第十三話 逆鱗に触れる ①
三人で連れ立って病院を出た頃には、既に午前十時を過ぎていた。
台風は明け方前にはアイランドの東方海域を通過しており、暴風圏を抜けた所為もあり風雨は随分と弱まっている。
クレアとさくらを自宅に送り届けた達也は、その後一人で伏龍へと足を運んだ。
急な出張だったとはいえ、一週間も留守にした不義理を教え子達に詫びねばならないし、訓練の進捗具合も気になったからだ。
そして、貸与してあるリブラとニンガルが、台風による被害を被っていないか、その確認も必要だったという事情もある。
また、自身の不在中に教え子達が訓練に手を抜いてないか不安だったが、練習艦リブラに顔を出した達也は、熱心に訓練に取り組んでいる彼らの様子を目の当たりにして胸を撫で下ろした。
クレアと志保に留守を頼んでいたのと、アイラが留学名目で派遣されて候補生達の指導をしてくれたのが功を奏したのは明らかで、彼女達に礼を言わねばと、心のメモ帳に記入したのである。
ヴァーチャルシステムで訓練中の教え子達を見守りながら内容をチェックしていると、意味深な笑みを浮かべるアイラが話し掛けて来た。
「正直なところ驚いていますよ……白銀大尉」
「不自然に階級に力を入れるのはよせ。バレたらどうするんだ?」
「あはは。私の苦労も察して欲しいですね。純粋な敬意からアンタを庇って見せたら、惚れてるんだと皆から勘違いされた挙句に散々揶揄われたんですからね。もうウンザリッ! 美味しいものでも奢って貰わないと割に合いませんよぉ」
「何だそりゃ? どうせグラス教官辺りとひと悶着起こしたんだろう? 君は颯爽としていて恰好良いからな。下級生の女子からも人気があるんじゃないか?」
達也がそう問うと、アイラはゲンナリした顔で睨み返して来た。
「勘弁して欲しいよ。私だって彼氏が欲しいのにさぁ、寄って来るのは女子候補生ばかり……おっと、馬鹿話をする気はないんだ。実は、この四人だけれど、長官はいったい彼らをどうする気なのですか?」
自分を長官と呼んだのといい、至極真面目な顔で訊ねて来たのといい、ざっくばらんなイメージとは異なる彼女の雰囲気に、達也は思わず眉を顰めてしまう。
「どうすると言われてもなぁ……変な経緯で教官を引き受けたとはいえ、才能ある連中ばかりだからな。可能な限り鍛えてやろうとは思っているが……」
全てを言い切る前に、呆れ果てたとでも言いたげな顔をしているアイラの様子に気付いた達也は、何事かと小首を傾げざるを得ない。
すると、盛大な溜息を零した彼女は、苦言混じりの意見具申を口にした。
「才能があるどころじゃないよッ! 蓮と詩織はたった六日間の実技飛行訓練で、ヴォルフ・ファング傭兵団のCクラスパイロット並みの技量を身につけちまってるんだぞ! 普通なら絶対に在り得ない成長速度なんだっ! 然も、神鷹とヨハンでさえも、専門外のアタシから見ても充分及第点をやれるレベルだし……」
一旦言葉を切ったアイラは、熱の籠った視線で達也を見据えて畳み掛ける。
「いいですか!? この四人を即刻退校させて我が軍に、いいえっ! 我が艦隊に引き抜くべきですっ! 長官が御持ちの権限ならば、彼らの実力を考慮して少尉として採用できるでしょう?」
上官に対してキチンとした言葉遣いが出来るようになったのかと、妙な所で感心する達也だったが、そんな失礼な感想はおくびにも出さずに軽く咳払いをしてから答えを返す。
「指導官として実績がある君の言葉ならばその通りなのだろうな……俺もこいつらの成長の早さには驚いていたんだが……だからと言って、彼らの進路を勝手に捻じ曲げる訳にはいかないさ。銀河中を転戦するような暮らしを皆が望むわけじゃあるまい? それに、進路を選択して決めるのは、こいつら自身であるべきだ」
極めて真っ当な正論にアイラは何か言いたそうな顔だったが、丁度訓練が終了してカプセルが開放されたので、そこで話は打ち切られた。
訓練を終えてシステムから解放された蓮たちは、一週間ぶりに顔を会わせた達也の帰還を喜び、笑顔で口々に自分の成果を言い募る。
「分かった、分かった。後でデーターを精査して、明日には資料を渡すから楽しみにしていろ。それと真宮寺と如月は午後から実機訓練だ。真宮寺が俺の後ろ、如月がアイラの後ろに搭乗してドッグファイトを行う」
この申し出に蓮と詩織は喜びを露にしてガッツポーズ。
基本飛行の繰り返しばかりでは、物足りなさを感じて退屈だったらしい。
その他の注意事項は明日からの授業でと言い残して、達也はアイラを連れて小型航宙母艦ニンガルへと移動するのだった。
◇◆◇◆◇
「心臓に悪い真似は勘弁してくれ。いきなり消えるから、艦長以下幕僚まで大騒ぎだったんだぞ……俺も肝を潰したよ!」
再会早々ラインハルトに半眼で文句を言われた達也は、ひたすら頭を下げて詫びるしかなかった。
だが、同行していたアイラやニンガルの士官連中は、『触らぬ神に祟りなし』と言わんばかりに、素知らぬ顔で明後日の方向を向き完全無視の姿勢を貫いている。
「何だ、何だ、お前達ぃぃッ! 少しは不遇な上官を援護しようかという殊勝な心の持ち主はいないのかい?」
救援を期待できない状況に憤慨した達也が部下を詰れば、彼らを代表してアイラが全員の本音を代弁する。
「御二人ともアタシらからしたら上官ですし、白銀長官の副官という時点でミュラー閣下も充分不遇ではないでしょうか? ですから、どちらか片方を応援するのは憚られまぁ~~す!」
達也の嘆き節に、容赦なく止めを刺すアイラの無慈悲な台詞が炸裂し、ブリッジクルー達は笑顔で大拍手を送った。
「部下には恵まれないよな……俺達」
「悪かったよ達也……俺達は未来永劫親友だ!」
部下からの冷たい仕打ちに落胆して肩を落とす達也と、そんな親友に同情を禁じ得ないラインハルトは手を取り合って友情を確かめ合うのだが……。
そこへ、再度振り下ろされる地獄のアイラ・ハンマーパンチ!
「三十路のオッサンのBLなんて、気味が悪いだけだから止めてよねっ! 部下でいるのが恥ずかしくなっちゃうから」
「「そんな、いかがわしいモンじゃねぇ──よッッ!!」」
ムキになって反論する艦隊トップであるふたりの姿に、ブリッジが爆笑に包まれたのは言うまでもなかった。
これ以上の信用失墜を回避する為、達也は軽く咳払いしてから話題を元に戻す。
「まあ、あの時は切迫してたからな……すまなかったよ。それと、ティグルの奴はあれからどうした?」
「一応ここまで連れて来たんだが、お前が顔を出す前にさっさと飛んで行ってしまったよ」
(あいつめ。俺よりさくらの方が恋しいってか? 今度お灸を据えてくれるっ!)
置き去りにした自分の非は棚に上げて図々しくも内心で悪態をついた達也だったが、直ぐに気を取り直して親友に問うた。
「お前は今後どうするつもりなんだ? この艦に詰めると言っていたが、艦隊編成と配備計画は今回の作戦の要だ……編成に携わるお前が地球にいたのでは、何かと不便じゃないのか?」
「そうでもないさ。お前と意見交換し易いから、寧ろ、好都合だよ。それに奴らを誘い出して決戦するならばこの太陽系で……と考えているのだろう?」
「一応土星近海を想定している。デブリや岩石群の障害物も多い。寡兵の我々には最適の場所だ」
「それならば尚更都合がいい。今後の為にも、統合政府には膿を出し切って貰わなければならない……またぞろ内政干渉だと評議会で問題視されるだろうがね」
爽やかな笑顔で平然と物騒な台詞を宣う親友とは対照的に、達也は渋い顔をして愚痴を零す。
「お前が羨ましいよ……その腹黒い寝業師ぶりには感謝しているが。文句を言われるのは何時も俺なんだからさぁ~~」
最後は泣き言じみてきた達也の台詞に同情しきりの部下達は、一様に心の中で合掌するのだった。
その後も簡単な打ち合わせに終始したが、一旦アスピディスケ・ベースに戻ると言うラインハルトに達也は伝言を頼んだ。
「済まないがヒルデガルド殿下に『相談したい件があるから、連絡を戴きたい』と伝えてくれないか? 確か最高評議会の臨時会議に出席するため、ティベソウスの王都に行っている筈だから」
謎の少女の声が、何らかの形でさくらに関係しているのは間違いない。
然も、この謎こそが今までの事件の最後のピースではないかという確信が日増しに大きくなっていくのだ。
早急に問題を解決しなければ、クレアやさくらの身に何某かの危害が及ぶのではないか……。
そんな漠然とした不安が達也を苛立たせていた。
(俺の思い過ごしならいいが……いや最悪を考えて行動するべきだろうな。万が一に備えてふたりに発信機を渡しておくか……)
謎に満ちた難解なパズルが組み上がりつつある……。
そんな予感を覚えた達也は、ごくりと喉を鳴らすのだった。
◇◆◇◆◇
「もうっ……さくらったら……達也さんはお仕事でお疲れなのよ? 我儘を言って困らせてはいけません」
「えへへへ。わがままじゃないもんっ。さくらは達也お父さんに抱っこして貰っているだけなんだもん!」
クレアが呆れて叱るのだが、娘は嬉しそうに笑うだけで、少しも母親の御小言を聞きはしない。
当面の課題に一応の手を打ってからクレア宅を訪問したのだが、早々にさくらに抱きつかれたかと思えば、それ以降片時も離れなくなってしまったのだ。
母親が夕食の支度をしている最中も、ソファーに腰を降ろしている達也の太腿の上に陣取るや、胸の辺りに顔を押し付けて始終御満悦だった。
オマケに少女の頭の上にはティグルが堂々と鎮座しており、そのコミカルな様相に達也も文句が言えず、さくらの好きにさせるしかなかったのである。
「ま、まあ、仕方がないさ……寂しい思いをさせた御詫びだと思えば、どうという事もないさ」
そう言ってさくらの背中を撫でてやると、少女は幸せそうな笑みを浮かべ、その小さな腕に力を込めるのだった。
だが、その一方でふたりの仲睦まじい姿を見せ付けられるクレアの口からは、如何にも不満ですといった言葉が零れ落ちてしまう。
大人げないという自覚はあるが、どうにも感情が納得しないのだ。
「達也さんはさくらに甘すぎます……激甘です! 帰って来てからずっとさくらの相手ばかり……あぁ~~ぁ、羨ましいなっ。私だって……」
怨みがましい恋人の視線をひしひしと感じる達也は、冷や汗を流しながらも心の中で抗議する。
(こらこらっ! 娘に嫉妬する母親が何処にいるんだよ? し、しかし、クレアは意外にヤキモチ焼きなのかもしれないな)
そう思って呆れたものの、それが愛慕の情の裏返しだと思えば、寧ろ可愛らしく思えてしまうから不思議だと苦笑いするしかない。
然も、帰って来てからというもの、これまでの『白銀さん』から『達也さん』に呼び方が変化しており、何事かと訊ねてみると……。
もっと仲良くなる為に名前で呼んだ方が良いとさくらが強硬に主張したらしく、クレアも納得して賛同したのだという返事が返って来た。
確かに親しみが増すのは良い事だと考えた達也は、彼女に倣って『クレアさん』と呼んでみたのだが……。
「年上の男性から『さん』付けで呼ばれるなんて気恥ずかしいし面映ゆいです……どうか私の事は『クレア』と呼び捨てになさってください』
……と、はにかみながらも何故か冷気漂う雰囲気で懇願されてしまい、それならば、『俺の事も達也と呼び捨てで構わないよ』とお願いすれば……。
「譬え、相手が夫であっても、最低限度の敬意を忘れてはいけないと、私は母から躾けられましたから、今更……」
そんな古風な物言いで煙に巻かれた達也は、結局照れ臭い思いをしながら名前を呼ぶという苦行を課せられたのだった。
尤も、直ぐに慣れてしまったのではあるが……。
クレア手作りの美味しい夕食と心癒される貴重な時間を三人と一匹で心ゆくまで堪能すれば、さくらは会えなかった日々の出来事を嬉しそうに話す。
そして、時折相槌を打ちながら幸せそうに微笑むクレア。
無縁だと思っていたささやかな幸福を手に入れたのだと思い至った達也は、その喜びを与えてくれたふたりに心から感謝するのだった。
食事の後も一週間分の寂しさを埋め合わせるかのようにじゃれ付いていたさくらも、お風呂に入る頃には限界が来たらしく、湯船の中でうたた寝を始めてしまう。
「あらあら……あんなに燥げば当たり前ね。ほらっ、さくら。ちゃんとパジャマに着替えないと風邪をひきますよ」
寝ぼけ眼の愛娘をクレアが着替えさせると、達也がそっと抱きかかえてベッドに運びブランケットをかけてやる。
ティグルが隣に潜り込んで来たのが分かるのか、半ば夢見心地の中で幼竜を抱き締め、さくらは幸せそうに呟くのだった。
「あぅ~~ん……お父さん、ママぁ……大好きだよぉ……」
達也とクレアは顔を見合わせて微笑み合うと、そっと部屋のドアを閉める。
「楽しい時間はこんなにも早く過ぎるのだと初めて知ったよ。今までは誰もいない真っ暗な部屋に帰って寝るだけだったから」
感慨深げにそう呟く達也の腕に、クレアは自分のそれを絡めて寄り添う。
「私もです……貴方と巡り逢えて人を愛する喜びを思いだせました……達也さんに出逢えて本当に良かった……あんっ……」
不意に抱きしめられて当然の様に唇を奪われてしまう。
優しく啄ばむような甘いくちづけ……。
現実感に乏しく、握り締める達也のシャツを離した瞬間に何もかもが夢幻のように消え失せてしまうのではないか……。
そんな不安を打ち消すかの様に、クレアは積極的に唇を重ね合わせる。
「ごめん……君が愛おしくて気持ちを抑えられなかった」
「いいの、私も嬉しいから。ふふふ、でも不思議ですね。私達出逢ってまだ二か月ぐらいなのに……こんなにも貴方を好きになってしまうなんて……」
「そうだね。初対面の時から素敵な女性だとは思ってはいたが、所詮高嶺の花だと思っていた……でも君への想いに気づいて、君の気持ちを知って、俺の中で何かが変わったんだ。君を愛している……それだけが俺の真実だよ」
真摯でストレートな愛情をぶつけられたクレアは、嬉しさと羞恥が入り混じった不思議な感覚に赤面せざるを得なかった。
だから照れ隠しにそっぽを向くや、怒っているのか喜んでいるのか自分でも分かり辛い態度で達也を責めたのである。
「ま、また気障なお世辞を言って……わ、私は他の女性達とは違いますからね! 歯の浮くような殺し文句に騙されて浮かれたりは……し、しないんですからっ! ちょ、ちょっと……ほんのちょっとだけ、うっ、嬉しかったですけれど」
日頃の彼女からは想像もつかない可愛らしい物言いに、達也は口元を綻ばせて、クレアの柔らかい肢体を抱き締めた。
「まだ俺を女誑し扱いするのかい? 君以外の女性にこんな事を言った覚えはないし、これからも有り得ないよ。俺には君だけだ……」
さり気なく、そして、無自覚に甘い口説き文句を口にする達也。
『しょうがないなぁ~』と言わんばかりに微笑んだクレアは、それでも嬉しくて自分からくちづけを求めてしまう。
(平凡で良い……こんな優しい時間が続くのならば、それだけで……)
そう思いながらも、愛しい恋人が消えてしまわないようにと、達也の身体を強く抱き締めるのだった。




