第十三話 逆鱗に触れる ②
ティベソウス王国王都・銀河連邦最高評議会会議場
「ア、アナスタシア殿! 貴女は本気で言っておられるのかッ!?」
七聖国筆頭ティベソウス王国グスタウス王は、その老成した顔を驚愕に歪めて声を荒げた。
最高評議会に於いては、各国の代表者はファーストネームで呼び合うのが暗黙の了解とされている。
堅苦しい雰囲気を避け、妙案を導きだすには必要だと初代の議長が提案して了承され、今日に至るまで継承されている慣習だ。
議場の中央に置かれた総大理石の巨大な円卓を囲んで腰かけている七人のうちのひとり、ランズベルグ皇国代表であるアナスタシアは、悠然とした微笑みを浮かべた儘、その問いを受け止めた。
「勿論ですわ議長閣下。本気でなければ、銀河連邦最高意思決定機関である本会に対し、余りにも失礼でありましょう?」
優美さと清廉さを兼ね備え、嘗ては【銀河の女王】と渾名されて、尊敬と畏怖を一身に集めた女傑である。
彼女の言葉を蔑ろにできる者などこの場には一人も存在しないが、長年に亘って議長を務めて来たグスタウス王も、唯々諾々と盲従するほど柔ではなかった。
「確かに白銀達也の実績は、歴史上の栄えある名将に勝るとも劣らないものであろう。しかし、あの制度……いや、称号を与えられたのは銀河連邦千五百年の歴史の中でも僅か三人に過ぎない。然も、初代以外の二人は最終的に我欲に走って粛清されたが故に、制度そのものが闇に葬られたのですぞ。それを今更……」
「そうですわね『勇者を魔王に堕落させる称号』……そう言われたと記録に残っております。ですが、だからこそ、今の我が銀河連邦に処方するには最適の良薬たり得るのではないでしょうか?」
グスタウス王が『意味が分からない』と言わんばかりに怪訝な顔をすると、今度はアナスタシアの言葉を引き取ったヒルデガルドが口を開く。
「今年は銀河連邦樹立千五百年だと巷は浮かれているけどねぇ~~貴族閥の専横は蔓延し、民主主義によって成り立つ加盟国の大半が、大きな不満を抱いているのは紛れもない事実さ。此の儘では階級主義に反発する勢力が造反するのも、そう遠い先の話ではないと思うがねぇ~~」
表立っては誰も口にしない真実を突き付けられた議員らは表情を曇らせるしかなく、議場は重苦しい雰囲気に包まれてしまう。
ヒルデガルドの言は銀河連邦評議会の中で顕著化している問題に他ならず、独善的で横柄な貴族閥の集団に、自由民主主義を掲げる国家群が連携して対抗しようとする動きが活発になっており、様々な案件で諍いが頻発しているのだ。
「然も、銀河連邦軍内における貴族閥士官の横暴は目に余る。そのくせ能力不足で実績も上げられないから治安は悪化する一方じゃないかっ。達也が辺境地で騒動を鎮静化させていなければ、八方面全域で統治が瓦解していたかもしれないよん?」
認めたくもない事実を容赦なく突きつけられたグスタウス王は、顔を顰めて黙り込むしかなかったが、そんな彼に止めを刺すかの様にアナスタシアは畳み掛けた。
「この制度……敢えて【神将】と言わせて貰いましょう……この称号は劇薬です。ですが使い方を間違えなければ、腐敗していく患部に効果的に作用する特効薬にもなり得るのです……もう一度信じてみませんか? 個という人間の力を」
グスタウス王は腕を組んで瞑目しているが、それは先程までの否定的な態度ではなく、アナスタシアの提案に一定の理解をしたが故のポーズに他ならない。
「……御二人の御存念を聞かせていただこうか……この場にいる代表のうち、我ら三名以外は新参であるが故、詳細が理解できねば、帰国後に議会に諮れもしないであろう。しかしながら、仮にアナスタシア殿の案を承認するにせよ、条件はかなり厳しいものになりますぞ?」
伊達に年を取っているわけではない……ヒルデガルドは素直に感心した。
敢えてアナスタシアを牽制して釘を刺し、他の代表者に選択肢を残すという配慮は、さすがに老獪な政治家である。
だが、それは最善手ではないのだ……。
アナスタシアの話を聞くと認めた段階で彼女の術中に嵌っているとは、さしもの老王も思いもしないだろう。
「勿論ですわ議長……話し合いを尽くすのが評議会の理念ですもの。存分に議論を戦わせましょう。ただ、最初に皆様にお願い致しますのは、白銀達也という人間の資質を見極めて欲しい……その一点だけですわ」
こうして最高評議会はアナスタシアに掌握され、彼女の望む結論へと誘導されるのだった。
(まあったく。虫も殺さない顔をして恐ろしい婆さんだこと……Oh、クワバラ、クワバラ)
盟友の真意を唯一人理解しているヒルデガルドだが、それと人物評価は別らしく、素知らぬ顔をして失礼な感想を呟いたのである。
尤も、声に出してアナスタシアの不興を買う蛮勇は持ち合わせてはいなかったのだが……。
◇◆◇◆◇
老獪な婆さん達の暗躍によって、思わぬ方向へと自らの運命が進路変更されているなどとは知る由もない達也は、これ以上はないほどに激怒していた。
一週間の臨時休暇を終えて出勤した週明けの月曜日。
伏龍を騒然とさせる案件が、最上級生特別授業担当教官の連名で発表されたのである。
【第一次適性不適格者の退校処分について】
この書き出しで始まる通達文書が、午後の特別授業が終了すると同時に候補生達の情報端末に一斉送信されたのだ。
その内容は三年生の候補生うち二十名を各種能力や思想の未熟さを理由に落第と認定し、今学期終了を以て退校処分にするというものだった。
落第認定された二十名の中には蓮や詩織、そして神鷹とヨハンも含まれており、それ以外にも達也に対して好意的だった候補生達が名を連ねていたため、粛清を目的とした暴挙ではないかとの憶測が飛び交い、校内は騒然とした雰囲気に包まれたのである。
目障りな存在である白銀達也を排斥する為に、教え子たちが生贄に選ばれたのは明白だった。
この理不尽な仕打ちを知らされた達也は大いに憤慨して激しく抗議したのだが、当然ながら、特別授業担当教官が招集された緊急会議では彼に同調する者は皆無という有り様だ。
「どこまで巫山戯れば気が済むんだっ!? こんな馬鹿げた査定が罷り通ると本気で思っているのかッ?」
珍しくも感情を露にして怒鳴る達也に対し、素知らぬ顔で無視を決め込むジェフリーらは、退校処分は既に決定事項であり、話し合う必要はないというスタンスを貫いている
まさしく結果有りきの茶番劇に達也は臍を嚙む思いだった。
其れも此れも地球統合軍という組織を買い被っていたのが原因であり、どれだけ余所者の教官を忌避しようが、将来の指導者たりえる候補生達を惨くは扱うまいと、高を括った己の浅慮を悔やまずにはいられない。
然も、自分が不在の間に全ての段取りが仕組まれ、それに抗う術も見いだせない状況に、達也は慨嘆するしかなかった。
唯一の味方だった林原学校長も、今学期終了を以て予備役編入が決定しており、現状では実質的な指導力を失っている。
まんまと敵の奸計に嵌った達也は孤軍奮闘を余儀なくされ、劣勢を強いられるのだった。
「白銀教官。あなたは部外者に過ぎないんだ。色々と御助力戴きましたが、早々に御引取り願いたいものですな……残った候補生達に連邦軍かぶれが増えても困りますので……では」
勝ち誇っているつもりなのか、高慢で下卑た笑みを顔に張り付けたジェフリーがそう断じて席を立つ。
取り巻きの教官達も追随して席を立つ中、彼らの背に向けて達也は声を荒げた。
「くだらない肩書きや面子がそんなにも大切なのかッ!? 候補生達の未来と引き換えにする価値があると本気で思っているのかッ!?」
しかし、その糾弾に答えを返す者は一人もいなかったのである。
◇◆◇◆◇
理不尽な退学処分を受けた二十名の候補生達の動揺を鎮めるのが先決だと判断した達也は、会議室を飛び出してリブラへと向かった。
練習艦のミーティングルームに全員を集める様、会議が始まる前にクレアに頼んでおいたのだ。
ものの五分と掛からずリブラのミーティングルームに入室した達也は、整列している候補生達に向って深々と頭を下げた。
「今回の件は全て俺の油断が招いた結果だ……つまらない確執に君達を巻き込み、あまつさえ退学という謂れのない汚名を背負わせてしまった……だが、必ず君達の汚名が晴れるように手を尽くすから、今暫く……今学期終了までは学校に残って貰えないだろうか?」
現状で教え子達に約束できるのはこの程度でしかない。
勿論、正式に西部方面域最高司令官に任官すれば、銀河連邦軍の優位性を以って彼らの名誉を回復させるのは造作もないが、それは、今回統合軍幕僚部が命令権を笠に着て、理不尽な強権を押し通した暴挙と何ら変わりなく、根本的な問題の解決にはならないだろう。
その禁じ手は最後の最後に、どうしようもない状態になってから使えばいい……達也はそう腹を括っていた。
すると、この場の雰囲気ににそぐわない拍手が室内に木霊し、何事かと驚き顔を上げると……。
そこには、居並ぶ候補生達が満面に笑みを浮かべて拍手する光景があり、その後ろではクレアと志保、そしてアイラまでもが口元を綻ばせているのが目に入った。
然も、状況が呑み込めず間抜け面を晒す達也に、教え子達は笑顔を向けたのだ。
「教官が謝罪する必要なんかありませんよ。貴方に師事した時から、こうなる事も半ば覚悟していましたから」
「そもそもがグラス教官達が偏執的なのよ。自分達の思い通りにならなければ退学だ~! なんて、低俗過ぎて教官としても人間としても、全く尊敬に値しないわ」
蓮に続いて詩織が呆れたようにそう言えば、神鷹とヨハンも続く。
「学年の主席と次席……他のメンバーも蓮以外は五十位以内の成績上位者ばかり。どうせ、思想や統率に難ありとか理由をつけたんでしょうが、後で問題になるのは確実ですよ」
「そうまでしてでも白銀教官に勝ちたかったんだろうさ。馬鹿は馬鹿なりの執念は見事と言いたいが、余りに小物臭くて褒められたもんじゃないのも確かだな」
……と、言いたい放題だ。
他の候補生達も概ね蓮達と同じ考えらしくて、口々に軍上層部や教官達に対する批判を論いながらも、その表情に悲壮感は見られない。
そんなあっけらかんとした教え子たちの態度に面食らった達也は、文句と罵倒の集中砲火を覚悟していただけに、拍子抜けして呆然とするしかなかった。
「お、お前達……」
何を言うべきなのか言葉を見つけられないでいると、急に真顔になった蓮が力強い言葉で宣言する。
「まだ俺達は諦めた訳じゃありませんよっ! だから……これからも宜しく御指導をお願いいたしますッ! 白銀教官!」
彼の言葉はその場に集った全員の総意であり、一糸乱れぬ敬礼を以て己の決意を示したのである。
「……馬鹿だなぁ、おまえ達は……」
鼻がツンとして目頭に熱いものが滲んだが、教え子達の前で涙など見せる訳にもいかず、達也はグッと堪えた。
「良かったですね……私もお手伝いしますから諦めないで下さいね」
「やられっ放しで終わる気はないんでしょう? アタシも手伝うからさ、ぼんくら共に眼にモノ見せてやろうじゃない!」
「あの馬鹿共はアタシの忠告を無視したからね……全員自殺志願者認定というわけだ……ふっふっふっ、骨の髄まで恐怖を思い知らせてやるわ」
クレアの優しい励ましの言葉の後の物騒な台詞は、聞こえないフリをして華麗にスルー。
(遠藤さんとアイラは波長が合うのかな? 危険すぎるから近寄るのは止そう)
そう心に決めた瞬間だった……。
「話が纏まったようで何よりだ諸君」
そう声がしてドアが開いたかと思えば、にこやかに微笑むラインハルトが颯爽と入室して来た。
初対面の相手でもあり、然も、士官候補生如きでは滅多に見える機会のない少将閣下の登場ともなれば、候補生達が狼狽したのも無理はないだろう。
それでも、直ぐに直立不動の姿勢で敬礼して見せたのは、日頃の訓練の賜物であり、彼らの意識の高さの表れでもあった。
「あぁ、堅苦しく構える必要はない……大尉」
そんな彼らに答礼し鷹揚に頷いたラインハルトが促すと、達也は教え子達に敬礼を解かせて椅子に着席するよう命じる。
すると、ラインハルトは、まずクレアと志保に頭を下げて礼を言った。
「ローズバンク中尉と遠藤中尉には、突然無理なお願いをして申し訳なかったね。だが、御二人が林原学校長を説得してくれたお陰でプランを進められます。本当にありがとう」
クレアと志保は顔を見合わせて安堵の吐息を漏らし、候補生達は小声ながら喜び合っているように見えた。
事情が分からない達也に、ラインハルトは事態の推移を説明する。
「まずは候補生達の身分と学習環境を確保する必要があってね……学校側は今学期終了までの通常授業の参加は認めたが、特別授業や航宙研修のような課外授業への参加は認められないと言って譲らない。ならば気まずい思いをして授業に出るのも馬鹿々々しいので、特別クラスとして引き続き君に指導させた方がこの子たちにも良かろうと考えてね。おふたりに頼んで学校長から許可を取り付けて貰ったという次第だ」
長年共に死線を潜り抜けた親友は相変わらず仕事が早く、その万全のフォローに達也は心から感謝するしかない。
(大変なのはこれからだけれど達也さんなら大丈夫。信じていますから……頑張ってくださいね)
クレアは愛しい恋人へ精一杯のエールを送るのだった。




