第十八話 仰いで天に愧じず ①
(凄い……まるで空を自在に滑っているみたいだ。然も高機動の連続なのに、機体の何処にも異常が発生しないなんて……)
操縦桿に添えた右手とスロットルレバーを掴む左手、そしてフットペダルに乗せた両脚から伝わる各部の微細な動きに、蓮は驚愕するしかなかった。
後席に陣取った達也の操縦で思う儘に蒼穹を翔る愛機は、まるで魂を得て勇躍する鋼鉄の鷹のようであり、その操縦術は寸分の誤差もなく前部座席の蓮に伝えられる。
『無駄な操作は自分の命を危険に晒す愚行だと肝に刻め! 冷静に効率的な機動を心がければ、重力下であろうと宇宙空間であろうと問題なく高機動を得られるのだからな』
その指導を裏付けるかのように蓮の視界前方では、上下左右に愛機を振り回して必死に足掻くアイラ機の姿がある。
自分や詩織が相手ならば無敵を誇った彼女も、達也が相手ではまるで赤子同然にあしらわれ、逃げ回るのが精一杯という有り様だ。
(背後を取って以降は一度も相手をロストせずに追い続けている……俺はバタバタするばかりで、無駄な操縦を繰り返して自滅していたのか……くそっ!)
この形式の訓練を始めて一週間。
今の自分では及ぶべくもない隔絶した技量を目の当たりにした蓮は、己に不足しているモノが何であるのかを理解し始めていた。
それ故に達也が駆使する繊細極まる操縦テクニックを自分のモノにするべく、躍起になっているのだ。
そんな激しいドッグファイトの中、懸命に逃げ回るアイラ機に終幕が訪れた。
『ここだっ!』
ヘルメットに内蔵されたスピーカーから達也の声が聞こえるや、翼内の二十ミリバルカン砲が雄叫びをあげたのと同時に、アイラの機体を捉えていた電影照準器のスコープが赤い明滅を繰り返し、ターゲットの撃墜を知らせるブザーが鳴り響く。
『ああっ──ッ! またヤラレたぁ~~!』
悔しそうなアイラの悲鳴を聞きながら、蓮は教授された教えを脳内で反芻した。
『敵は目で見るものじゃない。心で感じるものだ! 照準器がロックオンしてからトリガーを絞っては遅い。タイムラグを頭に入れて敵と自機が重なるタイミングを先読みできるようになれ』
「は、はいっ!」
野生の勘を習得しろとの無茶振りに唖然とさせられるが、逡巡する間など寸暇も与えて貰えない。
『手本を示せるのは今日までだから気合を入れろ! いくぞ、アイラ!』
操縦桿が大きく横倒しにされ、フットペダルが踏み抜かれると愛機は一瞬で推力を失い、あっという間に千mも高度を下げ海面が迫る。
どうやら今度は低空でのドッグファイトに移行した様で、左翼後方八時の方向から回り込んで来たアイラ機をロール運動一発で躱した達也は、彼女の背後にピタリと機をつけて見せた。
猛烈なGに耐えながら全神経を研ぎ澄ませる蓮は、その神業のような操縦技術を己の血肉にしようと専心する。
それができなければ、自身が望む未来も、詩織との約束も果たせなくなるのだと強く念じながら……。
◇◆◇◆◇
十八日(土)。午前中の授業を終えたクレアは、教官室の自分の席で残務処理をしていたのだが、訓練指導を終えて戻って来た志保から声を掛けられ、その内容に思わず表情を曇らせてしまう。
「この一週間で随分と世間の雰囲気が悪くなったわ。政府もマスコミも銀河連邦軍批判一色よ……」
「……明後日ですものね、銀河連邦軍太陽系派遣艦隊の再配備は……」
先日の交渉に於いて、銀河連邦軍艦隊の再配備並びに駐留が決定したのを受け、地球統合政府大統領ドナルド・バック大統領は正式に遺憾の意を表明した。
すると大統領声明に追随するかのように、世界中のマスメディアが銀河連邦軍に対するネガティブキャンペーンを展開し始めたのだ。
「銀河連邦評議会に加盟した経緯からして『口車に乗せられた』とか『暗黒史』という批判が絶えないからねぇ~~」
「でも、その恩恵で地球人類は滅亡の危機を免れて、奇跡的な復興再建を果たせたのも事実じゃない?」
「まあ、この手の議論は歴史認識と語り手の主義主張が絡むから難しいけれど……問題なのは、次回の航宙研修に欧州のトップ校、ブリュンヒルデ士官学校最上級生が緊急参戦するという話よ……」
忌々しげに舌打ちした志保の言う通り、参謀部からの要望という形ではあるが、急遽ブリュンヒルデと伏龍の合同航宙研修が決定されたのだ。
これには、軍上層幕僚部の銀河連邦軍に対する忌避感が影響したのだとふたりは確信していたし、成績優秀者を多数送り出しているブリュンヒルデとの交流を通じて、多くを学ぶようにというのは表向きの理由で、落第の烙印を押された二十名の未熟さを際立たせて、銀河連邦宇宙軍の傲慢な横車を阻止しようという思惑があるのは明白だった。
「どうあっても真宮寺達二十名を落第させたいらしいわね……それについて旦那は何て言っているのよ?」
ニマニマと微笑む志保の問いにクレアは迷惑そうな顔をしたが、それでも何処か気恥ずかしそうにして口を開く。
「も、もう……まだ口約束しただけなんだから茶化さないで……でも、達也さんは特に問題にしていないみたい。それに明日から三日間は駐留艦隊の進駐式典や事務処理の都合で、ラインハルト少将と共に土星のアトラス基地に出張しなければならないと言っていたし……」
頭の後ろで腕を組んだ志保は、リクライニングチェアの背凭れに身体を預けた。
「はぁ~~呑気よねぇ……教え子達にとって一生を左右しかねない一大事の最中に《鞄持ち》しなきゃならないなんてね」
「もうっ、そんな風に言わないであげて……任務なら仕方がないわよ。それに訓練指導はエレオノーラ中佐に任せておけば大丈夫だと、ラインハルト閣下も太鼓判を押しておられたし……」
そう言って微笑むクレアに志保は呆れ顔。
「クレア、あんたも大概よね。あの二人まで頻繁に出入りしているんですって? 専ら、夕飯狙いで……」
クレアの料理に魅せられたのはヒルデガルドだけではなくて……ラインハルトとエレオノーラの二人も御同類であり、頻繁に夕食時に襲撃を掛けて来るようになっていた。
勿論、友人が増えたと喜ぶクレアにしてみれば、彼らを歓待するのに否やはなく、腐れ縁からの揶揄にも笑顔で応じる余裕がある。
「そんな失礼な言い方をしては駄目よ。御二人とも達也さんに負けず劣らず子煩悩で……ユリアやさくらを、とても可愛がってくださるのよ」
心底嬉しそうに語る腐れ縁の親友に、毒気を抜かれた志保は深々と溜息ひとつ。
「お人好しなのはあんたの美徳ではあるけどさ……いい歳した大人同士なんだからさっさと結婚話を進めなさいな……子供だって早く欲しいでしょう?」
だが、そんな親友の気遣いにクレアは微笑みながら小さく左右に首を振った。
「焦る必要なんてなにもないわ……今は新しい家族を得たのが嬉しくて……毎日がカーニバルみたいで本当に幸せなの。それに……」
最後の言葉をクレアが呑み込んだのは、それが彼女にとって唯一の懸念材料だったからに他ならない。
(達也さんは何かを隠しているような気がするわ……ここ暫くの間、何かを言いたそうにしているのだけど、結局は何も言ってくれない……訊ねても、言を左右してはぐらかしてしまうし……)
最初の頃は女としての自分を求めているのかと思い緊張したのだが、どうもそうではないらしい。
考えだせばキリがないため、クレアは達也が自ら話してくれるまで待つと決めたのだが、それでも気にならないと言えば嘘になる。
だが……。
(何も迷う必要はないわ。彼が話してくれるまで待っていればいい……)
一抹の不安を振り払うように、クレアは再び仕事に戻るのだった。
◇◆◇◆◇
艦隊再配備に際して対外的には、副司令官のラインハルトが司令官代行を兼務し指揮を執ると発表してある。
地球統合政府や統合軍からは轟々たる非難を浴びているが、引継ぎの遅れを理由に、その全てを黙殺していた。
「司令官の着任が遅れているので軍の綱紀が緩んでいると、相手が侮ってくれれば儲けものだ……どの様な経緯を辿るにせよ、統合軍の一部戦力と敵対するのは避けられないだろう」
ラインハルトがそう言えば、エレオノーラも頷いて彼の意見に賛同する。
「今回の件は絶好の口実ですものね。でも、本命は地球統合政府大統領ドナルド・バックなのでしょう? ボロを出すかしら?」
すると、達也が意見を纏めるように答えを返す。
「古狸がシッポを出す様に上手く演技をするまでだよ……明日から各艦の艦長達と綿密な打ち合わせをしておくから心配しなくていい。その代わりと言ってはなんだが、候補生達の面倒を宜しく頼む」
エレオノーラが笑顔で頷いたのを最後に幹部会は終了し、達也は家路に就く。
ラインハルトとエレオノーラは、明日に備えて早めに休むと公言していたので、久しぶりに一人での帰宅と相成った。
(今回の航宙研修であの子達が結果を出せば俺達はお役御免だ……これ以上深入りすれば、却って彼らの立場を悪くしてしまう事になるだろう……やはり、この辺りが潮時だな)
僅か二か月という短い間だったが、自分にとっては有意義な時間だったと思う。
優秀な教え子達に出逢い、懸案だった育ての親や家族との絆も取り戻せた。
そして、何よりクレアという素敵な女性と心を通わせ、さくらやユリアという娘まで得られたのだから、これ以上の幸せはないと心から思う。
(後はクレアに俺の本当の身分を告白するだけなのだが……航宙研修が終わったら早めに告げなければならないな……)
クレアが社会的な地位や名声を気にするような女性ではないと分かってはいるのだが、軍人のそれはテロなどによる日常的な危険を含め、多分にリスキーな環境を伴なう為に一般論と同列で語るのは難しい。
そういう意味では真実を打ち明けた途端、特に娘達の安全を考慮したクレアから婚約を破棄される……。
そんな最悪のシナリオもあり得ると、達也は半ば覚悟していた。
正直な所、研修の終わる日が自分の死刑執行日であるかの様に思えて、気が重くなる日々が続いている。
しかし、憂い顔を見せて大切な家族を心配させるわけにもいかない。
マンションに帰り着くと自分の部屋で着替えてから、いつも通りにお隣のドアの呼び鈴を鳴らした。
「「「おかえりなさぁ~~いっ!」」」
溌溂とした声の三重奏で出迎えてくれたのは、ユリアとさくら、そして人化したティグルだった。
さくらは一番乗りだと言わんばかりに達也に飛び附いて燥ぎ、アバターが人間の体組織を構築し状態が安定したユリアも、柔らかい笑顔を見せてくれる。
二人とも精霊石が仕込まれた護符のブレスレットを身につけており、不意の襲撃に対する懸念も大幅に薄れ、ティグルの護衛付きとはいえ、自由に外出できるようになっていた。
そのティグルも姉妹と御揃いの腕輪……ではなく瀟洒なデザインの首輪を身につけており、御多聞に漏れずヒルデガルド謹製のそれは体内に流れる竜脈を制御し、人型変化による負荷の軽減と力の増幅を制御できる優れものに他ならない。
とは言え相変わらず幼竜の姿でダラダラするのがお決まりの日課で、人化するのは専ら食事時だけだった。
その理由が、人型の方が味覚が鋭敏になって食事が何倍も美味しくなるから……というのだから達也としては苦笑いするしかない。
背中の双翼も肉体と一体化できるようになり、白い肌にクレアと同じ金色に染めた髪の毛、そして子供服を着たティグルは普通の少年にしか見えず、御近所様からはローズバンク家の子供と認識されていた。
『私達が結婚したらユリアと同じく、ティグルちゃんとも養子縁組をして家族になりましょう』とクレアから提案された時には、幼竜と付き合いが長い達也は心から彼女に感謝したのである。
「お~い。さくら。パパさんの服が伸びちまうぞ」
「えへへへ……今日もさくらが一番だったね! それじゃぁ! 今度はお姉ちゃんの番だよぉ──ッ!」
ティグルがお兄さんぶってさくらを窘める光景が可笑しいやら面白いやらで相好を崩すと、そのふたりがユリアの背中を強引に押す。
「あわわっ! こ、こらぁ、ふたりともぉッ!」
顔を真っ赤にしたユリアが倒れ込んで来たので、中腰になった達也が受け止めて華奢な少女を軽々と抱き上げてやる。
「ユリアお姉ちゃん! ママの言い付け通りにしなきゃダメだよぉ……一日一回は《ぎゅぅっ!》だよぉ!」
他人に接して甘える事に慣れていないユリアにクレアが課したのが、一日に一回は家族全員とハグしようというスキンシップ奨励作戦だった。
「あぅぅ……お、お父さま……おかえりなさい」
「うん。ただいまユリア……随分顔色が良くなった……見違えたよ」
顔を赤らめてテレテレになるユリアが愛おしくて抱き締めてやると、少女は恐る恐るといった風情で抱きついて来る。
まだまだぎこちないが、日を追うごとに家族と絆を深めていくのが見て取れて、達也は充分に満足していた。
「あら、お帰りなさい達也さん」
エプロン姿のクレアが笑みを浮かべて現れるや、ユリアは達也から離れて彼女の後ろに隠れてしまう。
「おやおや……やはりママの方がいいのかな?」
苦笑いする達也を見たクレアが、口元を綻ばせてユリアの本心を代弁する。
「うふふ。そうじゃないわ……危うい所を救けて貰った時の貴方の雄姿が忘れられないそうで……ユリアはすっかり恋する乙女になっているのよ」
「あ~~んっ! お母さまひどいです! お父さまには内緒だと言ったのにぃ」
リンゴの様に真っ赤な顔でアワアワと抗議するユリアに、さくらが唇を尖らせて羨ましそうに言う。
「いいなぁ~~さくらもお父さんの恰好良いとこ見たいよぉ~~」
「馬鹿だなさくらは。そういう時は危ない時なんだから、見ない方が良いのさ」
「むうぅ~~ティグルのくせにぃ! なまいきだよ!」
仲の良い子供達の姿がとても眩しくて、達也は目頭が熱くなるほどの想いに胸を衝かれてしまう。
とは言え涙を見られるのは恥ずかしく素知らぬ顔で話題を変えた。
「さあ。いつまでも騒いでいるとママの料理が冷めてしまうよ……今夜の御馳走は何かな?」
「子供達のリクエストで、チーズハンバーグと海鮮グラタンですわ」
「ふふふ。ユリアもティグルもさくらに感化されたかな? それじゃあ食事にしようか」
達也はさくらとティグルを抱きかかえて食堂に移動し、家族団欒の楽しいひと時を過ごした。
明日からの出張は子供達にも伝えてあるし、ユリアやティグルが傍にいるので、さくらも以前のように寂しがりはしない。
それどころか『ケガをしないように頑張ってね』との気遣いができるようになり、大いに驚かされてしまう。
食後にリビングでTVゲームに興じる子供達を眺めながら、達也は隣に座っているクレアに素直に感謝を伝えた。
「ありがとう。俺のような朴念仁に、こんなにも素敵な家族ができるなんてね……君のお蔭だよ。ラインハルト達が言う通り、君は俺には過ぎた素敵な女性だ」
照れて頬を染めたクレアは、柔らかい眼差しで恋人を見つめて想いを吐露する。
「なっ、なんですかいきなり? もうっ、イヤな達也さん……そんな筈がないじゃありませんか……あなたがいて私がいて、そして子供達がいる……だから皆が幸せでいられるのよ?」
そう言ってくれるクレアが愛おしく、同時に経歴を詐称している不義理が心苦しく思えた時だった。
そんな心情を理解している彼女が、その想いをはっきりと口にしたのだ。
「焦る必要はありませんよ。あなたの都合の良い時まで何も聞く気はありません。だって、私は達也さんを信じていますもの……だから、変に悩んだりなさらないで下さいね」
そう言ってクレアは達也の手をそっと握る。
口にできない秘密と事情があるのを察してはいても、敢えて追及もせずに信じて待ってくれる彼女の気遣いが只々嬉しかった。
だから、クレアの肩をそっと抱き寄せ優しく唇を奪う事で、達也は感謝の言葉の代わりにしたのである。
勿論、そんな達也の気持ちはクレアも理解しており、子供達の意識がTVに集中しているのを幸いに存分に甘えるのだった。




