第十七話 教え子達は奮起する ⑤
休日早朝から訓練指導に当たっていた達也たちが解放されたのは、傾いた太陽が水平線へと沈もうかという時分だった。
教え子達が懸命に頑張っている以上、一端の軍人である教官が先に音を上げる訳にもいかず、三人とも少々張り切ってしまった感は否めない。
しかし、ラインハルトやエレオノーラも軽い疲労を感じてはいたが、それ以上に充分な手応えを得て満足もしていたのである。
「どうする? 何処かで食事でもしていかないか?」
時間外労働を強制している負い目がある達也が気を利かせたのだが……。
「おいおい。久しぶりに自宅に帰れるんだろう? 新しい家族の為にも今日は早く帰ってやれよ」
「そうよ。クレアさんだって色々な事件が重なって気疲れしているはずよ。こんな時こそ優しくしてあげるのが、できる男の最低条件でしょうが!」
反対に親友達から気遣われてしまう有り様で、達也は苦笑いするしかなかった。
当面の懸案事項が一通り片付き、襲撃を受ける恐れも払拭されたため、クレアは今朝方子供達を連れてマンションに帰っている。
『休日で天気も良いし、久しぶりに大掃除が出来ますわ……訓練は大変だとは思いますが、早めに帰って来て下さいね』
そう言って微笑んだクレアは心底嬉しそうだった。
ただ、覚醒したユリアの衣服や下着など、必要な日用品の買い物にも行くと言っていた彼女が、子供達以上に燥いでいる様にも見えて可笑しくもあったのだが。
(そう言えばユリアとは、まだちゃんと話をしていなかったな……)
さくらと同じ漆黒の髪と同色の瞳を持つユリアは、覚醒して初めて顔を合わせた時には照れて真っ赤になり、クレアの後ろに隠れてしまった。
正直なところ少しばかりショックを覚えたのだが、それも徐々に慣れていくだろう……そう思えば、此れからの生活が楽しみでならない。
そんな想いを胸に秘めた達也は、取り敢えず親友達の好意に甘える事にした。
するとエレオノーラが急に顔つきを改め、珍しく生真面目な表情で口を開く。
「念押しする必要はないと思うけれど……クレアさんにだけはちゃんと真実を正直に告白するのよ。たとえどのような形であっても、共に暮らしていくパートナーに嘘を吐くのは感心しないわ」
「忠告に感謝するよ……近日中には必ず話す。彼女の御両親にも、俺の育ての親にも挨拶に行かなければならないからね……ありがとうエレン。叱ってくれて有難かったよ」
「どういたしまして! この貸しはしっかりツケておきますからね。必ず取り立てに行くから忘れないでね」
そう言って軽やかに笑うエレオノーラに苦笑いを返し、達也は足早に帰路につくのだった。
◇◆◇◆◇
夕食時ともなれば込み合う大食堂も、休日だけは比較的閑散としている。
外出して休暇を満喫した候補生達は、人気スポットの飲食店などで食事を済ませてから帰校するのが定番になっており、態々学食を利用する者は少ない。
だが、朝から訓練漬けだった詩織に選択の余地はなく、同じ白銀クラスの女子達と夕食を摂っていたのだが、連れ立って食堂に現れた男子グループの顔ぶれを見た彼女は、蓮が欠けているのに気付き小首を傾げてしまった。
「ねえ、蓮は一緒じゃないの?」
トレーを抱えて詩織達のテーブルにやってきた神鷹は、空いてる席に腰を降ろすや、苦笑いしながら質問に答える。
「白銀教官とのマンツーマン訓練が相当に堪えたみたいでさ……風呂に入って先に寝るって言ってた。今頃は高鼾じゃないかな?」
「へ、へぇ~~そうなんだ……」
わざと気のない返事をして平静を装う詩織だったが、幼馴染の不器用なまでの照れ隠しが可笑しくて、内心では思いっきり破顔していた。
(疲れたなんて下手な嘘を吐いちゃって……本当は私と顔を会わせるのが恥ずかしいだけのくせに……うふふふ……)
記憶を遡ること二十四時間前……。
達也との訓練で意識を失ってしまった蓮に膝枕をしてあげながら、詩織も自身の力不足を痛感し意気消沈していた時だった。
※※※
辛辣な言葉で蓮を詰った達也に怒りを覚えた詩織は、我を忘れて喰って掛ったものの、反論されてグウの音も出ないほどに遣り込められてしまい、大いに落ち込んでいた。
(学年首席だ優等生だと持て囃されて、いい気になっていたつもりは無かったんだけどなぁ~~)
頭が冷えるに従い、自分が如何に増長して思い上がっていたかを痛感し、穴があったら入りたい心境だった。
エレオノーラからあれほど厳しく叱責されたのも、結局は自分の未熟さを指摘されただけに過ぎない。
その未熟さが戦場で生死を分けるからこそ、それを知る達也やエレオノーラは、妥協せずに厳しく接してくれたのだ。
それなのに、心の何処かで自分は優秀なのだと慢心していたが故に教官達の真意に気付きもせず、見当違いの激情に駆られてしまった……。
己の未熟さも相俟って、つくづく自分が嫌になった詩織の瞳から痛哭の涙が零れ落ちる。
「やっぱり私なんかには無理だったのかも……もう、やめちゃおうか……」
投げやりな愚痴が唇から漏れたその時だった……。
「らしくもない馬鹿な弱音を吐くなよな。まだ何の結果もでていないのに、途中で諦めるなんて勿体ないじゃないか?」
耳に馴染んだ声に驚いて視線を下に向けると、失神していたはずの蓮と目が合ってしまい、羞恥に顔を赤く染めた詩織は、焦りを露にして幼馴染に抗議する。
「なっ、何よ! いつから気付いていたのよっ!?」
「いやぁ~~ついさっき目が覚めたんだけどさ……地面にしては柔らかくて温かいし、ぷよぷよの感触が気持ち良くてぇっ! アッ────つっぅぅ~~~」
にへらと締まりのない顔をする蓮が無性に腹立たしく思えた詩織は、膝枕を堪能している幼馴染を思いっきり突き飛ばした。
無防備だった蓮は膝から滑り落ち、運悪く土に埋まって半分顔を出していた石に頭をぶつけて悶絶する羽目になってしまう。
「痛いなぁ~~っ! 何をするんだよ、詩織!」
ぶつけた個所を片手で押さえて涙目で文句を言うと、柳眉を吊り上げた詩織から物凄い剣幕で言い返されてしまった。
「何をするじゃないわよッ! 人が真剣に悩んでいるのにぃっ! 目を覚ましたのなら、さっさとどきなさいよッ! 本当にイヤらしいんだからッ!」
罵声を浴びせながらも、溢れた涙をゴシゴシと拭っては鼻を啜る詩織。
伏龍のアイドルと呼ばれ、多くの男子候補生達の憧憬の的である詩織が、自分の弱みを曝けだせる相手は蓮以外にはいない。
そして、その幼馴染の癇癪に、黙ってつき合ってやれるのも蓮だけだった。
一頻りブチブチと愚痴を吐きだした所為か、気持ちが落ち着いた詩織は、俯いたまま途切れ途切れに謝る。
「……ごめん……訓練、上手くいかなくて……イライラして……」
「分かるよ……俺達は皆そうさ……ゴールの見えない坂道を懸命に駆けあがっているけれど……何時になったらそこに着くのか誰にも分からない」
蓮は上半身を起こして詩織の隣に座り直すや、何の前触れもなく彼女の頭を撫でてやった。
「ち、ちょっと、蓮ったら……な、何よ、どういうつもりなのよ?」
驚きと気恥ずかしさに動揺し抗議する幼馴染に、蓮は何処か懐かしげな顔をして言葉を紡ぐ。
「詩織は変わらないね……昔から聞き分けが良くて優等生だったから、先生達には気に入られる反面、クラスメートからは生意気な奴だと反感を買ってイジメられてさ……よく保育園や学校の裏手で一人で泣いていたっけ……」
突然昔話を振られて戸惑ったものの、今も色褪せない幼い頃の記憶に詩織は口元を綻ばせてしまう。
「な、何よ急に昔の話なんかして……でも、蓮の言う通りだったわね……」
幼い頃の情景に心を飛ばし、詩織は柔らかい微笑みを浮かべて蓮を見る。
「私がイジメられていると、決まって蓮が救けに来てくれて大喧嘩……相手が何人でも必ず蓮が勝ったよね……でも、何時も叱られるのはあなたで、私はそれが悲しくて……また泣いて……うふふっ、懐かしいね……」
「そうだったな。でも俺は詩織を泣かす奴らを許せなかった……おまえを護るって決めたガキの頃の約束が大切だったから……だから叱られても平気だった」
思いも掛けない蓮の言葉に、心臓の鼓動が大きく跳ねた気がした。
五歳の時の他愛もない二人だけの約束……。
でも詩織にとっては宝物の様に大切で、絶対に忘れられない約束……。
『詩織は絶対に僕が守るから!』
そう言ってくれた幼馴染に恋心を懐いたあの日を、詩織は今でも忘れてはいないし、より大きく、そしてより強くなった想いを今も大切に胸に懐いている。
「まあ、俺にできるのは今も昔も大した事じゃないけれど……それでも、相談相手にはなれるからさ……余り深刻に考えちゃ駄目だよ詩織」
「うん……そうだね。私には頼りになる幼馴染がいるんだものね……この程度の挫折でへこたれてなんかいられないわ」
生まれたその日からいつも傍にいて、困った時には支えてくれた蓮に自分の本当の気持ちを伝えたい……。
一瞬だけそう思い逡巡したが、詩織は結局その想いを呑み込んだ。
(告白は蓮からして貰いたいもの……絶対に私を『好きだ』と言わせて見せる……だから、それまでは我慢しなきゃね)
決意も新たにそう誓った詩織は清々しい微笑みを浮かべて礼を言い、そして心からの願いを伝えた。
「ありがとう、蓮。私も強くなるわ。あなたを護れる位に強くなる。絶対にそうなって見せるから……だからこれからも……私を護ってね……」
その願いを受けた蓮は満面に笑みを浮かべて大きく頷くのだった。
それから暫くの間ふたりは肩を並べて星空の下で昔話に花を咲かせてから、食堂で遅い食事を共にしたのである。
ただその間中、詩織は積極的に蓮の腕に自分のそれを絡め、顔を赤くして戸惑う幼馴染を揶揄うのだった。
※※※
その時の蓮の狼狽する様子が可笑しくて、思い出す度に詩織は口元を綻ばせてしまう。
とは言え毎日長時間の激しい訓練をしているのだから、何も食べないのでは体力が続く訳もないし、何よりも空腹では陸に眠れもしないだろう。
詩織は急いで自分の食事を終えると、持ち帰り用のハンバーガーセットを注文してほくそ笑んだ。
これから引き籠り君の部屋に奇襲攻撃をかけて、ついでに御機嫌窺いもしておこうかしら……。
気分も足取りも羽が生えたように軽い詩織は、食事中の同志達にグッと握り拳を突きつけるや、力強い声で高らかに宣誓するのだった。
「同志諸君っ! 残り僅かな時間を一秒も無駄にせずに頑張るわよぉッ! そして誰一人欠けずに全員で試験に合格して復学を勝ち取るからねぇッ!」
そして軽やかな足取りで食堂を後にしたのである。
神鷹やヨハンを始め、その場に居合わせた全員が、謎のハイテンションモードの彼女の威勢に面食らい、何事かと顔を見合わせて訝しんだが、誰よりも厳しく叱責されて挫折感を味わっている筈の詩織が檄を飛ばしたのだ……。
これに触発されない鈍感な仲間は一人もいなかった。
この日を境に教え子達は全員が見違えるほど奮起し、死に物狂いで訓練に没頭するようになり、教官達を喜ばせたのである。
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