第十五話 想定外 ④
バーベキューパーティーが始まって一時間ほどが経過したが、欠食児童ぶりを遺憾なく発揮する教え子たちは、上質の肉類や魚介類を奪い合っては胃の中に詰め込む作業に没頭しており、その勢いが減じる気配は微塵もなかった。
片やテーブル席に陣取った志保とアイラは、膝にさくらを乗せたクレアと談笑しながら、達也秘蔵の銘酒に舌鼓を打つ。
しかし、幼いが故に食の細いさくらは、沢山のお兄さんお姉さん達に遊んで貰い燥ぎ廻った反動からか、疲れて船を漕ぎ始めていた。
その所為もあってか、お眠のさくらの代役に任命されたティグルが、詩織達の玩具にされながらも健啖ぶりを発揮し、『キュイ、キュイ』と騒いでいるのは御愛嬌か。
そんな賑やかな情景に穏やかな視線を向けながら、達也は少し離れた樹木の下でイェーガーからの報告を受けていた。
海千山千の老将は、現在地球統合政府の本部がある旧合衆国サンフランシスコに出張中で、政府外交院を相手に銀河連邦艦隊の再配備について協議している最中なのだ。
専用回線を使った秘匿通信だから傍受される心配はないが、小型タブレット画面に映るイェーガーは意識して声を潜めた。
「艦隊の再配備につきましては、明日には正式な承認と新たな条約の締結が可能になりますが、調印式は如何いたしましょう?」
「現状の西部方面域司令部にやって貰いましょう……こちらの作戦準備が完了するまで、俺は表に出ない方が賢明ですからね」
「分かりました。適当に理由をつけて調整いたします。再配備の艦隊は当初予定の中核艦隊五十隻をあて、それに補助艦艇と警備艇を補充しますが、基幹基地は何処にいたしますかな?」
達也は暫し黙考してから返答する。
「艦隊は土星のアトラス基地に配備しましょう……初戦の戦場は土星宙域以外にはあり得ませんから。申し訳ありませんが、ラインハルトが帰還したら、土星と木星を本拠にしている資源開発公社との連絡を密にする様にと伝えて下さい」
両惑星の資源開発公社とは、企業の体を為した連合国家と言っても良い存在だ。
地球が銀河連邦に加盟して各種先端技術の恩恵を享受する中、太陽系の各惑星開発も並行して行われたのだが、この時に木星と土星の開発に従事した人々を中心に連合体としての公社が設立され、資源開発と供給事業が本格的に始まり地球圏の早期復興に大きく寄与したのである。
地球の復興と人類の再生は、この木星・土星開発公社の存在失くしては語れないと言われるほどで、以後公社設立百年の節目に両惑星の開発に携わる五十基の大型人工コロニーがひとつの集団に統合されたのを機に、地球統合政府も独立国家としての特別承認を与え、今日に至っていた。
「了解いたしました。それから、昨日お嬢さんを襲撃した犯人の生き残りですが、今朝がた独房で服毒自殺を遂げたそうです」
その報告に一瞬だけ顔を顰めた達也だったが、それは、真相解明の為の手掛かりが潰えた事に失望したからではない。
寧ろ、襲撃者の死で自身の推測が裏付けられたと確信し、決着の時が近いと感じたが故の反応だった。
「自殺ではなく始末されたのでしょうね。これで相手は銀河連邦情報局と判断して間違いありませんね……となると、襲撃は今夜かな?」
「護衛の部隊を至急派遣いたしましょうか?」
イェーガーの気遣いに感謝しながらも、首を左右に振った達也は、その申し出を丁重に断る。
「今後の作戦の障害になる前にケリをつけておきたいのです。警護を厳重にすれば、相手も警戒するでしょう……凡その見当はついていますから大丈夫ですよ」
喜怒哀楽。その一切の感情が掻き消えた顔は、能面の如き怜悧な雰囲気を漂わせており、こんな状態の達也には如何なる説得も無駄だと知っている老将は、諦念を含んだ吐息を漏らしてから話題を変えた。
「分かりました。しかし、くれぐれも御無理なさいませぬ様に……それから別件ではありますが、例の士官候補生達の不当な処遇について、長官が提案された救済策を幕僚本部高官らに承認させました」
その報告を待ち侘びていた達也は、破顔して喜びを露にする。
「そうですか……それは良い知らせだ。本当に厄介な案件ばかり押し付けて申し訳ありませんでした。これで、あの子達の未来にも光明が見えた思いです」
「私も一度会っただけですが、将来が楽しみな若者ばかりでしたからね。ですが、今月の二十五日から行われる航宙研修に於いて実戦形式のテストを行い、その成績次第で退学処分を再考するという閣下の折衝案……何か悪巧みでも考えておられるのですか?」
老補佐官の探るような視線に、達也は含み笑いを漏らして苦笑いするしかない。
「悪巧みとは人聞きの悪い……歪んだ我欲や過剰なエリート意識は軍人には不要だと、頭のネジが緩んだ阿呆共に教えてやろうと思っているだけですよ……」
笑みを浮かべる口元とは裏腹に、その仄暗い瞳が達也の心中を正確に代弁しているのだとイェーガーは気付く。
(ここまで閣下を激怒させるとは……相手には同情を禁じ得ないね)
お互いに長い時間を共に戦場で過ごして来た仲であり、少ない会話からでも相手の心象風景を察するのは容易い。
だから、それ以上の詮索を控えたイェーガーは、幾つかの確認をした後、週明けの再会を約束して報告を終えた。
(全ての謎を詳らかにし、無為に失われた多くの命の上に胡坐を掻く連中に、黄泉路への片道切符をくれてやる)
その苛烈な決意とは裏腹に、表情を穏やかなものへと変えた達也は、イェーガーから齎された朗報を教え子達に伝えるべく、笑い声が絶えない光景に向かって歩を進めるのだった。
◇◆◇◆◇
(明日は雨が降るかな……)
春の匂いを含んだ東風が頬を撫でて流れ去って行く。
その心地良い感触を楽しみながら暮春の朧月夜を見上げていると、改めて感じる季節の風情に自然と笑みが零れてしまう。
銀河連邦軍の軍人になって早くも十四年もの月日が過ぎ去り、その間に数多の星々を転戦して来たが、故郷である地球以上に美しい惑星を達也は知らない。
(贔屓の引き倒しだと、ラインハルトには笑われるがな……)
聞き飽きたと言わんばかりの親友の呆れた顔を思い出せば、知らず知らずのうちに苦笑いが浮かぶ。
十四年という年月は生き残ることに汲々とした日々であり、故郷とそこに住む大切な人々を想って戦い続けた日々でもあった。
その中で出逢った人々や貴重な体験……それらの全てが、今の自分を作り上げたのだと達也は信じて疑ってはいない。
しかし、地球に帰還してからの二か月で手にしたものは、これまでの軍人生活で得た財産にも勝るものであり、今では大切な宝物になっていた。
自分の持つ経験と技術を教授できる教え子達。
クレア、さくら、ユリア、そしてティグルを含めた家族という愛しい存在。
それらの大切な人々を護る……。
その一念を胸に懐く達也は、薄い月光に照らされるリブラの前部上甲板に一人で佇んでいた。
普段ならば此処は流線型の外部装甲板に覆われているのだが、作戦行動時以外は開放されており、乗員のトレーニングや憩いの場として活用されている空間だ。
外周は優に三百mはあり、ジョギングやボール遊びに興じる乗員達で結構な賑わいをみせるのだが、深夜ではそんな喧騒とは無縁の場所でもある。
唯一艦内に繋がる入り口を背にして瞑目する達也は、微動だにもせずに時の流れに身を委ねていたが、丁度日付が変わったのを見計らったかの様に姿を現した来訪者の気配を察して双眸を開いた。
「……団体様でお越しだと思ったから場所を見繕ったんだが……艦内に入るのならば、俺の後ろの扉以外の選択肢はない。そう承知してくれ」
静かな口調でそう語り掛ける達也の前方約五十m辺り。
濃い闇が漂うその場所に、いつの間にか男が一人佇んでいた。
張り詰めた緊張感が周囲に満ちて空気の密度が増していく。
「事前の連絡に手落ちがあった様で申し訳ありませんでした。とは言え、私としましても、今回の件は全くの想定外でしてねぇ……これ以上優秀な部下を失いたくはありませんので……今宵は私一人で参上したという次第なのですよ」
その場にそぐわない飄々とした物言いがひどく癇に障った達也は、険しい視線で男を睨みつけたまま足を踏み出した。
すると、それに合わせるかの様に相手の男も歩を進める。
ゆっくりと二人の距離がつまり、双方の表情が視認できる距離で足を止めた瞬間に月を覆っていた雲が流され、その場の全てを月光が照らしだした。
淡い光の下に晒された男の顔を達也は視界に捉えたが、眉一つ動かさずに平然とした体を崩さない。
その様子が意外だったのか、相手は然も可笑しそうに忍び笑いを漏らす。
「おや? 驚かれませんねぇ? それとも、この顔には見覚えがありませんでしたか? まぁ、写真は結婚式の時に撮っただけでしたからねぇ……」
そんな挑発にも動じない達也は軽く両肩を竦めただけだったが、底光りする冷たい視線で相手の男を射抜いていた。
「大筋は見えていたからね、こんなケースもあるかもしれない……そう覚悟はしていたさ。ただの考え過ぎであって欲しかったがね……久藤悠也さん?」
目の前に立ち尽くす男の顔を見間違える筈もない。
さくらと一緒に感謝のお祈りを奉げていた写真の中の新郎……。
クレアの最愛の夫であり、さくらにとっては戦火の中で喪われた筈の父親に他ならないからだ。
「さすがですねぇ……貴方が相手だと分かっていれば、最初から私が出るべきでしたよ……そうすれば、無用な死人をださずに済みましたし、帝国やシグナス教団の糞坊主共に情報が漏洩する事もなかったでしょう」
そう独白する男の顔に慚愧の念が浮かぶ。
「もうお気づきでしょうが、私はファーレンの人間です。連邦軍政部情報局第七課所属クラウス・リューグナー大佐であります……聡明な閣下であれば、これだけで今回の内幕を御理解いただけるのではありませんか?」
「そんな戯言はどうでもいい……なぜ、さくらを……自分の娘の命を狙った?」
その問いに滲む憎悪にも似た怒りを感じたクラウスは、背筋に冷たいものが走る感覚に身震いしたが、表面的には平静を装って笑みを崩さなかった。
「無用な手出しをして墓穴を掘らないように、と私は上司に進言したのですがね。度し難い愚かな人間は何処にでもいるもので……御贔屓筋の方々の威光に傷がついては一大事だと、柄にもなく慌ててしまったようですな……お蔭で私は知らぬ間に優秀な部下を大勢失って泣きたい気分ですよ。全くもって貧乏くじもいい所です」
「その上司はどうしている?」
「ははは。御心配なく。私の善意の忠告も理解できないほどに疲れておいでだったので、早々に楽隠居させてあげましたよ……尤も、この世ではもう会えないと思いますがねぇ」
自分の上司を始末したと悪びれもせずに語る男の言葉に嘆息した達也は、微かに首を左右に振った。
「あぁ、そうか。そういう事だったのか……」
ずっと分からなかった謎が解けて得心がいった達也は、運命の皮肉を思い口元を歪めて自嘲気味に呟く。
「あの日……初めて出逢ったあの娘が、俺を『パパ』と呼んだ理由がね……おまえに会って理解できたよ……」
「ほう。それは興味深いですねぇ……差し支えなければ、その理由とやらをお聞かせ願えませんか?」
嘗て久藤悠也と名乗っていた男の取り繕った微笑みに怒りに満ちた罵声を叩きつけるや、達也は炎鳳を顕現させ甲板を蹴って疾駆した。
「おまえも俺も! 同じ穴の狢ッ! くそったれの人殺し野郎だって事さ!」
晩春の宵の宴は、まだまだ終わらない……。
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