第十二話 日雇い提督は決断す ①
好事魔多し……。
軍を指揮する者として、胸に刻んで忘れてはならない至言だ。
その事を嫌というほど思い知らされる事態に直面している達也は、だからこそ、悪態をつく他はなかったのである。
勿論、眼前にいる悪党共には悟られない様、心の中で秘かにではあるが……。
(すっかり浮かれていたのは確かだよ……でもさ、それは仕方がないじゃないか? 手の届かない存在だと諦めていた女性が、冴えない自分に好意を寄せてくれていたと知れば、男なら誰だって有頂天になってもおかしくはないだろう?)
昨夜の幸福な時間を思い出しながらも、自己弁護に終始する達也。
三文恋愛小説のオチのように、愛娘の悪意なき邪魔が入ったとはいえ、クレアとくちづけを交わしたのは紛れもない事実だ。
今朝方早くに上海シティーの御両親宅に向かう母娘を港まで送る時も、ふたりの笑顔を見ているだけで、とても幸せな気分に包まれたのも偽りない本心だと断言できる。
(昨夜の事が気恥ずかしかったんだろうな……視線が合う度に頬を染めて俯いてしまう彼女を可愛いと思ったのも偽らざる俺の本心ですよ。ああ、そうさ! お花畑気分に浸りきってた俺の責任だよっ!)
すっかり心が荒んでしまい、自暴自棄になって自分を詰るしかない達也。
時間は正午の少し前。
クレアとさくらを見送ってからスーパーで食材を仕入れて帰宅してみれば、自宅玄関前に見慣れた顔が三つ。
浮かれ切っていた達也は何の疑問も持たずに、親しい知人達の来訪を歓迎し自宅に招き入れた。
そして、一頻り挨拶を交わした所で来客が用件を切り出したのだが……。
正しく青天の霹靂としか例えようがないその内容に、幸せ色の景色などは纏めて吹き飛んでしまったのである。
さすがの白銀達也も、親友の口から語られる荒唐無稽なファンタジーを理解する事ができず、何かしら冗談の類いとしか思えなかったのだ。
なのに、正面に座す親友は平然とした顔をしているし、イェーガー夫妻に至っては明ら様に顔を背ける始末で、尚更心がささくれ立ってしまう。
「……新手のジョークではないんだな? ラインハルト?」
自分がこんなにも冷淡な声をだせるのだと、達也は今日初めて知った。
それに対してラインハルトは、顔色一つ変えずにその問いを肯定する。
「勿論です。閣下が地球で任務に就いていたため、御本人不在のままではありますが、評議会で承認されて親補式も無事終了しております」
「これ見よがしに敬語を使うのは止めろっ! 本気で俺を怒らせたいのか!?」
親友の畏まった物言いが癇に障った達也は、怒りに任せて声を荒げてしまう。
「すまなかった……悪気があった訳じゃない。事が事だけに、最低限度のケジメはつけておきたかったんだ」
「けじめねぇ……俺としては甚だ不本意ながら大将に昇進を果たし、めでたく嘲笑の代名詞である『日雇い提督』の称号を返上して、二千隻の艦艇を率いる大提督様に御就任ときたもんだ……しかしだ! 傍から見れば人も羨む大出世なんだろうがな、たったそれっぽっちの戦力で、選りにも選って八大方面域の中でも最も混沌とした西部方面域の総司令官をやれ? 秩序を維持し勢力の拡大を図れ?? そんな無茶振りをどうすりゃいいんだっ!?」
鼻息も荒く一気に捲し立てた達也は、両腕を組んでソファーの背凭れに背を預けるや、一際大きな溜息を吐いて嘆くしかなかった。
「然も、こんな大それた話が当の本人抜きで決められるなんて……お蔭で俺は訳の分からないまま襲撃までされて、踏んだり蹴ったりとは、まさにこの事だよ!」
「まあ……お前に釘を刺された小心者共は大人しくなってるし。アナスタシア様とヒルデガルド殿下が最高評議会に復帰なされたから、かなり風当たりが緩くなったのは確かだがな……」
「何を呑気なっ!? あの二人が一緒っ? それだけで天変地異の前触れ確定じゃないかっ!」
「そう言ってやるなよ。あの婆さんたちにとってお前はヤンチャな孫同然なんだ。助力戴けるだけでもありがたいと思ってやれ」
七聖国の御意見番でもあるアナスタシアとヒルデガルドに対し、当たり前の様に非礼な物言いをするふたりにアルエットが呆れた顔で一言。
「あなた達の言動は逐一報告するようにと、アナスタシア様から厳命されていますけれど……よろしいのかしら?」
達也とラインハルトは互いに視線を外し、わざとらしく咳き込んで誤魔化す。
すると、それまで黙っていたイェーガーが小首を傾げて達也に問うた。
「随分と落ち着いておられすなぁ……もっと取り乱すにしろ、怒りを爆発させるにしろ、少なくとも叱責を受けるのは覚悟していたのですが?」
この疑問にはラインハルトも同意らしく、興味津々といった顔を向けてきた。
そんなふたりを見た達也は憑き物が落ちたさばさばした表情を浮かべ、ソファーに座り直して本音を吐露する。
「連邦宇宙軍の組織改革が急務であるのは重々承知しています……ガリュード閣下やイェーガー閣下、そしてラインハルトら仲間達の想いも理解しています。地球に帰って来てエリート至上主義に侵された統合軍の惨状を目の当たりにしていますのでね、自分の所属する軍隊が堕落していくさまを黙って見ていられないのは、俺も同じですよ」
それは、決して引く事が許されない困難な戦いへ、自ら身を投じると宣言したに等しかった。
「軍の制度改革を含めて、組織内に蔓延っている選民思想を払拭し、傲慢な貴族閥から人事権を取り戻す……困難だがやるしかないだろう」
どちらかといえば、慎重派の達也が大胆な決意を披露した事に、ラインハルトは意味深な笑みを口元に浮かべて親友を見る。
「前回会った時には煮え切らない態度だったのに、地球でなにか良い事でもあったのかい?」
「いやらしい顔をするなよ。ただな、ずっと心に蟠っていた事が解決してね……先日やっと里帰りを果たせたんだ。不義理を働いていたから、てっきり罵倒されるんじゃないかと思っていたが、結局俺の独り相撲だった……昔の儘の優しい家族に迎え入れて貰えたよ……ただそれだけの事さ」
長い間達也が悩みを抱えて苦悩していたのを知っていたイェーガー夫婦とラインハルトは心から祝福したが、アルエットだけは説教するのを忘れはしなかった。
「その程度で『思い残す事がない』だなんて、とんでもない考え違いですよっ! 貴方自身の大切な家族を早く見つけなさい。いつまで独身貴族を気取っているつもりですか?」
いつにも増して強硬なアルエットの追及に苦笑いしながらも、クレアやさくらの事は口にはできなかった。
将来的にどんな関係に発展するかの見通しもなく、あまつさえ身分を偽っている身では体裁も極めて悪い。
彼女らとの関係を大切に育んでいきたいと考えているが、クレアとは所属している組織が異なる以上、何が障害になってもおかしくはないのだ。
だからこそ、世話になっている恩人たちには申し訳ないと思いつつも、今は口を噤んだ方が良いと決めたのである。
すると女房殿の苛烈な追及を見かねたのか、イェーガーが助け舟を出した。
「しかし、そうなりますと。士官学校の教官職は余りに負担が大きいでしょう? 今度こそ退任を申し出た方が良いのではありませんか?」
これは至極当然の意見であり、今後は職務を兼務するのが困難であるのは容易に想像できる。
西部方面域最高司令長官に就任すると内定している状況で、同盟国とはいえ他国の士官学校の教官を務めるなど正気の沙汰ではないし、身分を詐称しているともなれば、大問題に発展するのは避けられないだろう。
だが、達也はこの上申を退けた。
「それは出来ません。他の教官達との確執に否応なくあの子らを巻き込んでしまいました。私が手を引けば彼らは間違いなく不当な理由で士官学校を退校させられるでしょう……俺は彼らの教官です。教え子達の未来に責任があるのです……だから見捨てる訳にはいきません」
「確かに若者の未来の芽を摘むのは本意ではありませんが……いずれ近い内に閣下の正体は露見するでしょう。故意に身分を偽っている以上、後々問題になる可能性は極めて高いですぞ」
「ははは……その時は悪しざまに批判されたとしても、私の裁量で強権を発動してでもあの子達を守ります。私から見ても非常に優秀な候補生達ですから……」
達也の強い決意に、イェーガーもそれ以上は言うべき言葉がなかった。
すると、ラインハルトが話を纏めるように口を挟む。
「その子たちの進退を含む身分保障ならば、如何様にでも対応は可能だよ……俺に考えがあるから任せてくれないか? それにしても、お前がそこまで言うとはな。一度その子達の実力を見せて貰おうか?」
「ああ。それは助かる……是非見てやってくれ。きっと驚くぞ」
「分かった……とは言え至急片付けねばならない案件が山積みになっている以上、当面は放置するしかない……すまないが数日の間教官の仕事は休んで、月に新設された臨時司令部で仕事を片付けて欲しいんだが?」
親友の遠慮がちな申し出に達也は苦笑いを返す。
「嫌だといっても、聞きはしないくせに……協力してくれている教官と教え子達に連絡してから直ぐに地球を出よう。今は時間が惜しいしクレーデルの間抜けは兎も角、エンペラドル軍令部総長とモナルキア軍政部総長相手に油断は禁物だ……早急に対策を検討しよう」
その言葉を合図に全員が一斉に動き出した。
三人はアルエットを自宅に送り届けてから、迎えの連絡用シャトルに乗り込み、一路月面の連邦宇宙軍基地を目指して飛びたったのである。
◇◆◇◆◇
「もう……またお見合い? そんな気はないと言っているのに……」
父親であるアルバート・ローズバンクが差しだした、分厚くも派手派手しい見合い写真の表装を見るや、クレアはうんざりした顔で溜息を吐いた。
可愛い孫娘の誕生パーティーの準備に余念がない母親の美沙緒と、TVに夢中のさくらが席を外している隙を見計らったアルバートが見合い話を切り出したのだが、当然ながら、クレアにとっては迷惑以外の何ものでもない。
「何度も言ったけれど、今は再婚する気なんてないわ……悠也さんの事も心の中で整理がついたばかりだし……」
「お前の気持ちを無視するわけではないが、彼が亡くなってもう五年以上になる。さくらもこれから難しい年頃になるのに、母親だけでは何かと心細い思いをするのではないかね?」
「お父さんやお母さんの心遣いはありがたいけれど……さくらは私がちゃんと育てるから心配しないで」
頑なに見合いを拒む娘の頑固さに呆れながらも、可愛い娘と孫の幸せを考えれば、とても現状のままで良いとはアルバートには思えなかった。
選りすぐった見合い相手は一流企業の若手ホープや医者、弁護士等、将来を約束されたエリートばかりだ。
多少気弱な所があるとはいえ眉目秀麗で温厚、社会的ステータスも人間としての良識も兼ね備えている。
可能ならば早々に退役して条件の良い男性と再婚し、孫娘共々イギリスに帰って来て欲しい。
妻の美沙緒も口では『クレアの好きにさせてあげなさい』と言っているが、内心では同じことを考えている筈だとアルバートは思っている。
「クレア……君が良くできた娘であるのは私も美沙緒も知っている。だから悠也君が亡くなってから五年……急かすような真似はしなかった筈だ」
「ええ……お父さんとお母さんには本当に感謝しているわ。でも、それでもね……もう少しだけ時間を貰えないかしら」
昨夜、達也とくちづけを交わしてしまった……。
雰囲気に流された訳ではない。
確かにあの時の自分はそれを望んでいたのだと、今ならば断言できる。
(彼に告げた通り嫌じゃなかった……ううん、本当に嬉しかった……)
しかし、今分かっているのは、それだけなのだ。
おそらく自分は白銀達也という男性を愛しているのだろう……。
だが、彼はどう思っているのだろうか……。
相も変わらず自分に自信が持てないクレアは、そんな益体もない心配をしては、胸を痛めてしまうのだ。
ちゃんと言葉を交わし、達也の想いを確かめたい……。
それが、偽らざる彼女の願いに他ならないのである。
目の前で溜息をついている父には悪いが、今はまだ迂闊な事は言えない……。
それは、クレアにとって譲れない一線だった。
するとそこへ、TVを見終わったさくらがパタパタと駆けて来るや、飛び掛かるような勢いで祖父へと抱きついたのだ。
「おう! おいおいさくら。お手柔らかに頼むよ。御祖父ちゃんも年寄りと呼ばれる部類なんだからね」
「えへへ~ごめぇ~ん……ねえねえ、御祖父ちゃん! ママと何のお話をしていたのぉ?」
孫娘の無邪気な問いに、アルバートはチラリとクレアを見てから、ある意味期待を露にして口を開いた。
「ママに再婚するように勧めていたんだ。さくらだって欲しいんじゃないかね? 優しくて素敵なお父さんが?」
「お、お父さんっ! さくらに変な事を言わないでっ!」
血相を変えたクレアが声を荒げるが、アルバートは完全無視を決め込んで孫娘の反応を窺う。
さくらが父親という存在を望むのならば、クレアも再婚を前向きに考えるのではないかという、希望的観測に基づく打算だったのだが……。
「……こんな人たち、いらないもんっ! さくらは白銀のおじちゃんがいいの! さくらのお父さんは、白銀のおじちゃんだけなんだもんっ!!」
二~三冊の見合い写真を開いては閉じてを繰り返したさくらは、思いっきり顔を顰めた挙句、母親と祖父を愕然とさせる爆弾発言を打ち上げたのだ。
新しいお父さんと言われれば、さくらにとっては達也以外に考えられないので、思わず気持ちが口を衝いてでたのだが、クレアにとっては青天の霹靂以外の何ものでもない。
(そ、それを言っちゃ駄目だって念を押したでしょぉ──っ!)
娘の暴挙に内心で悲鳴を上げるクレア……。
すると愛娘はハッとするや、少々困った顔をしながらも可愛らしい笑みを母親へ向けたのである。
「あっ! ママぁ……ごめんなさいぃ……さくら、言っちゃったぁ~~」
『御祖父ちゃんと御祖母ちゃんには、白銀さんの事は内緒よ!』と口止めされていたのを思い出したさくらは、笑顔一つで全てを無かった事にするつもりのようだ。
しかしながら、百戦錬磨の爺がその程度で誤魔化される筈もなく、もの凄い剣幕でクレアに詰め寄るや、速射砲の如き勢いで詰問という名の弾丸をバラ撒いた。
「ちょっと待ちなさいっ! その名前には聞き覚えがあるぞ! 確か新任の教官で情操教育の為にあの幼竜を貸し出してくれた人ではなかったかね!? それが如何したら、半月もしない内に私の大切な孫娘を誑かしているのかねッッ!? 納得のいく説明をしなさいっ!」
爺馬鹿丸出しの父の醜態にクレアが辟易していると、紅茶セットを携えた美沙緒がキッチンから出て来て援護射撃をしてくれた。
「何ですかっ、大きな声を出してみっともない。クレアだって自分やさくらの未来ぐらいちゃんと考えているに決まっているじゃありませんか。それでっ!? もう御付き合いはしているの? それとも、結婚の約束までしちゃったのかしらぁ? そう言えば、さくらと御揃いの髪留めとペンダントは、その方からの贈り物ね? あら、まあっ! もう結納を交わしちゃったも同然じゃないのぉ!」
台詞の冒頭……ほんの短い部分にしか援護の意味はなかった。
天然系の母親に期待した自分が馬鹿だったとクレアは嘆息するしかない。
「ゆ、許さんぞっ! 何処の馬の骨とも知れない男に、大切な娘も孫もやれんッ! 私は断じて許しはせんぞおぉっ!」
義憤に燃えて一人盛り上がる父親。
興奮して妄想をヒートアップさせる母親。
さすがに我慢の限界を感じて怒鳴り返そうとした時だった。
スカートのポケットに入れていた携帯端末が、振動を繰り返しているのに気づいて、慌てて取り出しディスプレイに《白銀》の文字を見つけたクレアは思わず破顔してしまう。
達也の顔が脳裏に浮かんで頬が緩んでしまいそうになり、顔の筋肉を総動員し、懸命に素知らぬフリを取り繕わなければならなかった。
「ごめんなさいね。志保からだから……ママが戻って来るまでに、御祖父ちゃんと御祖母ちゃんに白銀さんの事を説明しておきなさい、さくら」
既に秘密にする意味は失われてしまったので、両親の足止め目的で情報の開示を愛娘に託す。
これで話し好きのさくらに捕まった両親は身動きが取れないだろうというクレアの作戦勝ちか。
「まっかせてぇ──っ!」
気合充分のさくらが敬礼するのに答礼し、あたふたと隣室からベランダに直行してガラス戸を閉めるや、急いで携帯端末の受信ボタンをタッチした。
「もしもし。すみません、お待たせしました」
『団欒中に申し訳ない……実は時間がないから良く聞いて欲しい……』
そう前置きした上で達也から語られたのは、銀河連邦宇宙軍の派遣艦隊内で緊急の案件が持ち上がった事。
その件で月面基地に召集され、数日間は帰れなくなってしまう事。
その間教え子達の授業を空いた時間だけでいいから、監督して欲しいという事。
既に学校長に相談して了解を貰い、志保と教え子達には連絡をしている事。
それらを早口で説明されたのである。
「分かりましたわ。お仕事ならば仕方がありません。志保とも相談して授業の監督は万全を期しますのでご心配なく」
少しばかりの寂寥感に胸を締め付けられたが、クレアは努めて明るい声を返した。
『本当にすまない……帰ったら──ザザッ──きっと……ザザザッッ──……』
通話状態が急に悪化し達也の声が聞き取れなくなる。
シャトルが成層圏から離脱したのだと察したクレアは、頭上の蒼穹へ向けて、精一杯の想いを込めて呟くのだった。
「ま、待っています……だから、どうか御無事でお帰り下さい……」
その、想いを乗せた言葉が達也へと届くのを信じて……。




