第十七話 教え子達は奮起する ④
今年も暑くなるのだろう……そんな夏の気配を感じさせる晩春の日曜日。
穏やかな陽光が照り映える小径を駆けて来る候補生達の表情からは、昨日の解散時ほどではないにせよ疲労の残滓が窺える。
そんな彼らの様子を訓練艦リブラ艦橋から観察しているエレオノーラは、胸の中に渦まく不満と落胆が入り混じった苦い感情に思わず眉を顰めていた。
その理由は、休日も訓練を行うと通達していたにも拘わらず、然も始業時間まで間がないというのに、如月候補生が姿を見せていないからだ。
(……たった一日で落伍するとは思わなかったわね……)
思わず舌を弾きそうになるのを堪えたエレオノーラは、胸中に残った僅かばかりの未練に見切りを付けて踵を返した。
(達也が認める逸材が、どれ程の者かと楽しみにしていたのに……とんだ期待外れだったわね……)
如月詩織が優秀な候補生だという評価には、エレオノーラにも異論はない。
あの白銀達也が『いつかは自分を追い抜く逸材だよ』と褒めそやすだけあって、卓越した能力を秘めているのは間違いなく、十数年の軍人生活の中で見てきた銀河連邦軍の士官候補生と比較しても、詩織の方が頭一つ抜きんでているのは確かだ。
(でも、才能は開花させて初めて意味を成すもの……戦場で必要なのは知識や理論ではないわ……奇抜な知恵であり磨き抜かれた技量なのよ)
それを理解できなかったばかりに、将来を嘱望されたルーキーたちが呆気なく戦場に散っていくさまを、エレオノーラは嫌になるほど見て来た。
そんな悲劇を少しでも減らすために、彼女は日常の訓練では部下達に一切の甘えも妥協も許さなかったし、今でもそれが正しかったと信じている。
それは今回の達也からの依頼に対する彼女の姿勢も同じであり、精神的に未熟な候補生達が過酷な訓練について行けず、脱落して軍人の道を諦めたとしても、寧ろその方が本人の為だと割り切っていた。
(残念だけど、彼女に関しては身贔屓で目が曇っていたようね……達也)
詩織の才能を惜しむ心を親友に対する嘲笑で上書きしたエレオノーラは、思考を戦闘モードへと切り替える。
それは訓練場に向う軽快な足取りにも表れていた。
逡巡も後悔もしない……。
残念ながら、脱落した人間に構っている余裕は、今のエレオノーラにはないのだから。
フロアー後部のエレベーターで訓練区画がある階に降り、指定していた訓練室に向かう途中、不意に横合いの小部屋から飛び出してきた士官候補生とぶつかりそうになった彼女は、慌てて身を翻した。
相手も反対方向に避けたため大事にはいたらなかったが、眼前の候補生が誰なのか気付いたエレオノーラは、驚いて言葉を失ってしまう。
「あぁっ! グラディス中佐。申し訳ありませんっ! 訓練に熱中していて始業に遅れそうだったので……その、すみませんでしたッッ!」
申し訳なさそうに何度も頭を下げて謝罪するのは、紛れもなく如月詩織だった。
しかし、今の彼女からは昨日の訓練後に見せていた悄然とした雰囲気は微塵も感じられず、清々しいまでに溌溂とした表情をしているのだから、エレオノーラが驚くのも無理はないだろう。
(く、訓練って……なるほど、道理で外を見ていては見つけられなかった筈だわ。でも、一体全体なにがあったのかしら? 昨日とは別人の様に溌溂としているなんて、ちょっと信じられないわね)
昨日とは打って変わった詩織の変貌ぶりに当惑しながらも、そんな内心の動揺はおくびにも出さずに鷹揚に頷いて見せた。
「気にしなくてもいいわ。それより訓練と言ったけれど、いつからやっていたのかしら?」
「朝四時から……許可は白銀教官に戴きました。昨日の不甲斐ない部分をなんとかしたくて……」
如何にも『拙いところを見られちゃったな~』とバツの悪い顔をする詩織の言葉に、さすがのエレオノーラも驚きを露にしてしまう。
「よ、四時からって……体感時間で十二時間も一人で訓練していたの?」
「あっ、いえ。途中までは蓮……真宮寺候補生も一緒にアシストしてくれていたのですが、彼は飛行実習がありますから先に……」
何処か照れ臭そうに話す詩織の様子を見れば、彼女が失意から立ち直った理由は何となく察せられたが、興味本位で問い質すような野暮な真似をエレオノーラはしなかった。
だから、口角を上げて凄艶な笑みを浮かべるや、静かな口調で言い放ったのだ。
「そう……いい心がけね。だったら今日からはもう一段階ギアを上げさせて貰おうかしら……いいこと? 遅れずにしっかり私について来なさい」
昨日よりも更に厳しくすると宣言して挑発するエレオノーラに対し、詩織は持ち前の勝ち気さを露にし、挑むような視線を美貌の中佐殿に向ける。
そして、一歩も引かないと言わんばかりに大きく首肯するのだった。
「了解でありますっ! 本日も御指導を宜しくお願いいたしますッ!」
◇◆◇◆◇
「くうぅぅ────ッッ!」
急激な旋回運動の連続に身体中の筋肉が悲鳴を上げる。
胸部にかかるGで容赦なく肺を圧迫され、正常な呼吸など望む術もない。
それでも懸命に歯を食いしばって、操縦桿とペダル、そしてスロットルを駆使し蒼穹を縦横無尽に駆ける教官機に追随しようと躍起になる蓮。
だが、そんな彼の懸命な努力を嘲笑うかのように、呆気ない程の結末が訪れた。
機体をバンクさせた教官機が一瞬で眼前から消え失せた刹那、ロックオンされたのを知らせる警報が鳴り響き、回避する間もなく機体に軽い振動が走る。
朝から十五回目の撃墜判定に顔を仰け反らせて歯噛みした蓮は、肺に残っていた空気を吐き出しながら荒い呼吸を繰り返すしかなかった。
(くそッ! また簡単に切り返されて、バックを奪われてしまった……これじゃぁ昨日の繰り返しじゃないか)
自身の不甲斐なさと未熟さが嫌になるが、同時に指導教官である達也の卓越した操縦技能には舌を巻くしかなかった。
(アイラが言っていた通り……本当にバケモノだ。後ろについて飛ぶ事さえできないなんて……)
口惜しさに奥歯を噛み締めたのと同時にレシーバーから達也の声が響く。
「昨日よりは幾分かマシになってきたが、まだまだだな。分かっていると思うが、各種ECM装備が発達し、戦場全域でレーダー波が撹乱されるのも珍しくはない 昨今、航空戦は専ら有視界による近接格闘戦……所謂ドッグファイトが主になっている」
「は、はい! 誘導兵器は近距離でしか効力を発揮しないと聞いております」
「その通りだ……何百年もの年月を経過して技術力は格段に進歩したというのに、四百年近くも昔のレシプロ機時代の航空戦と同じ戦術を採らねばならないと言うのは皮肉な話だがな。結局のところ航空戦は体力と技量勝負になるのだと肝に銘じておきなさい」
「はいっ! もう一度お願い致しますッ!」
まだまだやる気満々の蓮の要望に達也は思わず口元を綻ばせてしまう。
(アイラの見識は間違ってはいなかったな……まだまだ粗が目立つものの、順応力がずば抜けていて吸収力にも卓越したものがある……短期間でこれだけ腕を上げるなんて大したものだ)
達也は数瞬思案してから蓮に命令した。
「真宮寺。一旦、ニンガルに着艦しろ。訓練形式を変更する。先に降りて整備員の指示に従い三番ハンガーへ行け」
「は、はいっ! 了解しました。真宮寺候補生着艦します!」
蓮の機体が大きくバンクを切って降下していくのを確認してから、達也は母艦に連絡する。
「こちら白銀。俺のティルファングーS改を用意してくれ。兵装は実弾だけでいいから、翼内弾倉と胴体下ガトリングポッドに満載で頼む……それからターゲット用のジェットドローンを十機用意してくれ」
整備兵から了解の返答を受けた達也も機首を母艦へと向けた。
先に着艦した蓮は整備員に案内されて最下層の第三ハンガーに足を踏み入れたのだが、そこにある機体に眼を奪われてしまう。
アイラの愛機と同じ銀河連邦宇宙軍の主力戦闘爆撃機FA25・ティルファングが、既に出撃準備を終えた状態で待機していた。
ただ、ボディーカラーは、銀河連邦宇宙軍の標準塗装とはうって変わって漆黒で統一されており、二基のエンジンの上にある垂直尾翼には大鎌を担いだ白銀の幽霊がペイントされている。
(凄い貫禄だ……でもコックピットが複座式だ。爆撃機専用タイプなのかな?)
何故か吸い寄せられそうな妖しい雰囲気を感じて、生唾を呑み込んだのと同時に背後から声を掛けられた。
「全くぅ……羨ましい奴だね……半人前風情が《シルバーゴースト》の後席に乗れるなんてさ……私でさえ未だに乗せて貰ってないのに」
振り返れば何処か不貞腐れた顔のアイラが立っており、パイロットスーツの上に無造作にジャケットを羽織る姿が、見惚れるほどに良く似合っていると蓮は心の中で感嘆してしまう。
「シルバーゴーストねぇ……物騒なコードネームだけれど、そんなに有名な機体なのかい?」
半人前風情と言われたのは彼女の指摘通りであり、取り立てて文句はなかったが、初めて見る不満げな彼女の真意を測りかねて蓮は訊ね返す。
「知らないのは無理もないけどね……アンタの教官殿の愛機がそのブラック・ティルファングなの。シルバーゴーストは、反連邦勢力や名の知られた海賊達を恐怖のどん底に叩き堕とした白銀達也のコードネームよ」
大袈裟すぎはしないかとも思ったが、アイドル自慢を語るミーハーの如く高揚するアイラの変貌ぶりと、これまでに見せ付けられた達也の卓越した技量を思えば、あながち冗談だと笑い飛ばす事もできずに同意するしかない蓮。
「そ、そうなんだ……きっと凄い戦果を挙げたんだろうね?」
「凄い? そんな生易しい言葉で片付く筈がないでしょうが! まさしく天才! いえ、生ける軍神っ! それでもなければ────あうぅんッッ!?」
弁士の講談が最高に盛り上がった所で、気の抜ける悲鳴がハンガーに響き、その間抜けな声を発したアイラは、頭を押さえてその場に蹲ってしまう。
いつの間にか背後に忍び寄った達也が、彼女の頭上に拳骨を落としたのだ。
「な、何をするんですかぁッ!? あ~~ん、コブができちゃったよぉ!」
アイラは痛む頭を押さえ涙目で抗議したが、達也から睨まれれば黙るしかない。
「俺はアイドルではないと何度言えば理解できるんだ? 教え子に変な話を吹聴するんじゃない!」
何時ものような冗談交じりの叱責ではない達也の剣幕に、アイラは唇を尖らせながらも渋々と頭を下げた。
「申し訳ありませんでした……以後気をつけます」
(まったくぅ~いくら照れ臭いからといっても、この隠蔽癖だけは何とかして欲しいわ。もうすぐ大将閣下になろうかというのに……もっと自分を誇っても良いでしょうにっ!)
反省の言葉とは裏腹に心の中で悪態をついたのだが、次に達也の口から出た言葉に驚き、思わず紅玉の双眸を見開いていた。
「真宮寺。前部パイロットシートに入って点検を始めろ……用意ができ次第出撃するぞ」
愛機の後席に乗機した人間でさえほんの二~三人に過ぎず、剰え、メインシートに座す栄誉を許された者は誰一人としていなかったのである。
それを知っているからこそ、驚きを露にしたアイラは、達也へ身体を寄せるや、耳元で囁いたのだ。
「メインシートを譲るなんてどういった心境の変化ですか? 漸く彼を我が艦隊に引き抜く気になったという事でしょうか?」
背後に近づいてきたアイラからそう問われた達也は、苦笑いしながら否定する。
「そうじゃないよ。俺はアイツに期待しているだけさ。だから、残り僅かな時間しかないが……俺が持っているものを全てアイツに叩き込むつもりだ。それだけさ」
その言葉にアイラは鳥肌が立つ程の興奮を覚えずにはいられなかった。
白銀達也の総撃墜数は軍の公式記録では百二十五機。
この数字だけでも上位グループに入る好戦績だが、この撃墜数は全て共同撃墜と部下の確認報告によるもので、ガンカメラによる単独撃墜数の記録は公式には皆無だった。
しかし、それは、単機でのドッグファイトが苦手だからではない。
達也は乗機にガンカメラを搭載するのを嫌うが故に、正式な撃墜数がカウントされていないだけなのだ。
だが、未確認とはいえ、列機を務めた部下達の証言だけでも撃墜数は軽く三百を超えており、達也こそが銀河連邦軍随一の撃墜王だと言っても過言ではなかった。
その銀河連邦軍最高のエースパイロットから技量の全てを伝授される……。
それは真宮寺蓮という候補生が、銀河連邦宇宙軍のエースパイロットの後継たる資格を得たと同義なのだ。
ファイターパイロットの先輩として、アイラの中に芽生えた想いは歓喜だったのか、それとも嫉妬だったのか……。
どちらにせよ、胸の内に一瞬で燃え盛った炎に煽られ、自らも訓練を志願しようとしたのだが……。
「アイラ。いい機会だからお前も鍛え直してやるよ。今度正式に昇進したら、俺は二度とパイロットとして出撃する機会はあるまい……この機体はお前に譲るから、次期主力戦闘機が配備されるまで、俺の代わりに可愛がってやってくれ」
この望外の申し出にその瞳の色よりも顔を紅潮させたアイラは、興奮冷めやらぬ様子で何度も謝意を示すのだった。
後に白銀艦隊の航空部隊にあって勇名を馳せる若きトップエース達。
その産声は辺境惑星の小さな訓練校で発せられたのである。




