第十五話 想定外 ②
クレアと志保が共闘を誓い合っていた同じ頃、蓮たち二十名は寝不足による疲労を抱えた儘、重い足を引き摺るようにしてリブラへと向かっていた。
昨日の午後からネット上の校内掲示板が、達也とクレアの話題で大炎上状態になり、あっという間に罵詈雑言が飛び交う修羅場と化したのが、その原因だ。
憧憬の的であるクレア・ローズバンクのハートを射止めた男性が、選りにも選って何かと問題視されている白銀達也だったという事実が、騒動の炎へ油を注ぐ結果を招いたのである。
誰もが納得するイケメンや大金持ちの資産家が相手ならば諦めもついただろうが、冴えない強面の軍人が本命とあっては、同僚教官は元より、彼女のファンである全学年の男子候補生達が、怒りと嫉妬の炎を滾らせたのも当然の結果だと言わざるを得ないだろう。
そんな状況であったが故に、曝し者にされて集中攻撃を受けている恩師の窮状を見かねた蓮たちが、躍起になって火消しに奔走したのだ。
しかし、そんな努力も正に焼け石に水であり、却って炎上を煽る結果になったのだから、彼らの徒労感は察して余りあるだろう。
誰だって不特定多数の他人から悪しざまに罵られれば、たまったものではないし、まともな精神状態を維持するのさえ難しい。
理不尽な誹謗中傷に晒されている教官殿も不愉快な思いをしているだろうが、教え子としてはこの状況を報告せずに知らん顔をしている訳にもいかなかった。
「ねえ、蓮? どうするのよぉ? 私は嫌だからね……こんな恥ずかしい話を報告するなんて……」
詩織が唇を尖らせてぶっきらぼうな物言いをすれば、他の女子生徒達も同意して何度も頷く。
「わ、分かっているよ……俺から上手く報告するから……それに白銀教官なら気にしてないかもしれないし……あ、あははは」
気休めだと分かっていながらも自然と口から零れた白々しい言葉に、詩織どころか神鷹やヨハンまでもが顔を顰めて溜息を吐いているのを見た蓮は、泣きたいのは自分の方だと胸の中で愚痴るしかない。
(あれだけ一方的に嘲弄されれば、誰だって傷つくに決まっている。俺でも書き込んだ奴をぶん殴ってやりたいとマジで思ったぐらいだからなぁ……こんな情けない話をどう報告すればいいんだ? はぁ~~頭が痛いよ)
実際に投稿されている内容は僻みと逆恨みに依る所が大きく、根も葉もない憶測と目を覆いたくなるような罵詈雑言がこれでもかと踊り狂っている。
然も、そのほぼ全てが達也に対する誹謗中傷の類であり、片やクレアに対しては見当外れな同情論が大勢を占めていて、そこからまた達也への非難に移行するという無限ループの様相を呈しているから始末が悪い。
良いアイディアも浮かばぬままに歩を進める蓮は、リブラの青い船体が近づくにつれ、憂鬱度が増して気分が重くなったが、そんな彼の耳に女子候補生の声が飛び込んで来た。
「あれっ? 後部収容ハッチの近くに小さな子供がいるわよ?」
日頃から視力の良さを自慢しているその娘がそう言って目を凝らすや、その視線の先を見た全員が小首を傾げて顔を見合わせてしまう。
『こんな場所に、なぜ幼い女の子がいるのだ?』
彼らが同じ感想を懐いたのは当然だろう。
海に面しているとはいえ此処は伏龍の敷地内であり、関係者以外の立ち入りは 許されていない。
ましてや、見るからに幼い少女が居て良い場所ではないのだ。
しかし、白地に花柄のワンピースを着た黒髪の少女が、何やら笑顔で燥いでいる様子は幻想の類ではなかった。
どうやら、何かの小動物とじゃれ合っている様なのだが……。
「ああぁぁ──ッッ!?」
その少女まで五十m程の距離にまで歩み寄った所で、突如身近で暴発した甲高い悲鳴に驚いた仲間達は、日頃の訓練の成果を遺憾なく発揮するや、反射的に態勢を低くしたのである。
しかし、そんな仲間たちを軽々と飛び越えて全力で駆けだしたのは、破壊力抜群の咆哮を放った詩織だった。
「いやぁぁ~~ん! ティグルちゃん! 久しぶりぃぃ──ッッ!」
唖然とする仲間達を置き去りにして疾走する詩織は、身の危険を感じて逃走しようとした幼竜を捕獲するや、全力で抱き締める事に成功。
バタバタと藻掻くティグルには御構い無しに、嬉々として歓声を上げ頬擦りをする学年首席様に男子候補生達はドン引きするしかない。
しかし、五人の女子候補生達は、地球ではお目に掛かれない純白の幼竜の存在に歓喜して詩織に群がるや、交代でティグルを抱いてはスキンシップに夢中になるのだった。
「あぁ~~ん! 駄目だよぉ、お姉ちゃん達ぃ……ティグルが嫌がっているよぉ」
謎の少女からの苦情で漸く我に返った詩織達は慌てて謝罪した。
「あっ、ごめんなさい……久しぶりにティグルちゃんに会えたから嬉しくて」
バツが悪そうに謝る詩織に微笑んだ少女は胸を張ってアドバイスをする。
「あのね。羽に触れないようにして、足の辺りを抱えてあげるの」
言われた通りに片腕で抱くようにすると、不承不承ながらもティグルは大人しくなり、代わる代わる女の子達に抱かれて玩具扱いに甘んじる。
追い付いて来た男子達も、興味深々と言った顔で初遭遇の竜種を見て感嘆の溜息を漏らす。
「うわぁ~~本物の幼竜だ……凄いなぁ~~」
初めて目にする龍種に神鷹が瞳を輝かせれば、蓮が苦笑いしながら解説した。
「白銀教官の飼っておられる幼竜でティグルっていうんだ……初めて教官にお会いした日に紹介されたんだけど、さっきみたいに詩織が乱暴にするから逃げられちゃってさぁ~~」
「ら、乱暴になんかしてないもんっ! 蓮の意地悪ッ!」
揶揄う気満々の蓮に、むくれて文句を言う詩織。
一同から笑いが上がった所で、『もう充分だろう!』とばかりにティグルは羽ばたいて少女の肩へと避難するのだった。
「よしよし。可愛がって貰えてよかったねぇ」
ティグルの頭を撫でていた少女が不意に満面の笑みを浮かべたかと思うと、周囲のお兄さんお姉さん達にペコリとお辞儀をする。
「はじめましてぇ! さくら・ローズバンクですっ! この子はティグルだよぉ。仲良くして下さいっ!」
元気一杯の挨拶に候補生達が好感を懐いて相好を崩す中、詩織だけが小首を傾げながら問い返した。
「さくらちゃんは、クレア・ローズバンク教官のお子さんなのかな?」
「うん! そうだよ! お姉さん達はママの生徒さん? あっ! そうか、此処に来たんだから、達也お父さんの生徒さんなんだぁ!」
無邪気な少女の爆弾発言に、教え子達全員が仰け反って絶句したのは言うまでもないだろう。
そして、さくらの可愛らしい口から飛び出した『達也=お父さん』のコミカルなニュアンスに我慢できず大爆笑したのも、至極当然の反応だったのかもしれない。
尤も、何故に彼らが笑っているのか、さくらには理解できなかったのだが……。
◇◆◇◆◇
「んっ? なんだそんな事を気にしてくれていたのか? それは悪かったなぁ……要らぬ手間を掛けさせてしまって済まなかったね」
穏やかな表情の達也に謝られた蓮は、肩透かしを喰らった気分になり、間抜けな顔を晒してしまう。
憂鬱な問題など既に忘却の彼方へと押しやった仲間たちが、さくらやティグルと仲良くなろうと燥ぐ様子に後ろ髪を引かれながらも、叱責覚悟で昨日からの騒動を報告したのだが……。
当の達也が顔色すら変えないのだから、拍子抜けした蓮は思わず訊ね返したしまったのだ。
「あ、あの……御不快ではないのですか? だって、相当に悪質な嫌がらせじゃ ありませんか!?」
まるで自分が誹謗されたかの様に憤る教え子を見た達也は、至極真面目な表情を取り繕って窘める。
「以前教えただろう。指揮官は何時如何なる時も冷静沈着であれと。敵の安っぽい挑発に乗せられて頭に血を昇らせていると、思わぬ所で足を掬われるものだよ……言いたい奴には言わせておけばいい。相手にしなければ直ぐに静かになるさ」
至極尤もな意見ではあるが、それを被害者である本人が平然と口にしたのに驚く蓮だったが、同時にこの教官ならばと妙に納得してしまう。
「釈然としませんが、教官がそれでいいのなら……」
そう言って頷く教え子の頭を片手でわしわしと掻き廻した達也は、柔らかい笑みを浮かべるや弾んだ声で問うた。
「気をつかわせた挙句に強制労働とは申し訳なかったな。どうだ? 礼と言っては大袈裟だが、新しいメンバーの歓迎会も兼ねて今夜バーベキューパーティーでもやらないか? 機材はこの船にあるし食材と飲み物は俺が用意しよう。腹いっぱいになるまで食わせてやるが……どうする?」
「ほっ、本当ですか!? ぜっ、是非とも! 皆も喜びますよ!」
不満げな表情から一転して喜色満面で喜ぶ教え子に苦笑いしながら、達也は言葉を続ける。
「本日の午前中には十六名の適性が判明する……彼らには基礎知識と士官としての行動規範、そして、適性部署に於ける必須スキルを短期間で叩き込まなきゃならない。お前達四人は先任として配属先の班長役を務めて貰う……誰一人落ち毀れさせはしないぞ。必ず退校処分を撤回させてみせるからな」
「しかし……処分は決定事項ですよ……いったいどうやって軍上層部を翻意させるおつもりなのですか?」
一旦下った命令を覆すのが至難の業なのは充分承知しているが、達也にも勝算はある。
「現在統合政府と銀河連邦宇宙軍の間で、太陽系駐留艦隊の再配備について交渉が進められている。その席で今回の理不尽な決定についても再考を促すようにと交渉官に頼んでいる……あのイェーガー閣下ならばきっと上手く話を纏めてくれるさ」
一癖も二癖もありそうな老提督の印象深い笑顔を思い浮かべた蓮は、幾ばくかは不安が薄れた気がして思わず顔を綻ばせていた。
「はい。自分もそう信じて全力を尽くします!」
笑顔で退出していく教え子の背を見送りながらも、ある種の誘惑に葛藤している己に、達也は戸惑いを覚えずにはいられなかった。
蓮や詩織を筆頭に二十人の教え子達は、皆が優秀な逸材だといえる。
それは、ラインハルトやアイラが強く推薦する事実からも明白であり、達也自身も己の権限で銀河連邦軍に引き入れた方が良いのではと考えもしたのだ。
しかし、その想いをどうしても口に出せないでいる。
軍人にとって最高の名誉は、己の母星とそこに生きる同胞を護って戦う事に他ならず、それこそが武人の本懐だと達也自身は考えていた。
だからこそ、自分が放棄した大切なものを教え子達には無くさないでいて欲しいと思い、積極的に転籍を勧められないでいるのだ。
(とはいっても、これから一ヶ月以内に起こりうる内輪揉めの結果次第では、新設される我が艦隊に引き取った方が良いかもしれないな)
銀河連邦とグランローデン帝国、そして地球統合政府の三つ巴の謀略戦の結果 次第では、銀河連邦と地球の同盟関係にも大きなヒビが入る可能性は否定できないし、それによって結束の弱まった西部方面域を帝国が喰い荒らす事態は充分に有り得た。
(鍵を握るのはユリアをさくらに同体憑依させた人物か……連邦の特殊工作員かもしくは情報部の人間……フォーリン・エンジェル・マリオネットにされたユリア諸共に艦隊を葬るのが目的だった筈なのに、あの娘は命を繋いで生き永らえた。無視できない想定外の何かがあったのだろうが……)
ぼんやりながらも真実の輪郭が見えているのに、核心部分が霧に覆われて判然としない。
そんなもどかしい気分を持て余す達也は、一向に埒が明かない状況に歯噛みするしかなかった。
(だが、それも間もなく終わる……終わらせてみせるッ! 新しい家族の為に……そして、俺自身の為にも)
得体の知れない不安を払うかの様に、達也は決意を新たにするのだった。




