第十六話 それぞれの絆 ①
「おまえも俺も同じ穴の狢だ! くそったれの人殺し野郎だって事さッ!」
沸騰する血液が体内を逆流するかのような不快な怒りが、理性という名の堤防を容易く打ち壊す。
『指揮官たる者は、いつ如何なる時でも冷静沈着であれ』
そう自分を強く戒めている達也にして、その矜持を投げ捨てる程の憤激が体内で荒れ狂っていた。
目の前の男が銀河連邦情報局のエージェントであるならば、久藤悠也という偽りの人物に扮したのは潜入捜査の常套手段であり、任務を円滑に達成するべく意図的にクレアを利用したと考えるのが妥当だろう。
つまりこの男は、最初から恋愛感情も夫婦としての愛情も持ち合わせてはおらず、ただ任務遂行の為だけに、純粋なクレアの恋慕の情を弄んだのだ。
この巫山戯た男を許すという選択肢は有り得ないし、相応の報いを受けさせねば気が済まない……。
その昂る想いのままに、達也は甲板上を疾駆してクラウスに接近するや、怒りに任せて大上段から炎鳳を振り下ろした。
『ズシャッ』という耳障りな音が静謐な夜気を裂き、大量の水蒸気と白煙が周囲に撒き散らされる。
クラウスが手にする氷雪を纏ったかに見える大剣が炎鳳と触れ合った刹那、炎羽と白魔がせめぎ合い激しい衝撃波が生まれた。
「おっとぉっ! いきなり乱暴なのではありませんかっ? 私の剣がファーレンの秘宝・氷虎でなければ死んでいるところですよ」
そう嘯きながらも後方に大きく跳躍したクラウスは態勢を立て直そうと試みたが、それを許すほど達也も甘くはない。
更に踏み込んで距離を詰め、側面から横一線の斬撃を見舞うや、宝剣同士が再度打ち合わされ悲鳴を上げる。
「おまえの都合など俺の知った事じゃないっ! 殺す気で剣を振っているんだ! 寝言をほざいてる暇があるのかよっ!?」
「おうっ、くうぅっ! 少しは私の話も聞いてはくれませんかねぇぇっ!」
剣戟の音とは思えない激しい衝突音と大量の水蒸気を撒き散らしながら、ふたりは寸瞬の間も動きを止めずに斬り結ぶ。
ほんの僅かに生じた隙を逃さず下段から放たれた氷虎の斬撃をバックステップで躱した達也は、炎鳳を正眼に構えてクラウスを冷めた視線で射抜いた。
「あんたも俺も軍属だ。任務の為なら何でもやる。だから言っただろう? 俺達は所詮『くそったれの人殺し』だとな……」
「えぇ、そうですねぇ……これまでも多くの人間を騙し、利用して任務を遂行してきました……言い訳はしませんよ。しかし、今回の件だけを殊更に責められるのは納得がいきませんねぇ」
「そうだな。確かにあんたの言う通りだよ……今回の事件の背景は読めているし、久藤悠也というピースが嵌った時点で『想定外』の意味も理解した……あんたにも多少は人の血が流れているのだと知って安堵しているぐらいさ」
「それならば、私の任務にも目を瞑ってくれてもいいのではありませんかねぇ? 貴方が真相を知った以上、事件を主導し大勢の人間を死に追いやっておきながら、今ものうのうと生を貪っている連中を許しはしないのでしょう?」
「当然だ……全員に黄泉路の片道切符をくれてやる。だが、ただ純粋に久藤悠也を愛した彼女に、どうやってこの酷い現実を納得させればいいんだ? クレアの想いを利用した罪は、あんた自身の命で贖って貰う。それしか方法はないだろうッ!」
気合一閃、強烈な突きが死闘再開の合図になった。
「くっ! 本当にっ! 軍人というのは融通の利かない連中ばかりですねぇ!」
そうボヤキながらも達也の鋭い刺突を氷虎で防いだクラウスは、相手の隙を窺いながら反撃の機会を探る。
この世に生を受けて四百年以上にもなるが、武具の取り扱いについては、人並み以上に修練を積んできたという自負もある。
然も、借り物とはいえファーレンの秘宝の一振り氷虎が得物であれば、短命種の若造などに後れを取る筈がないと確信していた。
それがどうだろう。
繰り出される斬撃の速度が次第に増し、受けるだけで精一杯という有り様に追い込まれ始めているのだから、彼が顔色を変えたのも無理はなかった。
(こ、これほどとはっ! さすがに《金獅子の双牙》の片割れ……日雇い稼業でも腕は落ちていませんか……これは少々不味いですねぇ)
クラウスと同じ立場に立たされたのが達也だったならば、純粋な軍人であるが故にイチかバチかの勝負に出て活路を開くという強硬策も考えただろうが、クラウスは根っからの情報員だ。
譬え、仕事を成功させたとしても、自分が死んで素性が暴かれたとなれば任務は失敗したも同然である。
だからこそ、どんな手段を用いても生還するという事は、彼にとって絶対に譲れない信条だった。
つまり、命を繋ぐ為ならば恥や外聞は気にしない人間であり、事実、剣戟を重ねながらもジリジリと後退し始めたクラウスは、甲板の隅の闇間に向けて情けない声で救援を求めた。
「ち、ちょっと殿下っ! いい加減に仲裁してくれませんかねぇ! このままでは私は斬り刻まれてしまいますよ!」
彼が殿下と敬称で呼ぶ人物は、銀河系広しといえどたった一人しかいない。
案の定と言うべきか、クラウスの情けない声が可笑しかったのか、闇の中から 姿を現したのは、楽しげに口元を歪めたヒルデガルドその人だった。
「なんだい、なんだい。《グレイ・フォックス》と恐れられている凄腕情報員にしては随分と情けない有り様じゃないかい? 同郷の知人としてはがっかりしたよ。プンプン!!」
彼女の姿を見て毒気を抜かれた達也が攻撃の手を緩めた瞬間に、大きく後退して距離を取ったクラウスは艦内への入り口を背にして一息つく。
「本来情報員には変な異名などつかない方がいいんですよ……目立っても陸な事はありませんからねぇ。情けない? OK、OK、命さえあれば万々歳ですよ」
ヤケクソ気味に捲し立てるクラウス同様、呆れ顔でヒルデガルドを見た達也も、心底どうでもいいという心情を隠そうともせずに嘯く。
「まさか、爆弾テロ如きで死ぬような可愛げのある存在ではないと思っていましたが……まあ、御無事でなによりです」
「むうぅぅっ! 何だい、その素っ気ない物言いはぁ! これでも色々と苦労したんだぞっ!」
達也のシラケた反応が癪に障ったのか、ヒルデガルドは如何に自分が苦労したか、爆破テロ騒動の顛末を捲し立てるのだった。
◇◆◇◆◇
「任務完了……ターゲットはフロアーごと爆散した模様」
『オーバー。こちら【ダガー】。周辺の様子を確認して撤収する』
情報局二課の工作員は、炎を噴き散らしながら破砕した破片を地上にばら撒く GPO本部ビルの様子を報告すると、通信機のスイッチを切った。
五百mほど離れた建築中のビルの屋上からでも、猛火に包まれた最上階フロアーの惨たらしい様子が手に取るように見て取れる。
周辺は降り注ぐ破片で凄惨な有様を呈していたが、近隣の要衝に配置していた仲間からは、特に問題になるような報告は入っていない。
(GPOの質も落ちたものだ……爆発物の搬入は造作もなかったし、セキュリティも緩すぎる……まあ、楽な任務だったな)
今回は各課長の頭越しに、局長自らが各部署のエース諜報員に命令を下すという変則的な任務であり、然も目標がGPO本部最上階フロアーとなれば、相当な覚悟を以て望まなければならないと自らに言い聞かせたものだった。
だが、実際には拍子抜けするほど簡単に事は運び、後は他のメンバーからの報告を受けて撤収するだけとなったのだが、五分、十分と経過しても他の仲間達からの連絡もなく、状況を訝しんだ工作員は通信機を取り出そうとしたのだが……。
「どうやら君が最後の客人のようだねぇ~~あぁ、安心したまえ、三人いたお友達は皆仲良く楽園に旅立ったよ……あとは君だけさ」
唐突に声を掛けられた工作員は狼狽したものの、そこで動きを止める様な未熟者ではなく、場にそぐわない陽気な少女の声音がした方角へ熟練したクイックドローの技を駆使して銃口を向けるや、邪魔者を排除せんとしたのである。
しかし、彼の自由意志による行動が許されたのは、そこまでだった。
「アガァッっ!?……がっ、ぐふぅぅ~~~~」
眼前の中空に浮遊する少女を発見した刹那、彼は悶絶して苦悶の悲鳴を発するやビクッ、ビクッと全身を波打たせる。
見れば彼の頭部に添えられた少女の十本の指が、その半ばまで脳内に打ち込まれており、もはや彼に反抗の手段は残されてはいなかった。
「まさか……ボクのスウィートホームを滅茶苦茶にしておいて、無事に生きて帰れるとは思っていないよね? 君では弁済など遠く及ばないだろうから、せめて情報ぐらいは有るだけ全部戴いていくよ」
工作員は限界まで見開かれた双眸から滝の様な血涙を流し、両腕を振り回すが、それは虚しく少女の身体を擦り抜けて何の効果も為さない。
やがて全ての動きを止めた骸が静かに崩れ落ちるや、鼻を鳴らしたヒルデガルドは不満げに嘯いた。
「ふむ。やはり下っ端は大したネタを持っていないようだねぇ……どうしようか? 部下の責任は上司である君が償ってくれるのかい?」
階段口に通じる入り口に向けて声を掛けると、情報七課課長のクラウス・リューグナー大佐が、ほとほと困ったといった風情の顔で姿を現す。
「部下と言われましても別の課の分まで責任は負えませんよ。まして、アホな上司の所為で情報局の腕っこきが壊滅状態とあってはねぇ……とんだ貧乏くじですよ。ヒルデガルド・ファーレン殿下」
「おおッ! 漸く本命の登場だね。早速で申し訳ないが、君が五年前に何をしたかは察しがついているんだ。この儘じゃ君ぃ~~、間違いなく達也に殺されるよ? さっさと喋った方が賢明だと思うけどねぇ。それから惚けるのもなしだよん!?」
深々と溜息を吐いたクラウスは観念して従うしかなかった。
「人の縁とは奇妙なものですねぇ……まあ、仕方がありません。殿下に御仲裁して戴けるのならば私としても文句はありません……ただし、アホな上司には言い聞かせる必要がありますので、暫しの猶予をくださいませんか?」
「かまわないよん。役立たずは然るべく処置したまえ。それが世の為だよ。ただ、ボクにも急ぎの案件があってねぇ、至急地球に戻りたいんだ。君の私用はさっさと片付けてくれたまえよん」
何処まで行っても身勝手……。
マイペースなヒルデガルドの毒気に中てられ、クラウスはこの日何度目かの溜息を漏らすのだった。
◇◆◇◆◇
「今のお話の何処に苦労の跡があるのか、私には全く理解できないのですがね……お気に入りのゴミ職場兼ゴミ屋敷を破壊されて、腹立ち紛れに犯人を嬲り殺して スッキリした……そう解釈すればいいのですか?」
投げやりな口調でそう問う達也に、ヒルデガルドは頭から湯気を吹き出しそうな勢いで怒りを露にする。
「酷い男だよん、君はぁぁぁっっ!! 報われないと知りつつも、愛しい男の為に甲斐甲斐しく尽くしているボクを、どうしたらそこまで悪し様に言えるんだい? ボクは悲しいよっ! ショックだよっ!」
「その『愛しい男』に該当する人物が私だというのなら、謹んで辞退いたします。さて、茶番はこれ位でよろしいですか? 俺はさっさとその男を始末したいんですがね……」
冗談に付き合う気など更々ない達也は、底冷えするような声に殺意を滲ませて、己が獲物だけを見据えた。
「おいおい! 気持ちは分かるけれどねぇ……」
剣呑極まる達也の雰囲気にビビって口籠るヒルデガルドへ、今度はクラウスが冷たい視線を向ける。
「殿下……仲裁して下さるという話はどうなったんですかねぇ?」
「あはははは、はぁぁ……達也。彼を死なせる訳にはいかないんだ。理由はいずれ君も知る日が来るよ。だからさ、それまではボクに免じてこの男の命を預けて貰えないかい?」
真摯な物言いで頭まで下げたヒルデガルドの豹変ぶりに、達也は内心で酷く驚かされてしまったが、仲裁に入ったのが彼女である以上、その懇願を拒むのは何かと借りがある身では難しいのも確かだ。
それ故に忌々しげに舌を弾くや、小さく吐息を吐き出して、炎鳳を待機モードに戻すしかなかったのである。
「殿下にそこまで言われれば仕方がありませんね……まあ、自分の推理が当たっているのか否か確かめる必要はありますから……」
不承不承ながらも、達也が引く形でひとまず騒動は収まった。
白銀達也とクラウス・リューグナー。
クレアという女性を介して縁を得たこのふたりは、この夜を境にして様々な場所で顔を会わせる事になる。
時には味方、そして、場合によっては敵として……。




