第十七話 教え子達は奮起する ②
「地球統合軍中尉クレア・ローズバンクと申します……当士官学校 伏龍にて教官職を拝命しております。昼間は公務中でしたからお話できませんでしたが、達也さんとは結婚を前提に御付き合いしております。今後とも変わらぬ御引き立てを賜りますれば幸いですわ」
嫋やかな物腰で折り目正しい挨拶をする美女を前に、ラインハルトとエレオノーラは茫然自失の体で彫像と化してしまう。
誰もが見惚れる整った顔立ちに微妙な困惑の色を浮かべる高級士官ふたり。
その様子に戸惑うクレアが言葉を掛けるよりも早く回れ右をした彼らは、背後で得意げな顔をしている達也の両腕を左右から拘束するや、士官食堂から廊下に引き摺り出した。
然も、事はそれだけでは終わらない。
何事かと戸惑う達也の胸倉をグイッと絞り上げたエレオノーラが蔑みを露にした視線で睨みつけるや、底冷えする様な低い声で叱責したのだ。
「いいこと、達也? 女性の弱味に付け込んで無理矢理交際を強要するのは立派な犯罪よ。私も一緒に謝ってあげるから、金輪際二度と彼女の半径百m以内には近づかないと誓った上で許しを乞いなさい」
問答無用で犯罪者扱いされた達也が惚けている隙に、腕組みをし端正な顔を歪めるラインハルトが、開いた口が塞がらないと言わんばかりに説教を始める。
「全く見下げ果てた奴だ! 八大方面域総司令官が不埒なセクハラ行為常習者だとは言語道断だぞっ! そんな破廉恥な風聞が広まった日には、我が艦隊は内部から崩壊してしまう! その辺りを理解しているのか?」
余りの言われように怒りが込み上げ、額に青筋が浮き上がるのを自覚する達也だったが、辛うじて暴発するのだけは我慢した。
(いやいや……『見た目に反して性格極悪』という、こいつらの本性は周知の事実じゃないか……怒るだけ無駄だ……落ちつけっ俺ッ!)
しかし、懸命に怒りを抑える達也の様子を見て、これ以上揶揄うのは可哀そうかと思い直したエレオノーラの何気ない一言が新たな嵐を呼ぶ。
「そんな深刻な顔をするんじゃないわよぉ……まあ、生活破綻者のアンタにしては出来過ぎの彼女じゃないの……大切にしてあげなさい。それで? 彼女には本当の事を話しているのかしら?」
「本当の事?」
小首を傾げる達也を見たエレオノーラは驚愕に双眸をを見開くや、激昂して罵声を叩きつけた。
「まさかアンタっ! 本当の身分や階級を偽ったまま彼女を口説いたんじゃないでしょうねッ!?」
「そ、それは……しかし、第一級の軍事機密だぞ。いくら結婚を前提に付き合っているとはいっても、おいそれと喋る訳には……」
「この唐変木ッ! 彼女がどう思うかは別にしても、真実を告げずに結婚云々なんて信じられないっ! 余りに不誠実じゃないのッ! まさか結婚は素振りだけで、本音は彼女の身体が目当てだったなんて言わないわよね?」
そう叱責されて思わず表情を硬くした達也だったが、ラインハルトが仲裁に入ったお蔭で事なきを得る。
「おいっ! 言い過ぎだエレン。達也には達也の考えもあるだろう……それ以上は無粋だぞ。ヒルデガルド殿下もいらっしゃるのだから、余りお待たせするのは失礼だ……それ位にしておけよ」
憮然とした表情で達也を一瞥したエレオノーラは、踵を返して士官食堂へ戻って行く。
そしてポン、ポンと労わるかの様に達也の肩を叩いたラインハルトも、彼女の後を追って室内へと姿を消した。
実の所エレオノーラに叱責されるまでもなく、達也自身も何度か秘密を打ち明けようとはしたのだが、さくらやユリアの問題もあって、切り出せないまま現在に至っている。
苦い想いを噛み締めながら、一度だけ大きく深呼吸した達也は、両手で軽く顔を叩いて平静を取り繕うのだった。
◇◆◇◆◇
「おいおい、君達ぃッ! いつまで待たせる気なんだい。ボクは用事を早く片付けて、クレア君の美味しい手料理に突撃したいんだよぉ~~!」
大して待たされてもいないのに不満顔で文句を言うヒルデガルドだったが、入室して来たメンバーを見るや溜息交じりに悪態をついた。
「なんだい……ガリュード坊やの所の『三馬鹿』だったのかい」
「「「三馬鹿じゃね──しッ!」」」
腹を立てながらも綺麗にハモる三人を見て、クレアは思わず噴き出してしまう。
「ぷっ……ご、ごめんなさい。でも、本当に御三人とも仲がよろしいのですね?」
慌てて笑顔で取り繕うクレアに対し、眼前でひらひらと手を振るヒルデガルドは、意地の悪い顔をして旧知の三人を揶揄する。
「仲がいい筈さ。達也は兎も角、こんな上品な顔をしているくせに、ラインハルトもエレオノーラも性格は最悪。三人揃って我儘なガキ大将だから変に気が合うらしくてね。あのガリュード坊やや、艦隊の幕僚部の古強者共が頭を抱えて嘆いていたと、毎度シアから愚痴を聞かされたものだよん」
この辛辣な物言いに対し、真っ先に不満を表明したのはエレオノーラだった。
柳眉を吊り上げ、心外だと言わんばかりに唇を尖らせ抗議する。
「ちょっと殿下っ! こんな無神経が服を着て歩いている乱暴者たちと私を一緒にしないで欲しいですわ……理性と機智に富んだ【ガリュード艦隊の美神】とは私の事ですよ?」
しかし、そんなエレオノーラの台詞を『しゃらくさい』と言わんばかりに鼻先で笑い飛ばした悪友共は、意地の悪い笑みを浮かべながら懐かしい昔話を暴露した。
「理性ぃ~~? 新任少尉として艦隊に配属されたその日に、視察に来ていた方面軍総司令官に尻を撫でられたのに激怒し、容赦ない廻し蹴りで大将閣下を瞬殺した新米女性士官は、どなたでしたかねぇ~~?」
「機智に富んだ? 確か初めて小艦艇の艦長を任された時、部下のサボタージュを咎めようとした監察官の頸動脈を絞めてオトした挙句。医療室に軟禁して査察を誤魔化した黒歴史が機智? ほおぉ~~」
そして、呆れ果てた視線をエレオノーラへ向けた達也とラインハルトは、トドメとばかりに声を合わせて言い放った。
「「やっぱ、コイツもただの乱暴者だよな」」
「アンタ達さぁ、一度死んでみる? 死にたいのね? いいわ、私が引導を渡してあげるから……さあ、どっちが先なの?」
気安いやり取りを繰り広げる三人をクレアは好意的な視線で見ていたが、空腹を抱えた我儘殿下にとっては粛清対象以外の何ものでもない。
だから、明確な殺意を滲ませた凄味のある笑顔で三人に問うたのである。
「それで……誰から脳味噌を抉られるのか、話し合いはついたのか~い?」
流石にヒルデガルドを本気で怒らせる愚者はおらず、三人とも素知らぬ顔をして明後日の方向に視線を移したのだった。
「ちいッ! 話が進まないからさっさといくよ。さくらっち、様子はどうだい?」
忌々しげに舌打ちして悪態をつくヒルデガルドが問うと、カーテンに仕切られた区画から可愛らしい黒髪の少女が顔を出し、満面に笑みを浮かべて答えを返す。
「大丈夫だよぉ─っ! ヒルデっちの言った通り可愛い女の子になっちゃった! さくらびっくりしたよぉ!」
クリクリの可愛い双眸を興奮でキラキラと輝かせる少女と、その肩口に鎮座しているティグルも燥ぐような声を上げる。
「いったい何をなさっておられるのですか、ヒルデガルド殿下?」
事情を知らないラインハルトが訊ねると、同じくエレオノーラも達也を見る。
「くふふ……精神生命体のユリアには、依り代となる上等なアバターを与えさえすれば、全ての問題が解決するのさっ!」
どうだと言わんばかりに寂しい胸を張る殿下を無視したふたりは、達也から事の経緯を説明して貰う。
折角の見せ場を無視した薄情な連中に歯噛みしながらも、ヒルデガルドはクレアを手招きし、瞳を輝かせているさくらの隣へ立たせた。
少女が寄り添っているのは小型の医療用カプセルであり、上面がガラス張りになっているボディーは培養液らしきもので満たされ、その中には三歳位の黒髪の幼女が横たわっている。
「この娘が……ユリアの身体になるのですか?」
「この娘と言うにはまだ気が早いよん……ユリアの魂魄とこのアバターを融合させる必要があるからね」
説明に不安げに顔を曇らせるクレアに、ヒルデガルドは他の人間には聞こえないように、彼女の頭の中に直接話しかけた。
『心配しなくていい。骨格は黄金をベースにファーレンの精霊樹を混ぜて作られているし、肉体は精霊樹の樹脂と精霊石の霊子エネルギーをベースにして培養されたものだ。ユリアの魂魄が融合して拒絶反応が出なければ、今後百年位は短命種として成長と老化を体験しながら人生を全うできる筈だよ……恋愛も出来るし、子供だって生せる……』
会心の作に自ら相好を崩すヒルデガルドに、クレアは涙ながらに深々と頭を下げて感謝の言葉を口にする。
「身に余る御尽力を賜りまして、心から御礼申し上げますわ……この御恩はこの身を粉にしてでも、必ずお返しいたします……ほっ、本当にありがとうございました……ありがとうござい……ますぅぅ」
小柄なヒルデガルドの身体にしがみ付いて泣き崩れるクレアの背中を、当の殿下が優しく撫でて慰めた。
「全ては君の慈愛が導いた結果だよ……良かったね。ボクへの礼なら大袈裟な事は言わないさ。今後はちょくちょく寄らせて貰うから、美味しい食事を御馳走してくれさえすれば、それで充分だよ……これからもボクの良い友達でいておくれ」
「は、はい……はい……身に余る光栄ですわ。殿下」
要求が受け入れられて満足したのか、一転して尊大な口調に改めたヒルデガルドは声を荒げて達也を急かした。
「ほらっ達也! さっさと溜め込んでいるエルフィン・クイーンをだしたまえよ。その希少鉱石がユリアの命を支える源なんだからね、ケチケチせずに全部だすんだよんッ!」
達也は次元ポケットを漁りながら、心外だと言わんばかりに抗議する。
「自分の娘の未来が懸かっているのですからね……ケチる理由がないでしょう……大体そんな話をクレアやさくらの前でしないで下さいよ……俺にも威厳ってものがですね……」
そんな抗議すら面倒くさいと言わんばかりに一刀両断したヒルデガルドは、傍でブツブツと文句を並べる達也に速射砲さながらの罵声を浴びせた。
「御託は良いから、さっさとだしたまえよ! 君の威厳なんかボクの腹の虫に比べたら些細な事だよっ! 考慮する価値もないよっ! そもそも達也のくせに生意気だよッッ!」
「はい、はい。残りはこれらと、ユリアの魂魄を憑依させた分だけです」
「五個か……う~~ん。微妙なラインだなぁ~~」
真紅の希少鉱石を達也から受け取ったヒルデガルドが、微妙に渋い顔をすると、ラインハルトとエレオノーラが助力を申し出た。
「それなら俺も持ってるよ……とはいえ、二つだけだがな」
「あら、奇遇ね。私も二つ持っているわ……これで足りるのでしょう? 殿下」
それぞれの次元ポケットからエルフィン・クイーンを取り出したふたりは、勲章部分を外した紅玉をヒルデガルドに手渡す。
これに慌てたのは他でもない達也とクレアだ。
「おっ、おい。おまえ達にまで迷惑はかけられないよ!」
「そうですわ! そんな高価な物を戴くわけには……」
すると、恐縮するふたりを見たラインハルトとエレオノーラは、顔を見合わせて微笑み返す。
「何を今更……水臭い事は言いっこなしだ……おまえにはうちのキャシーも可愛がって貰っているからね……こんな飾りものなんか惜しくはないさ」
「同じ釜のメシを食べた仲じゃない。助け合うなんて当たり前でしょう? でも、さっきの件は早々に片付ける事……そうでないと、本気で許さないからね?」
達也の顎にちょんと拳を当てるエレオノーラは、軽口でそう宣い意味深な視線を投げてウィンクひとつ。
苦笑いしながらも頷く達也と、彼女の言葉の意味を図りかねて戸惑うクレア。
そんな面々を置き去りにして、ヒルデガルドは手早く作業を終えて行く。
皆が見守る中、カプセル内に挿入された八つのエルフィン・クイーンが、アバターの定められた場所へと呑み込まれていった。
同時に黒髪の少女の身体が培養液の中で大きく跳ねたかと思うと、眩い光に包まれて原型が見えなくなってしまう。
計器類が示す数値を慎重に見極めていたヒルデガルドは、手にしていたユリアの魂魄が宿った最後のエルフィン・クイーンをクレアへと差しだした。
「さあ。最後の仕上げは君の手でやってあげるといい……想いを込めてカプセルの上に置くだけでいいからね。何の心配もいらないよ! 各コアがアバターに馴染んで容姿が形成されるのに一日~二日はかかるかもしれないが、目が覚めれば新しい愛娘の誕生だよ」
クレアは伏し拝む様にしてユリアの魂を受け取ると、両手で包み込んで額に押し当てる。
「無理はしないでゆっくり休みなさい……そして目覚めたら貴女の本当の姿を見せて頂戴……何があっても私はずっと待っていますからね。今度会える時には貴女を抱き締めさせてね……ユリア」
クレアの言葉にユリアは思念波で感謝を返す。
【……あ、ありがとう……な、何とお礼を言えばいいのか……私のような忌み子を受け入れて貰えるなんて……】
「こらっ。忌み子なんて言っては駄目よ。亡くなられたお母様が貴女に託した未来と想いを貶めるような真似はしないで。そして、貴女に交換条件を持ち掛けた男が用意したもの……それは、新しい家族なのよ。だから、私達は貴女を歓迎するわ。その時を心待ちにしていますからね」
両の掌に包まれた紅玉が微かに震えた。
それがユリアの歓喜の表れなのだとクレアは正しく読み取る。
【嬉しい……私にも家族が出来るのですね……目が覚めるのが、いいえ、お母さまに抱き締めて貰える時が待ち遠しいです……】
「えぇ……私も楽しみにして待っているわ……だから今はおやすみなさい」
優しく微笑んだクレアが紅玉をカプセルの上に置くと、それはガラス面を擦り抜けてアバターの中心部へと沈んでいく。
「ユリアお姉ちゃんッ! さくらも待ってるっ! 待ってるからぁぁ‼」
「キュウィ、キュゥイ! キュウイィィ~~ン!」
【うん……待っていて……ね……楽し……る……】
さくらとティグルの呼びかけに、途切れ途切れに答えを返したのを最後にして、ユリアの思念波は途絶えてしまった。
「さて、これで儀式は終了したねぇ……いやぁ~~久しぶりに仕事をして、ボクはもうクタクタだよ……お腹もペコペコなんだよぉぉ~~」
感動の場面を台無しにするヒルデガルドの声で我に返ったクレアは、満面に笑みを浮かべて立ち上がる。
「ありがとうございました……直ぐに食事の準備を致しますので、あとほんの少しだけお待ちください」
そう言って足早に厨房へと駆け込んで行く。
「ママぁ~~さくらもお手伝いするよぉ!」
ユリアという姉が出来るのが嬉しいのか、さくらも燥ぎながらクレアの後を追うのだった。
「素敵な女性じゃないか……達也。お前にしては上出来だよ」
「上出来どころじゃないわよ……奇跡よ、大奇跡! ミラクルマジック以外の何ものでもないわ」
親友らの祝福(?)に、達也は何も言わずに肩を竦めて謝意に代える。
結局、漸く超過労働が終わったと喜んでいたヒルデガルドだったが、更に達也にこき使われる羽目になってしまう。
さくらが海で溺れた時に長距離転移という無茶をして以来、その機能を失っていた腕輪の件と、幼竜のティグルが人型化した件について相談を受けたのだ。
だが、不承不承ながら調べてみれば、腕輪の件は精霊石に宿った先人達のサボタージュだったと判明したから、さあ大変。
怒り心頭のヒルデガルドに、その意志ごと消去されそうになった先達らだったが、何とか達也が宥めて事なきを得たのである。
その上で安全を第一に考え、腕輪はさくらに持たせると決まった。
次元断層によるシールドと転移機能を併せ持ち、さくらを気に入っている腕輪の主達に任せておけば、愛娘の安全は百%保証されたも同然だからだ。
それとティグルの件については、擬人化による負荷を軽減する為の装置を近日中に用意するという事で話がついた。
この夜クレアが用意したのは本格中華のコース料理。
ふかひれスープと冷菜の盛り合わせに始まり、肉料理に海鮮料理、デザートには各種点心の揃い踏みという豪華な内容だった。
昨夜のバーベキューパーティーとは違い、さくら以外は全員が大人であり、ラインハルトもエレオノーラも達也に負けず劣らずのウワバミとなれば、宴が盛り上がらないわけがない。
新しく出逢った料理にヒルデガルドが狂喜乱舞したのは言うまでもなく。
更に二人の人間が、クレアの料理の虜になったのも当然の結果だった。
因みに、エレオノーラとクレアは初対面であったにも拘わらず、気心が通じあって親密になり、志保を含めた三人は友人として終生変わらぬ関係を築いていくのである。




