第十二話 日雇い提督は決断す ②
四連休も関係なく訓練に明け暮れていた蓮達は、休日明け早々も日課にしている体力強化の朝練に汗を流していた。
今週は教官不在の中での訓練を余儀なくされているが、全員の士気は極めて高く課題に手を抜くような不届き者は一人もいない。
達也から教えを受けるようになってからというもの、基礎体力の脆弱さを思い知らされた四人は、毎朝一時間早く起床して体力と筋力の増強に取り組んでおり、この日も、いつも通りに飛行場の滑走路外周の十㎞持久走にチャレンジしていたのだが……。
「OKっ! 神鷹もゴールしたな。凄いじゃん、十㎞走合格タイムだぜ!」
「蓮の言う通りよ。三週間足らずでレベルアップなんて、本当に大したものだわ」
ゴール地点に駆け込むや否や、大の字になって倒れ込んだ神鷹へ蓮と詩織が祝福の言葉を掛ける。
「あ、ありがとう……で、でも、もう駄目だ、息が……」
四人の中で一番体力が劣るが故に、人一倍努力して来た神鷹も喜びは一入なのだが、それよりも、呼吸を整えるのが先らしい。
そんな級友の様子を見た蓮と詩織が、揃って微苦笑を浮かべた時だった。
真っ先にゴールして既に回復していたヨハンが、南の方角に眼を凝らしてぼそりと呟いたのだ。
「おい、何かこっちに向けて飛んで来るぞ……」
その言葉に促されて南方の方角に視線を向けた三人は、暁の空に浮かんだ黒点を認めるや、揃って小首を傾げてしまう。
通勤用の連絡シャトルにしては時間が早過ぎるし、何よりも方角が真逆だ。
彼是と詮索しているうちに飛行物体は急速に接近し、その姿を鮮明にする。
甲高いエンジン音を耳が捉えた瞬間、誰よりも早く機体のシルエットから機種を識別した蓮が双眸を見開いて歓声を上げた。
「おおぉッッ! 銀河連邦宇宙軍の最新鋭主力戦闘機FA25・ティルファングだ! 凄い、凄いっ! 恰好良い──ッ!」
((( オタクだ……紛れもないオタク小僧だ)))
その場で一人飛び跳ねて感激を露にする蓮と、そんな彼とは距離を取り、冷たい視線を送る仲間達。
すると、彼らの上空をフライパスしたティルファングは、ゆっくりと旋回しながら着陸態勢に入るや、流麗な姿勢のままメイン滑走路に滑り込んだ。
その文句の付けようもない着陸技術はいっそ美しくもあり、四人は思わず見惚れて滑走する機体を目で追ってしまう。
特にパイロットの訓練を受けている蓮と詩織にとっては衝撃的であり、自分達とは隔絶した技量を見せ付けられて、感嘆する以前に悔しさを覚えずにはいられなかった。
「凄いね……あれじゃぁ、コップの水さえ零れないわよ」
「あぁ、見せつけてくれるよな……」
すると、どうした事か、コントロールタワー前を通過してハンガーに向かう筈のティルファングが、機首を反転させて此方の方へ滑走して来るではないか。
低回転で抑えられているとはいえ、戦闘機のエンジン音は腹に響く。
優美でスマートな真紅の機体が蓮達の間近で停止し、コックピットのキャノピーが開放されたのと同時にパイロットが軽快な動きで飛び降りた。
その行動力に蓮たちは度肝を抜かれたが、それはまだまだ序の口に過ぎなかったようで……。
「あなた達、ひょっとして白銀大尉の教え子さんかしら?」
そう問うてくるパイロットに蓮たちは視線を奪われてしまう。
身体に密着したパイロットスーツは、スレンダーだが女性特有の艶めかしい曲線を描いており、ヘルメットの下から現れたのは機体にも負けない真紅の髪と紅玉の瞳を持った、自分らと同年代だと思われる美少女だった。
男性陣が呆然と見惚れるのも仕方がないと思いながらも、詩織は不愉快さを抑えきれずに蓮の右足を思いっきり踏みつけてやる。
「ごわあぁぁッッ! な、何すんだよぉっ? 詩織ぃっ!」
涙声で抗議しながらも踏まれた足を押さえて飛び跳ねる蓮と、隣でドン引きしている神鷹とヨハンをガン無視した詩織は、女性パイロットに正対し背筋を伸ばして敬礼するや、緊張した面持ちで凛とした声を張った。
「失礼いたしました、少尉殿。私は地球統合軍士官候補生 如月詩織であります! 御質問の通り、我々は白銀達也教官に指導を受けている者です」
その時になって漸く男共は眼前の女性の階級章に気づき、彼女が正規の士官であるのを悟った。
慌てて姿勢を正して敬礼する候補生達が初々しく思えたのと、自分の勘が当たった事に満足した女性パイロットは、その端整な顔を綻ばせて快活な声で自己紹介をする。
「私は銀河連邦宇宙軍。西部方面域所属のアイラ・ビンセント少尉よ。白銀大尉の命で短期交流留学と君らの操縦指導に来ました……でも良かったわ。自分の教え子がこんな時間まで呑気に寝ている様なら、お尻を蹴り上げて叩き起こしてやろうかと思ってたんだけど……残念無念!」
物騒な台詞を平然と宣い声を上げて笑うアイラを、蓮達は唖然とした顔で見ているしかなかったのである。
◇◆◇◆◇
「それで。ご感想は?」
現西部方面域司令部の面々との顔合わせと、引継ぎに関する話し合いを終えて、臨時の旗艦にしている高速護衛艦に戻った達也にラインハルトが訊ねる。
「貴族閥で独占された司令部と参謀部……軍政担当の官僚職までが下級貴族の就職口になっているとはね。僅かばかりの平民士官と大勢の兵士が哀れに思えるよ……記録を見たが、この三年間に西部方面域で起こった戦闘で艦隊の損耗率が七%にも及んでいる。喪失艦艇千四百隻、戦死並びに戦傷者の合計は十八万人にも上る……それなのに! あの馬鹿野郎は、前任の司令官の時より二%も損害を減らせたと、得意げに口にしやがったッ!」
ガンッッ!! 握り締めた右拳を思いっきり通路の壁に叩きつけた達也の顔に、怒りと憎悪が色濃く浮かぶ。
会談中の深いなやり取りを思い出すだけで、腸が煮えくり返るような憤りを覚えるが、今後の作戦を円滑に進める為には、無用な軋轢を抱え込む愚は避けなければならない。
だからこそ、自重するしかなかったのだが……。
「気持ちは分かるが、まずはお前の思い通りの展開になった……それで良しとするべきだ。大切なのは本番で勝つ事だろう?」
「ああ、その通りだ……その為にも我慢するしかないな」
今は出世して浮かれて燥いでいるのだと相手に思わせ、油断を誘う必要があり、怒りを押し殺した達也は、会談中はずっと道化師の役割を演じていたのだ。
大切な部下達の命を%という数字でしか見ない、下賤で無能な指揮官を排除するために……。
(部下を死なせておいて欠片ほどの罪悪感も憐憫の情も懐かず……俺の前で下種な自慢をした己の愚かさを、何時か必ず後悔させてやる!)
そう固く誓った達也が怒りを鎮める為に大きく深呼吸をすると、ラインハルトが腕時計を見ながら問い掛けて来た。
「どうする? 幕僚部のミーティングには幾分時間がある……何か腹に入れて行こうか?」
「そうだな。腹が膨れりゃぁ、少しは怒りも収まるかもな……面倒だから士官食堂で良いだろう? ついでに乗員の話も聞いておきたい」
「お前ねぇ……大将に昇進したんだから、その癖も直した方がいいぞ。恰好つけてフルコースのディナーにしろとまでは言わんが……」
呆れながら説教して来る副官殿に苦笑いを返す達也。
「性分という物は中々に変わるもんじゃないさ。それに若い連中と話せるのは食事時ぐらいだからな……しかし、階級が上がる度に煩わしさが増していく。いい加減ウンザリだよ」
如何にも達也らしい言い種に、ラインハルトも苦笑いするしかない。
ちょうど夕食時と重なった為に、士官食堂は結構な賑わいを見せていた。
此処は名前の通り少尉以上の士官が食事をする場所であり、下士官や兵士は別に専用の食堂が設けられている。
銀河連邦宇宙軍の食事事情は艦隊司令官の意向で左右される場合が多く、平然と身分差を設ける艦隊もあれば、比較的平等に取り扱う艦隊もあるのだ。
達也は今回初めて自分の艦隊を率いるにあたり、食堂のメニューは身分差に関係なく同じ物を供するようにと厳命していた。
これは、敬愛するガリュードが長年貫いてきた信念であり、それに倣うのが当然だと、達也も考えていたからだ。
それでも、士官と下士官、兵士で食事する場所を分けているのは、機密情報の漏洩を極力減らすという事情によるものだった。
「へぇ~~暫く船から降りているうちに、自動調理配膳機が新型に代わったのか……う~~ん、Aセットにするか……おっ! 早いな、もう出来たのか?」
メニューボタンを押して僅か数秒でトレーにセットされた料理が出来上がったものだから、その早さに達也は目を丸くしてしまう。
「相変わらず問題はあるが、贅沢を言えばきりがないからな。おや、向こうの席が空いているようだ」
既にこの環境に慣れているのか、ラインハルトに驚きはない。
銀河連邦宇宙軍では慢性的な人員不足を解消する為に、乗員の生活環境に関わる部署を完全機械化しており、その最たるものが料理なのだが、その利便性とは裏腹に些細な苦情が多くて担当者を悩ませてもいた。
二人が奥まったテーブルの空いている席に座ろうとすると、漸く周囲の佐官連中が達也とラインハルトに気づいて、慌てて立ち上がろうとする。
「ああっ! 食事中に畏まる必要はないぞ。月基地に帰るまでにやってもらいたい仕事は山積みだ。時間が勿体ないから、俺達には構わず食事を続けるといい」
達也がそう言うと士官達はバツの悪い顔をして食事を再開したのだが、その中の壮年の少佐が苦笑いしながら苦言を口にした。
「しかし、司令も副指令も通常の士官服に階級章だけぶら提げているのは如何なものですかね……一種軍装のコートはどうされたのですか?」
「ははは。あんな大仰な物を四六時中着ていられるものか。金の飾緒をぶら提げて提督様でござい……なんて、恥を晒して喜悦に浸るほど人間が出来てないのさ」
飾緒とは、昔は参謀職にある者が軍装につけていた金モールの様な物である。
現在銀河連邦軍とその同盟国軍に於いては、銀河連邦軍の将官にしか着用が許されてはいない、いわゆる名刺代わりの装飾品でもあった。
銀河系中心部の惑星で産せられる高級な金糸と銀糸を編み合わせて作られたもので、准将、少将は一本。中将は二本。大将は三本で元帥は四本、大元帥のみが五本の飾緒をロングコートに装着しているのだ。
「長官らしいやっ!」
遠慮なく囃し立てる部下の笑い声に反応して周囲から爆笑が起こり、一気に場の雰囲気が明るくなる。
達也は部下達との会話を楽しみながら、時折ジョークを交えては場を盛り上げていたのだが、その一方で久しぶりに口にした艦内食に妙な違和感を感じて首を傾げていた。
(艦内の食事ってこんなに変な味だったかな? 暫く食べる機会がなかったが……それにしても)
何かが微妙におかしいのだろう。
不味いという訳ではないが、以前のように美味しいとも思えない。
その理由に達也は直ぐに思い至った。
ここ最近毎晩お世話になっているクレアの料理で、すっかり舌が肥えてしまったのだと……。
元々私生活には無頓着だったのに、クレアの美味しい手作り料理を堪能しているお蔭で、以前は気にもならなかった食事に、舌が『No!』を突きつけるようになってしまったらしい。
(彼女の料理と比べるのは無理があるか……はあ~~本当に贅沢になったもんだ。ふふふ、頑張って仕事を片付けて早く帰ろう……)
微笑むクレアの顔が脳裏に浮かび、達也は自分でも気付かない内に顔を綻ばせるのだった。
◇◆◇◆◇
伏龍に着任した早々、アイラ・ビンセント少尉は少々戸惑っていた。
彼女としては極々普通に立ち振る舞っているつもりなのだが、何故か教官や候補生達の明け透けな視線が集中している様に感じてしまい、どうにも落ち着かないのである。
本人は『思い過ごしかな?』ぐらいの感覚だったのだが……。
アイラは基本的に銀河連邦宇宙軍からの研修生という扱いであるために、伏龍の制服を着る義務もないし、地球統合軍の服務規定や伏龍の校則には縛られない。
彼女もそれを良く知っているだけに、学内では気楽な普段着で良いだろうと自己承認したのである。
だが、その普段着が問題だったのだ。
肢体にフィットしたパイロットスーツの上に、丈の短い航空兵専用のジャケットを纏っただけとなれば、周囲からの好奇と羨望の眼差しを集めてしまうのも仕方がないだろう。
しかし、本人は至ってマイペースであり、男子候補生達からの不躾な視線を気にする風もなく、詩織と神鷹が所属するA組に配属されたのを素直に喜んでいた。
「いや~~『今更学校かよっ!』と文句も言ったけど、私は士官学校には通ってないから、同い年のあんた達と学生気分を満喫できて嬉しいわ」
教室最後方の窓際に席を与えられた彼女は、その親しみを感じさせる笑顔を振り撒きながら、クラスメート達との会話を楽しんでいる。
現役の戦闘機乗りであり、男前な性格を隠そうともしない美少女は、男子生徒は言うに及ばず、女子生徒のハートも一瞬で虜にしてしまったのだ。
その結果、授業参加初日から一躍人気者に祭り上げられたという次第だった。
なにかトラブルがあっては大変だと、ボディーガードを買って出た詩織と神鷹の心配は全くの杞憂に終わり、ふたりはホッと胸を撫で下ろす。
「へぇ~~でもアイラさんは、少尉任官しているじゃありませんか?」
女子生徒からの質問責めに苦笑いしながらも、アイラは丁寧に返答する。
「私の家は代々傭兵稼業で生業をたてて来たのよ。御多分に漏れず、親父も航空兵専門の傭兵団を率いて戦場を渡り歩いていた……私も十五の時に傭兵団に加わって以来、ずっと戦場暮らしだったわ」
そこで一旦言葉を切ったアイラは、懐かしむような視線を此処ではない何処かへ向けた。
「それなのにさぁ……二年前に参加した作戦の指揮を執っていた変人司令官の奴に親父がべた惚れしちまって……挙句の果てに新年早々に傭兵団を解散し、希望者だけ引き連れて銀河連邦宇宙軍と特別契約を結んで軍属になってしまったの。そんなわけで、私もいつの間にか少尉の階級がついちゃってさぁ、煩わしいったらありゃしないわよ」
軽妙な語り口で周囲を巻き込むアイラは、たちまち人気者の地位を獲得して終始御満悦だったが、その和んだ空気は、刺々しい怒声によって雲散霧消した。
「なにを群れておるのかっ! どけっ! 道を開けなさいッッ!」
声の主の正体を察した詩織は不快気に顔を顰めたが、アイラは動じた素振りさえ見せずに平然と構えている。
彼女を取り囲んでいたクラスメートたちの人垣を払って姿を現したのは、詩織の予測通りジェフリー・グラスとその腰巾着教官達だった。
「おや? 確かグラス大尉だったかしら? 休み時間に何事ですか?」
相手が同盟軍の上級者であるとはいえ、直卒の部下でもないアイラが統合軍士官に率先して敬意を示す義理はない。
だから、敬礼もせずに鷹揚な物言で問いかけたのだが、彼女とは対照的にジェフリーは語気を荒げて一気に捲し立てたのだ。
「惚けるんじゃないッ! 何だねこの連邦軍からの通達書の内容はッ!? 『授業に必要な装備として小型の航宙母艦を派遣する』こんな戯言を本気で言っているのかねっ? 現在連邦政府と地球統合政府の間で、軍艦の太陽系への入港を制限するよう取り決められているのを知らないとでも言う気かッ!」
ジェフリーの剣幕に脅えて後退るクラスメートたちを後目に、アイラは顔色一つ変えず肩を竦めて反論した。
「実機を使用して訓練を行うには、此処の飛行場の滑走路は充分な整備が行き届いているとは言えないわ。今朝がた着陸した時に確認したけれど、小さな亀裂が至る所にあったし、とてもじゃないけど戦闘機の連続離発着に耐えられる代物とは思えないわね」
実績のあるパイロットとしての意見だけに、アイラの台詞には説得力がある。
「機体を整備する人員も必要ですし、何よりも訓練用の機体も此方で用意せざるを得ないでしょう? だってさぁ、統合軍の機体は二世代も昔の旧型機ですもの……訓練にすら使えない骨董品だと司令部に上申せざるを得なかったの。そうしたら、小型空母を派遣すると返事が来たという次第ですのよ……御理解いただけましたでしょうか大尉殿?」
丁寧な物言いだが慇懃無礼とは正にこの事であり、思わず激昂したジェフリーは、眼前の少女に罵倒を返していた。
「ぶっ、無礼じゃないかッ! 国家間の取り決めを一方的に無視すなど外交問題になる案件だぞッッ! 誰が責任を取ると言うんだッ!? お前の様な小娘がどうこうできる話じゃないッ! 無頼漢の白銀如きの首では済まない大問題なんだぞ! 分かっているのか?」
ふたりのやり取りを見守る候補生たちが顔面蒼白になる中、アイラは不敵にもジェフリーを睨みつけて鼻を鳴らす。
「国家間の取り決め? 何かの間違いではありませんか? 貴方が仰っているのは地球統合政府からの要請を西部方面域司令部が考慮したに過ぎない案件だわ。銀河連邦評議会が関与している筈もないし、正式に条約として調印されたものでもないから外交問題になどなる筈もないでしょうに……肩肘張って自分を大きく見せようとしても、中身が伴わなければ恥を掻くだけですわよ?」
「ば、馬鹿な事を言うなっ! そんな勝手が……」
「馬鹿な事かどうかは統合軍司令部に問い合わせてみれば分かるでしょう。我が軍の方面指令部が必要と認めたから艦が派遣されるだけ……騒ぐに値しない些事だと心得て下さい。大尉殿?」
ジェフリーらの主張は地球統合政府が対外的な成果を強調するために流布した虚偽のプロパガンダであり、自分の手柄を殊更に誇張した政治家に騙されていたようなものである。
しかし、詳細を確認しなければ反論も儘ならないジェフリーは、歯噛みしながら踵を返さざるを得なかった。
だが、今度はアイラが怒りを滲ませた声でジェフリーを呼び止めたのだ。
「ちょっと待ちなさいよ、チンピラ大尉殿?」
辛辣な罵倒に背中を打たれ激昂したジェフリーは、振り向きざまに怒声を浴びせようとしたが、アイラと視線が交錯した瞬間、彼女の真紅の瞳に見据えられて言葉を失ってしまった。
先程までの快活な雰囲気は消え失せて、その瞳には肉食獣が獲物に向ける明確な殺意が色濃く滲んでいる。
「アンタが薄っぺらな虚勢を張ろうが、私を小娘だと侮ろうが、そんな事はどうだっていい。口先ばかりのチンピラが何を吠えようと、いちいち目くじらを立てるのも馬鹿々々しいから怒りはしないさ……でもねぇ、白銀大尉を侮辱するのは赦さないよ。私だけじゃない、連邦宇宙軍軍人の前で、あの人を悪く言うのは止めておきな……アンタだって、まだ死にたくはないでしょう?」
彼女が発する怒気に当てられ、凍り付いたかの様に教室内が静まり返る。
物音一つしない中でアイラとジェフリーが睨み合うが……。
忌々しげに舌打ちし踵を返して教室から跳び出したのは、ジェフリーとその取り巻き連中の方だった。
アイラはその背中を見送るや、何事もなかったかの様に殺気を収める。
(……少々やりすぎたかしら。わあぁ……みんな恐々とこっちを窺っているじゃない。どうしようかしら?)
敬愛する白銀長官を侮辱されブチ切れたとはいえ、殺気まで振りまいたのは失敗だったと反省し、如何にしてフォローしようかと困り果てていると……。
「恰好良かったあぁッ! ありがとうッッ! 嫌味魔人のグラス教官をやり込めただけじゃなくて、白銀教官をあんな風に持ち上げてくれるなんてぇぇ──っ!! もう、最高ぉぉ!」
喜びを爆発させた詩織が感激を露にして抱きついて来たかと思えば、それに釣られた様に笑顔のクラスメートらも囲まれしまう。
どうやら、好意的に受け入れられた様だとアイラは胸を撫で下ろしたが、これで一件落着かと安堵したのも束の間、詩織が投下した爆弾発言で一転して窮地に立たされてしまうのだった。
「あんなに熱く語るなんて感動したわ。アイラさんは教官を愛しているのねっ! きゃあぁぁ~~やるうぅぅッ!」
その勘違いに愕然としたアイラだったが、完全に誤解だとも言えないばかりに咄嗟には否定できず、素っ頓狂な悲鳴をぶち上げていた。
「はぁ? はあぁぁッッ!?」
その反応がクラスメートには照れ隠しだと誤解されたらしく、教室を揺るがすほどの歓声が起こって収拾がつかなくなってしまう。
「ちょ、ちょっと待てっ! 違うし……そうじゃないしッッ!」
「またまたぁ~~照れちゃってぇぇ~~素直になればいいのにぃ?」
「ば、馬鹿っ! 違うわっ、詩織!」
「だあぁってぇ~~顔が真っ赤じゃないの! 照れない、照れないっ! ねえっ、ねえぇ~~!? あの強面教官の何処に惚れたの? ねえぇ、教えてよぉ!」
「違うって言ってんでしょうがっ! アンタこそ落ち着けっ! 妄想をやめろ! 落ち着いてちょうだぁぁ──いっ! 詩織ぃぃ!」
この漫才のお蔭でアイラ・ビンセント少尉は絶大な人気を勝ち取り、クラスに馴染んだというお話でした……。
勿論、本人にとっては極めて不本意だったかもしれないが……。




