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第十話 日雇い提督と母の恩愛 ⑤

「……納得いかない……絶対におかしいからッ!」


 (なか)不貞腐(ふてくさ)れて、ぶつぶつと文句を言う秋江。

 彼女が半眼で見つめる視線の先には……。

 遊戯部屋の床に座り込んだ達也の周囲で、十歳以下の子供達が隙間もないほどに群がって(はしゃ)いでいる光景があった。

 夕食後に披露(ひろう)した唯一の得意芸である手品が琴線に触れたのか、現在施設で生活している年少組が、(こぞ)って達也へと(まと)わりついているのだ。


 その子供たちの中には両親から虐待を受けていたとして、関係団体から受け入れを要請されて預かったばかりの子供らも混じっている。

 心に深い傷を負っている彼らは、入所以来(ふさ)ぎ込んだままで、秋江ら職員は(おろ)か院長の由紀恵にさえ心を開こうとはしなかった。

 普通ならば時間をかけて子供達の心の傷を(いや)し、徐々に信頼関係を築くのが常道なのだが……。


「自分の未熟さを棚に上げて俺を批判するなど百年早い。子供達は純粋な心の目で大人を見るのだよ? この子達が俺に(なつ)くのは当然の結果じゃないか」


 上から目線で勝ち誇る達也を(にら)みつける秋江は地団太を踏んで悔しがる。


「その()(ぐさ)っ! 意地悪なところっ! 達兄ぃのくせに生意気だよぉ──っ!」


 そんなふたりのやり取りを(なつ)かしそうに眺めていた由紀恵は、優しげな微笑みを浮かべながら秋江を揶揄(からか)う。


「そんな事を言ってぇ……秋ちゃんはもう忘れてしまったの? 貴女も此処(ここ)に来た時は、ぶすぅ~っとふくれっ面をして誰にも(なつ)こうとしなくて、随分と私達の手を焼かせたじゃありませんか……それが達也君には初見で打ち解けて……それからというもの、彼の後ろを何時(いつ)でも何処(どこ)でも付いて回るほど(なつ)いてしまったくせに」

「そうそう。あの頃の秋江の口癖は『大きくなったら達兄ぃのお嫁さんになるぅ』だったもんなぁ」


 由紀恵と正吾が笑いながら昔話をするのを聞いた秋江は、柳眉を吊り上げ耳まで真っ赤に染めて激しく抗議した。


「も、もうっ! お母さんっ、子供達の前で変な事を言わないで頂戴ッ! それに正吾ッ! あんた、覚えていなさいよ! 後でひどいからねぇっ!」


 それが照れ隠しなのは一目瞭然であり、子供達からも見透かされて笑われた秋江は、その原因を作った達也へ恨めしげな視線を向けて威嚇する。

 すると、膝の上に乗せた子供の頭を撫でてやる達也は、感慨深げな眼差しで妹分を見つめた。


「そんな秋江が正吾と結婚して一児の母親になっているとはな……立派だよ。俺なんか到底(およ)ばないほど立派だ。遅くなったが、ふたりとも結婚おめでとう……俺も本当に嬉しいよ」


 達也の祝福に不意を衝かれたのか、秋江は込み上げて来る感慨に涙を滲ませてしまい、慌てて口元を手で覆って嗚咽(おえつ)を我慢しなければならなかった。

 そんな妻に正吾が寄り()って肩を抱くと、秋江は精一杯の笑顔で礼を返したのである。


「あ、ありがとう、達兄ぃ……達兄ぃに祝福されるのが一番嬉しいよ」


 十四年間という時間の隔絶を少しづつ埋めていける喜び……。

 達也は帰郷して本当に良かったと、心の底からそう思うのだった。


            ◇◆◇◆◇


 まだまだ遊び足りないと駄々(だだ)()ねる子供達を寝かしつけるのは結構な重労働であり、正吾や秋江の日頃の苦労が分かった達也は素直に敬意を表した。

 とはいっても、言葉には出さずに心の中での称賛だったが……。

 この弟分と妹分を下手に()めたりした日には、調子に乗って何をしでかすか分かったものではない。

 過去の経験上、(ろく)な事にならないのを痛感している達也は、それ(ゆえ)()えて褒め言葉を口にしなかったのだ。


(その代わりに、何か気の利いた結婚祝いでも贈らなければな……)


 だが、さすがに意地悪が過ぎるかと少しだけ反省し、形あるプレゼントで感謝の気持ちに変えようと、胸の中のメモ帳に書き込んだのである。


 (ようや)く施設に静寂(せいじゃく)が訪れた頃、由紀恵と達也は応接室に場所を移し、疎遠(そえん)になっていた間の出来事について話し合う時間を持った。

 明日は明日で子供達の相手をしなければならないのは確定的だし、浮かれた正吾が同年代の卒園者達に片っ端から連絡を入れ、達也の帰省を報せたが為に……。


『明日は絶対にそっちに行くから、達也のアホを逃がすんじゃねぇぞッ!』


 ……という恫喝紛(どうかつまが)いの物騒な台詞を口にする連中が、大挙して押し寄せて来る事になってしまったのだ。

 そんな事情もあってか、落ち着いて話ができる時間が今夜だけになってしまい、正吾と秋江夫婦も同席を主張して譲らなかったが為に、年代物のテーブルを四人で囲んだのである。


「そう……そのガリュード様にはお礼を言わねばなりませんね。貴方を良い方向に導いて下さっただけではなくて、今日、私の元に無事に帰して下されたのですからね……どれほど感謝してもしたりないわ」


 施設を出てからの日々を独白する達也。

 結局、敵討(かたきう)ちは叶わなかったものの、ガリュードに厳しく叱責されて目が覚めた事を告げると、瞳を(うる)ませる由紀恵は心からの謝意を口にした。


「……あの方のお蔭でこうして母さんや、正吾、秋江達に再会できた。本当に感謝しているし、心から尊敬しているよ」


 しかし、感慨深げな達也とは裏腹に、胸に(わだかま)る不満を隠そうともしない秋江は厳しい声音で兄貴分を(なじ)る。


「それじゃあさっ……何でっ、何でその時に帰って来てくれなかったのさっ!? 十四年間だよっ! 私達をほったらかして何をしていたのよッ?」

「お、おい! 秋っ! やめろって。達兄ぃにだって、何か事情が……」


 正吾が妻の暴走に驚いて慌てて(いさ)めるのだが、自分の言葉で更に感情を(たか)ぶらせた秋江は、両目に涙を浮かべて鬱屈(うっくつ)した想いを吐き出す。


「事情ですって? そんなの私は知らないっ! 知りたくもないッ! でも、私の事なんかどうでもいいっ……母さんは……母さんが、どんな想いでこの十四年間を過ごして来たのか、達兄ぃに分かるのッ!?」


 達也は黙って妹分の叱責に甘んじるしかない。

 彼女とてこんな事を言いたい訳ではなかったのだが、それでも、達也には由紀恵の苦衷(くちゅう)を知っておいて貰いたかったのだ。


「毎日毎日、一日も欠かさず朝と夜に一時間づつマリア様にお祈りをしていたのよ……達兄ぃが無事でいるように、危ない目に遭わないようにってねっ! 自分が病気の時ですら誰が止めてもお祈りを欠かさなかったっ! それなのにぃッ!」


 どうしてもっと早くに帰って来てくれなかったのか……言葉にならなかった妹分の想いが達也の胸を打つ。

 すると、それまで黙っていた由紀恵が、両手で顔を(おお)って(すす)り泣く秋江の背中を優しく撫でて礼を言った。


「ありがとうね。秋ちゃん。でもね辛くはなかったわよ。残った皆が私を支えてくれたじゃないの。それに、いつからか御祈りの度に達也君との絆を感じるようになってね……だから、御祈りを止められなかったのよ」


 秋江を(なぐさ)める為とはいえ、突飛な事を言って微笑む由紀恵は、確かに達也の記憶にある優しくて愉快な院長先生だった。


「本当に申し訳ありませんでした……由紀恵母さん。秋江にも心配かけて、本当に済まなかった。それから、ふたりとも……母さんを盛り立てて良く頑張ってくれたな……俺の記憶の中のふたりは、ヤンチャなくせに泣き虫で、そんなお前たちが、母さんを助けてこのホームで働いてくれていた事が嬉しくて(たま)らないよ……正吾、秋江、ありがとうな」


 偽りのない真摯(しんし)な言葉に正吾までもが涙ぐんでしまう。

 秋江は照れ臭いのか、フイと横を向いて小声で(つぶや)いた。


「も、もう、いいよ……謝ってくれたし」


 本当に自分は幸せ者だと、達也は改めて思い知らされてしまう。

 だから、この素晴らしい家族には隠し事をせず、その時の気持ちを正直に話そうと思ったのだ。


「馬鹿げた妄執(もうしゅう)からは目が覚めたんだが、その時はもう手遅れだと思ったのさ。(すで)に、海賊や敵対した軍人を任務の名のもとにこの手で葬っていたし、俺の未熟な指揮の所為(せい)で部下や仲間を死に追いやってしまった……そう、数えるのも恐ろしくなるほど大勢ね……」


 苦い想いを噛み締めながらも、偽りない心情を吐露(とろ)する。


「由紀恵母さんに会わせる顔がないと思った……それ以上に、とっくに愛想を尽かされていると決めつけていた。だから匿名(とくめい)で毎月(わず)かばかりの送金をすることで、自分の罪悪感を誤魔化して来たんだ」


 すると、由紀恵は小さく(かぶり)を振って自分の想いを返した。


「確かに人と人が争うのは愚かな事です。でもね……達也君が戦うことで救われた命もたくさんあったのでしょう? だから貴方が信じた道を自ら(おとし)める必要はないわ……私は信じているもの。貴方は弱い者を守る為に力を使う事を知っている……私の自慢の息子ですからね」


 限りない慈愛を(たた)える由紀恵の言葉が、心を縛っていた呪縛を(ほど)いてくれる。

 全てが、自分の狭量(きょうりょう)な思い込みによる一人芝居だったのだと気付いた達也は、その熱を持った(まぶた)を手で覆うしかなかった。


 ただ、ただ嬉しかった。

 失ったと思っていたものが実は何も失くしてはおらず、全てが自分の中に残っていたのだと気付けた事が、堪らなく嬉しかったのである。


「母さんありがとう。僕は貴女の……由紀恵母さんの子供で良かった。これからは、どんなに忙しくても司令部に休暇願を叩きつけて帰省しますから。待っていて下さい」


 最後はおどけた顔でそう言う達也に笑顔で頷き返した由紀恵だったが、急に思い出したと言わんばかりに眉間に(しわ)を寄せて説教を始めた。


「やっぱり。あの名無しの寄付は貴方だったのね。駄目よ、あんなに沢山の金額を仕送りなんかして。貴方もこれから本気で結婚を考えなければならないのだから、ちゃんと貯金するなりしなさい」


 いきなり母親モード全開の由紀恵の勢いに達也はタジタジになる。


「わ、分かりましたよ、これからは気を付けますから……」

「本当ですよ? でないと今度は本気で怒りますからね」

「はい、肝に銘じて……しかし、あの木造平屋の施設が立派な建物に変わってしまって驚いたよ。行政から支援金でも下りたのかい?」


 達也が若夫婦に顔を向けて問うと、復活した秋江が得意げに胸を張って答えた。


「行政なんて当てにしてたら他の施設みたいに潰れちゃうわよ。さっきの名無しの寄付はきっと達兄いの仕業(しわざ)だって……あの当時の仲間達が言い出してね。皆が負けてなるものかぁ~~ってな具合で、此処(ここ)を出て就職してからも、色々と力になってくれているの」


 詳しく事情を聞いてみると、農家に(とつ)いだ娘たちは定期的にお米や新鮮な野菜を届けてくれたり、役所に勤めている者は補助金や納税の相談に乗ってくれたりと、マメに援助してくれているらしい。

 また、達也と同期だった男の子三人は、必死に働いて貯めた金で小さな工務店を設立し、その会社が北海道西部では結構名の知れた会社に成長したとの事。

 そんな彼らが尽力し、、新しい施設建設を格安で請け負ってくれたのだと言う。


「そうかぁ……皆、頑張っているんだな。明日逢えるのが楽しみだ。しかし、他の施設が潰れているというのは穏やかではないな? 俺がいたころは道西部だけでも十以上の養護施設があった筈だが? それに町全体が元気がないというか、寂しいというか……」


 決して耳障(みみざわ)りの良い話ではないので指摘し(がた)いのだが、達也は思い切って訊ねてみた。


「三年前の選挙で今の政府に代わってから、徹底した緊縮財政による予算の削減(さくげん)が行われてねぇ……うちの様な施設も補助金や交付金が大幅にカットされてしまったのよ。幸いうちは、秋ちゃんが言ったように卒園者の皆が応援してくれているから、何とかやっていけているけれど……」


 由紀恵が溜息を(こぼ)しながら物憂(ものう)げな顔でそう説明すると、若夫婦は憤りを隠そうともせずに語気を荒げる。


「財政の立て直しなんてお題目だけは立派だけれど、自分達の経済政策の失政には誰も責任を取らないで、予算を垂れ流して平然としていやがる! 昔と違って有益な資源が出なくなった北海道地区は寂びれる一方だ」

(しか)も、世論が批判的になれば『強引な銀河連邦支配が諸悪の根元だっ!』、とか言って論点をすり替え、自分達の地位に固執するクズ政治家ばっかだよ!」


 正吾と秋江は現統合政府に対してかなり批判的なようで、その言葉尻には明確な怒りが滲んでおり、施設運営に(から)んで行政側と嫌なやり取りがあった事が(うかが)えた。

 だが、達也にしてみれば腑に落ちない事ばかりだ。


(しかし変だな……太陽系に赴任する前にもらった資料では、各惑星の鉱産資源の産出量に減少は見られなかったし、輸出に問題があるとの報告も受けてはいない。人口はやや減少傾向とはいえ、財政の立て直しを迫られるほどの状態だとは思えないのだが……)


 頭の片隅に何かが引っ掛かったような不快感を感じて、思考に没頭しようとした矢先……由紀恵が別の話題を口にした為、達也は意識を会話に戻す。


「でも、どうして突然帰省する気になったの? あっ、変な意味ではないのよ……ただ、達也君は昔から頑固(がんこ)だったから、余程の事情があったのかなと思ってね?」


 気遣う様な由紀恵の顔と昨夜のクレアの悲痛な顔がダブって見えてしまう。

 彼女の言い分が正しかったのだと思い知らされた事で、改めて己の未熟さを痛感した達也は、階級などの軍機に該当する項目は避け、言葉を選びながら左遷された経緯から、親友の配慮で故郷の太陽系に配属されるよう取り計らって貰った事を丁寧(ていねい)に告白した。


「……それでもホームに帰省する決心がつかなくて、無為(むい)に日々を過ごしていたんだ。銀河連邦軍太陽系派遣艦隊は名目だけの《張子の虎》で、配備されている艦船はなくてね……暇を持て余していた所に、強制的に統合軍の士官学校で教官をやるようにと命じられて……」


 一旦言葉を切って、冷めかけた紅茶で喉を(うるお)す。


「そこで知り合った同僚の教官に手酷く説教されたんだ……自分を正当化する為に屁理屈を並べる俺を『母親を馬鹿にするなっ!』と一喝(いっかつ)して厳しく叱り付けてくれた……その時は腹が立ったが、後で冷静になって考えて恥ずかしくなってね……」


 己の言葉によってあの時の悲痛なクレアの顔を思い出した達也は、胸を刺す様な痛みを覚えずにはいられなかった。


「適当に迎合しておけば波風は立たないのに、俺の為に()えて厳しい言葉をかけてくれた彼女を俺は傷つけてしまった……謝罪するにしても、逃げ続けて来た問題に向き合わない限り、今度は彼女に会わせる顔がない……そう思って、やっと訪ねる勇気が持てたんだ」


 由紀恵は口元を(ほころ)ばせて黙って聞いていたが、好奇心に瞳を輝かせる秋江が声を(はず)ませて訊ねてきた。


「ねえ、ねえっ! 達兄ぃっ! その女の人は恋人なの?」

「馬鹿な……マンションのお隣さんというだけだよ。偶々(たまたま)、彼女の娘さんと仲良くなってね。その縁で親しくさせて貰ってるだけさ」

「なんだ、人妻さんなのかぁ……ちょっと残念」


 軽く一蹴されてガッカリだと言わんばかりに落胆する妹分に対して、これ以上の情報開示は危険過ぎると判断した達也は口を閉じた。

 クレアが未亡人だなどと口を(すべ)らせれば、お調子者の秋江から根掘り葉掘り問い質されるのは明白であり、痛くもない腹を探られるのは御免だと平静を装う。

 だが、しらばっくれてやり過ごそうとした達也の考えは甘すぎた。


「それじゃあさ、達兄ぃ。その女性(ひと)の写真か何かないのかい? 達兄いのような強面(こわおもて)を平気で叱り飛ばす女性なら、きっと(たくま)しい女傑なんだろうね?」


 今度は正吾が興味深々という顔で写真はないのかとせっついて来る。

 その()(ぐさ)がクレアを卑下しているように聞こえ、少々腹立たしさを感じた達也は、先日さくらにせがまれて撮った母娘のスナップ写真が携帯端末に記録してあるのを思い出し、軽い気持ちでふたりに見せてやった。

 しかし、それが大失敗だったのだ。


「……うわぁぁっ! 凄い美人……娘さんも愛らしいなぁ~~」

「この女性(ひと)実在の人物なのぉ? 実は人間じゃなくて女神様だと言われても、私は信じちゃうわ」


 オーバーな感想を述べた正吾と秋江は顔を見合わせるや、深々と重い溜息を漏らして肩を落とす。

 そして夫婦して達也を(あわれ)みの目で見るや、キレイなハーモニーを奏でたのだ。


「「絶対に無理。達兄ぃとでは《美女と怪獣》だよ。焦らなくてもいいじゃん! 絶対にいい人が見つかるから力を落とさないでね!」」


 ぷっつ~~ん! 

 一瞬で堪忍袋の緒が切れた達也の怒声が室内に響き渡る。


「余計なお世話だバッカ野郎ッ! 自分達が結婚したからといって勝ち誇ってんじゃねぇぞッ! お前達なんかさっさと寝てしまえぇッ!」


 十四年ぶりの癇癪(かんしゃく)に二人は肩を(すく)めながらも、本当に嬉しそうな顔で応接室を飛び出して行くのだった。


「本当に困ったもんだ。何処(どこ)で人を揶揄(からか)う事など覚えたのやら。十四年前はもっとこう……なんて言うか、可愛げがあったんだけどなぁ~~」


 そう達也はボヤいてみせたが、内心では冷や汗ものだ。

 (かん)の良い由紀恵に、クレアに対する不確かな感情を見透かされたくはない……。

 そんな想いが不自然な言動になって表れてしまう。

 しかし、そんな思惑などお見通しの由紀恵は、優しい声音で核心部分をズバリと突いて問い(ただ)すのだった。


「それで、本当の所はどうなのかしら? その写真の女性とは、もう将来の約束をしているの?」


 その確信した物言いに狼狽(ろうばい)した達也は、そうではないのだと弁解しようとしたのだが、しどろもどろになって上手く言葉が(つな)がらない。


「ど、どうと言われても……その、さっきも言った通り……」

「馬鹿ねぇ。貴方は昔から嘘をつくのが下手な子だったわ……そんな言い訳が私に通用するとでも思ったのかしら? これでも、私は貴方の母親ですよ。うふふふ」


 嬉しそうに微笑む由紀恵の仕種(しぐさ)何処(どこ)か得意げであり、達也は溜息を漏らすや、早々に観念して白旗を上げるしかなかった。


「いやぁ、(かな)わないなぁ……でも本当に母さんが思っている様な関係ではないよ。親しい間柄というだけで……でも、どうしてそんな風に思ったんですか?」

「理由は簡単よ。この母娘の表情がとても幸せそうな笑顔だったから……この写真を撮ったのは貴方なのでしょう? ふたりの貴方に対する想いが感じられる素敵な笑顔じゃないの……旦那様がいらっしゃる人妻が、他人の男性にこんな優しい笑みを向けるなんて有り得ないわ……それとも、達也さん? 貴方この女性と不倫でもしているのかしら?」


 一転して意地の悪い追及を受けた達也は、慌てふためいて顔を左右に振り立てるや懸命に否定する。


「ば、馬鹿な事を言わないでくださいよ! この女性、いやクレア・ローズバンクさんは、そんな破廉恥(はれんち)な女性ではありません。実は……」


 誤解されては(たま)らないので、彼女との出会いから今日までのことを、さくらとの交流も交えて差しさわりのない範囲で説明した。

 彼女が(すで)に夫を亡くした未亡人であるという事に驚かされたものの、今回の帰郷を御膳立てしてくれたのがクレアだったと知った由紀恵は、心の底から彼女に感謝したのである。

 それと同時に、彼女が達也に対して好意を(いだ)いているのも朧気(おぼろげ)ながらだが察してしまった。


(本当に困った子だこと……もう少し他人からの好意に敏感になってくれないと……とは言え、変に()き付けると意固地になってしまうし。はあぁ……どうしたものかしら)


 女心に鈍感な我が子の体たらくに内心で溜息をつきながらも、由紀恵は(さと)すように言い聞かせる。


「私が心から感謝していたとクレアさんに必ず伝えてちょうだい。それから彼女を傷つけたとか怒らせてしまったなどと変な勘違いをしては駄目よ……この方は貴方が思っているよりも強い女性です。厳しく接する事で自分が憎まれるよりも、臆病な貴方の背中を押すのを優先してくれた素晴らしい女性なのですからね」


 由紀恵の言葉に達也は微塵も反論できなかった。

 全てを失う覚悟で此処(ここ)までやって来て知ったのは、クレアの言い分こそが正しかったという事実なのだから……。


「人間関係で一番大切なのは、相手に対する理解と信頼、そして思い遣りの心よ。それは男と女の関係であっても同じこと……自分の気持ちを言葉にして相手に伝えなさい。格好良くなくてもいい……お洒落(しゃれ)な言葉でなくてもいいの……ただ貴方の気持ちが(こも)った言葉であるのならば、それだけでいいのよ……」


 クレアの涙に濡れた顔を思い出し忸怩(じくじ)たる思いでいた達也は、その言葉に救われた気がして、心の重荷が少しだけ軽くなったように感じた。


(母さんの言う通りだ……俺は彼女の気遣いに(つば)を吐いたまま逃げだした様なものだ。あの時、彼女がどんな気持ちで俺を叱り付けたのか、少し考えれば分かった筈なのに……素直に謝ろう。そして感謝を伝えよう)


 そう決めた途端、自然と口元が(ほころ)んでしまう。


「こら! ちゃんと私の話を聞いていますか? 達也君っ!?」


 その笑みを不謹慎(ふきんしん)だと思ったのか、眉根を寄せる由紀恵の仕種(しぐさ)すら懐かしいものに思えてしまい、叱責されているにも(かか)わらず、達也は満面に笑みを浮かべていた。


「やはり帰って来て良かった……母さんと話が出来て本当に良かった! これからは出来るだけ時間を取って顔を出すから……もっともっと叱って下さい」


 そう宣言して破顔する達也に、由紀恵も目を細めて微笑み返したのである。

◎◎◎

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[一言] 良い母ちゃんを持ったな、たっくん(ォィ
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