第十六話 それぞれの絆 ②
立て続けに身の周りで起こった物騒な出来事の所為で神経が過敏になっているからか、クレアはなかなか寝付けずにいた。
一時的にリブラに避難してきたクレア達は、艦中央部にある上級士官用の個室を寝室として使用しており、ベッドを子供達に譲った彼女は、実用一辺倒で飾り気のない長ソファーを寝床にして万が一の事態に備えていたのだが……。
(このまま横になっていても寝られそうにはないわね……)
不意の襲撃に備え、防弾仕様のボディースーツの上に軍用ジャケットを羽織ったまま横になっていた所為か、知らず知らずのうちに気持ちが昂っていたのかもしれない。
(……少し艦内を歩いて気分転換でもしようかしら……)
身体を起こして立ち上がると隣に置かれているベッドが視界に入り、そこにある幸せ色の光景を見たクレアは思わず口元を綻ばせてしまう。
二段ベッドの下段にはティグルを抱いたさくらが、幸せそうな微笑みを浮かべて眠っており、愛娘の寝顔の横には首に掛けているお守り袋が鎮座している。
その中にはユリアの魂が宿った紅玉が収められており、さくらはこのお守り袋を一時も手放そうとはしないのだ。
(あらあら……嬉しそうな顔をして……夢の中でも達也さんに遊んで貰っているのかしらね)
愛娘の幸せいっぱいの寝顔が今の自分達の全てを物語っている様に思え、自然と柔らかい微笑みが浮かぶのをクレアは自覚する。
夫を喪った悲しみも既に過去の話だと割り切れるようになり、大切な想い出として胸の奥に抱いたまま前を向けるようになった。
まだ人型になった姿は見ていないが、懸命にさくらを護ってくれたティグルと、懸案は残っているもののユリアという新しい家族を得て、本当に幸せだと思わずにはいられない。
何よりも、それらの喜びを与えてくれた達也と相思相愛になれたのが嬉しくて、この奇跡に等しい出逢いを与えてくれた運命には、心から感謝するしかなかった。
子供達にブランケットを掛け直してから足音を忍ばせて部屋をでるや、非常灯の明かりだけの薄暗い通路を目的もなく歩く。
人気のない艦内は少し不気味だったが、達也の事を考えているだけで心が弾んで不安などは少しも感じない。
(本当に色々な事があったわね……そして、達也さんを愛している自分がいる……ふふふ、おかしなものね。少し前まであんなにも余裕のない生活をしていたのに。それが、今では……)
自分はこんなにも人を愛せるのだと思い出させてくれた恋人に感謝すると共に、切ないまでの愛おしさを覚えたクレアは笑みを零したのである。
ものの数分で舷側部分の通路に辿りついた彼女だったが、得体の知れない違和感を覚えて足を止めた。
耐圧ガラスから見える外は漆黒の闇に包まれていたが、艦首方向に灯火が見えた気がした彼女は、遥か下方の空間へと目を凝らす。
(あそこは前部上甲板の辺りだわ……こんな時間にいったい誰が?)
不審に思い艦内情報を統括する端末を操作し、前部上甲板のカメラを起動させてモニターに映像を映し出すや、画面の中央でふたりの人間が対峙している様子と、その近くには少女らしき人物の存在が見て取れたが、その状況に不穏なものを感じたクレアは何事かと訝しんだ。
対峙する男性の中の一人は達也だと直ぐに分かったが、残る二人は映像が不鮮明で判別が難しく、慣れた手つきでカメラを微調整した彼女は鮮明な拡大映像を得るのに成功する。
だが、それはクレアにとって開けてはならないパンドラの箱に他ならなかった。
「そ、そんなっ……ば、馬鹿な……あ、あの男性は……」
心臓が早鐘を打って鼓動を早める中、呆然と立ち尽くすしかないクレア。
達也の後ろに控えている少女は、先日会ったヒルデガルドだと直ぐに分かったのだが、彼女を驚倒させたのは達也と対峙している黒服の男だった。
「ま、まさかっ……悠也さん……なの? でも、あ、あの人は土星で死んだ筈……なのに……」
画像に映るもう一人の男をクレアが見間違える筈もない。
それは紛れもなく、土星宙域で戦闘に巻き込まれて不慮の死を遂げた筈の最愛の夫……久藤悠也だったのである。
何が起きているのか理解できない彼女は懊悩と混乱に苛まれ、手足どころか身体が震えて立っていられなくなり、その場に崩れ落ちてしまう。
(これは夢なの? それとも現実? あの人は本当に……)
茫然自失のクレアは暫し蹲っていたが、震える両脚を叱咤して立ち上がるや、頼りない足取りで薄闇に包まれた通路を歩き始めるのだった。
◇◆◇◆◇
「そもそもの始まりは、馬鹿な研究者共が《フォーリン・エンジェル・マリオネット》なる怪しげな攻撃補助システムを開発した八年前に遡るのですよ」
先程までの何処か飄々とした雰囲気は消え失せ、苦虫を噛み潰したかのような表情で話すクラウスに、達也は複雑な思いを懐かずにはいられない。
結婚写真の中で幸せいっぱいの笑みを浮かべていた新郎新婦の姿。
クレアの隣で優しげに微笑んでいた新郎と目の前の男が同一人物だとは認めたくもなかったが、この男の素性を鑑みれば、それが真実なのは疑い様もなかった。
(グレイ・フォックスといえば様々な星間国家を揺るがした疑獄事件や、大貴族のスキャンダルに端を発した事件を暴き、連邦の有利になるよう暗躍したと言われている伝説の諜報員だった筈……)
聞き齧った情報を頭の中で整理する間もクラウスは泰然と構えて話を進める。
「無人兵器の反応速度やイレギュラー性は飛躍的に改善された反面、部品の耐久性に問題が発見されましてねぇ……これは変じゃないかと監査部が動いた結果、あの悪魔の人体実験が露見したのですよ。尤も、主任研究員の内部告発が決め手ではあったのですがねぇ……」
「それは俺も聞いたことがある。複数の銀河連邦加盟国家や有力貴族が研究者達を支援していた罪で逮捕された筈だ……かなり厳しい処罰が下されたのではなかったかな?」
「そんなものは表向きの発表ですよ。その支援者の中には銀河連邦評議会にも影響を及ぼす重鎮たちも名を連ねていましたからねぇ……そんな大者を表立って裁いた日には、銀河連邦そのものが転覆してしまう。そう危惧した一部のお偉いさんたちは、結局小者を生贄にして事件の終息を図ったのですよ。ただ、七聖国が主導する最高評議会には事件を知られぬよう、厳重な箝口令が敷かれていましたが、それも捕縛前に複数の研究者が逃亡してしまい、全て水の泡になりましたがねぇ」
その事実は初耳だったが、達也は話の腰を折るような真似はしなかった。
すると、自分の出番が来たとばかりにヒルデガルドが鼻を鳴らす。
「なんだい、なんだい。天下のグレイ・フォックスにしては情けない話じゃないか? 素人の学者如きに翻弄されるなんて、弛んでいたんじゃないのかい?」
だが、両肩を竦めたクラウスは、口元を歪めて溜め息交じりに反論した。
「その時私は別の任務に就いていましたからねぇ。まあ、後日、急襲したアジトにあった死体の数が手配されたメンバーの頭数と同じだったため、陸に確認もしないまま事件を闇に葬ったのが間違いの元でした。その所為で憎悪の火種が残ってしまったのですよ」
「なるほどね。生き残った研究者達は自分らを切り捨てた者達に復讐する為に研究を続け、その機会を待っていたということか……そこに絡んだのが、グランローデン帝国とシグナス教団なのかな?」
達也の推測を聞いたクラウスは片頬を歪めて笑みを浮かべた。
「惜しいですねぇ……本命は当時地球統合政府と対峙していた野党の重鎮。現在の統合政府大統領ドナルド・バックですよ……巧妙に隠蔽していますが、彼は狂信的なシグナス教団の信徒なのです。銀河連邦に対して何かと反感を口にする統合軍の急進派を唆し、独自開発による新統合軍艦隊の建造計画を立ち上げて、その目玉にフォーリン・エンジェル・マリオネットと帝国が開発を断念した《思念波による迎撃システム》を導入するよう、言葉巧みに誘引したのですよ」
胸の中に込み上げてくる不快感に達也は顔を顰めるしかない。
「なるほど……ボクの見立ては間違ってはいなかったんだね。しかし、騙された挙句に責任だけ取らされた連中は惨めなものだねぇ」
死者を悼む気など更々ないヒルデガルドの飄々とした物言いにも達也は辟易させられたが、同時に陰惨な事件に介在した人間達の妄執を思えば、激しい嫌悪感を覚えずにはいられなかった。
「新造艦隊が就航しても、期待のシステムは直ぐに役立たずと成り果て、その挙句にブラックボックス化されたフォーリン・エンジェル・マリオネットは悪魔の御業として世間に晒される……当然追及は連邦評議会や貴族閥にも及ぶだろう……生き延びた研究者たちは念願の復讐を果たし、シグナス教団は廃材を再利用しただけで地球統合軍の重鎮と地球統合政府を纏めて失脚に追い込める。後は教団の息が掛ったバック大統領を首班とした傀儡政権を作り、念願である太陽系進出を果たす……筋書きはこんな所かな?」
達也の解説に満面の笑みを浮かべたクラウスは、惜しみない拍手を送る。
「ブラボー。その通りです。教団の思惑通りに事態が進行していれば、五年前には極左主義の政権が誕生し、銀河連邦からの脱退を宣言……同時に地球に於けるシグナス教団の布教大作戦が展開されていたでしょうねぇ」
「そうならなかったのは、あんたが欠片も証拠を残さずに業火の中へ疑惑の全てを葬ったからだっ! 海賊艦隊に擬装した連邦軍精鋭艦隊使って十隻の新造艦と、二千八百五十六名の軍人や開発関係者達を宇宙の藻屑に変え、その後も計画を推進した高級将官や退役軍人。そして、官僚らを次々に事故に見せかけて始末した……全てがあんたの掌の上で踊らされた……胸くそが悪くて反吐がでそうだよ!」
忌々しげに吐き捨てる達也を見たクラウスは口角を吊り上げて嘯く。
「裏稼業には裏稼業のやり方がありますからねぇ。それだけの犠牲を積み上げたからこそ、生き残っていた研究者共も一人残らず始末できたし、教団に付け入る隙を与えず、彼らの野望を頓挫させるのに成功した……とも言えますな」
「ふんっ! 盗人にも三分の理か……まあ、粛正するべき対象が減っただけでも良しとするしかないだろうな。だが、この件に関して帝国が消極的なのは、ユリア十八姫の存在が原因なのかな?」
達也の問いにクラウスは肩を竦めただけだったが、代わってヒルデガルドが答えを返す。
「帝国は最初から動きが鈍かったようだねぇ……ここ数年で帝国と教団の不仲説が真しやかに囁かれるようになったから、信憑性はあるんじゃないかい?」
事件が勃発した五年前を境にグランローデン帝国の拡大政策は潮目を変え、内政の充実に力を注いでいるという報告もある。
(皇帝陛下は癖のある人物だが、聡明で切れ者という評判だったな……寧ろユリアの事は正攻法で説得するべきかもしれないな)
ユリアを我が子として迎える以上、禍根は断たねばならない。
その為には何としても皇帝に会う必要があると達也は心に決めたのだが、そんな彼の心情に斟酌しないクラウスが、溜め息交じりに口を開いた。
「我々の間で共有せねばならない情報は全て開陳いたしましたよ……もうそろそろお開きにしたいのですが──つぅっ!?」
「私はぜひとも聞きたい事があるのだけれど……悠也さん?」
クラウスの言葉を遮るかの様に艦内に通じるドアがスライドしたかと思えば、哀惜の念を滲ませた声音が夜陰の空気を震わせる。
その場にいた全員が驚愕する中、甲板に足を踏みだしたクレアは感情が抜け落ちたその顔を最愛の夫だった久藤悠也に向けたまま歩を進めるのだった。
晩春の淡い月光の下での騒動は、まだまだ終わりそうにはなかった。




