隊を殲滅いたします。ドナルド・バック大統領の確約と主要大臣連名の誓紙を以て、地球側の寝返りは 間違いないかと……銀河連邦評議会脱退後は、バイナ同様に帝国傘下に組み込まれると思われます」
ハイテンションの上司に怖じ気ていた参謀長は、主要議題を一気に説明するや深々と一礼してクルデーレの背後に下がった。
「フム……敵が浮かれて油断した所を速攻で突く……か。実に理に適った作戦じゃが、救援要請を受けた他方面の友軍が援軍として駆けつけてくれば、戦場の流れが混沌としようぞ?」
モナルキア元帥が間髪入れずに訊ねると、部下に代わってクルデーレ大将が得意げな顔をして答えた。
「御心配には及びません閣下……バイナと海賊艦隊が太陽系に転移を完了するのと同時に西部方面域の全ての転移ゲートがダウンする様に細工が施されております。復旧には早くて三日は掛かりましょう……これで白銀は援軍も逃げ場もない状態で無様に死ぬしかないのですよぉ。くっ、くっ、くっ……」
双眸に異様な光を宿し、自分の言葉に酔ったかのように哄笑するクルデーレに二人の老将は冷めた視線を送るだけだった。
何にせよ計画は引き返せない所まで進行しているのだ。
敵対勢力である帝国の尻馬に乗ってでも、獅子身中の虫である白銀達也を葬ると決めた以上、今更引き返せる道理もない。
だからこそ、一抹の不安を懐きながらも、両元帥は沈黙を選択するしかなかったのである。
会議を終えて他の人間が退出した後。
エンペラドルとモナルキアは、側近にも席を外させて密談の場を持った。
「そろそろ首を挿げ替える潮時であろうな? 順番待ちのお人形は幾らでもいるのだから……」
「そうじゃな……あの程度の策で勝った気でいるとはのぅ……無能者は早めに退場させるがよかろうよ」
エンペラドル元帥の台詞にモナルキア元帥も同意する。
貴族である己の存在価値に異常なまでの執着心を見せ、事在る毎に達也と対立するクルデーレ大将は二人にとって都合の良い駒ではなくなっていたのだ。
モナルキア元帥は暫し黙考するや、口元に禍々しい笑みを浮かべた。
「先日北部方面域の蛮族が開発した無人殺戮兵器がシステムごと鹵獲されておったな。あれをタイミングを見て戦場に放り込めば、それなりに面白い事になろうて」
エンペラドル元帥もモナルキア元帥の思惑を理解してほくそ笑む。
「あれの管轄は航宙艦隊幕僚総本部だったな。責任はクルデーレ大将閣下に取って貰うのが道理であろうなぁ……くっくっくっ……」
両元帥は顔を突き合わせて悪巧みに没頭するのだった。




