第十二話 日雇い提督は決断す ③
「グランローデン帝国に対し、如何なる戦略を以て相対するべきか……問題はこの一点に尽きると小官は考えます」
「いや! 帝国が強大なのは認めるが、銀河連邦評議会に加盟していない小国家群や、数多の企業連合体で構成される商業ギルドが運営する経済連合国家も侮れない実力を有している」
「それだけではない。各勢力が入り乱れているため、常に国境や哨戒ラインが曖昧になり、違法な運び屋や海賊の跳梁を許すが儘になっている。治安の悪化は八方面域中で最悪のレベルを更新し続けており、評議会内でも批判の的だ」
月面基地に帰還してからというもの、連日行われる幕僚会議の席では、参謀達が活発に意見を述べて議論を戦わせている。
しかし、正式な艦隊配備は二か月も先とあって、西部方面域に関する現状認識の共有に重きが置かれている為、具体的な戦略云々というよりも問題点の確認に終始していた。
そんな中、会議の冒頭で訓示をした達也は、椅子に身体を預けて目を閉じたまま討論に耳を傾けるだけで一切の口出しをしてはいない。
それは、自分が聞き役に徹する事で、部下達の活発な議論を促すという思惑故の沈黙だった。
しかし、漫然と彼らの意見を聞いている訳ではなく、内容を咀嚼して状況を把握し、戦略に即した最適な戦術を練っているのは言わずもがなだ。
(この方面域に於ける銀河連邦の勢力範囲は、全体の三十%に過ぎない……帝国が四十%。経済連合を含む小国家群が残りの三十%……とすれば、内部に軋轢を抱えている我が軍が最も不利だ)
自分達が置かれている状況を、他の誰よりも達也は理解している。
貴族閥から目の敵にされている己自身を筆頭に、今回の造反劇に連なった者らを纏めて葬り去ろうと、軍指導部が画策するのは確実だろう。
その上、保有戦力が圧倒的に不足しているとあっては、まさに四面楚歌に等しい状況だと言わざるを得ない。
戦力として二千隻の艦艇を保持しているとはいえ、銀河連邦評議会に加盟している惑星国家や支配宙域の治安維持は必須だ。
そして、民間航路のパトロールや船団護衛、密輸船団や海賊艦隊の取り締まり等、これらの通常任務の為に支配地域の各拠点へ艦隊を派遣せねばならず、必然的に方面軍司令部には、僅かばかりの艦船しか残らない勘定になる。
実際に達也と敵対しているユリウス・クレーデル航宙艦隊幕僚本部総長は、この白銀艦隊の泣き所である過少戦力を見据えた陰謀を張り巡らせている筈だ。
そう、達也は看破していた。
(戦力差は問題ではない。重要なのは此方の手の内をユリウスに悟らせない事……その一点に尽きる)
凡その考えが纏まった所でタイミングよくラインハルトから声が掛かり、達也は目を開ける。
「現在の段階に於ける認識の共有はこの程度で充分だと思うのですが、司令からは何かありますか?」
「そうだな……先ず重要なのは、支配域の拡大を目指す前に、予想される貴族閥の陰湿な企みを粉砕せねばならないという事だ」
この場に集った全員が、優先度が高い事案だと認識しながらも口にできなかった問題を、総司令官自らが提起した事で場の空気が変わった。
「諸君らを筆頭に、弾劾権を行使した者達は軍指導部にとっては造反者に他ならない……おそらく、我々が赴任したと同時に近隣勢力を唆し、戦闘を仕掛けさせるぐらいはやるだろう」
参謀達の表情からは、起こりうる可能性を脳内で検証しているのが窺える。
「身内同士で争うのが如何に愚かであるかは充分に理解してはいるが、出自による登用や昇進の差別を廃し、銀河連邦軍の自浄作用を取り戻すには、害毒でしかない上層部のお歴々には早々に退場して貰うしかない」
幕僚達の顔が引き締まっているのを見て満足した達也は言葉を続けた。
「旧司令部との交代式は二か月後を予定しているが、来月上旬を以て、儀式は全て終了させ引継ぎを完了させる。諸君らもそのつもりで艦隊練度の習熟に努めて欲しい。これは我々が昇進に浮かれていると見せ、敵を油断させ誘引するのを目的としているが、同時に有利なタイミングで戦端を開く為のものでもある。作戦の詳細については、今月中旬までに秘匿通信で各艦に送るので留意しておくように……俺からは以上だが、何か質問があるかい?」
「司令っ! 僭越ではありますがお聞かせ願いたい事があります……我々に仕掛けて来る相手とは、いったい何処の戦力を想定しておられるのでしょうか?」
初めて達也の幕僚部に加わった新顔の参謀が、緊張した面持ちで訊ねてきた。
「有効な相手はグランローデン帝国だろうが、彼の国のザイツフェルト皇帝陛下は、クルデーレやその幕僚に乗せられるほど愚かではない」
達也は一旦言葉を切り、眼前の幕僚達を見廻してから自説を披露する。
「……となると軍部がクーデターを起こして政権を奪取し、そのまま帝国の属領になったバイナ人民共和国と周辺海賊の連合軍が表の敵。これらの戦力が凡そ千隻という所かな……所在地も太陽系のすぐ隣だから仕掛けやすかろう」
「そ、それほどの戦力が本当に……」
唖然とする質問者に追い打ちを掛ける様に、達也は衝撃的な予測を口にした。
「それだけじゃないぞ。ほぼ確実だと思うが地球統合政府もバイナに気脈を通じているだろう……これが裏の敵だ。指揮下の統合軍がどの程度政府の意志に汚染されているかは分からないが……土壇場で二百隻ぐらいは寝返ると覚悟しておいた方がいいだろう」
さして広くもない部屋が一気に騒がしくなる。
合計で千二百隻の大戦力を相手取って戦う……。
それは、言葉で言うほど簡単ではなく、然も、同盟国の地球統合政府が裏切るなどと物騒な予想を聞かされれば、動揺しない方がおかしい。
隣の者同士で意見を交わす者もいれば、難しい顔で唇を噛んでいる者もいる。
その混然とした空気を達也の一喝が振り払った。
「その程度の予測で狼狽えるんじゃないッ! 諸君らはこの艦隊の命運と将兵らの命を預かる参謀ではないか。取り乱した姿を見せてはならないッ! 君達の脅えは兵士にも伝搬する。強がりでも良いから平静を装いたまえ……いいね」
説教されて自分らの未熟さを恥じたのか、幕僚達が静かになったのを見計らって達也は言葉を続ける。
「心配しなくても既に対策は立ててある。だがその策が成功するかどうかは諸君らの率いる艦隊の練度に掛かっているといっても過言ではない。だからこそ新艦隊が編成されるまでの残り時間で、徹底的に訓練に励むように厳に命令しておく」
有無も言わせない強い声音で訓示を締めくくった達也は、他に質問がないか確認してからミーティングルームを後にした。
司令官室に戻った達也は、決裁待ちの案件に次々に目を通して必要な指示を書き込んで処理していく。
(これが片付けば明日は地球だ……早く会いたいな……)
脳裏にクレアとさくらの笑顔を思い浮かべた達也は、やる瀬ない気分に胸を締め付けられて思わず苦笑いしてしまう。
今までの生活と何も変わらない一週間だった筈なのに、確かに何かが足りないと感じる事も屡々だった。
それは身体と心が安らぎと安寧を得られる場所であり、達也にとっては、それがクレアとさくらという存在に他ならないのだ。
ふたりに会えない日々は、周囲の景色までもが色褪せて見えるかの様な気がして驚きを禁じ得なかった。
(まったく……人恋しさに弱気になるなんて俺らしくもない……)
そう自嘲しながらも、心からふたりに会いたいと思う。
それはティグルも同じらしく、二~三日前から目に見えて悄然とするようになった幼竜は、今も耐圧ガラスの窓枠に蹲って、漆黒の宇宙空間に浮かぶ青い星を見ては力なく鳴いている。
やはり、さくらに会えない寂しさが堪えるのだろう。
「ティグル……もう少しの辛抱だぞ。明日の昼には地球に帰れる。夕方にはさくらちゃんにも会えるさ……だから元気をだせ」
その言葉が分かるのか、ティグルは嬉しそうに一鳴きしたのである。
すると、ドアがノックされたかと思うとラインハルトが顔を出した。
「どうした? 何か伝達漏れでもあったのかい?」
何時もならふたりきりになれば気の良い親友同士に戻ってしまうのだが、ラインハルトは生真面目な表情を崩さず、執務机に手をついて軽く頭を下げた。
「色々とすまなかったな……結果的におまえに貧乏くじを引かせてしまった」
呆れ顔の達也は苦笑いを浮かべ、如何にも清々したとばかりに軽口を叩く。
「よせよ。遅かれ早かれこうなっていたさ……それに、非正規雇用の日雇い労働者から社長様にランクアップだ。お祝いでもするか?」
「ふふふ……いいな。近いうちに時間を作って盛大にやろう」
ふたりは顔を見合わせて一頻り笑い合うのだった。
「ところで今後の打ち合わせはどうする? 各艦隊は訓練漬けになるから、来月の頭までは集合を見送った方が良いし……事前に下手な動きをして変に勘繰られても拙いだろう?」
「ああ、勿論だ。作戦指令書は来週中にイェーガー閣下に渡しておくから、お前が精査して各艦隊に秘密電文で配布してくれ」
「了解した……これで案件は全て片付いたよ。ありがとう……当分は教官暮らしを続けるんだな?」
「そのつもりだよ。先々はどうなるか分からないが、せめてあの四人だけはな……任官を見届けてやりたいと思っているよ」
「相変わらず物好きな奴だ……それから、アイラからの要請に対し小型の航宙母艦ニンガルを派遣したぞ。今後は俺もニンガルに常駐するようにしよう。そうすれば意思疎通も容易だからな」
「そうか、それは助かるな。然も小型とはいえ航宙母艦の装備ならば有益な訓練が出来る。早く帰って真宮寺と如月をシゴイてやるか」
ニマニマと笑み崩れる親友に、これまた意地の悪い笑みを浮かべたラインハルトは肩を竦めて告げた。
「それは残念だね。現在青龍アイランドは二日前に発生した熱帯低気圧の進路上にあって……明日の夕方前には島を直撃するらしい。空港も港も閉鎖されるだろうから、帰還は日曜の午後以降になるんじゃないかな?」
ラインハルトの説明を聞いたティグルが寂しげに喉を鳴らすのが切ない。
「台風? 随分季節外れだな……大きな被害が出なければいいが」
得体の知れない不安が胸中を過ぎったが、達也は軽く頭を振ってそれを打ち消したのである。
◇◆◇◆◇
今回の季節外れの台風は数日の間海上を迷走していたが、金曜日の午後になって進路を北にとるや、次第にその速度を上げていた。
その結果、明日土曜日の夕方前には青龍アイランドも暴風圏内に入るという予報が頻繁にTVから流れ、島内の各施設は台風の襲来に備えるよう行政府から通達も出されている。
伏龍も対応に追われていたが、週末でもあり授業は午前中いっぱいで終了する為、通常通り開校すると決まったのだ。
会議が長引いたせいでクレアが帰宅した時には、陽も暮れて午後七時になろうかという時間だった。
エレベーターホールから何気なく達也の部屋へ視線を向けた彼女は、思わぬ光景を目撃して両の瞳を見開いてしまう。
そこには、両膝を抱えてドアの前に座り込んでいるさくらの姿があり、顔を膝の間に伏せて眠っていたのだ。
いったい何時からこうしていたのか……。
達也とティグルに会えなくなって一週間。
会いたくて、会いたくて、待ち草臥れて……。
愛娘の頬に乾いた涙の跡を見たクレアは、自身の胸の中に去来した切ない想いに唇を噛む他はなかった。
とは言え、こんな場所で何時までも眠らせておく訳にもいかず、優しい手つきで愛娘を揺り動かしながら声を掛ける。
「さくら、さくら……起きなさい。こんな所で寝ていては風邪をひくわよ」
「あ、ママぁ……おかえりなさぁぃ……」
寝ぼけ眼で周囲を見廻しては、再会を願う相手の不在を思い知らされて落胆するさくら。
その様子が健気でもあり、いじらしくもあった。
愛娘の手を引いて自宅に入りドアを閉めたクレアは、涙で濡れた顔を押し付けて来た娘から掠れた声で問われる。
「ママぁぁ……白銀のおじちゃん、さくらのこと嫌いになっちゃったのかなぁ……嫌いになったから会いに来てくれないのぉ?」
考えたくもない想いを口にしたからか、悲しみが我慢できなくなったさくらは嗚咽を漏らしながら啜り泣く。
クレアは膝を折ってしゃがみ込むと、そんな愛娘を正面から優しく抱きしめて、諭すように耳元で囁いてやった。
「本気でそう思っているの? 白銀さんが理由もなしにさくらを嫌うような酷い人だと?」
母親の問いにさくらは泣きながらも顔を左右に振る。
それを見て微笑んだクレアは、娘の頭を優しく撫でてやった。
「正解……白銀さんはさくらが大好きなんだから……心配しなくても大丈夫よ……さくらが寂しい思いをしている間、彼も寂しくて早く会いたい思っているわよ」
「ほ、ほんとうっ!?」
「うん! でも、さくらがメソメソ泣いていたと知ったら白銀さんは悲しいでしょうねぇ~一生懸命お仕事をして、早くさくらに会いたいと頑張っていらっしゃるのに……あなたが泣いてばかりいたって言いつけちゃおうかなぁ~」
少し意地悪く言うとさくらは、ぱっと慌てて離れるや、慌てた仕種で涙を拭い、頬を膨らませて文句を言いだした。
「ママは意地悪だぁっ! さくら泣いてないもんっ! 違うんだもんっ!」
愛娘の精一杯の虚勢が可愛らしく思えたクレアは、頭を撫でてやりながら少女が心待ちにしている朗報を告げたのだ。
「うん。さくらは良い子だものね。だから御褒美をあげるわ」
懐から携帯端末を取り出して操作すると、内蔵されたスピーカーから待ち侘びた人の声が流れる。
『連絡が遅れてごめん。今はまだ月基地にいるが、明日の午後には地球に戻る予定だ……そちらは台風らしいけど明日中に帰るから……さくらにもよろしくね』
たったそれだけのことで少女は元気を取り戻し、先程までの落ち込み具合が嘘のように喜びを露にしたのだ。
それどころか、達也からのメッセージを何度も再生して聞いた挙句に、ベッドに入ってからも子守唄代わりにしていたのには、さすがにクレアも呆れて苦笑いするしかなかった。
しかし、同時に愛娘の一途な想いが羨ましくもある……。
(本当に、もうっ……どれだけ白銀さんが好きなのやら)
幸せそうな微笑みを浮かべている愛娘の寝顔を見れば、明日を待ち焦がれているのはこの娘ばかりではなく、自分もそうなのだと認めざるを得ない。
早く会いたい……そう願わずにはいられないクレアは、心から達也の無事を祈るのだった。




