第十話 日雇い提督と母の恩愛 ②
「どういう事かッ! 今ならば白銀の虚を突くのも容易いであろうが?」
暫くの間は積極的に謀略を仕掛けるのは控えるべきだと上申した参謀長を、ユリウス・クルデーレ大将は激昂して怒鳴りつけた。
災難を一身に受けなければならない彼は激しい罵倒に竦み上がり、緊張がすぎて噴き出た汗も拭えずにオドオドと弁明するしかない。
「た、確かに白銀大将閣下が……」
「下賤の輩を閣下などと敬称で呼ぶ必要はないわッ! この馬鹿者めがぁッ」
「もっ、申し訳ありません! お、お許しくださいクルデーレ大将閣下!」
従順なだけが取り柄の参謀長が脅える様子を見て少しは溜飲が下がったのか、ユリウスは執務用の豪奢な椅子に身体を預けるや報告の続きを促す。
「し、白銀が正式に西部方面域司令官に任命され、新旧艦隊の交代式が行われる前に海賊に偽装して太陽系内を撹乱せしめ、新司令部と統合軍の間に楔を打ち込むという策は、決して悪くはないと愚考いたします……」
一旦言葉を切った彼は、卑屈な視線で上官の顔色を窺いながら報告を続ける。
「しかしながら、太陽系派遣艦隊司令部から海賊艦隊の正体を疑問視する詰問状が届いております……然も、今回の謀略が現西部方面域駐留艦隊の意向ではないかと疑っている節が見られるのです」
その声音には白銀達也の慧眼に対する明確な畏怖が含まれていた。
譬え、派閥的に敵対しているとはいえ、参謀長ともなれば、白銀達也が如何なる戦果実績を積み重ねているのか知らない筈はない。
だからこそ、仕掛けた策謀に迅速に対応して見せた達也へ恐怖心を懐き、諫言に及んだのだ。
「ちいッッ、白銀めっ! 地べたを這うムシケラの分際でぇッ!」
周囲からはライバルと目されている男の卓越した能力を認めたくもないユリウスは、苛立たしげに舌打ちして悪態をつく。
ユリウス・クルデーレと白銀達也は、銀河連邦宇宙軍内では、何かと比較される間柄だった。
片や上級貴族出のエリート士官と一方は平民出の傭兵特別士官。
身分と立場の違いを考えれば、彼らが軍内で栄達を競うなど有り得る筈もなく、そんな夢物語を予見した者は誰一人としていなかったのである。
しかし、その認識を覆らせたのは、数多の任地を転戦する中で、達也が成した驚異的な戦果と、軍政官としても一流という彼自身の実力に他ならない。
特に達也が准将に昇進してからは、貴族派のホープであるユリウス対民生派希望の星・白銀達也という構図で対立を煽る輩までもが現れる始末で、ユリウスの不快指数は上昇する一方だった。
ユリウスにしてみれば、何処の馬の骨とも知れない平民と同列に語られるだけでも耐え難い屈辱であるのに、『軍人としての能力は白銀の方が数段上』という評価が軍内で囁かれるに至っては、体面を慮って鷹揚に構えている訳にもいかなくなったのだ。
その結果、達也に対して激しい憎悪を滾らせて嫌悪しているという次第なのだが、忌み嫌われているとの自覚がある達也も、ユリウスに対して良い感情を懐いている訳ではなかった。
まさに二人は水と油の間柄なのである。
思い通りにならない現状に歯噛みするユリウスは、苛立たしげな口調で参謀長に命令した。
「構わぬ! 証拠さえ残さなければどうという事はあるまい! 引き続き撹乱作戦を続行させよッ!!」
腰巾着と陰で揶揄されている参謀長だけに、癇癪持ちの上官の反応はある程度予見してはいたのだが、だからこそ諫めなければ、ユリウスだけではなく彼に付き従う自分や仲間達の未来までもが破綻しかねない……。
切羽詰まった参謀長は眦を決するや、懸命の意見具申を試みた。
「それは無謀であります。今回の西部方面域の人事について、最高評議会より詳細な報告を求められておりましたが……最高評議会議員に復帰あそばされましたアナスタシア・ランズベルグ様より、更に厳しい詰問状が届いております。あの御方を敵に廻しての小細工など、露見すれば閣下にとって致命傷になりかねませんっ! どうか、どうかっ! 今回は耐え忍ばれませッ!」
思ってもみなかった人物の登場に憤激したユリウスは顔を歪めて舌を弾く。
(くそぉぉッ! あの婆めぇ~~ガリュードの爺同様に出しゃばりおってぇッ! 卑しい平民に肩入れするなど七聖国の名が泣こうと言うものをッ!)
心の中で罵詈雑言を吐き散らすユリウスだったが、部下の言い分に理があるのは認めざるを得ず、断腸の思いでその諫言を受け入れたのである。
(見ているがいい、白銀ッ! 得意絶頂の瞬間に地獄に叩き堕としてくれるッ! 楽しみにして待っておれッッ!)
狂気が笑みとなって浮かんだ上官の顔を目の当たりにした参謀長は、恐怖と同時に得体の知れない不安を感じて身震いするのだった。
◇◆◇◆◇
クレアと志保が受け持っている二年生の候補生達は、初のヴァーチャルシステム体験に恐懼感嘆してしまった。
システムや訓練内容に対する評価や感想も上々で、身体に異常を訴えた者も皆無とあって、候補生達全員が訓練の継続を希望したのだ。
そして、午後の特別授業を終えた達也は、クレアと志保、そして彼女らの教え子達のパーソナルデーターをメインコンピューターに登録し、乗艦許可と艦内を移動してもセキュリティに触れないパスカードを作成した。
それは、このカードさえあれば自分が不在時でも問題なく訓練が行えるし、授業の効率も上がるだろうという達也なりの配慮に他ならない。
しかし、その作業の所為で何時もより帰宅が遅れてしまい、さくらに待ち惚けをさせてしまったのでないかと思い、申し訳ない気持ちが膨らむのだった。
だが、エレベーターを降りたのと同時に目の前の玄関ドアが乱暴に開け放たれ、そのさくらが飛び出して来たものだから、驚いた達也は何事かと身構えてしまう。
すると、癇癪を爆発させたさくらが、室内に向かって悲痛な叫び声を放つではないか。
そんな少女の姿を初めて目にした達也は、唖然とするしかなかったのである。
「ママなんか大っ嫌いぃッ! さくらは悪くないもんッ! ばかぁッ!」
激情を吐き出した少女が自分に気付くや否や、顔をくしゃくしゃにして泣きじゃくりながら抱きついて来た。
状況が理解できずに困惑するしかない達也だったが、その小さな身体を受け止めて優しく背中を撫でてやる。
「おや、おや。どうしたんだい、さくら? 何かイタズラをしてママに叱られたのかな?」
少しでも場を和ませようとした問いに、少女は胸に押し付けた顔を激しく左右に振って否定の意思を露にするが、それだけでは事情を察せられる筈もなくホトホト困り果てた時だった。
「待ちなさいっ、さくらっ! まだ話は終っていませんよ! あっ……」
今度は怒りを露にしたクレアが娘を追って飛び出して来たのだが、目が合うのと同時に立ち竦んで口籠ってしまう。
如何にも決まりが悪そうな彼女を見た達也は、苦笑いしながらも、極めて穏やかな声で母娘に提案した。
「ただいま。此処ではなんだから、部屋の中で話さないかい? ねっ? さくらの話もちゃんと聞くから」
その提案を断れない母娘は、黙ったまま小さく頷き返すしかなかったのである。
◇◆◇◆◇
取り敢えず三人はローズバンク家のリビングに場所を移したのだが……。
長椅子に腰を降ろした達也の隣に陣取ったさくらは、不機嫌さを隠そうともせずにそっぽを向いて拗ねてしまっている。
達也はそんな少女の頭を優しく撫でてやるが、機嫌が上向く気配は一向になく、頑なに無言を貫いたままだ。
(これは余程の事があったのかな?)
さすがにこれでは事情など分る筈もなく、達也は経緯を説明してくれるクレアの言に耳を傾けたのだが、彼女の話を聞く限り原因は実に他愛ないものだった。
仲の良い女の子が同じクラスの男の子にイジメられたのをさくらが庇ったのだが、その仲裁の過程で話が抉れ、今度はさくらとその男の子とが大喧嘩になってしまったらしいのだ。
然も、男の子の方が怖じ気づいたのか将又さくらが強かったからか、相手の子が泣いて逃げ出すという番狂わせで喧嘩は幕を閉じたのだという。
「……放課後、さくらを送ってくれた保育士の先生から事の顛末を聞かされて、呆れるやら情けないやらで……然もこの娘ったら、相手の男の子に謝罪もしてないそうで……」
その男の子も大した怪我を負った訳ではないとはいえ、それで済む話でもない。
どんな事情があったにせよ、問題を解決するために愛娘が暴力に訴えた浅慮は、厳しく叱ってでも正さねばならない……。
だが、当のさくらは『自分は間違っていない』の一点張りで、母親の説教にさえ反発する始末。
さすがに温厚なクレアも苛立ち、声を荒げてしまったという次第だった。
「さくらは、悪くないもん……ぜんぶ、あいつが悪いんだもんッ!」
ぷいっ、とそっぽを向いたまま不機嫌オーラ全開で嘯く愛娘の意固地な態度に、クレアは柳眉を吊り上げて再び声を荒げる。
「さくらッ! まだ、そんな事を言うのっ? どんなに腹がたっても、友達に暴力を振るっては駄目だと、いつも言って聞かせているでしょう?」
「そんなの関係ないもん! さくらは絶対に悪くないッ! ふぅっ、うぅぅ~~」
叱責されたのが不本意だったらしく、再び涙腺を決壊させたさくらは達也にしがみ付いて咽び泣いてしまう。
「白銀さんに甘えてもママは許しませんからねっ!って……えっ?」
愛娘の反抗的な態度が腹立たしくて再び語気を強めて叱責しようとしたクレアだったが、『落ち着くように』と仕種で達也に制されば口籠らざるを得ない。
だが、不承不承ながら従ったものの、彼女は頬を膨らませて愚痴を零した。
「もうっ!? 白銀さんは……直ぐにさくらを甘やかして……」
「ははは。一応事情は分かったからね。でも、この娘の言い分も聞いてやらなければ不公平だろう?」
クレアから向けられる『困った人ね』とでも言いたげな非難の眼差しに冷や汗を掻きながら、改めてさくらを膝の上に座らせた達也は、少女の顔を覗き込んで口元を綻ばせた。
優しい微笑み……大好きな顔がすぐ目の前にあるのを見たさくらは、直ぐに泣き止んだのだが、何処か困った様な表情で顔を背けてしまう。
「さて、さくら……君がとても優しい娘だというのを僕は知っているよ。だから、イジメられている友達を助けようと勇気を振り絞ったのは立派だと思うし、心から嬉しいと思っている……でも、どうしてその子と喧嘩になってしまったんだい? 何か理由があるのだろう?」
「そ、それは……あ、あるけど……でも、でも……」
達也の問い掛けに可愛い顔を歪めるさくらは唇を噛んで口籠ってしまう。
何かを告白して自分が正しいのだと言いたいのだが、言えない……。
そんな相反する感情を持て余して葛藤し、苦しんでいる様に達也には見えた。
しかし、愛娘の苦悶の表情を目の当たりにしたクレアは、何時もとは様子の違うさくらの異変に気付いて戸惑ってしまう。
(何かが……さくらにとって耐えられない何かがあったんだわ……でも、それ自体を口にしたくないように見えるのは何故なのかしら?)
聡明なクレアは愛娘の表情からそう察したのだが、肝心の何かについては考えが及ばず、胸に芽生えた焦燥感に歯噛みする思いだった。
一方のさくらはどうしても本当の事を口にする気にはなれず、俯いたまま頑なに唇を結んで我慢するしかない。
すると太い両腕で優しく抱きしめられ、大きな手で後頭部と背中をそっと慈しむように撫でられたのだ。
その優しい温もりに驚いて顔を上げると、そこには温かい微笑みを浮かべた達也の顔があった。
そして……。
「そうか……僕の事を悪く言われたんだね? よく一緒に遊びに行っていたから、何処かで僕達の姿を見られたんだろう? それで揶揄われたんじゃないのかい?」
その達也の言葉にさくらは元よりクレアも驚いて目を見開いてしまう。
「ど、どうしてぇ……分かっちゃうのぉぉ?」
「そりゃあ分かるさ。大好きなさくらの事だからね」
自分の気持ちを分かって貰えるという安堵感と、抱き締められて直接伝わる達也の温もりが、さくらの躊躇いと痩せ我慢を雲散霧消させる。
再び達也の胸に顔を埋めたさくらは、啜り泣きながら胸に秘めていた想いを吐露するのだった。
「『オマエにはパパが居ないくせに』って言うんだもんッ! 『いるよっ!』って言ったら『あいつはニセモノじゃないか!』、って馬鹿にしたんだもんッ!」
その独白を聞いたクレアは、漸く愛娘が本当のことを口にしなかった理由に思い至ったのである。
(白銀さんに知られたくなかったのね。この娘は彼を本当の父親同然に慕っているから……だからこそ、偽物呼ばわりした男の子を許せなかったんだわ)
事情を理解したクレアが沈黙する中、達也は笑顔のまま口を開く。
「そうか……ありがとうね。僕を庇ってくれてとても嬉しいよ。でもね。君の本当のパパは、お空の上から君を見守ってくれているんだ。それはこれからも変わらないし、僕は本当のお父さんではないけれど、君を大切だと思う気持ちならパパにも負けないつもりだよ」
その優しい声音に強張った身体が徐々に解されていくような気がして、さくらは心の底から嬉しいと思った。
「だからね、他人から何を言われても気にする必要はないんだ。さくらを見守っているパパも、僕も……君を大切な娘だと思っているのだからね」
その言葉を噛み締めるように、さくらは何度も何度も頷いたのである。
「さくら。今、僕に抱き締められて、どんな感じだい?」
「う、うん……温かいの……お父さんの手がとっても……温かい」
「そう温かいね。こんな風にお互いに温もりを伝え合い仲良くする為に人間の手はあるんだよ……だからさくらも、人を殴るようなことにこの手を使っちゃ駄目だ。相手が悪いからと暴力を振るって人を傷つけていると、さくらの手から優しさが 逃げちゃうぞ?」
「えぇ~~そんなのやだぁぁ……さくら、我慢する。もう叩いたりしないよ!」
そう言い募る愛娘を見てクレアは安堵すると同時に、今回も見事な説得でさくらのポイントを稼いだ達也に感謝と少しばかりの嫉妬を懐いてしまう。
一方の達也は少女から暗い影が消えているのを察して安堵し、今なら大丈夫だと確信して軽く拳骨を落とした。
「あうぅっ! な、なんでぇ~~?」
可愛らしい悲鳴と共に眉毛を八ノ字にして不満顔のさくら。
痛くはないと分かってはいても、心配げな顔でふたりを見守るクレア。
そして、顔から笑みを消した達也は、声を厳しくして少女を叱るのだった。
「今の拳骨は悠也パパからのお仕置きだよ。さっき、さくらはママの事を悪く言ったね……『大っ嫌い! ばか!』、と言っていた。これは絶対にいけないことだ。ママはこの世界中で一番、さくらの事を愛して大切に思っているんだ。愛しているからこそ、君が間違わないように叱ってくれるんだよ?」
懇々と幼子に言って聞かせる達也を見たクレアは胸が熱くなる気がした。
(やっぱり、敵わないなぁ~~まるで彼の方が本当の親みたい……)
「さくらが何時も自慢していたように、君のママはとても素晴らしい母親なんだ。だから悪く言ったりしないで欲しい。そして将来はママのような素敵な女性になりなさい……それが悠也パパと僕からのお願いだよ……分かったかい?」
達也の台詞にクレアは思わず赤面して心の中で悲鳴を上げてしまう。
(そ、それは褒め過ぎです! 恥ずかしすぎて聞くに堪えませんからぁッ!)
一方のさくらは小さく頷くと、うんしょ、うんしょと自力で達也の膝から降りて母親の前まで行くや、もじもじと躊躇いながらもペコリと頭を下げた。
「ママ、ごめんなさい……さくらが間違ってた。もう暴力はしないし、ママの事も悪く言わない……だから許してくれるぅ?」
愛娘の不安げな眼差しが愛おしくて、クレアは微笑み返して優しく抱きしめたのである。
「ええ、勿論よ。さくらが分かってくれるのならばそれでいいのよ……良かったね、素敵なパパとお父さんがいてくれて?」
「うんっ! さくらは、パパもママも、そして達也お父さんも大好きだよぉッ!」
漸く何時もの愛くるしい笑顔が戻ったさくらと、嬉しそうに微笑むクレアの姿を見て達也は心から安堵していた。
(少しは、父親の真似事ができたのだろうか? 軍人の俺が口にするには不似合いなお説教だったがな……)
胸に拡がる痛苦を悟られないように取り繕った微笑みを浮かべた達也は、暫らく母娘のじゃれ合いを黙って見ているしかなかった。
軍人としての矜持こそが、達也を苦しめているモノだと見抜いたクレアの慧眼は、まさに正鵠を射ていたのだ。
そして、それが原因となり達也は人生の大きな転機を迎えるのだが、今の彼には知る由もなかったのである。




