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第十一話 ハッピーバースデーと希少石 ①

「まだ戻ってないよぉ……遅いね、白銀のおじちゃん」


 落胆して肩を落とし、(たよ)りない足取りで帰宅しては、同じ台詞を口にする愛娘を見るのは今日何度目だろうか……。

 悄気(しょげ)て寂しそうな顔をするさくらが不憫(ふびん)でならず、クレアは胸を痛めていた。

 時計を見れば夕方の六時を過ぎており、昨日今日と達也から連絡がないのを思えば、好ましくない未来ばかりが脳裏に浮かんでしまう。


(やはり帰省してはくださらなかったのかしら……私が感情的になって(ひど)い言葉で(なじ)ったから、顔を会わせるのも嫌になって……何処(どこ)か他の場所へ転居なさるおつもりなのかもしれない……)


 そう考えれば落ち込まずにはいられないし、一時の感情に任せて彼を責めた己の浅慮(せんりょ)()やまれてならなかった。 

 しかし、目の前で消沈している愛娘に、本当の事を話して理解させるのが先だと思い直したクレアは、ソファーに座ったさくらの隣に腰を降ろす。

 そして、何事かと自分を見上げて来る愛娘を優しく抱き締めるや、達也との経緯(いきさつ)を切り出した。


「さくら、ごめんね。実は一昨日の夜に白銀さんと口論になってね……ママが(ひど)いことを言って彼を怒らせてしまったの……」

「えぇっ!? そ、そんなぁぁ……」


 腕の中の小さな身体が強張(こわば)るのと同時に悲痛な(うめ)き声が零れ落ちる。

 ぐすっぐすっと鼻を(すす)り始めた愛娘の頭を掌で撫でるクレアは、努めて明るい声で(なぐさ)めてやるしかなかった。


「大丈夫よ……白銀さんはママを嫌っても、さくらにまで(つら)く当たるような人ではないでしょう? さくらには今まで通りに接して貰える様にお願いしておくから、あなたは何も心配しなくていいのよ」


 母親として娘にしてあげられるのはこれが精一杯だったが、この虫のいい懇願(こんがん)を達也が受け入れてくれるか(いな)かはクレアにも分からない。

 しかし、彼の優しさに(すが)ってでも、さくらには悲しい想いをさせたくはない……そう、心を決めたのだ。

 しかし、さくらは急に顔を上げるや、涙で濡れた瞳で母親を見つめて自分の想いを吐露(とろ)するのだった。


「そんなのやだよぉ~~達也お父さんとママが喧嘩(けんか)するなんて嫌だぁっ! ねぇ、仲直りしようよぉ、さくらもあやまるから! ママと一緒にあやまるからぁぁ」

「そ、そうは言っても……」


 思ってもみなかった愛娘の反応に戸惑うしかないクレアだったが、そんな母親の反応にはお構いなしに、(むせ)び泣くさくらは懸命に言葉を(つむ)ぐ。


「そ、それでも白銀のおじちゃんが許してくれないのなら、さくらはママがいい。ママの方が大事だもんっ! 白銀のおじちゃんは大好きだけど……さくらの本当のママは一人だけなんだもんッッ!」


 その言葉に胸を打たれたクレアの双眸(そうぼう)にも涙が滲んだ。


(白銀さんが言っておられた通りだわ。この娘は本当にいい子に育ってくれている……母親としてこれ以上何を望むというのだろう……私は本当に幸せ者だわ)


 感激で胸が一杯になってしまい、さくらにつられて自分までもが(むせ)び泣きそうになった時だった。


 『ピンポ~~ン……ピンポ~~ン』と来客を報せるベルが鳴り、ふたりは同時に顔を上げて視線を交わし合う。

 今の時刻を考慮すれば、誰が訪ねて来たのかは考えるまでもないだろう。


 だが、何時(いつ)もならば真っ先に飛び出して行く愛娘は、不安げな視線を宙に彷徨(さまよ)わせるだけで動けないでいる。

 そんな娘がいじらしくて仕方がないクレアは、意を決して立ち上がるや、足早に玄関へと向かった。


 案の定、モニターに映っているのはジャケット姿の達也に他ならず、彼の表情がやや硬いように見えたのはクレアの気のせいか、それとも……。

 その緊張が伝染したのかドアノブに延びる手が(すく)んでしまうが、何時(いつ)までも逡巡(しゅんじゅん)していたのでは(らち)が明かないのも確かだ。

 覚悟を決めたクレアは、何時(いつ)ものように誰何(すいか)もせずにドアを開けた。


 ふたりを(へだ)てる物がなくなり、至近距離でお互いの顔を突き合わせてその視線を交わし合う……。

 たった二日間……。

 逢えなかった時間はそれっぽっちなのに、随分と久しぶりの再会であるかのように感じられ、ぎこちない空気がふたりに(まと)いつく。


「あっ、あ~~……こんばんわ。た、ただいま帰りました……」

「あ、は、はい……お帰りなさい」


 その陳腐(ちんぷ)なやり取りに同時に気付いた達也とクレアは、顔を赤らめて視線を泳がせてしまう。


(こ、これじゃぁ駄目だ。早く謝ってしまわないと)


 そう思い直した達也は、勇気を振り絞って謝罪しようとしたのだが……《とん》と下半身に軽い衝撃を受け、言葉を呑み込まざるを得なかった。


 何事かと視線を下に向ければ、いつの間に飛び出して来たのか、さくらが半べその状態でしがみ付いており、(しか)も、涙で濡れた目で此方(こちら)を見上げて必死に声を振り(しぼ)って哀願するものだから、嫌でも罪悪感を覚えずにはいられない。


「白銀のおじちゃん。ママを許してあげてよぉ! ママが悪い事を言ったのなら、さくらが、あやまるからぁ! ママと喧嘩しないでぇぇ……ご、ごめん……ごめんなぁさぁぃぃ……ぐすっ、ぐすぅっ、うわぁぁぁ~~っ!」 


 最後には、ぎゅっとしがみ付いたまま声を上げて泣きじゃくるさくら。

 己の軽はずみな行為がクレアだけではなくこの少女まで傷つけていたのだと思い(いた)った達也は、その泣き震える身体を優しく抱きしめずにはいられなかった。


「し、白銀のおじちゃん?」


 てっきり怒っているものだと思っていた相手から優しく抱き締められたさくらは、泣くのを我慢して恐る恐る顔を上げる。

 そして、その視線の先に大好きな優しい笑顔を見つけ、黒曜石を思わせる双眸を目一杯見開いた。


「心配させてごめんね。でも、君のママは何も悪くはないんだ……悪いのは意地を張った僕の方だ。だから、君達が謝る必要なんかないんだよ」

「ほ、本当っ? 本当に怒ってないのぉ……?」

「ああ。本当さ。よく見ているんだよ」


 抱き締めていたさくらを解放して立ち上がった達也はクレアに向き直り、深々と(こうべ)()れて謝罪した。


「どれだけ()びても済む話ではないが……先日は無礼な真似(まね)をしてしまい、本当に申し訳なかった……汚い言葉で貴女を(なじ)ってしまい、今更反省しても遅いのは重々承知しているが、どうか許して欲しい」


 平謝りする達也に対して慌てたのはクレアの方だ。


「や、やめてくださいっ! 貴方が頭を下げる必要なんて……私も腹立ち(まぎ)れに、随分と(ひど)い事を言いました。(むし)ろ、謝罪しなければならないのは私の方ですわ」


 そう言って達也に取り(すが)るクレアが強引にその頭を上げさせると、ふたりの視線が至近距離で交わる。

 達也は少しだけ言い(よど)んだが、それでも口元を(ほころ)ばせ笑顔で事の顛末(てんまつ)を告げた。

 

「昨日授業を終えてから郷里に帰って来たよ……院長先生、いや、母さんに逢って来た……」

「そ、それじゃぁ……」


 その言葉を聞いたクレアの顔に喜悦(きえつ)の色が浮かぶ。


「全ては世間知らずだった俺の独り相撲に過ぎなかったよ……ありがとう。貴女には心から感謝する他はない。君に叱って貰ったお蔭で、俺は大切な家族を失わずに済んだ……」


 あの時厳しい言葉で背中を押した行為が間違いではなかったのだと知ったクレアは、安堵するのと同時に優しげな眼差しで達也を見つめていた。


「よかったぁ……本当によかったですね、おめでとうございます。これからは長く離れていた分、お母様を大切になさって下さい」


 祝福の言葉を口にして感極まったのか両の瞳を(うる)ませるクレア。

 その姿が(まぶ)しくて、達也は再度頭を下げて感謝を告げた。


「ありがとう……全て君のお蔭だ……『感謝しています』と伝えて欲しいと母さんからの言伝(ことづて)を預かっている」


 そんな二人の様子を見て、達也の言葉が嘘ではなかったのだと知ったさくらは、泣き顔から一転して(つぼみ)(ほころ)ぶような笑顔を浮かべたのである。

 そして、(ようや)く肩の荷が降りて安堵した達也は、手にしていた荷物の存在に気付いて苦笑いし、再び抱きついて来た少女にそれを差し出して微笑んだ。


「さくら。これ、北海道のお土産だよ。ママとティグルとで仲良く分けてくれると嬉しいな」

「うわあぁぁ! ありがとうっ! ティ~~グルゥ~~ッ! 達也お父さんから、おみやげだよぉ──っ!」


 すると、土産と聞くや否や慌てふためいて飛び出して来た幼竜と共に、さくらは嬉々として戦利品の分配会議を始めたのである。


「こ、こらっ! さくら! 御飯が先ですよ! お菓子は後ですからねッ!」

「うんっ! わかってるよぉ、ママ!」

「キュィ! キュゥィ! キュゥゥ~~ン!」


 現金な我が娘に呆れるクレアだったが、当たり前の日常が戻って来たのが嬉しくて、喜びに満ちた微笑みを達也へ向けるのだった。


            ◇◆◇◆◇


 休日明けの月曜日。

 四月も今週金曜日で終了となり、新しい月が目前に迫っているのだが……。

 指導を終えた放課後、教官室の自席で考課表の作成に追われている達也は、対処しなければならない事案の多さに頭を抱えていた。


 一つは先週末に教え子達に云い渡していた《専修コース》の件で、各々の返答の内容についてだ。

 神鷹とヨハンは航海課と砲雷撃課を選択したので、何も問題はなかったのだが、蓮と詩織の二人が航宙戦闘機課を希望した為に、カリキュラムを含めて指導内容を再構築する必要に迫られてしまったのだ。


(無重力下、飛行困難宙域、大気圏内重力下……これらの操縦技術は最低限度必須(ひっすう)だな……問題は訓練時間を如何(いか)(ひね)りだすかだが……)


 戦闘機(人型機動兵器を含む)搭乗員は、他の軍人と比較しても、その戦死率は突出しており、危険度は全部署中随一と言っても過言ではない。

 しかしながら、航空戦力の有用性は誰もが認める所であり、それ(ゆえ)、士官学校とは別に航空兵養成学校も数多く存在しているのが実情だ。

 一般的には士官学校の出身者の方が昇進も早く上級職に進み易い。

 しかし、銀河連邦宇宙軍のように、日常的に厳しい実戦を(くぐ)り抜けなければならない環境下では、未熟な航空兵が生き残るのは至難の(わざ)だ。


 地球統合軍の現状と連邦宇宙軍を比較するのはナンセンスだが、未来がどうなるのかは誰にも分からない。

 詩織は将来的に航宙母艦の艦長就任を目標にしており、そのためにパイロットを経験しておきたいと志望理由を述べたが……。

 一方の蓮は、(あこが)れのロボット操者の夢を叶えるための第一歩です……と真顔で(のたま)い、詩織から冷たい視線を浴びせられていたのは御愛嬌か。


 動機は兎も角として、限られた時間で多種多様な訓練プログラムを組むのは困難だと言わざるを得ないのが実情だ。

 放課後の居残り補習を実施したくても、統合軍軍属ではない達也に、その権限は認められてはいない。

 嫌がらせ以外の何ものでもないが、現段階では手痛いマイナス要因であることに変わりはなかった。


(せめて、二年の頃から複合教育を実践していればな)


 内心で溜息を漏らすが、現状認識も国軍の存在意義も共に甘い地球統合軍では、それも仕方がないと(あきら)めるしかなかった。


 もう一つの難題は昨夜の夕食後に降って湧いた緊急事態に他ならず、ある意味では此方(こちら)の方が厄介だと言わざるを得ないだろう。


「あのね、あのねっ! さくら、もうすぐ五歳になるんだよぉ!」


 食後にリビングに場所を移したさくらが、満面に無邪気な笑みを(たた)えてそう切り出した。

 そう言われてみれば、クレアに教導して貰った初日の帰り道でそんな話を聞いていたな……と記憶が(よみがえ)った達也は大きく頷く。


「そういえば……うん、覚えているよ。確か今月末日だとママが言っていたなぁ。そうか、五歳か……おめでとう、さくら」


 膝の上に陣取る少女の頭を撫でてやると、さくらは(くすぐ)ったそうに目を細める。


「それで? 今までは誕生日はどんな風に過ごして来たんだい?」


 そう訊ねると、丁度食後のコーヒーを運んで来たクレアが答えてくれた。


「去年までは、私の両親が上海の自宅でパーティを開いてくれていました。『孫は娘の百倍は可愛い』が口癖の爺婆(じじばば)ですから、さくらを過保護にし過ぎて……母親としては心中複雑ですわ」

「なるほど。それは仕方がないさ……あれ? でも君の御両親はイギリス在住ではなかったかな? 以前そんな風に聞いたような気が……」

「正式な住居はイギリスですが、父が経営する会社が上海シティーにあって、その不動産を私物化しているのです……我が親ながら呆れてしまいますわ」


 急に歯切れが悪くなった彼女の様子から事情を察した達也は、それでも楽しげな笑みを浮かべた。


「良い事だよ。お孫さんを大切にしてくれる御両親なら、何があっても良い相談役になって貰えるじゃないか。恵まれていると喜ぶべきだよ」


 そう言われたクレアは、思わず頬を染めてはにかんでしまう。

 先日郷里に帰省して以降、随分と表情が柔らかくなった達也の笑顔を見る度に、胸のドキドキが抑えられないのだ。

 そんなクレアの心中には気付かない鈍感男は、腕を組んで思案顔だったのだが、名案を思い付いたと言わんばかりに破顔する。


「そうなると、僕はお邪魔虫だなぁ……そうだ! 一緒にお祝いは出来ないけど、何もないのでは寂しすぎるから、明日にでも買い物に出掛けようか?」


 御両親がいる場にまで顔を出すような厚顔無恥(こうがんむち)な真似はできない。

 そう考えた達也の気安い提案だったのだが……。


「ええぇ──っ!? そんなのやだぁ! 達也お父さんもパーティーするのぉ! プレゼントなんかいらないからぁ! だから一緒にパーティーするのぉ──っ!」


 大人の事情や思惑など理解する術もないさくらは、達也のパーティー不参加宣言に対し、珍しくも不満を(あらわ)にして猛然と反発する。

 すると、娘の癇癪(かんしゃく)に困り果てる達也を見かねたクレアが助け舟を出した。


「それじゃぁ、二十九日の木曜日に、白銀さんを招待してパーティーをしましょうか? ママがフルーツケーキを焼いてあげるから、それなら良いでしょう?」


 満額回答を提示してくれた母親に、さくらは途端に機嫌を直して礼を言う。


「やったあぁ──っ! ママ、ありがとうッッ!」


 膝上で一転して(はしゃ)ぐさくらをあやしながら、達也はやや呆れた顔をクレアに向けて一言。


「御両親の事をとやかく言えないんじゃないか? 君も娘に甘々だよ」


 非難する様なジト目を涼しい顔で完全スルーしたクレアは、見惚(みほ)れるような微笑みを浮かべ、達也の負け惜しみをシャットアウトする。


「厳しいだけでは母親は務まりませんわ。是非(ぜひ)一緒にこの娘の誕生日を祝ってやって下さい。ずっと夢見ていた(あこが)れが叶うのですから……」


 そう懇願されれば達也にその提案を断る理由はないのだが、いくらプレゼントは不要と言われても、ハイそうですかという訳にもいかない。

 結局、内緒でサプライズプレゼントを用意しようと決めたのだが、誕生日までは間がない上に授業の準備も山積みになっている。

 (まと)まった時間が取れるのは今日ぐらいしかない為、放課後に買い物に出掛けようと思い立ったのだ。


(ふむ。繁華街でなにか物色するか……毎度お人形では芸がないしなぁ)


 短時間でプレゼントを選ぶのは至難の(わざ)だが、そういう苦労も(たま)には楽しかろうと、心浮き立つ自分が可笑しく思えてしまう。


 残る問題はクレアやさくらから大切な肉親を奪った、五年前の新造艦隊襲撃事件についてだ。

 イェーガーやヒルデガルドの意見と状況証拠、そして断片的だが関連するのではないかと疑われる事案の数々。

 現状では確証なないが、間違いなく全ての事象が(つな)がっている筈だ……。

 そう、達也の勘が告げており、それは確信と言っても()(つか)えない確固たるものだった。


(なにか重要なピースが欠けているんだ……問題は地球統合軍の軍備開発に留まらない……他の惑星国家、最悪の場合銀河連邦がなんらかの形で介在している可能性が極めて高い。そうでなければ、問題の核心部が、これだけ巧妙に隠蔽(いんぺい)されているなど不自然極まりない)


 何かが足りない……その得体の知れない何かの正体を暴いた時……。

 その不明瞭な未来図に思いが(およ)んだのと同時に、背中に冷たいものが流れた気がして思わず身震いする達也だった。

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