第九話 点在する謎 ③
襲撃を切り抜けた達也は、怪我こそないものの悄然としたクレアをマンションまで送り届けた。
そして、母親を心配するさくらを慰めてから、彼女達の警護をティグルに託してローズバンク家を辞去するや、イェガーへ会談を申し込んだ。
何かしらの悪意が己の周囲で蠢いている……。
そう確信した以上、迂闊に通常の交信手段で会話を交わすなど危険極まりなく、上海の銀河連邦軍西部方面域太陽系派遣艦隊分所、所謂、イェーガーら駐在武官が勤務するオフィスへと直行した。
「提督御自身が狙われたとなれば、敵は銀河連邦宇宙軍……西部方面域艦隊司令部と見て間違いないでしょう。背後には間違いなく航宙艦隊幕僚本部総長ユリウス・クルデーレ大将が控えておりますな」
本来ならば驚愕に値する分析を、然も当然のように口にするイェーガー。
しかし、その老将の指摘にも眉ひとつ動かさない達也は、寧ろ、辟易とした顔で小さく首を左右に振った。
「……毎度毎度ご苦労なことだ。そうなると先日の海賊の襲撃騒動も彼らの犯行という線が濃厚……いや、決定的か……だが、何が目的なんだ? 嫌がらせにしては度を越しているし、同盟国を巻き込むメリットなど無いに等しい筈だが?」
思案顔の達也を見つめるイェーガーは、胸の中で溜息を吐くしかない。
ラインハルトから内々に聞いている件を話すべきか否か迷ったが、何の心構えもない儘に聞くには相当に重い内容だ。
感情的に話が拗れては元も子もなくなると思い直した老将は、事件の背景にある経緯については、敢えて口にしなかった。
「探りは入れてみますが、閣下の御身に万が一があってはいけません。伏龍教官職の退任を取り計らって貰っては如何でしょうか?」
「いや、それには及びません。下手にバタバタすれば、地球統合軍を刺激しかねませんからね……その代わりに、西部方面域艦隊司令部に私の名前で抗議文を出してください。『我が連邦宇宙軍並みの練度を誇る海賊らが跋扈しているが、方面艦隊司令部は如何に対処なさるのか?』……と。疑心暗鬼になって暫くは大人しくせざるを得ないでしょう……ただ、私の周囲の人間には、それとなく護衛を付けて欲しいのですが?」
自分が命を狙われるのは仕方がないが、それに知人らを巻き込むのは本意ではないし、ましてや、クレアやさくらに危害が及ぶなど考えただけでゾッとする。
しかし、イェーガーの返事は歯切れの悪いものだった。
「承知しました。ですが個別に護衛を任せられる程の人材はおりません。人手不足は深刻で充分な体制を敷くのは難しいので、学校周辺とお住まいの近隣を重点的にガードし、情報システムを駆使して港湾と空港の監視体制を強化しましょう」
地球に派遣されている彼の部下達は軍政畑の者達ばかりで、凡そ荒事に向いているとは言えないのは確かだ。
対人警護は無理だと察した達也は、それでも周囲の監視体制を強化すれば一定の効果は期待できると思い直し、老将の案を承認して謝意を伝えた。
「ありがとうございます。当面は様子見で情報収集に全力を挙げましょう。出来ればラインハルトを動かして、GPOの支局だけでも早々に復活させるよう根回しをお願いします」
その要望という名の命令を脳内メモに記録する老将は、内心で盛大な溜息を吐きながら、この貧乏くじ体質の若者へ深い憐憫の情を懐いてしまう。
(ガリュード閣下もラインハルトの奴も秘密主義が過ぎるのではないか? いくら想定外の事態とはいえ、当の本人の了解が一番最後とはな……やれやれ、心からの同情を禁じ得ないよ、白銀達也大将閣下)
完全に外濠を埋められた挙句に、無理難題という名の運命を背負わされる達也を哀れに思った老将は、今後の彼の人生に幸多からん事を祈られずにはいられなかったのである。
◇◆◇◆◇
バスタブに張られた熱めの湯に身体を沈めると、その心地良さに、ほぅっと短い吐息が唇から零れ落ちる。
湯の熱が身体の芯まで染み通る感覚に、疲労も何もかもが溶けていく気がして、クレアは漸く人心地がつく思いだった。
帰宅途中に襲撃され、危ない所を達也に救われてことなきを得たのだが、感謝の念とは別の、心に蟠る忸怩たる想いにクレアは悩みを深くしてしまう。
(『自分の所為で巻き添えにしてすまない』と謝ってくれたけれど……どれほどの業を背負って、あの人は生きておられるのだろう……)
軍人に必要とされる戦略と戦術、そして何事にも動じない胆力を併せ持ち、知識も豊富で戦闘指揮も抜群。
これだけの技量を身に付けるために、いったいどれ程の修羅場を潜り抜けなければならなかったのか……。
平時に身を置くクレアには想像もできない事ばかりで、それが歯痒くて仕方がなかった。
燃え盛る炎の中から帰還した達也が、余りにも平然とした顔をしている事に無性に腹が立って思わず詰ってしまったのだが、それは十四年もの間、戦地を転々とする生活の中で、彼が失くしてしまったものの正体に気付いたからに他ならない。
軍人として優秀であるが故に、本来人間として大切なモノが徐々に変質し、失われていく無情。
その酷薄な現実に達也自身が気付いていないのだ……。
それを理解した瞬間に芽生えた遣る瀬なさに胸を締め付けられたクレアは、目頭に熱いものが込み上げるのを堪えきれなかった。
(でも、どうして私はこんなにも彼の事を気にしているのだろう……さくらの為とはいえ夕食を共にし、短い時間でも毎日顔を合わせて会話を重ねている人……事情を知らない他人が見れば、普通の家族か恋人同士に見えてもおかしくはないのに、そんな気持ちは私にも彼にもない……)
そう考えた瞬間に胸の奥がチクリと痛み、次第にそれが大きくなっていく。
客観的な視線で自分が置かれている状況を分析したつもりだったのに、却って白々しさが際立ってしまう。
ここ最近、日常の何気ないシーンで脳裏を掠め、心を温かくしてくれる男性。
相手はただの同僚だった筈なのに……。
そんな言い訳じみた想いと共に小さく切ない吐息が唇から零れ落ちた。
出自や経歴が問題視されて不当な扱いを受けているにも拘わらず、自分が正しいと信じる方法を果断に取り入れ、短期間で教え子達を急成長させた達也の手腕は瞠目に値するだろう。
また、クレア自身も何度も窮地を救って貰い、剰え、長年苦しんできた悩みを解決する道標にもなってくれた。
そして何よりも、食事を共にするようになってからというもの、さくらは何時も御機嫌で、達也を『おとうさん』と呼んでは、心底嬉しそうに燥いでいる。
実の娘が他人の男性を『おとうさん』等と呼べば母親としては平静ではいられないし、厳しく叱り付けるのが当然なのかもしれない。
しかし、クレアはそんな風にはできなかった……。
寧ろ、切望しながらも二度と手にはできないと諦めていた家族の団欒を得たのだ、譬え、それが儚い偽りのお芝居であったとしても……。
そして、その幻が一日でも長く続けば良いと思っている自分に驚いてしまう。
我ながら呆れるしかないと自嘲するのだが、胸の中に芽生えた淡い想いに嘘はつけなかった。
(……私、白銀さんに惹かれている? 彼と一緒に過ごす時間を心地好いと思っている……ふふふ、志保に知られたら、また『チョロい女ね、アンタは』と揶揄われてしまうわね……)
自分の恋心を自覚した途端、腐れ縁の呆れ果てた顔が脳裏に浮かんで、クレアはおかしくて口元を綻ばせてしまう。
それでも心臓は早鐘を打ち、胸の内の想いに煽られるように、頬の火照りは更にその熱量を増していく。
それが正直な自分の気持ちだと気づいてしまったクレアは、胸の膨らみにそっと手を添え、その奥に大切に懐いている想いに問い掛けるのだった。
(あなた……私、好きな方ができてしまいました……相手の方は私の事など何とも思ってはいないでしょう。それでも、私は彼を……貴方は許して下さいますか? それとも……)
その想いはクレアの偽らざる本心に違いはなかったが、達也は銀河連邦軍の軍人であり、一年の期限付きで地球に出向しているに過ぎないという現実がある。
満了期限を迎えれば地球を去るのは確実だし、彼の様な人材を受け入れるほどに地球統合軍が成熟してない以上、いずれ別れの日が来るのは避けられないだろう。
その事は、誰よりもクレア自身が分かっていた……だから……。
(あとどれくらい一緒にいられるかは分からない……でも、譬え、報われなくてもいい。優しい想い出だけでも貰えるのならば……)
そんな儚い願いを思いながら、湯船に身を任せて瞳を閉じるのだった。
◇◆◇◆◇
「う、嘘だ……君はいったい誰なんだい!? 君は達也なんかじゃない! 真っ赤な贋者だッッ!」
達也が襲撃されたとイェーガーから報告を受けたヒルデガルドは、傑作発明艦《大ジャンプ君改》を駆使して地球に押し掛けていた。
そして、彼のマンションの部屋を訪ねての第一声がこれである。
達也を取り巻く友人知人の全てが、彼の自堕落ぶりを当然の事と認識して疑いもしないが、それはヒルデガルドとて例外ではなく、寧ろ、積極的に揶揄うネタにして楽しむ悪癖持ちなのだから、余計に性質が悪いと言えるだろう。
それなのに……。
白銀魔窟が綺麗に掃除されて埃ひとつ落ちていないなんて……。
そんな奇跡が起こるものかぁっ!
……と言うのが彼女の偽らざる本心なのだ。
しかし、達也にしてみれば、これ以上騒動の元が増えるなど迷惑以外の何ものでもなく、口を衝いて出るのは溜め息ばかりだった。
「はあぁ……何の連絡もなく突然押しかけて来たかと思えば……そんなことを言う為に、わざわざ地球まで来たのですか? 殿下」
だから、少女然とした傍迷惑な御仁を冷めた視線で一瞥して訊ねたのだ。
「ほ、本当なのかい? 本当に君はボクが知っている白銀達也なのかい?」
彼女にとっては余程の事態であったらしく、懐疑的な視線でジロジロと値踏みするばかりか、執拗なまでに言い募る。
どうやら疑惑の根は相当に深いようだ。
達也は呆れ果てた口調で、ヒルデガルドの問いを肯定するしかなかった。
「当たり前でしょう! 私は殿下が知っている白銀達也本人ですよっ!」
「う、嘘だぁッ! そんな馬鹿な話があっていいものかぁ─ッ!? 君のゴミ屋敷作成能力は銀河系最強スキルだよ! 以前アナスタシアに地獄の説教を喰らった時でさえ、キレイな状態を三日と維持できずに再度大目玉を落とされただろうっ? そんな君が、たった二月で更生したなんて与太話を誰が信じると言うんだい?」
(こ、この人はぁっ……黙って聞いていれば、好き放題っ! くうぅっ……)
ヒルデガルドの失礼極まる物言いに嚇怒し、その意志の儘に彼女の細首に延びていく自分の両手……。
そんな物騒極まりない幻想を振り払った達也は、努めて冷静を装い問い返す。
「それで? ただ私の身を案じてこんな辺境まで来たわけではないのでしょう? 巫山戯てないで目的を話してくれませんかねぇ……この後、人と会う約束があるんですよ」
達也にしてもヒルデガルドの来訪は歓迎半分、迷惑半分というのが偽らざる心境だが、何よりも、クレアとさくらの存在だけは絶対に知られる訳にはいかない。
この“歩く拡声器”に秘密を握られでもしたら……。
考えたくもない未来を思い浮かべた達也は、背筋が震える思いだった。
(埒が明かない事件の情報は欲しいが、お隣さんの事を知られたら、どんな与太話を吹聴されるか分からないからな……早々に御引き取り願わねば)
「何だい、何だい! 随分とつれないじゃないかっ! 折角、最愛の恋人が訪ねて来たというのに……」
「で・ん・か! 漫才は結構ですから、情報交換をお願いします」
「なっ! きっ、今日は一段と機嫌が悪いねぇ……ま、まあ、仕方がないか……。それじゃぁ、早速本題に入ろうじゃないか」
取り付く島もない謹厳な態度に圧倒されたヒルデガルドは、渋々ながらソファーに腰を降ろし、達也が対面に座るのを待って口を開いた。
「君からの依頼だがねぇ……五年前はGPOの支局は健在だったから、資料収集は簡単だと高を括っていたんだが、支局の撤退に際して太陽系に関する全ての資料が消失していた事実が判明したんだ」
「そ、そんな馬鹿な……データーベース化されたものだけでも膨大な量ですよ? それが全て消失なんて有り得ないでしょう?」
「そうだね。だから誰かが意図的にやったと見て間違いはないだろう……だがね、君から送られて来た撃破された新型艦艇のデーターを精査した結果、面白いことが分かったのさ」
ヒルデガルドは、異空間収納庫から紙の書類を取り出して達也に手渡す。
それは地球統合軍が次世代高性能艦を謳って建造した艦船の資料だった。
「結論から言えば、これは評判倒れの欠陥品だと言わざるを得ないね……政治的なパフォーマンスの為だけに無駄金を投資したとは考え難いが、設計値から算出された性能値は、全ての面で当時の連邦軍艦艇を下回っていたよ」
「それにも拘わらず、殿下が面白いと仰る理由があるのですね?」
達也の問いに、意地の悪い笑みを浮かべるヒルデガルド。
「その通りだよ……十隻の艦艇の中で唯一、旗艦の戦艦タイプだけが《浮き砲台》を搭載できる様に設計されているのが分かったのさ。巧妙に隠蔽されてはいたが、ボクは間違いないと確信しているよん」
「浮き砲台ですか……近接用兵装のビット兵器みたいな物ですか?」
「ふふふん! この場合は威力は問題じゃないんだ。問題なのは百機という搭載数の方なんだよ」
「ひゃ、百機ですって? そんな馬鹿な! そんな数の無人兵器をコントロールするのに、いったいどれだけのオペレーターが必要だと思っているのですか? 最低でも五十人以上の専属オペレーターが必要になりますよ。あまりに非現実的です」
「そうだね……徹底したリアリストの軍人が、こんな穴だらけの計画を立てる筈がない。しかし、計画は推進されて実際に新型艦艇も就航してしまった」
相反する事実を突きつけて来るヒルデガルドの顔は、意味あり気な微笑みで彩られており、その笑みが『謎を解いてみなさい』という彼女の挑発だと察した達也は思考をフル回転させた。
そして、ある結論に辿り着いたのだ。
「新型の浮き砲台を運用する為だけの実験計画……百機のビット兵器を自在に操れる何かがあった……そう仰りたいのですね、殿下?」
その回答に満面の笑みを以て賞賛するヒルデガルドは、益々饒舌に語りだす。
「その通りだよ。もしも、それが実現可能だったのならば、地球は銀河系内でその分野のフロントランナーとしての地位を掴めただろうねぇ。ビット兵器の制御は、オペレーターへの負担が大きい割に戦果が乏しいため、連邦軍艦艇では主兵装から外されている。ただ、着眼点は良いのだから、実効的なシステム次第では化けるとボクは思っているんだけどねぇ……」
マッドサイエンティストの本性を剥き出しにして、恍惚感に浸るヒルデガルドにドン引きしながらも、達也は小さく頭を振った。
「どちらにしても、想像の域を出ないのでは統合軍を締め上げる訳にもいきませんし……申し訳ありませんが、引き続きその線で調査をお願いできますか?」
手に入れなければならないのは確証である。
一番怪しい謎を明確にする事によって、突破口を開くしかないと意見が一致した二人は、お互いの手札を出し合って綿密な意見交換を行った。
しかし、その熱を帯びた議論に没頭したのが、達也にとって致命的な仇になってしまう。
「こほっ。う~~ん……随分と話し込んでしまったねぇ。達也ぁ、君ねぇ、ボクに長々と喋らせておいて、お茶の一杯も出さないつもりかい?」
喉の渇きを訴えるヒルデガルドの言葉で我に返った達也が慌てて時計に目をやれば、無情にも二本の針は現在が午後六時三十分だと告げていた。
(ま、不味いっ! そろそろじゃないか?)
事態の深刻さを一瞬で悟った達也は、血の気が引くのを自覚する。
「何を固まっているんだい、君はぁ? もうお茶なんか期待しないから、自慢のコレクションを出したまえよぉ。久しぶりに飲み明かそうじゃないかぁ!」
酒盛りをする気満々のヒルデガルドを早々に追い出そうとしたが、既に手遅れであり、事態は彼の予想通り最悪の展開へと雪崩をうつ。
次の瞬間、ドアベルが鳴りもしないのに、ロックが外されて玄関が開いた気配がリビングにまで伝わって来た。
そしてパタパタと廊下を駆けて来る可愛らしい足音とともに、これまた愛らしい少女の声が耳を心地良く震わせたのだ。
「達也おとうさぁ~~んっ! お仕事おわったのぉ? ママが『ごはんできたからどうぞぉ』って言ってるよぉ」
長い黒髪を宙に舞わせリビングに駆け込んで来た妖精を見た達也は、ソファーの背凭れに身体を預けて現実逃避を選択したのだが……。
「『お、おとうさぁぁぁん』って、何なのさぁ!?」
初対面の少女が発する言葉が理解できないヒルデガルドは、達也と少女を交互に見比べて絶叫を迸らせたのである。
しかし、このさくらとヒルデガルドの出逢いが、全ての謎を紐解く糸口になるのだから、縁とは実に不思議なものだと言わざるを得ない……。
後日、達也はそう感嘆するのだった。




