第九話 点在する謎 ④
部屋に駆け込んで来たさくらは、ヒラヒラの服装を着た女性客を不思議そうな顔で見つめながら立ち尽くしている。
呆然としているのは達也もヒルデガルドも同じだが、硬直した三人のなかで最も早く立ち直ったのは、やはり、さくらだった。
「わあぁ~~~っ! きれいで素敵なお姉さんだぁ! フリフリのお洋服がとってもかわいいよぉ! あ、初めましてっ、お姉さん。わたしはさくら・ローズバンクっていいますっ!」
ヒルデガルドは黒を基調にしたゴスロリ風のドレスを纏っており、彼女の実年齢を知らないさくらが、大好きなアニメに出て来る魔法少女だと勘違いして興奮したのも已むを得ないだろう。
その一方で愛らしい少女から最大級の褒め言葉を貰った上に、礼儀正しくペコリと頭を下げられたヒルデガルドは、だらしない位に相好を崩しまくり、その可愛らしい頭をナデナデしながら精神的に雲の彼方まで舞い上がってしまう。
「オホォーーッッ!? 何だいこのプリティーな生き物はぁ……おまけにセンスも良くて素直なのが最高だよぉぅ! ボクはね、ヒルデガルド・ファーレンって言うのさ! よろしくね、さくらっち。 達也、達也ぁ~~? 勿論、お持ち帰り有りなんだよね? オールオッケ―なんだよねんっ!? 金に糸目はつけないよっ! この少女は幾らなんだいッ?」
とんでもない台詞を口走り、爛々と瞳を輝かせるマッドサイエンティスト。
達也は暴走するヒルデガルドから強引にさくらを奪い返すや、棘のある声で全力否定した。
「冗談は止して下さいッ! そんな筈がないでしょうがッッ!」
「何だい! 何だいッ! こんなに愛らしいプリティーエンジェルを独り占めする気かい? 君は何時から本物のロリコンに堕落してしまったのさぁ? お姉さんは悲しいよ! プンプンだよッッ!」
「誰がロリコンですかっ!? 然も三百歳オーバーの婆さんのくせに、お姉さんが聞いて呆れますよ? はんっ!」
「ああぁぁぁぁぁッ! 言ってはならん事をぉッ! ファーレン人にとって三百歳なんて幼女と同じなんだぞぉ! 表に出ろっ、白銀達也ぁ! 今日こそ、その増上慢っ! 叩き潰して泣かせてやるよぉッ!」
「ほおぅ……いいでしょう。俺にも含む所はありますからねぇ! どちらが泣きを見るのか、今回こそたっぷりと教えて差し上げますよ、殿下!?」
二人の間で板挟みにされたさくらが、『けんかしちゃ、駄目だよぉ』とオロオロしながらも仲裁しているのだが、エキサイトしているふたりの耳には届かない。
まさに睨み合う二匹の獣が実力行使に及ぼうとした瞬間だった。
「白銀さん! 年下の女の子に声を荒げるなんて何事ですかっ! 然も、こんなに可愛いお嬢さんに『お婆さん』だなんて、失礼にも程がありますわよ!」
リビングの入り口から響き渡った叱責の言葉がその場の全員を震撼させ、部屋の温度が大幅に下がったのではないかと錯覚した達也は震え上がってしまう。
振り向けば柳眉を逆立てた怒りの形相のクレアが、不届き者を睨みつけ仁王立ちしているではないか。
その眼光に射竦められた彼は、《蛇に睨まれた蛙》そのものであり、先程までの威勢は消え失せ、しどろもどろになって言い訳をする為体だった。
「い、いや……違うんだ。そ、それは君の勘違いで……」
「何が勘違いですかっ! こんな幼気な少女に暴言を浴びせるなんて……トラウマにでもなって、この娘の将来に差し障りでもあれば、どうやって責任を取るつもりなのです? 貴方が虐待容認派だとは知りませんでした! 見損ないましたわ!」
速射砲の如き激しい言葉の弾幕にハチの巣にされた達也は、言い訳も儘ならずに消沈して項垂れるしかない。
しかし、そんな二人のやり取りを驚きの眼差しで見ていたヒルデガルドは、大袈裟に噴き出すや、その場でお腹を抱えて笑い転げるのだった。
「な、何だい達也!? まるで女房の尻に敷かれた駄目旦那そのものじゃないか! ひいぃぅぅ、うふふふっ! きゃはははははは!!」
最悪の相手に弱みを握られた達也は、暗澹たる未来を憂い、げんなりした表情で深々と溜息を吐くしかない。
だが、そんな二人を見てキツネに抓まれた様な顔をする母娘は、訳が分からずに小首を傾げるしかなかったのである。
◇◆◇◆◇
「ほ、本当に失礼いたしましたっ! 誠に不勉強で……恥じ入るばかりですわ」
達也と並んでソファーに腰を降ろしたクレアが、恐縮しきりの体で己の勘違いと無作法を詫びる。
先程まで眼前で笑い転げていた少女が、七聖国の一柱ファーレン王国の次期女王候補筆頭であり、現在はGPOの最上級捜査官をしている貴人である……。
そう、達也から説明されたクレアのショックは計り知れず、平身低頭で謝罪しているという次第だった。
だが、ニコニコ顔のさくらを膝の上に乗せてあやすヒルデガルドは気にした風もなく、何時もの砕けた口調で笑い飛ばす。
「そんなに畏まる必要なんかないさ。七聖国の王族や貴族なんか大したものではないよ……寧ろ、クレア君。君の方がボクなんかよりも何倍も偉大な存在かも知れないと思うなぁ。だって、あの自堕落魔王、穀潰し大王と恐れられた白銀達也を更生させるなんて、銀河系史に名を残す偉業だと言っても良いくらいだよん!」
そう言ってケタケタ笑うヒルデガルドと、不本意極まるといった顔で不貞腐れる達也。
そんなふたりを前にしたクレアは、どんな顔をすれば良いか分からず、唯々恐縮して曖昧な微笑みを浮かべるしかなかった。
すると、頭を撫でてくれるお客様が気に入ったらしく、さくらが嬉しそうな顔で秘密を告白したから堪らない。
「あのねっ! 達也お父さんは、ママに、すぅ~~~っごぉく怒られたの。お掃除しないのなら、さくらと遊ぶの駄目って言われてから、一生懸命お掃除してくれるんだよ! だから、さくらは達也お父さんが大好きなのぉ!」
「ほう、ほう! そんな裏話がねぇぇ~~。さくらっちぃ! ぜひぜひぃ、ボクにその時の様子を詳しく聞かせてくれ給えよ」
「うんっ! いいよぉ!」
「こ、こらっ、さくらっ! お願いだからママに恥を掻かせないでぇぇ」
破顔する愛娘とは対照的に顔を赤くするクレアは慌てて娘に懇願する。
その一方で達也はというと、渋い表情で事態の推移を見ているしかなく、羞恥と歯痒さに苛まれて泣きたい気分だった。
ヒルデガルドは完全精神生命体だ。
高度な技術で作られたアバターに憑依しているため、外見こそ普通の人間と変わらないが、相手の精神波に干渉して記憶を読み取るなど朝飯前だ。
とは言え、無差別にそんな無作法な真似をするファーレン人など滅多にいるものではない。
しかし、知的好奇心を満たすためならば、如何なる良識も投げ捨てて然るべきと考えるヒルデガルド以外は……という注釈付きではあるのだが。
今も膝に抱っこしたさくらから相当数の情報を取得しているのがありありと見て取れて、達也は恥辱に身悶えする思いだった。
「グフフフ……た・つ・や・クン! 随分とハートフルでラブリーな体験をしているんだねぇ~~ピュアなボクは赤面してしまいそうだよぉぅ!」
「クッッ、い、一生の不覚っ……」
決定的な弱みという名のビッグデーターを手にしたと勝ち誇るヒルデガルドは、追撃の言葉責めで達也を嬲る。
そしてどうやって虐めてやろうかと、喜色満面の体で舌舐めずりするのだった。
だが、流石にそれまで我慢していた欲求が限界に達した彼女は、喉を擦りながらクレアに視線を向けて懇願する。
「まあ、楽しみは後に取っておくとして……クレア君。申し訳ないがお茶でも貰えないかなぁ……この朴念仁は客に茶の一杯も出さないんだからね! さすがに喉が渇いてしまったよん」
一転して不満げに悪態をつくヒルデガルドの要求を受けたクレアは、それならばと遠慮がちに申し出た。
「あのぉ……時間も時間ですし、もしも殿下が宜しければ、御夕食を一緒に如何でしょうか? 粗末なものしかございませんし御口に合うかは分かりませんが……折角の機会ですので」
クレアにしてみれば無礼を働いた罪滅ぼしのつもりだったのだが、ヒルデガルドにとっては渡りに船の提案に他ならず、破顔してその厚意を受けた。
何故ならば、抱き締めているさくらという少女に正体不明の違和感を感じ、心の中で珍しく狼狽していたからである。
(これは、変だ……この娘の中には別の何かが? 巧妙にカムフラージュされてはいるが……ふむ、もう少し情報を集める必要があるね)
微かに感じた違和感の正体を探る為にも、暫くの間さくらと接触する必要があると判断し、その意図を悟られない為にも、クレアからの提案を殊更に喜んで見せたのだ。
「オオォゥッ! 君は素晴らしい女性だよっ。喜んで御馳走になろうじゃないか。だが《美食の女王》の名声を欲しい侭にしているボクを唸らせるのは並大抵の事じゃないよぉ!? まあ、空腹は最高の調味料とも言うしね! それに好意で御馳走になる身で辛口の論評をするほど野暮ではないよ、ボクはぁ!」
その何処か上から目線の物言いに達也は渋い顔をしたが、それがヒルデガルドの気遣いに他ならないと察したクレアは、顔を綻ばせて感謝の意を示したのである。
◇◆◇◆◇
「こっ、これはっ! 美味しいよっ! 絶品だよっ! 最高だよぉ!」
ローズバンク家のキッチンに場所を移し、ヒルデガルドを招いての夕食会が開催された。
見た事もない土鍋が卓上コンロの上に置かれ、立ち昇る湯気と共に馨しい香りが部屋中に充満している。
所謂日本料理のシンプルな鍋料理なのだが、ヒルデガルドにとっては当然初体験の料理だった。
正直な所、鍋の中の具材も初見の食材ばかりで少々怯んだのだが、そこは好奇心の塊である彼女の面目躍如というべきか、底が深めの器に装われた料理を躊躇いもせずに口にした結果が冒頭の台詞なのだ。
瞳を輝かせて感嘆の声を上げるヒルデガルドの様子に安堵して、クレアは料理の解説をする。
「鳥の挽き肉を団子にしてツミレ汁を作ってみました……カツオと昆布のダシに、醤油を使って味を整えていますが、お好みで薬味や調味料をお使い下さい」
「いやいや! 濃厚な風味が実にバランス良く纏まっていて、絶妙のハーモニーを奏でているよ。これはもう芸術だよん! このツミレという奴は柔らかくて旨味が強いし、野菜やその他の食材も申し分がない出来だよぉぉ!」
嬉々としておかわりを要求するヒルデガルドに達也がツッコミを入れる。
「殿下……貴女は何処のグルメレポーターですか? 先程《美食の女王》とか自画自賛していましたが、語彙が余りに乏しいのではないですかね?」
「むふぅっ! 何て失礼な事を言うんだい! 人は本当に美味しいものに出逢った時にはキザな褒め言葉なんか出ないものなのさっ! 大体ね君は卑怯だよ。こんな素晴らしい料理を独り占めしようとは許されない暴挙だ! なあ、さくらっち! 君もそう思うだろうっ? この薄情な男にガツンと言ってやりたまえよ!」
エキサイトするヒルデガルドをしり目に、大好物の肉団子をホクホク顔で頬張っていたさくらは、少しだけ小首を傾げるや一気に破顔した。
「お父さんは薄情じゃないよ。さくらにはとってもとっても優しいの! だから、さくらは達也お父さんが大好きなんだよっ!」
「が~~ん! 達也のくせして、こんな幼子を手懐けるなんてぇっ!」
ヒルデガルドの悔しさMaxの悲鳴が部屋に響く……。
すると、達也との楽しい日々の思い出をさくらが自慢気に話しだし、彼の存在が如何に大切で、素敵な《お父さん》であるのか力説したのである。
概ね騒がしい夕食会は、雑炊を〆にしてに無事に終わりを迎えた。
勿論、クレアの料理を最後まで堪能し尽くしたヒルデガルドは大満足だ。
その後場所をリビングに移して紅茶を楽しんでいる最中、我儘殿下の爆弾宣言が炸裂してクレアは大いに困惑せざるを得なかった。
「クレア君。君さえ良かったら軍人なんか辞めて、ボクのバトラーにならないかい? 給与は年収で今の二十倍は出すよ!?」
「バトラー……? 執事ですか? しかも年収が二十倍って……?」
その突拍子もないオファーにクレアが目を白黒させていると、達也が苦笑いしながら解説する。
「地球ではバトラーは執事の呼称だが、銀河貴族の世界では主の右腕として家裁の全てを取り仕切る者をそう呼ぶのさ……ヒルデガルド殿下のバトラーともなれば、格式高い王家や帝室といえども軽視できないし。中小程度の王国なら反対に平伏さねばならないだろうね」
何の変哲もない庶民には想像もできない御伽噺に驚いたクレアは、慌てて左右に頭を振るや、丁重な物言いで固辞した。
「私のような粗忽者には分不相応ですわ。御声掛けいただきました事は望外の喜びではございますが、謹んで御辞退申し上げます……その代わり殿下が御所望であれば、何時でも料理を準備してお待ちしておりますので、どうか御気軽に御立ち寄り下さいませ」
「う~~~む……残念だよん! でも欲張って全てをフイにしては元も子もないからね。君の好意に甘えさせて貰って、また御馳走になりにくるよ」
そんな会話を続けながらも、さくらを膝の上に乗せた彼女は、達也やクレアには悟られないように情報収集を続けていた。
この少女と初めて接触した時の違和感……。
その正体が何であるのか、ヒルデガルドにも明確な答えは見えていない。
しかし、長年GPOの捜査官として国家規模の事件を数多く手掛けて来た彼女の勘が、さくらという少女を異質だと警鐘を鳴らしているのだ。
「そう言えば、先程の鍋料理というものは、達也の故郷の食べ物だと言っていたが……まさか!? まさか、そうだったのかい!? 愛しい恋人の為に故国の料理をマスターするという、いじらしい女心を、ぐぅへぇッ!」
ニヤニヤ下卑た笑みを浮かべ、クレアを詰問しようとしたヒルデガルドの脳天に達也の手刀が振り下ろされた。
奇妙な悲鳴を上げて悶絶する殿下に、頬を赤くしたクレアが説明する。
「亡くなった主人も日本人だったのですわ……でも、夫は移民三世だったそうで。日本はおろか地球に来たのも初めてだと結婚してから聞かされて……苦労して覚えたのにと少々落胆したのですが、ヒルデガルド殿下や白銀さんに喜んでもらえましたから報われた思いです」
「そ、そうだったのかい……揶揄ったりして悪かったねぇ」
頭の痛みに涙目になったヒルデガルドは素直に謝罪した。
「まったくぅ……この娘の前で下品な言動は慎んでください。亡くなられた旦那さんは、銀河連邦大学から派遣された優秀な学者だったそうですよ」
達也の叱責に謝罪しながらも、ヒルデガルドの意識は別の思考に捉われていた。
(連邦大学……ね。隠れ蓑にするには丁度いい。問題なのは真相が明らかになった時、この母娘が辛い事実を知るかもしれないということか……ボクの杞憂で済めばいいんだが)
明るい笑顔を取り繕ったヒルデガルドは、腕の中で無邪気に燥ぐ少女の未来を憂慮し、やる瀬なさから小さな溜め息を零すのだった。
◎◎◎
いつも拙い本作におつきあいいただいて本当にありがとうございます。
実は私はインターネットというものが大の苦手で、今回生まれて初めて、ネットサイトに登録したような素人であります。
当然“アクセス解析”なる便利な機能にも気付かず、5ヶ月ほどの間、思っていたよりも多くの方々にこの拙作が読まれているという事実に気付かず、『ブックマークに登録してくれた人がいる。嬉しいね』とささやかに喜んでおりました。
何と言っても、この“小説家になろう”というサイトに接続した時に投稿されている作品の数に驚き、『こりゃ、俺の書いた物なんか、誰の目にもとまらないよね』と慄きながらも、その分気が楽になって尚更気にもしなかったのです。
以来、自分の自己満足で書き散らして来た次第ですが、つい先日になって、先のアクセス解析なる機能を使ってビックリし、今頃になって『とんでもない事をしちまった!』とビビッている次第です。
とはいえ、こうなった以上、日雇い提督には立派に正社員待遇になって貰いたいので、頑張って書いていきます。
よろしければ、今後とも御贔屓くださいますよう、心からお願いする次第であります。




