第十三話 逆鱗に触れる ④
邪な思惑から落第という不名誉を被った二十名の候補生達にとって、退校までのリミットは僅か二か月余りしかない。
だが、時間的猶予以上に問題なのは、達也に師事していた四人と他の十六人との間にある、知識や技量に於ける習熟度の格差だった。
「残された時間が限られている以上、通常の訓練プログラムでは、どれもこれもが中途半端になってしまう可能性が高い。そこで、今日と明日の二日間は君達十六名の適性検査をし、各々が最も適していると思われる兵科や軍務を見極め、徹底的に磨きを掛けようと思っている」
後発組と比しても蓮達四人は、僅かひと月半ほど先行しているに過ぎない。
しかし、ラインハルトやアイラが指摘したように、成長の度合いが尋常ではない彼らを基準にはできないのだ。
それ故に後発組の候補生達には、彼らの長所を徹底的に磨いて一芸に秀でた人材に育成するという方針を決め、それにより取り毀す技量は、後々の課題として各々に習熟させる機会を与えるつもりだった。
自分達が置かれている状況は本人達が誰よりも良く理解しており、幸いにもその方針に否を唱える者は一人もおらず、達也は胸を撫で下ろしたのである。
「それでは、私達はいつもの訓練メニューで良いでしょうか?」
安堵した矢先に詩織から問われて応諾しようとした達也だったが、一瞬だけ考え込んでから目を逸らすや、至極平坦な声で命令した。
「あぁ……判定作業用の機械は五台しかない上に、適性判定には一人につき一時間は必要だからな。その間は順番待ちのメンバーと共に三班に分かれて、恒例の戦死体験を楽しんでくれたまえ」
その命令に血相を変えて怒りを露にしたのは、当然の如く質問者の詩織だった。
まさに、この世の終わりだと言わんばかりの形相で達也に食って掛かる。
「ひっ、ひどいッ! ちょっと、こっちを向いて下さいよ教官っ! 私と蓮は何回死んだと思っているんですか!? 理不尽ですっ! パワハラですっ! 今度こそ人事局の救済委員会に訴えますからねぇッ!」
しかし、怒り心頭で抗議しているのは詩織だけで、蓮、神鷹、ヨハンの三人は、既に諦め顔で溜息をついている。
《戦死体験》なる物騒極まりない言葉と、優等生である詩織や神鷹の様子を見た後発組の候補生達は、降り懸かる未知の体験を想像して身震いするしかない。
「ぎゃあぎゃあ騒ぐな。これは命令だ。仲間との絆を深めるのも重要だと胸に刻みなさい……人間は叩かれ、打ち据えられて成長するものだ。諸君らの健闘に期待する! 食堂のSSランチセット(行楽弁当タイプ)を褒美として人数分御馳走してやるからそれで納得しろ! さあ、今日も頑張るぞ!」
「ワケが分からない綺麗事を並べて居直るなぁ! 馬鹿ぁぁ! 然もランチセットなんて褒美じゃなくて、御詫びの間違いでしょうがぁぁ──っ!」
詩織の絶叫が、何も知らない仲間たちの不安をMAXまで煽ったのは言うまでもなかった……。
◇◆◇◆◇
今回の処分に対して他の候補生達は、概ね蓮達二十人に同情的だった。
しかしながら、現地球統合政府は軍備縮小政策を進めており、今後数年間は軍の採用規定も厳しいものになるという話が実しやかに流布されてもいる。
それ故に、内心では教官達の蛮行に憤りを覚えても、表立って非難の声を上げる者は皆無だった。
下手に彼らを庇い立てすれば、自分が次の粛清対象にされるのでは……。
そんな不安が拭えない候補生は騒動の中心から距離を取り、見て見ぬふりをするしかなかったのである。
その所為もあってか、校内はどこか陰鬱な空気に支配されていたのだが、そんな暗い雰囲気を根こそぎ払拭する大事件が勃発したのだ。
達也が指導する特別クラスのメンバー達が、過酷なバーチャル戦死体験に悲鳴を上げていた頃……。
「申し訳ありません。折角のお誘いですがお断りさせていただきます。実は先日、ある方からのプロポーズをお受けして……今は結婚を前提にしたお付き合いをしておりますので、今後この様なお誘いは御容赦ください。それでは失礼いたします」
その台詞は周囲の時間を停止させるに足る強烈なインパクトを放った。
いつにも増して楚々とした可憐な微笑みで、デートのお誘いをきっぱりと一蹴したクレア・ローズバンク教官に周囲からの視線が突き刺さる。
だが、彼女は気にした風もなく丁寧に腰を折って一礼するや、踵を返して優雅な足取りでその場を去るべく歩き出した。
定例行事と化したラブアタック。
結果はいつもと変わらない撃沈判定だったのだが……。
呆気なくフラれたイケメン教官も、偶々周囲にいた多数の候補生達の誰もが呆然とした顔でその場に立ち尽くし、彼女の背中を見送るしかなかったのである。
静寂の中でのその光景はまさに異様であり、その原因がクレアが口にした台詞の中の、『結婚を前提にしたお付き合いをしております』という爆弾発言であるのは疑いようもないだろう。
そして、ほんの数瞬の後……校舎の一角から悲鳴にも似た喚声が打ち上がるや、騒然した雰囲気と熱気が学校中に伝播するのだった。
その喚声を背中で受けたクレアは、知らず知らずのうちに口元に笑みを浮かべてしまう。
達也と想いを通わせてから、まだ幾ばくも過ぎてはいないが、恋慕の情は日増しに深く大きくなり、愛しさばかりが募っていく。
そんな状況では、他の男性からのお誘いなど煩わしい以外の何ものでもないし、人間関係を慮って無難な御断りをするのにも、いい加減嫌気がさしていた。
だから、これを機に交際宣言をして他の男性からのアプローチを一掃したい。
クレアがそう考えたのは至極当然であり、なんらおかしな事ではなかった。
それ故に休み時間に同僚教官が声を掛けて来たのを幸いとばかりに、自分の想いを明確に示したのである。
だが、この大胆な英断が予想の範疇を飛び越えて大きな騒動に発展するとは、この時のクレアには想像もできなかったのだ。
そして、このやり取りの一部始終を録画した候補生達が、その動画映像を一斉に発信したが為に瞬く間に全校中に拡散し、全ての人々の知る所となるのだった。
◇◆◇◆◇
【憧れの女神様。クレア・ローズバンク教官。堂々と結婚宣言ッ!】
このホットニュースが瞬く間に校内を席巻するや、ランチタイムを兼ねた昼休みは、衝撃的な話題の真偽について至る所で熱い討論が繰り広げられ、異様な熱気が充満していた。
さすがに教官たちは表立ってこの話題に言及する者はいなかったが、落胆の色を浮かべる者も多く、宛ら幽鬼の様に青褪めた顔をして打ちひしがれる者達が続出したのだ。
そんな彼らを見た志保は、『ざまあみろ』と言わんばかりにお腹を抱えて大笑いすると同時に、腐れ縁の恋バナを如何にして白状させるか策を練る始末。
一方、候補生達の間では喧々囂々の激論が繰り広げられ、その熱量は増すばかりで……。
煩雑なお誘いに嫌気がさした彼女が、煩わしい男共をシャットアウトするために嘘の結婚話を持ち出した……。
そんな常識的な見解という名の切実な願望が男子生徒達の間では大勢を占め。
片や女子生徒の間では多彩でドラマチックな物語が、さも真実であるかの如く熱く華やかに語られ、異常なまでの盛り上がりを見せている。
先日の休暇の折に御見合いをし、その相手に一目惚れしたのだという衝動説。
いやいや、交際に反対していた両親を漸く説得できて、かねてから想いを重ねていた男性(なぜかイケメンの富豪)とめでたくゴールインしたのだというハッピーエンド説。
実は御主人を亡くして以来、親身になって力を貸してくれていた幼馴染と想いを育んで結ばれたのだという純愛ラブストーリー。
その他にも手を変え品を変えて脚色された物語が飛び交い、その燃え盛る火勢が衰える気配は一向になかった。
女子候補生たちにしてみれば、憧れの存在であるローズバンク教官の恋愛話は、彼女の姿に自分を置き換えるだけで幸せな妄想に浸れるだけに話題に事欠かない。
そして、それは、蓮や詩織を筆頭に白銀組の二十人とて例外ではなかった。
地獄の連続戦死体験というハードな訓練でヘロヘロになった彼らだったが、重い足取りで御詫びランチ(?)を取りに来た学食で、この話題で盛り上がる仲間達の狂態を目の当たりにすれば、疲労を理由にして萎れていられる筈もない。
事情を理解した彼らはたちどころにHPもMPも完全回復させるや、心から敬愛する教官の恋バナに瞳を輝かせて一気にヒートアップしたのである。
怒号飛び交う狂乱の坩堝と化した学食では落ち着いて話もできないため、ランチBOXを抱えて本校舎裏の花壇が整備された裏庭に場所を移す。
比較的スペースがあるこの裏庭は縦横に走る通路に沿って花壇と芝生が配置されており、春も後半に差し掛かった今頃は陽射しも心地良い。
その彼方此方で生徒達が輪になっておしゃべりに興じているが、自分達の会話に夢中で蓮達に注意を払う者は皆無だった。
これ幸いとばかりに暖かい春陽降り注ぐ芝生に輪になって腰を降ろした彼らは、早速美人教官のホットな話題を肴に食事を始めたのである。
「う~~ん。やっぱり《虫除け対策》が一番信憑性が高いと思うなぁ……だってさぁ、毎日毎日、好きでもない男に言い寄られれば、温厚なローズバンク教官でも嫌気はさすだろうしさ……」
如何にも『僕は興味ないけれど……』という体を装う蓮がそれでも語気を強めてそう言えば、詩織が呆れたと言わんばかりに半眼で睨みつつ辛辣な言葉を返す。
「それは信憑性云々の話じゃなくて、切実な願望なんじゃないのぉ? これだからモテない男は……何か勘違いして高嶺の花ばかり追いかけるけれど、それはただのストーカーとしか認識されず、迷惑がられるだけだというのが分からないかな? つまり、魅力のない男なんてアウト・オブ・眼中なのよ!」
情け容赦ない言葉の刃に串刺しにされた男子達は一様に顔を歪めて落ち込むが、片や女子達は尤もだと頷きながら詩織の意見を支持する。
「そ、それじゃあ詩織は、ローズバンク教官に再婚相手が現れたと本気で思っているのかい?」
学年首席様の無慈悲な断言に打ちのめされたものの、今一つ納得できないといった顔で蓮が訊ねると、詩織は元より女子全員がしたり顔で大きく頷いた。
「いたとしても不思議じゃないでしょう? 寧ろ、あんな素敵な女性に恋人の一人や二人いない方が変でしょうに」
さも当然とばかりに詩織が口火を切ると、他の女子達も歓声を上げて随追する。
「見目麗しい美人でスーパーモデルが裸足で逃げ出すプロポーション。その上に清楚で温厚。然も仕事も完璧とくれば、イイ男が放っておく筈がないわよね」
「学校の男共の求愛や並み居る縁談を全て退けて来たマドンナのお相手は如何にっ!……って、あ~~ん、想像するだけで興奮しちゃう!」
「きっと素敵な殿方よねぇ~~~何処かの王侯貴族か、行動力のある大実業家? それとも世界的に有名な二枚目スター? きゃあっ! 羨ましいっ!」
「でもこの学校の関係者みたいな、野暮で冴えない軍人じゃないのは確かよね」
妄想と偏見に満ちてはいるが、あのクレアならば如何にもありそう、と男子らも認めざるを得ない。
そんな会話に嬉々として盛り上がる女子グループと、残酷な最後通告に打ちのめされて悄然と項垂れる男子グループとの明暗が分かれるなか、何の前触れもなく校舎へと通じるドアが開くや、その冴えない野暮天の代表格だと目されている達也が、ひょっこりと顔をだした。
そして、教え子達の存在に気づいて声を掛けて来たのである。
「なんだ、こんな所で昼飯かい? 訓練でヘロヘロになっていたから食事を摂れるか心配だったんだが、要らぬ気遣いだったようで安心したよ」
その教官の言葉に苦笑いする生徒達の中にあって、詩織だけが不機嫌な顔で遠慮なく悪態をつく。
「こんなランチでは、私は誤魔化されませんからねっ!」
「はははっ。しつこい奴だな。分かった、分かった。近日中に腕試しの試験を行うつもりだから、そこで良い成績を収めた奴にはフレンチでもハンバーガーでも好きなものを奢ってやる……だから機嫌をなおせ」
「あ~~ん! 成績で御褒美に格差をつけるのは反則ですよぉ!」
その場に居た全員が二人の遣り取りに顔を綻ばせたが、ふと疑問を覚えた神鷹が小首を傾げながら達也に訊ねた。
「教官は裏庭に何か御用でもあったのですか?」
ベンチも複数あるとはいえ、教官が一人で昼寝をするには不似合いな場所だが、達也が手ぶらであるのを考慮すれば、穏やかな陽光に誘われて日向ぼっこにきたと考えても不思議ではないだろう。
だが、今度は同じドアから話題沸騰中のクレアが姿を現したものだから、白銀組の教え子らは元より、裏庭にいた候補生たち全員の視線が一斉に彼女に集中してしまい、達也の存在など一瞬でなかったものにされてしまった。
蓮や詩織達は驚くと同時に、クレアの口から真相が聞けるのではないかと期待に瞳を輝かせ、周囲で聞き耳を立てる他の候補生同様に彼女へ熱視線を注いだ。
しかし、その高揚感は他ならぬ彼女自身の行動によって、木っ端微塵に打ち砕かれたのである。
「あら、あなた達も仲良く昼食なのね。今日はお天気も良いし、此処を選んで正解だったわ」
学校を席巻する騒動も、周囲の思惑も関係ないかの様なクレアの台詞に違和感を覚えた詩織らは、一様に怪訝な表情を浮かべるしかなかった。
そして、その違和感は、手提げ篭を大事そうに抱えた彼女が達也の隣に歩み寄る事で、その正体を露にしたのである。
「お昼を御馳走になる約束をしていてね。此処で待ち合わせしていたんだ」
普段と変わらない笑顔でそう告げる達也とは対照的に、教え子達は想定外の衝撃発言に打ちのめされて思考停止状態に陥ってしまう。
(((一体全体……何がどうなっているのだろう?)))
在り得ない展開に一様に悩乱し、唖然として立ち尽くす彼らには御構いなしに、美女と強面カップルは自分達の世界を形成して憚らない。
「遅くなってごめんなさい。結婚の話は本当なのかと執拗に聞かれて……本当ですと何度も言っているのに……然も、最後に一度だけでもいいからデートしてくれだなんて言う人まで……本当にウンザリしたわ」
魂が抜け掛けている教え子達の存在などまるっきり無視したクレアは、唇を尖らせて心底不満げに愚痴を零す。
そんな彼女に達也は苦笑いを返すしかなかった。
「ははは。それは災難だったね。でも何度誘っても袖にされ続けた上に、知らぬ間に彼氏ができましたと言われてもねぇ……俺は同じ男として彼らに同情を禁じ得ないよ」
その言葉にクレアは眉根を寄せて拗ねてしまい、達也に詰め寄って詰る。
「まあぁっ!? 私が他の男性からのお誘いを受けても良いと言うのですかっ? 私が誰かとデートしても、達也さんは気にもしてくれないのですか?」
ぷうっと頬を膨らませて、恨めしげに上目遣いで睨む美人教官殿の可愛らしい仕種に周囲は唖然とするしかなかった。
然も、達也に対する呼称がファーストネームになっているのも、教え子達を驚愕させるに充分な破壊力を発揮する。
凛とした佇まいで一分の隙もない、普段のスーパーウーマンぶりからは想像も できない子供っぽいその仕種に、蓮や詩織は白日夢の中に居るのではないかとさえ思ってしまう有り様だった。
「そういう意味ではなくてさ。俺はモテない男の悲哀が身に染みているからね……彼らの気持ちも分かるし、少しだけ哀れだと思っただけだよ」
「そうでしたの……でも私は貴方が他の女性との縁が薄くて良かったと思います。だって私だけが達也さんを独り占めできるんですもの……私も貴方だけ居てくれたらそれでいい……それだけで満足ですよ」
「す、凄い言い分だねぇ、さくらが聞いたら泣くよ?」
愛娘の名を出され再度不機嫌な顔をするクレアは、拗ねた口調で恋人を責める。
「もうっ! また、さくらです! 達也さんは、本当にさくらに甘すぎますっ! 二言めにはさくら、さくらって……私だって……」
『もっと甘えたいのにっ!』という本音を辛うじて我慢したクレアは、達也の腕に自分のそれを絡めて近くのベンチに移動すると、並んで腰を下ろしバスケットの蓋を開けた。
その中から取り出された複数のカラフルな容器には、サンドイッチと唐揚げ等のおかずが所狭しと並んでいる。
それを見た達也は納得した様に相好を崩し、ひどいなと言わんばかりにクレアに訊ねた。
「なるほどね……昨夜、早々に追い出されたのは、このお弁当を用意する為だったのかい?」
「うふふ……ええ。さくらが『絶対に内緒にして驚かせるの!』『さくらが作ったのを食べて貰うの』と言い張って……大変だったんですからね」
「はははっ。それは御苦労様……するとこの右端の妙に不揃いなサンドイッチが、あの娘の苦心の力作なのかな?」
「はい。さくらのお手製ですわ……なかなか上手く形を整えられなくて、それでも半泣きになりながら頑張ってやっとそれだけ。帰ったら褒めてやって下さいね」
達也は笑顔で頷くと少々形が崩れたサンドイッチを手にし、口に入れて何度も咀嚼してから喉を通す。
「うん……見た目は兎も角とても美味しいよ。あの娘は君と同じで料理上手の良いお嫁さんになるだろうね」
その言葉にすっかり機嫌を直したクレアは、頬を染めてはにかんでしまう。
「も、もうっ! 達也さんったら馬鹿な事ばかり言って……う、嬉しいですけど、時と場合を……ほら、あまりゆっくりしている時間はありませんわ。早く食べてしまいましょう」
さすがに照れ臭くなったクレアは、テキパキと給仕をしながら自身も食事を始めたのである。
こうしてバカップル劇場は終幕を迎えたのだが、当然ながらクレアの交際相手が達也であるという真実は、瞬く間に学校中に知れ渡ってしまった。
この事実は大半の人間を驚愕させ、同時に怨嗟と嫉妬に泣き叫ぶ者達が続出したとか、しないとか……。
達也とクレアにとってまさに嵐の前の静けさ……。
そんな幸せな暮春の一幕だった。




